基本プロフィール


生年月日 1986年12月19日
職業 元総合格闘家・元柔道家

クロノスプロフィール


総参戦回数 1
賞金獲得回数 0
復活回数 0
逃走時間 31分7秒
逃走率 38.9%
逃走ポイント 3万7340

各回成績

逃走中

出演回 逃走時間 逃走率 逃走ポイント 順位 備考
USJ 31分7秒/80分 38.9% 37340 9位/15人

略歴

小学5年生で柔道を始め、高校ではより強い環境を求め国士館高校に編入しそのまま国士舘大学に入学。2004年には講道館杯100kg級で史上3人目となる高校生で優勝。2006年には全日本柔道選手権大会で初出場初優勝・史上最年少優勝を果たす。2007年からは100kg超級に転向し、2008年には北京オリンピックで金メダルを獲得。オリンピックでの最重量級最年少王者となった。
同年に総合格闘家へ転向。初戦の相手である吉田秀彦に敗れたものの、ジェロム・レ・バンナ選手を倒すなど実績を積み重ねていき海外の団体を中心に転戦。2019年にはミルコ・クロコップ選手に師事。クロアチア国籍を取得し練習拠点とした。
一方、長年の戦いによる傷の影響も大きく、2024年に引退を表明。同年には敗血症を患うも無事に退院している。

クロノス略歴

逃走中1回、「USJ」編の参戦。

オープニングゲームでは2番手で挑戦し、設楽統からは「もし開いちゃってもやんないで(殴らないで)下さい」と言われる中、ハンターボックスに向けて「今日はよろしくお願いします」と礼儀正しく挨拶。「燃える闘魂」の赤の鎖を選択しセーフ。
その後、ゲームが始まりmisonoがハズレの鎖を引き確保の情報を見て「なんか…負のオーラあった」とまあまあ予感していたことを語る。「隠れるのは斉藤先生*1で結構鍛えられてるんですよね。いかに見つからないようにして学校生活を送るかっていう…」と、学生生活時代の経験(?)を生かそうとしつつ隠れ場所を探し、ショップの裏に潜伏。「賢くないですか?」と言った瞬間に近くの通りから出てきたハンターを発見。咄嗟に隠れ「大阪来てすぐに捕まえるのだけはやめてくれ…」と移動の苦労込みで祈りつつ、ハンターが通り過ぎたと踏んでその背後を抜けるが、その様子を見つかり逃走。100kgの巨体で全力疾走し、上手いタイミングで逃げたこともあって撒くことに成功する。その後、エリック・ワイナイナの確保情報には「何しとんねん…あそこまで気合入っとって…」と同じアスリートの早期確保にツッコむ。
ハンターマーク消去ミッションでは「危険ですわ」と向かわず。スタッフからも問いかけられるが「人まかせの方が良くないですか?」「やりたいけどやれない」と意思固く。
一方、賞金の使い道は「ポケモンの新作(当時の新作は「ソウルシルバー」)」と意外な使い道。ちなみに、好きなポケモンは「ピカチュウ」に「カビゴン」と王道。
ハンター消滅を賭けた「ジェンガ」では6番手として2回挑戦するがどちらもハズレで貢献ならず。
ゲーム再開後は神戸蘭子の近くに位置取り「見つかったら足の遅い彼女が狙われる。おとりに使う。」とまさかの金メダリストが悪知恵を働かせて生き延びにかかる。そんな中で神戸と逆方向にハンターを発見し逃走。さすがの反応の良さを見せるが、逃げた先にもハンターが。焦ってUターンし「めっちゃキツイ…」と1人で慌てまくり。
ハンター放出阻止ミッションではミッションポイントに比較的近い所にいるも「絶対ミッションやらへん」と再び不参加を決意。神戸に誘われるもやはり意思は動かず。一応テレビ的な画も考え、スタッフからも「行けば映ります」と誘導されるがそれでも動かず。が、そんなところで北斗晶からミッション要請の電話を受けるが、そこをハンターに見つかり逃走。神戸と二手に分かれ、作戦通り神戸が確保され囮作戦は成功。しかし、まだハンターが近くにおり息を潜める中、ミッションに行けるかどうか聞きたい北斗から電話。電話に出れず着信音がエリアに響き渡り、ハンターの捜索の末発見。現れたハンターに「こんにちわ」と挨拶したところで一歩も動けず確保。「え!?マジで!?」とその結末に茫然後、「なんでこれ電話入ってくんの!?北斗さんなんすけど…あ~!」と状況を全く読めない北斗にイライラをぶつけた。

その後、15年の時を経て「ハンターと18人の金メダリスト」で復活ミッションにてハンターゾーンの「大型ハンター」こと『石井慧ハンター』として登場。大晦日決戦恒例の「メダリストハンター」であり、スーツではなく青の柔道着姿。すり足で移動しスピードは速くないが、威圧感はもちろん狭い道が多い今回のハンターゾーンではすり抜けて突破するのはほぼ不可能。何より逃走者に気づくと「オラァ!」「待てコラァ!」と威嚇するなどボイス機能が搭載されている(17年ぶり)。逃走者を確保することができず、背中のQRコード読み取りによる復活カードも獲得されなかった。

最終更新:2025年01月11日 01:39

*1 国士舘大学柔道部監督・全日本監督だった故・斉藤仁。