「格闘ゲーム補正」の略で、主には格闘ゲームにおいて、キャラクターの強さに設定上の大きな差がある場合に、
対戦形式のゲームとして成り立たせるべく、その格差を埋める方向で調整をつけることを言う。
狭義には、「
手加減している」「
手を封じている」のような説明の無い、「お約束」のような物を指す。
元々の設定上の能力を調整してゲームを成立させるという点では、ある意味システム上の
補正と共通している。
どんな作品にもこの補正は働いているが、原作を持つ作品で特に顕著なので
原作再現とほぼ対義語となっている。
以下、便宜的にそれを分類して説明する。
原作のある作品特有のもの
パワーバランスへの補正
例えば、もしも原作で
ミスター・サタン対
セル、
ジャギ対
ラオウ、
遠野秋葉対
アルクェイド等の組み合わせで
真剣勝負になれば、誰がどう考えても間違いなく実力差によって各組み合わせの後者が勝つ。
だが、「どのキャラでも全てのキャラに対して勝ち目がある」のが対戦格闘ゲームの(アーケードゲームでは特に)
セオリーであるため、キャラクター間の格差が埋まるような補正をかけなければならない。これが格ゲー補正である。
特殊な設定への補正
ゲーム化の際に、扱い辛い設定は無視されるということが良くおきる。
これらのような格ゲーで再現しづらい、或いは再現すると都合が悪い部分がスルーされるのも格ゲー補正の一種である。
しかし、ゲームバランスを崩さない範囲ではもちろんのこと、時には少々バランスを犠牲にしてでも
原作を再現した方がファンに喜ばれるということもあるので、原作付き作品ではその匙加減が重要となる。
原作の無い作品にも見られるもの
原作を持たない作品の場合も、やはり何らかの形で格ゲー補正はかかっている。
逆に、設定上強過ぎるキャラを弱くする方向で対戦を成立させる場合もあるが、
これは「本人の意思で手加減して戦っている」という形にすれば設定の矛盾を無くすことが容易なためだろう、
そういう形をとっていることが多いようだ。
例として、ヴァンパイアの
パイロンは、天体の軌道を操る程のパワーを持つ文字通り「宇宙最強」の存在だが、
ダークストーカーズとの戦いでは敢えて自分に制限を課し、一人だけスポーツ感覚で戦っているという設定で、
ストIIIの
オロも全力を出すと強すぎるという理由で自ら片手を封印していることになっている。
尚、東方Projectの「
スペルカードルール」や、
スマブラの「イメージ世界」という設定のように
格ゲー補正の役割を果たすものを明確に設定に組み込んでいる作品もある。
しかし、補正だと分かっていても設定上強いはずのキャラがぶっちぎりで最弱だったりすると
ファンの思い入れとしては寂しいものがあるので
その辺の調整は上手にできているに越したことはない。
上でも述べたが、広義にはこういった設定上の説明がなされているものも格ゲー補正と呼ぶことがある。
当然、複数の意味での補正を併せ持つ作品も存在する。
原作の有無に関わらない補正
存在への補正
原作の有無を問わず、ある意味で一番の格ゲー補正は「
同キャラ対戦が出来る
」ということだろう。
最初期は当然を当然として
「同キャラ対戦ができない」としていた作品もあるが
対戦ツールとしての追求をする以上、無視せざるを得なくなった部分であったため
結果として、服装や色が違うだけの同一人物同士で戦っているが
同一人物が同時に二人以上存在するような設定の世界観、人物でないゲームでもあるという矛盾を抱えている作品の方が多くなり
いつしか「世界観としてはおかしいが、対戦ゲームとしては当然のこと」の一つとなっている。
MUGENにおける格ゲー補正
一応はMUGENも格ゲー補正と無関係ではないのだが、一部のコンプリートゲームなどを除いて、
多数の作者が自由にキャラを作成するのが普通のMUGENでは明確な強さの調整基準というものはそもそも存在しない。
例えば
原作再現に徹した作りのキャラの場合、原作の格ゲー補正以外の「すりあわせ」の様な調整はされないし、
アレンジ系やオリジナルのキャラの場合なら単に
制作者が想定する性能になるようにだけ調整されている。
そのため、「キャラクター間のパワーバランスの調整」としての格ゲー補正は
「全体に通用する絶対的なものは」という前提で言うならMUGENには無い。
また、ドロウィン氏作の
ドロウィンに「格ゲー補正レベル」というシステムがある。
詳しくは
ドロウィンの項目を参照のこと。