『キノの旅-the Beautiful World-』(以下『キノの旅』)は短編連作という形をとった小説作品である。
一冊が複数の短~中編で構成されている。一読で瞭然だが、作品内の時系列も物語トーンもバラバラ。
各話によって主人公の年齢、語り手、視点まで変わり、一見すると統一性が無い。
第4巻11話「塔の国」ではページのレイアウトすら弄っている。もちろんこれは意図されての事である。
一々主人公の特徴を描写し直している事からも、たまたま注目している人物が同じなだけで、全てが違う作品であるという演出と取れる。
実際、誰かの手記や告白といった形で語られる話もある。
―何が正しいのか? 誰が正しいのか? 何か正しいのか? 誰か正しいのか?―
非常に独特な世界観である。
文明は我々の世界よりも遅れているように見えがちだが国によって大きな差があり、テントで生活する狩猟民族がいたかと思えば
クローン人間の量産化が実用化されていたり、国民が何も働かなくても機械の働きだけで生活できてしまう国があったりする。
様々な文化、考え方、法律、宗教を持つ国が登場し多くの人が明らかにおかしいと感じるだろう国もでてくるが、
冷静に考えてみれば実際にある国、思想や実在した人物、歴史、事件、あるいは日本の社会、政治の矛盾点がモデルだったりする
(最序盤の「大人の国」「多数決の国」の例は特に顕著)。
“ 秩序が無い”のではなく“我々が持つ秩序とは異なった秩序がある”と言えよう。
同じく時雨沢氏著作の『アリソン』にも見られるが、違う文化を持った者同士の互いに覚える違和感も非常にうまく表現されている。
第10巻収録の「ホラ吹き達の話」はこれを痛烈に皮肉った笑い話。
「この国も相当すごい……」
長くなるため今までの記述でも省略しているが、各話には必ず英語のサブタイトルが付けられていて、
これを理解する事でその話のテーマを知る事ができる。
中には日本ではあまり知られていない英語の慣用句や、ちょっと調べなければ分からないような言葉も使われている。
(「On the Rails」はいい例。作者は大学時代アメリカに留学しており、英語が達者だと思われる)
個人の人生観よりも人の集合、文化や社会をもとに「人の在り方」がテーマになっている事が多い。
キノという人物はその国に住む人達に対して何も意見を言う事は無いが(これはキノの性格や生き方にも関係していると思われるが)、
実際、真剣に考えて生きている人々に自分が正しいという証拠もなしにそれが間違っていると言えるだろうか?
第1巻プロローグにてキノは、
「ボクはね、たまに自分がどうしようもない、愚かで矮小なやつではないか?
ものすごく汚い人間ではないか? なぜだかよく分からないけど、そう感じる時があるんだ。(中略)でもそんな時は必ず、
それ以外のもの、たとえば世界とか、他の人間の生き方とかがすべて美しく、素敵なもののように感じるんだ。(略)」
……と発言している。
アニメ版の第一話もキノの独白から始まる。
また、作者はインタビューにて「キノは傍観者」と語っている。
人間の醜い部分も含めて「-the Beautiful World-」なのだろう。
余計な事を言うと処刑されてしまう国も多いので黙って立ち去るのが旅人として賢明ではあるのだが。
なお、作者である時雨沢氏も「平和が尊いのは事実だが、それは戦争や武器、誰かの犠牲の上で成り立っているのではないか」
「何が正しいのか間違ってるかなんて自分の物差しだけでは分かりません。私自身町の城壁の中から本作を手がけているに過ぎませんので」
とキノのように若干の皮肉を込めて語っている。
登場する人物に殆ど固有名詞が与えられないのも特徴である。
これはその人物を感情移入させるキャラクターとしてではなく、物語の舞台装置のように扱っているためである。
稀に固有名詞を持つ人物も登場するが、その場合その話において記号のような意味合いの言葉が由来となっている。
ドイツ語や英語からの出典が多いが、その他にもイタリア語、イギリス語、ヘブライ語、ローマ神話の神の名前など様々である。
「アジン(略)の国」ではおそらく日本語からの出典と思われるものもあった。
登場人物の名前の由来を調べる事でその物語の新たな意味合いを発見できる事もある。
ネットでたまに見かける「意味が分かると怖い文章」のような恐ろしい発見をする事もある
(「帰郷」に出てくる二名の固有名詞から推察すると……)。
物の名前もドイツ語、英語からきているものが多い。
上記のモトラドの語源はドイツ語の「Motorrad」から。「オートバイ」という意味で、正確な発音は「モトァーラート」となる。
この作品では銃器を「パースエイダー」と呼び、これは英語のpersuaderに由来する。
「説得する者」という意味の単語だが、これは英語圏の俗語では銃の事。即ち恫喝や示威の為の道具というニュアンス。
作中でも「説得する」という台詞が何回か使われているが(「コロシアム」「英雄達の国」など)、これも「戦って黙らせる」と言い換えられる場面が多い。
「説得力」というタイトルの話もあり、これは圧倒的な戦闘力を見せ付けるといった内容であった。
ちなみに、実在する武器に、英語で「平和を創る者」を意味する「ピースメーカー」という銃や ミサイルがあり、 それらを題材にした漫画や映画も存在する。
パースエイダーが実在の銃器をモデルにしており、武器名で響きが似ている事からピースメーカーではないかと考察されているが、
由来になった武器名は非公開なので憶測の域を出ない。
売り上げ部数は770万部を突破している(2013年時点)この作品であるが、昔ほどあまりメディアミックスがされていない、
新刊の発売が一年に一回と遅いなどの要因で、現在は雑誌などで話題になる事が滅多に無い。
また、扱われるテーマが非常に重くライトノベル作品でありながら軽い気持ちで読む事ができない(精神的に辛い)ためか、
読むのを躊躇う人も多く、MUGEN動画でキノが登場しても「知らない」というコメントが多く見かけられる。
逆にライトノベルであるという事で敬遠している人もいると思われるが、
「ライトノベル」という言葉はこの「キノの旅」という作品が世に出てしばらくしてから広まった言葉である。 *3
作者はインタビューにて「ライトノベル」という言葉について「デビュー後に広まった言葉だし」
「他に呼び方がないからそう呼んでいるだけ」と語り、特に意識している訳でもなく書きたいものを書いているという。
また、作風や構成上話の途中にイラストが挿入されるという事がほぼ無く、
そういった意味でライトノベルの大御所でありながらライトノベルらしくない作品でもある。
初期の作品の刊行当初は「電撃の異色作」と言われ、帯には「新感覚ノベル」と印刷されるなど当時からこの業界では異彩を放つ存在だった。
全国書店売り上げランキングにて文庫部門(ライトノベル限定ではない)で二位になった事もある。
かつてはラノベ業界の混沌具合から「『キノ』『 ハルヒ』『 マリみて』を読むまではライトノベルを語るな」と言われていた。
2000年当時の電撃ゲーム小説大賞(現・電撃小説大賞)に投稿された際、
今までの電撃文庫作品らしくない(今風に言えば「ライトノベルっぽくない」)という事で、
賞を与えるべきか選考委員を悩ませ、受賞せずにデビューという異例を産んだ。
現在はその異例である時雨沢氏自身が同賞の選考委員の一人を務めているのだから、世の中分からないものである。
直接の関連を証明する事はできないが、「キノの旅」発売後、同賞の作品投稿数が急激に増えた事を追記しておく。
また本作同様に 同賞応募作から受賞無しでデビューし、電撃文庫の屋台骨を支える作家が生まれる例も増えている。
2003年のアニメ版のイメージを持っている人は原作と少し雰囲気が違うので注意(原作の方が重い)。
また、旧アニメ版は単一の作品としてみれば優れているという評価を受けるのだが、主人公の性格とシナリオの大幅な改編が目立ち、
キャラクターデザインも 作画崩壊原作のイラストを担当している 黒星紅白氏のものとかけ離れているため、
ファンの間での評判はあまり良くない(後年の書籍特典DVDの収録分は比較的原作に近付けられているが)。
なお、原作にあったサブタイトルは原作からの出典の話には付けられていたが、アニメオリジナルの話には付けられていない。
このアニメ版はライトノベルの深夜アニメ化がまだメジャーではなかった2003年の作品で、
先述のように当時は「ライトノベル」いう言葉がようやく定着し始めるころである。
決して初の試みというわけではなかったが、確実に現在のライトノベルのアニメ化の流れを開拓した作品の一つであろう。
一方2017年版は、時雨沢、黒星両氏の徹底的な監修もあってか、
ストーリー、キャラデザイン共に旧版より原作に忠実。
各話は原作の人気エピソードから厳選する形で選定されており、
様々な国を巡るという内容を反映して各話ごとに美術スタッフを会社ごと変更するなど、本作らしい試みも随所に見られた。
また、一部エピソードのEDやWEB予告のメタっぷりも特徴の一つ
この再アニメ化に先んじてコミカライズも二作品の並行展開がスタートしており、それぞれシオミヤイルカ氏と郷氏が作画を担当している。
なるだけ被らないように、かつそれぞれの画風・作風の違いなども考慮した上でエピソードが選定されており、こちらも人気が高い。
なお、結果的に展開は同時期になったが企画自体はそれぞれ作者サイドと出版社サイドで別個に立ち上げられており、
シオミヤ版の企画が立ち上げられた段階では時雨沢氏は再アニメ化や郷版の企画があった事を知らなかったという。
最後に余談となるが、第1巻以外のあとがきはまともではない。
嘘っぱちの本編解説をした信じてはいけない内容だったり、内容はまともだがとんでもない場所に書いてあったり、
謎の企画コーナーや掌編形式になっていたりと、毎回変な工夫がされている。
しかし、これもこの作品、というよりこの作者の魅力であろう。
そのせいで後書きが面白く無いという理由で編集担当にボツにされるという珍事をやらかしている。
『アリソン』でもそうだが、扱われるテーマが重いためか著者近影、
プロフィールなど本編以外のスペースを使って全力で読者に楽しんでもらおうとする姿勢が見られる
(第2巻あとがきにて「御気分が悪くなったり、重くなったりした場合、すぐに使用を中断して何か楽しい事を思い出してください」と書かれている)。
また、作者がラジオ出演した際「この世界にいなくてよかったって思うような話です」と語った。
|