「んぁあ!!」
典韋(てんい、ピンイン: Dian Wei(ディェン・ウェイ)? - 197年)は、
中国の後漢末に曹操に仕えた人物。陳留郡已吾の人。字(あざな)は伝わっていない。
主に曹操の護衛として活躍した武将だが、その護衛期間はわずか3年ほどであり三国志初期に戦死してしまった。
そのため活躍場面は少ないのだが、個人戦闘力では
許褚や
呂布などと共に「三国志で一番」とまで言われている。
この三者では呂布より典韋と許褚の方がワンランク上か?と言いたい所だが、典韋は早死にしてしまっただけでなく、
親衛隊は役職上呂布ほど前線に出ない事もあり、はっきりと誰が最強だったかははっきりと決められない。
しかし後の世でエピソードが追加、誇張されて伝えられる武将は少なくないが、
典韋と許褚はその必要が無いくらい最初から強者だったと伝えられていた。
最初は張邈に仕え、誰も持ち上げられることができなかった牙門の旗を片手で持ち上げた。
夏侯惇に見出され配下となり、度々戦功を挙げ、司馬となった。
堂々とした体格で力もずば抜けて強く、「大双戟」や「短戟」という武器を愛用していた。
ちなみに彼の持っていた大双戟は八十斤(約20kg)もある一種のハルバードであり、
槍の側面に二つの刃が付いているからとも、それを両手に一本ずつ持って振り回していたからとも。
また若い頃、知り合いの劉氏のために町の顔役である李永とその妻を殺し、
白昼堂々市場を歩いたが誰も捕まえるどころか、近付く事すらなかったという。
こんな男がいる限り曹操の暗殺なんてまず無理な話であり、曹操陣営には裏切り者が少なかったという。
しかし張繍征伐に参加し、降伏した張繍が謀反を起こした時、曹操を逃がすべく部下と共に死にもの狂いで戦い、殉職。
この時の典韋は恐ろしい強さであり、手に握る大双戟を振るう度に敵の矛はバキバキ折れ、
(恐らくは出血と負傷により)大双戟が持てなくなるや、敵の矛にも怯まず腰の剣で大暴れしたという。
そして、ついに部下を全員失い全身至る所に傷を負い、
体から血を噴き出しながらも敵に突進し、敵兵二人を両脇に挟んで絞め殺した。
更に突進して数人を殺し、相手が近付けずに居る中、
敵を睨み付け、大声で罵倒しながら息絶えたと、正史に残る。
冷静になって考えてみると、典韋は瀕死の状態でありながら、
自分を殺しに死に物狂いで襲ってきた兵士二人を、
それぞれ片方の腕で、二人まとめて絞め殺した事になる。
これは成人男子を低く見積もっても子供扱い出来る程の腕力が無ければ不可能であり、
典韋が三国時代最強の候補に挙げられる理由の一つである。
まぁ腕っぷしだけで単純に強さが決まるわけでもないが……。
なお、張繍が謀反を起こした原因は、彼の伯父(?)の未亡人に目をつけた曹操が、無理矢理自分の愛人にしてしまい、
その事を張繍が恨んでいると知った曹操は張繍を暗殺しようとしたが、逆に張繍にバレてしまい反逆されてしまった、というもの。
しかも、この戦では曹操の甥(曹安民)に長男(曹昂)まで戦死しており、
先に亡くなっていた長男の生母に代わり長男を養育していた曹操の正室(丁夫人)は、余りの成り行きに激怒、曹操と離婚してしまった。
曹操本人は息子より典韋の死を悲しんでいた。自重しろ人材コレクター。
ちなみにこの後、曹操は本妻の下に謝りに向かった。これは当時としてはかなり珍しい事だったりする。結局許してもらえなかったけどね
『三国志演義』においては、当初は張邈の配下であったが他の者と衝突して殺人を犯して山中に逃亡。
虎を追い掛けていた所を夏侯惇に見出され推挙されるという形で曹操に仕えている。
その怪力から曹操に「古の悪来
*1のようである」と言われている。
また黄巾の残党を捕らえようとした所に
許褚が現れて身柄を争っている。
そして最期にして最大の見せ場である宛城の脱出では、張繍側の策によって愛用の双戟を盗まれたものの、
敵から武器を奪って戦ったり素手で蹴散らしたりと活躍し、曹操を逃がす事に成功。
典韋本人は弓兵部隊の一斉射撃を受けるという、壮絶な死を遂げた。
『
三國無双』シリーズでは3D格闘ゲームだった初代からの古参であり、シリーズを通して
ハゲスキンヘッドで厳つい。
強面の容姿や荒々しい口調、
世紀末な衣装のセンスとは裏腹に、忠節を人一倍重んじる人物である。
史実の都合上、残念ながらストーリーにおいて彼が登場する戦場は少なめ(一部作品では条件付で本来の死後の年代の戦場に参戦する事はある)。
なお同シリーズは、孫堅の武器として知られる古錠刀を長らく周瑜が使用していた等、史実や演技を湾曲させたかのような装備武器を指摘されることがままあるが、
典韋に関しても同様で、双戟で戦う作品が
たった一作しか存在しない。
『4』までは
ハンドアックスと
ガントレットを装備しており、
キャラのイメージが大きく変更された『5』では、何故か
鉄球を装備する事になった。
ちなみに『4』では
馬超と同郷ながら後に魏に仕えて
関羽と死闘を繰り広げた龐徳が双戟を装備している。『5』では何故か
張遼が双戟使いに…。
『6』以降では武器関連のシステムが刷新され、好きな武器を自由に使えるようになったのだが、
双戟が双
鉞
と差し替えになってしまい(鉞は斧のことであり、戟とは別物)、結局双戟で戦う典韋の姿は見られないのであった…。
その代わりと言ってはなんだが、短戟が何らかの形で収録されているので、一応史実再現もできなくはない。
なお、前述した唯一の作品である『MULTI RAID Special』についても、武器を自由に選択できるシステムの恩恵によるもので、
双戟が典韋自身の得意武器として設定されているわけではない(ちなみに同作の得意武器は『5』と同じ鉄球)。
格闘ゲームにおける典韋
1993年に台湾の「熊猫軟體股扮有限公司(Panda Entertainment)」によって制作されたPCゲーム、
『
SangoFighter(正式名『三國志 武將爭霸』)』、および1995年に発売された続編の『SangoFighter2(『武將爭覇2』)』に登場。
MUGENにおける典韋
『武將爭覇2』の韓国語版を元に、General Chicken氏が製作したものが存在。
海外サイト「Mugen Storehouse」内の「Old Mugen Storehouse」というコーナーにて氏の他の武将達とセットで代理公開されていたが、
サーバーに問題が発生したらしく、現在は正規入手不可。
半裸であるのと掛声その他諸々の理由で
非常に暑苦しいキャラ。
サイの様な武器を持っているように見えるが、史実や演技で語られる双戟のつもりなのだろう。
攻撃のリーチや範囲の広さは見た目通りかなりのもの。
そりゃあ戟持ってるから仕方ないしな。
両手を広げ飛び上がる
必殺技に至っては
画面の約半分を覆う。そりゃあ戟(ry
何気に
運送技も持っている。
通常のバトルはもちろん、タッグなどの乱戦時にも非常に厄介な存在となるだろう。
出場大会
削除済み
凍結
*1
悪来(あくらい/おらい)は殷末時代の官僚。殷の紂王に仕えた。
暴君紂王の下で讒言などの傍若無人な振る舞いをした事から諸侯に嫌われ、それが殷周革命の要因の一つとなる。
悪来も牧野の戦いで周軍に討たれた。
怪力の持ち主としても知られており、そのような点もあり典韋のあだ名として引用された。
ここでもう一度確認してほしいのが上記の悪来の経歴。
簡単に言えば「暴君の太鼓を持つ佞臣」「忠義を尽くして戦死」「怪力」で、
後ろ二つは典韋にも当てはまるのが分かり易いが、注目してほしいのは最初の「暴君の太鼓を持つ佞臣」。
徐晃の
脚注*2に詳しいが、羅貫中が著したとされる『三国志演義』は、
「蜀=善玉、魏=悪玉」とする民間の説話や講談などの流れを汲んで書かれた通俗歴史小説である。
……ここまで書けば言わんとする事が察せられるかもしれないが、
「典韋=悪来」とする事で「曹操=紂王」と、暗に仄めかしているようにも見えるのだ。
悪来自体も、上記のように怪力であると同時に悪人とも伝えられており、その名をあだ名にするのは、
現代で例えるなら「まるで
ナッパみたいだ!」「
ザーボンの再来のようだ!」的なイメージである。
我々の視点からすれば少なくとも褒め言葉ではないだろう。
とはいえ、士大夫(インテリ層)である羅貫中が大衆向けの通俗小説として、
正史における典韋の事跡を持ち上げすぎず、それでいて華やかに書き出すための材として歴史書から悪来を引用したのは、
学の無い庶民だけでなく、学のある士大夫にも受ける、
つまり「分かり易い話でありつつ、故事を用いる事でインテリの知識披露にもうってつけ」
という話の作り方であり、良くも悪くも広い層に話を広げるのに役立ったと思われる。
羅貫中の知識の引き出しの多さと例えの妙が窺える。
また、曹操が賢臣・荀彧(じゅんいく)を登用した時に「お前は我が子房である」と評した。
この子房とは前漢の高祖・劉邦(りゅうほう)を支えた賢臣・張良(ちょうりょう)の事であり、
「荀彧=張良」なら「曹操=劉邦」という構図になる。
よりによって「漢を簒奪しようと目論む悪人・ラスボスが、その漢の初代皇帝の再来」になってしまうのだ。
これでは小説としての話の筋が無茶苦茶になってしまうので、
そこに「典韋=悪来、曹操=紂王」のイメージをぶつけて相殺しようとしたわけである。
曹操が語った事は史実であるので流石に消せず小説の筋のために消された事実も結構あるが、
荀彧は魏の陣営にいながら漢王朝の存続に心を砕いた人物なので、蜀びいきの作者も流石に荀彧を悪役にはできず……
と言った諸々の事情のとばっちりが典韋に回ってきて悪者っぽい異名を付けられてしまったのだ。
(以上、ニコニコ大百科: 「典韋」について語るスレより一部引用・改変)
最終更新:2025年03月15日 08:33