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東京タワー

東京タワー(とうきょうタワー、Tokyo Tower)は東京都港区芝公園4丁目にある東京地区の集約電波塔である。1958年(昭和33年)10月14日竣工、1958年(昭和33年)12月23日に完工式が開かれた。一般的に東京のシンボル・観光名所として知られる、日本で2番目に高い建造物である。

昼間障害標識として、頂点より黄赤色(インターナショナルオレンジ)と白色を交互に配した塗装となっている。

地上アナログ・デジタルテレビジョン放送(VHF・UHF)及びFM放送のアンテナとして放送電波を送出、また東日本旅客鉄道(JR東日本)の防護無線用アンテナとして緊急信号を発信する他、東京都環境局の各種測定器なども設置されている。管理、運営しているのは、民間会社である日本電波塔株式会社である。


東京タワーの建設前、放送事業者は個々に高さ150~165mの電波塔を建設して、自局の塔から放送を行っていた。しかしこの高さだと放送電波は半径70km程度しか届かず、銚子や水戸では満足に電波を受信することができなかった。また、放送電波には指向性があるため、チャンネルを変える毎にアンテナの向きを各電波塔の方向に変えなければいけないという不便が生じ、鉄塔の乱立は都市景観においても好ましい状況ではなく、当時郵政省の電波管理局長であった浜田成徳を初めとする関係者の中で電波塔を一本化する総合電波塔を求める機運が高まっているところ、放送事業の将来性に着目した前田久吉と鹿内信隆によって計画された。


設置場所

建設地は、安定した電波を供給するために巨大な電波塔の建設が可能な広さと強固な地盤を有していること、魅力ある展望台のために工場などの煙が景観を妨げないことなど、厳しい条件が求められた。当初は上野公園付近への建設も検討されたが、海抜18mの高台にある港区芝公園地区は基礎を打ち込むための東京礫層地盤もより浅いところにあり、国の中枢機関や各放送事業者との距離が近いなど、報道と観光の両面に恵まれた立地であった。土地の買収は、増上寺の檀家総代に前田が日本工業新聞の社長時代から親交があった池貝庄太郎がおり、増上寺との間を取り持って用地買収を成功させるよう働きかけた。また、芝公園4丁目地区の周辺一帯は、建物倒壊危険度、火災危険度、避難危険度を示す地域の危険度特性評価(東京都平成14年実施)において、「相対的に危険度の低い町」を示すAAAの評価を得ており、防災面でも電波塔の立地に適していることが後に判明した。

最終更新:2010年08月23日 19:14
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