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更新日:2026/08/21 Fri 15:35:52
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「このゾンビ映画、試写会ではワクチンが作れなくて全滅エンドだったって聞いたなー」
ジョージ! ワクチンが完成したぞ! これでみんなを救える!!
「なん…だと…」
この項目では、主に洋画における「本来の結末とは異なるエンディング」について説明する。
概要
ゲーム作品と違い、映画の結末は普通一つである。しかし、世の中には
何らかの理由によってエンディングが複数ある作品も存在する。
主に「試写会と劇場とで、映像の結末が異なる」「劇場公開時と映像ソフト収録時とで、映像の結末が異なる」の2パターンに分かれる。
別エンディングが存在する理由として、
- 試写会での評価が悪かったため、劇場公開の前にエンディングを差し替えることで挽回を図る
- 尺の都合や続編への布石のためにエピローグをカットした結果、結末がガラリと変わる
の2パターンが多い。
海外では「スクリーンテスト」という、一般公開前に一般人を集めて試写会を行い、アンケートの結果を編集に反映させるシステムが存在する。それによって不評だった部分を削る、もしくは説明不足な部分を追加するといった措置が取られるわけである。
場合によっては主要人物の生死といった内容から、作品の主旨を根本から変えるような改変が入る事もあるほどに、このテストは重視されている。
差し替えられた、もしくは削除された映像がソフト化の際に収録されて日の目を見る事もあるが、大抵はお蔵入りとなってしまう。
中には情報の真偽が定まらないものも存在する為、「有名なあの作品には実は別の結末が存在する」といった
都市伝説と化す例もある。
例を挙げると、『
ザ・グリード』は試写会版ではあるキャラが死亡して生存者2名でエンディングとなったのだが、不評だった為に「運よく生存していた」事にして3人で生き残る結末に修正されたという噂があるが、真偽ははっきりしていない。
別エンディングが存在する作品
『アイ・アム・レジェンド』
ウィル・スミス主演の2007年のSF映画で、原作はリチャード・マチスンの同名作品(旧邦題『吸血鬼』『地球最後の男』)。
「別エンディングが存在する作品」として広く知られており、
その別エンディングが作品のテーマやメッセージ性を180°反転させる内容である事で有名である。
スクリーンテストで上映した際、ラストシーンが特に不評だった為、撮り直しを行って全く別物のエンディングとなった。
DVD特別版やBlu-rayには別エンディング版も収録されているので、視聴も容易で、映像ソフトだけではなく動画視聴サイトにおいても別エンディング版が配信されているという非常に珍しい例でもある。
結末が変わった事で本来のラストシーンのために用意された
伏線が放置されたままになった為、鋭い人なら「あのシーンは結局何だったんだ?」と疑問に思うかもしれない。
ガンの治療薬が突然変異したことで生まれたウイルスによって、90%の人間が
死滅した世界。
生き残った6億人も、そのうちの98%が「ダークシーカー」と呼ばれる驚異的な身体能力を持つ怪物に変異して、健全な2%の生存者を襲うようになり、人類は絶滅間近であった。
元軍人であり、現在は科学者である主人公のネビルは、愛犬のサムと共にニューヨークに残って治療薬の研究を続けていた。
突然変異したウイルスの治療薬を開発する為、ダークシーカーを罠で捕獲して何百回も実験を繰り返すも、結果は芳しくなかった。
今度こそはとばかりに女のダークシーカーを捕獲するネビル。捕獲した際にあるダークシーカーがネビルを追撃しようとするも、ダークシーカーは太陽光を浴び続けると死ぬという弱点を持つ為、追跡を断念していた。
蝶のタトゥーを入れた女のダークシーカーに試作した血清を打つも、効果は見られなかった。ウイルスを再度注入して実験体を生き永らえさせる事にして、気を落としながらも研究を続行する事を誓うネビル。
その後、外を探索中にダークシーカーが仕掛けた罠に嵌ってしまい、日没までに住処に帰還する事ができず、複数のダークシーカーから襲撃を受けることとなる。
その場はなんとか切り抜けるが、サムが命を落としてしまう。
愛犬の喪失に自暴自棄になって、夜間にもかかわらずダークシーカーに報復攻撃を図るネビルだったが、反撃されて追い詰められてしまう。
絶体絶命のピンチだったが、アナとイーサンの親子に助けられる。2人はネビルの無線放送を聞きつけてニューヨークを目指していたのだった。
しかし彼女のミスでダークシーカーに住処がバレてしまい、夜間に襲撃を受けてしまう。
仕掛けた爆薬やトラップで反撃するも多勢に無勢、追い詰められ地下の研究所に逃げ込む3人だったが……
地下の研究所では捕らえたダークシーカーが人間に戻りつつあった。ネビルの作った血清は効果があり、遂に治療薬の開発に成功したのだ。しかしダークシーカーは研究所にも侵入し、最後の防壁であるガラス戸を破ろうとする。
ネビルは「この治療薬でお前達を人間に戻す事ができる」とダークシーカーに呼びかけるも話は通じず、ガラス戸は砕け散る寸前となり、完全に追い詰められる。
意を決したネビルは血清をアナに託し、自分は爆弾を抱えてダークシーカーの群れに特攻。
彼ら全員を道連れにする事で親子を守った。
エピローグではアナとイーサンがニューヨークを脱出し、生存者が集まるコロニーにネビルが作った血清を届けるところで終わりを迎える。
こうしてネビルは治療薬を開発して人類を救った
「伝説の男」となったのだった。
この映画と同じ原作を使った『地球最後の男 オメガマン(The Omega Man)』と同系統のエンディングであり、主人公が純粋に自分の価値観を信じていられたルートでもある。
治療薬が完成したところまでは同じで、展開が変わるのはネビルがダークシーカーに対して「人間に戻れるんだ!」と呼びかけるところから。
最後の防壁を破られる寸前でダークシーカーのリーダー格と思われる男が攻撃を中断し、手を使ってガラス戸に蝶の絵を描く。
ネビルは一度は疑問に思ったが、ダークシーカーの意図に気付いてしまう。捕らえた女のダークシーカーには蝶のタトゥーがあった。この男は女のダークシーカーを取り返しに来ただけなのではないか……
ネビルはアナに頼んでガラス戸を開けさせ、自らは女のダークシーカーを乗せた担架を連れて彼らの前に進む。
すかさず攻撃をしようとするダークシーカー達だが、リーダー格の男はそれを制止する。彼もネビルの意図を察したのだ。
リーダー格の男は元に戻せと言わんばかりにネビルを睨みつけた後に、女のダークシーカーを心配そうに見つめる。
ネビルがウイルスを注射すると、女性は再びダークシーカーとして蘇生する。意識を取り戻した女性は愛おしそうに男性に手を伸ばして抱き合った。2人は恋人同士だったのだ。
「済まなかった」と謝罪するネビルをリーダー格の男は憎々しげに睨むものの、襲いかかる事はせず、仲間と共に研究所を去っていった。
助かったと安堵するアナとイーサンだったが、ネビルの表情は暗かった。
「治療してやる」という呼びかけはネビルの勝手な考えに過ぎなかった。
ネビルはダークシーカーを夜に跋扈する吸血鬼(伝説の怪物)だとして恐れていたが、彼らからすればネビルこそが昼(ダークシーカーにとっての夜)に跋扈し、何百人もの同胞を拉致して人体実験の果てに殺す「伝説の怪物」である事を理解したのだった。
エピローグでは、ネビル達3人が生存者のいる新天地を目指してニューヨークを離れるところで、終わりを迎える。
元々のエンディングはこちらであり、そのためいくつかの伏線が張られている。
- 女のダークシーカーを捕獲した際に仲間の一人が必死で追いかけようとするも、日光が照る昼間では追跡できないので無念そうに咆哮するシーン。このダークシーカーこそが終盤のキーパーソンである「リーダー格の男」である。
- 捕らえた女のダークシーカーに蝶のタトゥーがある事に気付くシーン。このシーンだけは別エンディング版のみに存在する。
- 地下研究所に追い詰められた際に、一際目立つ動作で仲間を押しのけてまでガラス戸に近づいて、必死に体当たりして破ろうとするダークシーカーが存在する。これも上述の「リーダー格の男」である。
- 地下研究所の実験記録である壁一面に貼られた、何百枚ものダークシーカーの写真。劇場公開版エンディングでは中盤に映るのみなので「何百回も実験を繰り返しているが治療薬の研究は進んでいない」ということを説明するアイテムだが、別エンディングではネビルがダークシーカーに謝罪するシーンでも映るので、「ダークシーカーからすればネビルは何百人もの同胞を殺した男」という別の視点を説明するアイテムにもなっている。
さらに言うと、原作では「主人公がダークシーカーによって公開処刑される直前に、自分こそ『伝説の怪物』だったと気付く」という皮肉なバッドエンドな為、これでも大分緩和された方である。
タイトルの『アイ・アム・レジェンド』は「俺は奴らを吸血鬼(伝説の怪物)だと思っていたが、奴らからすれば俺が伝説だった」というネビルの気付きと自嘲を意味している(原作小説の最後の一行の文章)。
劇場公開版の場合、確かにネビルは治療薬を作った伝説の男となるが、本人は死亡しているのでアナ視点で「彼は伝説」と語られるのが適切である。
「俺は伝説」というタイトルは別エンディングの場合でのみ当てはまるので、ある意味最大のギミックであるタイトル回収でさえ、スクリーンテストでの変更によって機能しなくなった事になる。
そして、この別エンディング版の続きとなる続編の製作が決定した。もしかしたら地上波で別エンディング版が放送される日もやってくるのかもしれない。
『危険な情事』
マイケル・ダグラス、グレン・クローズ主演の1987年のサイコスリラー。
妻子持ちの弁護士ダン・ギャラガーが、妻の留守中に出版社勤務のアレックス・フォレストと関係を持ってしまった事から始まる泥沼を描く。
現在では「ストーカー映画」の代表格として知られる本作だが、実は当初撮影されていたエンディングは劇場公開版とは全く異なるものだった。
しかも試写会で観客がその結末を嫌った事から、クライマックスを含む大規模な再撮影が行われている。
ダンとの関係を終わらせる事を拒み、彼だけでなく妻ベスや娘エレンにまで危害を加えるようになったアレックス。
一連の騒動が収まったかに見えた後、アレックスはギャラガー家に侵入。
浴室にいたベスを包丁で襲撃する。
駆け付けたダンはアレックスと激しく争い、彼女を浴槽に沈める。
一度は死んだかと思われたアレックスだったが……
突然浴槽から飛び起き、再びダンに襲い掛かる。
しかし直後、駆け付けたベスが拳銃を発砲。
アレックスは射殺され、ようやく一家の悪夢は終わりを迎える。
最後は警察の事情聴取を受けるダンとベスが映され、カメラが一家の幸福そうな家族写真へ寄っていくところで幕を下ろす。
元々撮影されていたラストでは、アレックスはギャラガー家を襲撃しない。
ダンに拒絶されたアレックスは、以前ダンが触れていたナイフを使って自ら喉を切って自殺する。
しかもダンの指紋が付着したナイフを用いる事で、あたかもダンに殺害されたかのように偽装していた。
当然ながら第一容疑者となったダンは警察に逮捕されてしまう。
しかしその後、ベスはアレックスがダンへ送っていたカセットテープを発見。
そこには彼女が自殺を示唆する言葉が録音されており、ダンの無実を証明できる可能性が生まれる。
そして最後に、プッチーニの歌劇『蝶々夫人』を聴きながら自ら命を絶つアレックスの姿が映されて終了する。
こちらは劇場公開版のような「怪物化したアレックスを妻が倒す」という勧善懲悪的な結末ではなく、アレックス自身の破滅的な心理に重点を置いた悲劇的な終幕だった。
演じたグレン・クローズも「アレックスという人物なら他人に殺されるより自滅する」と考えており、このエンディングを支持していたという。
しかし試写では観客の反応が悪く、特に「アレックスが最後までダンを陥れる事に成功してしまう」点が不評だった。
その結果、大規模な追加撮影が行われ、現在知られる浴室での対決へと変更された。
結果として、同じ映画でありながら
「精神的に追い詰められた女性が最後に自滅する心理悲劇」
から
「家庭を脅かす怪物を夫婦が撃退するサイコスリラー」
へと、作品の印象そのものまで変化した有名な例である。
『リトル・ショップ・オブ・ホラーズ』
1986年公開のミュージカル映画。
元々は1960年の同名低予算映画を原作としたオフ・ブロードウェイ・ミュージカルを、フランク・オズ監督が映画化した作品である。
冴えない花屋店員シーモアと、人の血を吸って成長する謎の植物オードリーIIを巡るブラックコメディだが、こちらも試写会によってエンディングが180度変更された作品として有名。
オードリーIIに襲われたオードリーをシーモアが救出。
さらにシーモアは、世界中でオードリーIIを繁殖させようとする計画を拒絶する。
巨大化したオードリーIIとの最後の戦いの末、シーモアは電気を利用して怪物を撃破。
その後、シーモアとオードリーは結婚。
郊外の一軒家へ移り住み、オードリーがかつて夢見ていた「緑に囲まれた幸せな生活」を手に入れる。
ただし最後に庭の花壇から小さなオードリーIIらしき芽が顔を出しており、完全に脅威が消えたわけではない事を示唆して終わる。
こちらは舞台版に近い、文字通りの世界滅亡エンド。
オードリーIIに襲われたオードリーは致命傷を負う。
死を悟った彼女は、せめてシーモアが成功できるよう自分をオードリーIIに食べさせてほしいと頼み、シーモアは泣く泣く彼女を植物へ与える。
その後、オードリーIIを繁殖させようとする計画が既に進行していた事を知ったシーモアは怪物を倒そうとするが……
逆にシーモアまでオードリーIIに食べられてしまう。
そして小型のオードリーIIが全米へと出荷され、人々は珍しい植物として次々に購入。
しかし各地のオードリーIIは成長して巨大化し、ついには街へ進撃を開始する。
軍隊の攻撃も物ともせず、巨大植物の群れは建物を破壊し、列車を脱線させ、自由の女神像にまで登り始める。
最後は巨大なオードリーIIがスクリーンを突き破るという、怪獣映画さながらの終幕となっていた。
つまり劇場版では
「シーモアとオードリー生存、怪物撃破」
だったものが、
こちらでは
「シーモアとオードリー死亡、怪物勝利、人類敗北」
となる。
フランク・オズ監督と脚本家ハワード・アッシュマンはこちらを本来の結末として想定していた。
作品をファウスト的な寓話として考えれば、欲望のために殺人へ加担したシーモアが最後に代償を支払うこちらの方が筋は通っている。
ところが最初の試写会では、上映中は楽曲ごとに拍手が起きるほど好評だったにもかかわらず、主人公二人が死亡すると会場の空気が一変。
オズによれば観客の「他人に薦めたい」という評価は僅か13%まで落ち込んだという。
舞台なら登場人物が死亡してもカーテンコールで役者が再登場するが、映画では観客がシーモアとオードリーの死を文字通りの死として受け止めてしまった事も大きかったとされる。
このため大規模な撮り直しが行われ、現在のハッピーエンドへ変更。
長らく本来のラストは未完成映像でしか見る事ができなかったが、後年映像素材が復元され、『ディレクターズ・カット』として正式に日の目を見る事となった。
『ディセント』
2005年公開、ニール・マーシャル監督によるイギリスのホラー映画。
洞窟探検に訪れた女性6人が、地下に生息する異形の「クローラー」に襲われる。
本作の場合は「没になった別エンド」というより、イギリスを始めとする公開版とアメリカ劇場公開版でラストが異なるというケースである。
仲間を失いながらも、ただ一人洞窟から地上へ脱出したサラ。
車に乗り込み、必死に洞窟から離れる。
道路脇で停車して一息ついた彼女だったが、助手席を見ると……
そこには洞窟内に置き去りにしたはずのジュノが座っていた。
絶叫するサラ。
そこで映画は終了する。
ジュノの姿はサラの罪悪感や精神崩壊が生み出した幻覚と考えられるものの、少なくとも肉体的には洞窟からの脱出に成功したように見える結末である。
イギリス公開版を含む本来のエンディングでは、上記の後にさらに続きがある。
ジュノの幻影を見て絶叫したサラが目を覚ますと……
そこは車の中ではなく、再び洞窟の中だった。
つまり地上へ脱出し、車で走り去った一連の場面そのものがサラの見ていた幻覚だったのである。
絶望的な状況の中、サラの前には亡くなった娘ジェシカの幻が現れる。
誕生日ケーキを前に微笑む娘を、サラは幸福そうに見つめ続ける。
しかしカメラが引いていくと、実際のサラは真っ暗な洞窟の中で一人座り込んでいるだけ。
遠くではクローラーの声が響いている。
娘との再会という幸福な幻想へ逃避したまま、サラは洞窟に取り残されてしまったのだった。
ニール・マーシャル監督によれば、こちらが脚本通りの本来のエンディング。
ただし観客の反応を二分したため、アメリカ公開時には最後の約1分を削った短縮版もテストされ、そちらの方が高評価となった。
そのためアメリカでは「車から脱出したところ」で終わる版が採用された。
一見するとアメリカ版の方が救いがあるが、マーシャルはむしろ「本来版ではサラは精神世界の中で娘と再会し、ある種の幸福を得ているのに対し、アメリカ版では全てを失って精神的に壊れた状態で生き続ける」とも語っている。
そのためどちらがよりハッピーな結末なのかは意外と一概には言えない。
『エルム街の悪夢』
ウェス・クレイヴン監督による1984年のホラー映画。
夢の中に現れ、殺した相手を現実でも死亡させる殺人鬼フレディ・クルーガーのデビュー作。
シリーズ化された現在からは想像しにくいが、第1作のラストを巡っては監督ウェス・クレイヴンとニュー・ライン・シネマ代表ロバート・シェイの間でかなりの意見対立があった。
ナンシーは「恐怖を与えるからフレディは力を得る」と悟り、彼に背を向ける。
その結果フレディは力を失い、消滅。
翌朝。
それまでに死亡したはずの友人達も生き返っており、ナンシーは彼らの乗るオープンカーへ乗り込む。
一見すると全てが夢だったかのような幸福な光景だが……
突如、車の屋根が閉まり、フレディのセーターと同じ赤と緑の縞模様へ変化。
ナンシー達を乗せたまま車は勝手に走り去ってしまう。
さらに玄関先にいた母マージも、フレディの腕によって小窓から家の中へ引きずり込まれる。
最後は縄跳びをする少女達がフレディの歌を歌う中で終了。
ナンシーは本当にフレディを倒したのか、それともまだ夢から醒めていないのか分からない結末となった。
クレイヴンが本来望んでいたのは、もっと単純かつ詩的な結末だった。
ナンシーがフレディへの恐怖を捨てる事で彼を完全に打ち破り、
翌朝は美しい晴天。
友人達が迎えに来た車へナンシーが乗り込み、普通の日常へ帰っていく。
最後にフレディが復活するショック描写は存在しない。
つまりクレイヴンとしては、
「恐怖に力を与えなければ、恐怖を打ち破る事ができる」
というナンシーの成長によって物語を完結させる予定だった。
しかしロバート・シェイは「ホラー映画なら最後に観客を驚かせる一撃が必要」と主張。
さらにフレディが生存していれば続編も製作可能になる。
両者の意見が対立した結果、実際に複数パターンのエンディングが撮影された。
- そのまま平和に終わる
- 車にフレディを示す異変が起きる
- より明確にフレディの勝利を示す
などの案が試され、最終的にはそれらを折衷した現在のラストが採用された。
クレイヴンは後年、この変更について「映画の中で自分らしくない部分」として後悔を語っている。
もっとも、そのおかげでフレディは第1作限りの怪物では終わらず、その後長大なシリーズを築く事になったのだから、シリーズ史的には極めて大きな変更だったと言える。
『未来世紀ブラジル』
テリー・ギリアム監督による1985年のSFブラックコメディ。
徹底した管理社会の中で、夢想家の小役人サム・ラウリーが「夢の女性」ジルと出会い、巨大な官僚機構へ巻き込まれていく。
本作の場合、通常の「別エンディング」というより監督とアメリカの配給会社ユニバーサルの編集権を巡る全面戦争に近い。
なお、よく「アメリカ劇場公開版がハッピーエンドだった」と誤解されるが、アメリカで実際に劇場公開されたのはギリアムの意向を汲んだ約132分版。
ここで扱う「Love Conquers All」版はユニバーサル側が別途作った約94分の大幅短縮版である。
逮捕されたサムは、友人ジャックによる拷問を受ける事になる。
そこへ反政府活動家タトル達が突入。
サムは救出され、ジルとも再会。
追手から逃げ切った二人は都会を離れ、美しい田園地帯へ到達する。
ようやく管理社会から逃げ出し、愛する女性と自由を手にしたサム。
……と思われたが。
実は救出以降の出来事は全てサムの妄想だった。
現実のサムは最初から拷問椅子に座ったまま。
拷問によって精神が完全に崩壊し、現実世界から逃避してしまっていたのである。
サムの精神が戻らない事を悟ったジャックとヘルプマンは彼を置いて立ち去る。
残されたサムは満足そうな笑顔を浮かべながら、テーマ曲「ブラジル」を口ずさみ続ける。
肉体は体制に捕らえられたままだが、精神だけはついに管理社会から逃げ切った……
という、救いとも完全な敗北とも取れる皮肉な結末で幕を閉じる。
ユニバーサル側は本作を「長すぎる」「暗すぎる」と判断し、ギリアムの承認を得ず大幅な再編集版を制作した。
後に「Love Conquers All」版と呼ばれる約94分のバージョンである。
この版では映画全体から暗い要素や複雑な場面が大量に削られ、夢と現実の区別も分かりやすくする方向へ変更されている。
そして最大の違いがラスト。
サムとジルが田園地帯へ逃げ出した後、
「実は全部サムの妄想だった」という拷問室への帰還を丸ごと削除。
結果として二人は本当に管理社会から逃亡する事に成功したように見え、
愛する二人が自由を手に入れるハッピーエンドへと変貌している。
つまり、
監督版:
「体制には敗北した。だが精神だけは逃げ切った」
Love Conquers All版:
「愛する二人が体制から本当に逃げ切った」
となり、作品のテーマがほぼ正反対になってしまう。
これに激怒したギリアムはユニバーサルと公然と対立。
自らの版を批評家向けに秘密上映するなど異例の行動に出た。
その結果、まだアメリカで正式公開されていない段階でロサンゼルス映画批評家協会が本作を作品賞などに選出。
最終的にユニバーサルは折れ、アメリカでもギリアムの意向に近い約132分版が劇場公開された。
なお「Love Conquers All」版も後にCriterion Collectionのソフトへ収録されており、
「編集だけで同じ素材の意味をどこまで変えられるか」
を実際に比較できる貴重な資料となっている。
『シャイニング』
スタンリー・キューブリック監督による1980年のホラー映画。
スティーヴン・キングの同名小説を原作とする。
本作の別エンディングは非常に珍しい。
何しろ試写会で没になったのではなく、一度一般公開されたエンディングを監督自身が公開後に削除したのである。
迷路へ逃げ込んだダニーを追跡するジャック。
しかしダニーは雪上の足跡を利用して父親を欺き、迷路から脱出。
ウェンディと共に雪上車でオーバールック・ホテルから逃げる事に成功する。
一方のジャックは迷路から抜け出す事ができず、そのまま凍死。
その後ホテル内部へ場面が移り、壁に飾られた古い写真へカメラが近づいていく。
写真は1921年7月4日に開かれた舞踏会のもの。
そして大勢の客の中央には……
若い姿のジャックが笑顔で写っていた。
ジャックが昔からホテルに属していたのか、それとも死後ホテルに取り込まれたのか。
何の説明もないまま、この謎めいた写真で映画は終了する。
1980年のアメリカで最初に上映された版では、迷路の場面と最後の写真の間に病院のエピローグが存在した。
事件後、病院へ入院しているウェンディ。
そこへオーバールック・ホテルの支配人ウルマンが見舞いに訪れる。
ウルマンは警察がホテルを捜索したものの、
ジャックの遺体は発見できなかった
という趣旨の話をする。
さらに帰り際、ウルマンはダニーへ黄色いテニスボールを渡す。
ホテル内部でダニーの前へ転がってきた、あの黄色いボールを思わせる物である。
その後に現在と同じ1921年の写真へ繋がっていた。
この場面が存在すると、
「ホテルで起きた事は本当に終わったのか?」
「ウルマンもホテルの超自然的な力と何らかの関係があるのか?」
といった疑念をさらに強める結末になる。
しかし公開開始後、キューブリックはこの病院場面を不要と判断。
ワーナーを通して各映画館へ削除を指示し、上映用プリントから該当部分を物理的に切り取らせ、返送させた。
そのため最初の観客だけが劇場で見る事のできたエンディングとなった。
公開後に監督自身が「やはりこのラストはいらない」と判断して完成フィルムそのものを変更したという点で、別エンディング史でもかなり特異なケースである。
現在はこちらの病院場面の映像そのものは一般的なソフトには収録されておらず、写真や脚本などで内容を確認できるのみとなっている。
『パラノーマル・アクティビティ』
僅かな製作費から世界的大ヒットとなった2007年製作のPOVホラー映画。
若いカップル、ミカとケイティの家で発生する怪奇現象を、家庭用ビデオカメラの映像という形式で描く。
こちらは非常に多くのラスト案が撮影されており、監督オーレン・ペリ自身も「数え切れないほど試した」と語っている。
代表的なのは以下の3種類。
悪霊に完全に憑依されたケイティ。
深夜、彼女は階下へ向かい、やがて悲鳴を上げる。
驚いたミカが階下へ駆け付けるが……
しばらくするとミカの身体が凄まじい勢いで寝室へ投げ込まれ、カメラへ激突する。
続いてケイティが寝室へ現れる。
彼女はミカの遺体へ近づき、不気味な笑みを浮かべる。
そしてカメラへ顔を近づけると、その顔が異形に変化。
そのままカメラへ飛び掛かって終了。
悪霊に憑依されたケイティは姿を消し、その後の行方は不明とされる。
このエンディングのアイデアはスティーヴン・スピルバーグから提案されたもので、テスト上映では非常に大きな反応を得たため採用されたという。
オーレン・ペリが当初完成させていたバージョンは、劇場版より現実的かつ救いのないものだった。
ミカを殺害したケイティは、血まみれの姿で包丁を持ったまま寝室へ戻る。
そのままベッドの横に座り込み、長時間ほとんど動かない。
翌日、友人が家を訪れ、階下でミカの死体を発見。
悲鳴を上げて逃げ出す。
その後通報を受けた警察官が家に入り、寝室でケイティを発見。
その瞬間、ケイティは憑依状態から醒めたかのように混乱し、
ミカの名前を呼びながら警官へ近づいていく。
しかし……
彼女の手にはまだ包丁が握られていた。
警官は武器を捨てるよう警告するが、ケイティは状況を理解できないまま接近。
ついに警官が発砲し、ケイティは射殺されてしまう。
直後、屋内で怪奇現象が発生。
警官達は別方向へ注意を向けるが、全てを引き起こした悪霊そのものは捕らえられない。
つまり
ミカは悪霊に操られた恋人に殺され、ケイティはその事情を知らない警察に殺され、悪霊だけが生き残る
という非常に皮肉な結末。
ペリ自身はこちらを「物語上は最も筋が通っている」と評価している一方、最後のインパクトが弱かった事から別案が検討された。
さらに撮影された別案の一つでは、
ミカを殺したケイティが寝室へ戻るところまでは同じだが……
カメラを真っ直ぐ見つめながら、
自ら包丁で喉を切って死亡する。
こちらも実際にテスト上映されたが、「残酷すぎる」「やり過ぎ」という反応もあり採用されなかった。
最終的にはスピルバーグが提案した「ミカの死体をカメラへ投げつけ、ケイティが襲い掛かる」版が最も観客を怖がらせたため劇場版となった。
なおシリーズ化という観点でも、ケイティが生存して姿を消す劇場版は非常に都合が良く、以降の続編へ直接繋げられる結末となっている。
『1408号室』
スティーヴン・キングの短編を原作とした2007年のホラー映画。
心霊現象を信じない作家マイク・エンズリンが、宿泊者が次々に死亡したドルフィン・ホテルの1408号室へ泊まり、本物の超常現象に遭遇する。
本作には合計4種類のエンディングが撮影されている。
なお長年、
「元々はマイクが死亡するラストだったが、試写客に暗すぎると言われたため生存エンドへ撮り直した」
と説明される事が多かった。
しかしミカエル・ハフストローム監督は2024年のインタビューでこれを否定。
最初に撮影したのは現在の劇場公開版で、追加撮影時に実験として別案を撮影した
と明言している。
そのため「試写会で死亡エンドが没になった作品」と説明するのは正確ではない。
1408号室から逃れられない事を悟ったマイクは、部屋そのものを道連れにする事を決意。
酒瓶を使って室内へ火を放つ。
火災によってホテルは避難騒ぎとなり、消防隊が突入。
マイクは間一髪で救出され、1408号室は焼失する。
その後マイクは妻リリーと再び暮らし始める。
引っ越しの荷物を整理していたマイクは、1408号室で使用していたテープレコーダーを発見。
再生してみると……
そこには部屋の中で遭遇した、亡くなった娘ケイティの声が録音されていた。
マイクだけでなくリリーもその声を聞く。
つまり1408号室で起きた出来事が単なる幻覚ではなく、
本当に超常現象だった事を示す物証が残ったのである。
マイクは静かにリリーを見つめ、映画は終了する。
最も有名なのは、ソフトによって「ディレクターズ・カット」と呼ばれている死亡版。
マイクが1408号室へ火を放つところまでは同じだが、
こちらでは消防隊による救出が間に合わない。
部屋が炎に包まれ、長年宿泊者を苦しめてきた1408号室そのものが苦しむかのような怪現象を起こす中、
マイクは部屋と共に死亡する。
後日、マイクの葬儀が行われる。
ドルフィン・ホテル支配人オリンはリリーへマイクの遺品を渡そうとするが拒否され、
自分の車の中で例のテープレコーダーを再生する。
そこから聞こえてきたのは、亡くなった娘ケイティの声。
さらにバックミラーを見ると……
後部座席に焼死したマイクの姿が座っている。
驚くオリン。
その後、焼け落ちた1408号室へ場面が移る。
亡霊となったマイクは室内を見渡し、
やがて娘ケイティの呼ぶ声を聞く。
マイクは声のする方へ歩いていき、姿を消す。
つまり主人公は死亡するものの、
娘のいる死後の世界へ向かったとも解釈できる結末になっている。
この他にも、
- マイク死亡後、出版社のサムが遺品から1408号室について書かれた原稿を発見する版
- マイクが生還する点は劇場版と同じだが、テープに録音されたケイティの声をリリーには聞かせず、マイクだけが聞く版
などが撮影されており、計4種類が存在する。
ややこしい事に、死亡版を収録したソフトが「Director's Cut」と銘打たれたため
「死亡版こそ監督本来のエンディング」
と受け取られる事も多かった。
しかしハフストローム自身は後年、
劇場公開版の方が感情的に強く、作品に合っているとしてこちらを支持している。
「ディレクターズ・カットという商品名」と「監督が本来意図した結末」が必ずしも同じではない
という意味でも珍しい作品である。
ジェームズ・キャメロンが手掛けた誰もが知る名作にも、別エンディングが存在している。
前作に引き続き、ジョン暗殺を狙ってスカイネットから送られてきた
T-1000と、ジョンとサラ、そしてジョンを助けるために送られてきた
T-800の死闘を描く。
T-1000を撃破し、サイバーダイン社で奪取したスカイネットの礎となるマイクロチップも破壊。
そして最後にT-800が溶鉱炉に自ら身を投げて自身の身に宿るマイクロチップを抹消することで、ジョン暗殺とスカイネット誕生の芽を摘み取ることに成功する。
大切な友であるT-800を失ったジョンとサラは悲しみを堪えつつ暗い夜道を走りながら、「機械だったはずのターミネーターが命の価値を学ぶことが出来た」という事実に希望を抱きながら、不安に満ちた未来を前へと進むサラの独白と共に幕を下ろす。
T-800が溶鉱炉に身を投げた後、場面が2027年を迎えたある日の映像へと切り替わる。
世界は審判の日を迎える事なく平穏なまま、サラ・コナーは初老の女性となり、人々でにぎわう公園に腰掛けていた。
一方で成長したジョンはアメリカの上院議員として活躍し、さらに一人の娘(サラから見たら孫)まで産まれる幸せな日々を送っているが、「希望に満ちた一日一日を大切にしていきたい」というメッセージをテープレコーダーに言葉を吹き込んでいるサラの姿を描いて幕を下ろす。
キャメロン監督が当初想定していたエンディングはこちらなのだが、製作総指揮の反対を受け、テスト試写会で上記の2種のエンディングを公開した結果、反応の良かった「不安と希望」の方が選ばれたとのこと。
劇場公開版の「機械だったはずのターミネーターが~」の独白は、元々はこちらのエンディングでサラがテープレコーダーに吹き込んでいたメッセージの一部分であり、ラストの夜道を走るシーンも実は道中でサイバーダイン社に向かうカットの再利用だったりと、取り直しのヒマもなく急に決まった様子である。
「試写会で不評だったため差し替えられたエンディング」と言うと、後味の悪い終わり方だったものをハッピーエンドor救いのある終わりに差し替えるパターンが多いが、こちらは正真正銘のハッピーエンドをビターエンドに変えるやや珍しいパターンである。
こちらのエンディング自体は『拡張特別編』に収録されている。
このエンディングでは、『
ターミネーター3』以降の続編の存在を完全に否定してしまうことになる。
もっとも、『T3』以降は新作が出るたびにリブートをひたすら繰り返し続けているシリーズなので、「これでいい」とするファンも少なくないが……
また、当初はさらにその場に若かりし頃のカイル・リースが現れ、戦士ではなく一般人として平穏に暮らす彼をサラが涙を流して見つめるという構想があったと明かされている。
同じくジェームズ・キャメロンが手掛けた、歴史に残る名作の中の名作。
「アルティメット・エディション」という豪華版のDVD・Blu-rayに別エンディングが収録されている。
『ターミネーター2』のように一部のシーンがカットされたのではなく、アイ・アム・レジェンドのように異なる2種類のエンディングが存在するパターンである。
本編は非常に長く構成も複雑なので、あらすじについては単独項目を参照。
ロベットはリジーと話をしていた。ロベットは3年間タイタニックの事を考えていたが、実際には何もわかっていなかった。そう言って黄昏るロベットをリジーが慰める。吹っ切れたとばかりに宝石を見つけた後に、吸う為に取っておいた葉巻を海へと投げ捨てるロベット。
その後、ローズが現代パートのキーアイテムにして、ロベット達が探し求めていた宝石「青き海の心」を誰にも知られる事なく海へと捨てて眠りに就くのだった……
ローズが宝石を捨てようとする場面までは同じ。
だが、ローズが船から身を乗り出したところをリジーとロベットが目撃し、身投げだと勘違いして大慌てで駆け寄る。
そしてローズが「青き海の心」を持っている事が2人に知られてしまう。
騒ぎを聞きつけてルイスもやってきて、現代パートの主要人物が勢揃いする事に。
「近寄らないで。これを捨てるの」と言って宝石を捨てようとするローズに対して、ロベットが「せめてこの手で確かめさせてくれ」と懇願。
ローズは要望を聞き入れてロベットを近づけて宝石を握らせる。
渇望していた宝を手にしたロベット。だがローズは「価値があるのは人生そのもの」と宝石に執着するロベットを窘める。
ロベットも名残惜しさを顔に浮かべながらも宝石を手放す。そのままローズは全員の前で宝石を勢いよく海へと放り込む。
呆然とするルイス。同じく呆然するロベットだが直後に大笑いする。そしてリジーに「踊ろうか」と誘い、リジーも笑顔で答えるのだった……
劇場公開版では、ロベットが「タイタニックという悲劇の舞台で宝探しをしていた自分は場違いかつ愚かだった」と悟っているが、その後に宝石を目の前にした事で再び欲望を燃やしてしまうという、良くも悪くも人間臭い行動を見せている。
むしろ、ローズの話を聞いてロベットがすんなり諦めてフェードアウトする劇場公開版が消化不良に思った人にとっては、こっちの方が納得が行く結末になっているかもしれない。
なお、試写会といっても一般客を集めたスクリーンテストではなく、製作スタッフ達による試写会である。
試写会の後に各々が意見を出し合った末に変更が決まり、新たに追加撮影を行って現行のものへと差し替えられた。
実際に視聴した人なら気付くと思われるが、本編ではこの別エンディングと対比するようなシーンが存在する。
ローズが船から身投げしようとした際に偶然ジャックが通りかかり、自殺する気だと察して止めようとする。
だがローズは「近寄らないで」と言ってジャックを追い返そうとしたので、ジャックは煙草を捨てるだけだからと伝えてさりげなく近づいて宥めにかかる……というシーンである。
ローズを心配して動いたジャック、自分の目的を優先して動いたロベット、ローズの行動など、このシーンの為と思われる伏線を張っており、キャメロンもこちらを「元々のエンディング」と呼称している。
特典映像では、この元々のエンディングを元にしたギャグシーンも存在する。ロベットとリジーが「宝石を捨てやがって」「私は安月給で働いているのに」とローズに対して呆れながら怒るというもの。
シルベスター・スタローン主演の、ベトナム帰還兵と地元保安官の戦いを描いた有名作品だが、元々のエンディングは全く異なるものであった。こちらも一部のDVDに収録されている。
ジョン・ランボーはベトナム戦争の帰還兵で、
PTSDを患っていた。
古い戦友に会いに行くランボーだが、既に友人は死去していた。落ち込むランボーに追い打ちをかけるように、横暴な警察が町からランボーを追い出そうとした挙句、難癖に近い理由で逮捕してしまう。
取り調べ時に暴力を受けた上、石鹸無しで髭を剃られそうになった際にベトナムで受けた拷問のトラウマが蘇った彼は思わず暴れ出し、警察署から山へと逃走。
その後、追跡する警察官が無許可でランボーを射殺しようするが、逆にランボーに反撃されて命を落とす事になる。
ランボーに殺すつもりはなかったのだが、これによって戦争もかくやというような戦いが始まった。
圧倒的な戦闘力で警察と州兵を返り討ちにするランボーだったが、町の保安官事務所で完全に追い詰められてしまう。
そこにベトナム戦争時に上官だったトラウトマン大佐が現れ、彼を説得しようとするのだが……
劇場公開版の結末は、トラウトマン大佐の説得に応じて投降するというもの。
説得を受けたランボーが本心を吐き出して号泣するシーンは映画史に残る名場面として評価される一方で、古くからネタ動画の素材として優秀だった事でも有名。
2019年に放送された『
ポプテピピック』でのパロディで再び話題となった。
試写会時の結末は「大佐に拳銃で射殺される」というもの。
ただし、大佐に銃を握らせて無理矢理撃たせているので、自殺あるいは大佐が介錯したと言っていい。
これは原作小説『一人だけの軍隊』に沿ったものだったが、試写会で不評だった事、また続編の構想もあった事から差し替えられた。
清朝末期の広東。主人公のウォン・フェイフォンは父の病院で使う人参の税金をごまかそうとしたせいで、大英帝国の中国国宝の密輸計画に巻き込まれてしまった。
フェイフォンは酔拳の達人であったが、その身を案じた父から酔拳の使用を禁じられてしまう。
それでも国宝、土地、仲間の仕事など大切なものを次々奪っていくイギリスの諜報員に対し、製鉄所で最後の戦いを挑む。
最終決戦では酒がなかった為、工業用のアルコールで無理やり酔っ払う事で酔拳を発動し、イギリスの諜報員を倒す。
日本公開版ではここでフェイフォンが口から泡を出して終わる。
劇場公開時のラストシーンでは後日談が描かれているのだが、それはフェイフォンが酒を飲みすぎて目と頭をやられ発狂してしまい、手足を引き攣らせて舌を出して笑いながら近づいて来るというものだった。
失明に関しては工業用のアルコールを飲んだ事による後遺症とも考えられるが、それ以外の症状は完全にアルコール中毒である。
「酒の飲みすぎはよくない」という事だったようなのだが、あまりにブラックすぎた為か国際公開版ではカットされてしまった。
ただしフェイフォン……つまり黄飛鴻というのは歴史上実在し、かつこの後に活躍した人物である為、中国人にとっては「あの英雄の若い頃のお話」と取るのが普通である。
つまり「こうした後遺症は一時的なものである」とギャグ的な教訓オチだったはずなのだが、その知識がなければ文字通りの廃人エンドである。
このシーンは劇場公開時を除くと、中国で初期に発売されたDVDにしか収録されておらず、幻のシーンとなっていた。
そして、上記のように本国でもこのエンディングは不評で倫理的にも問題視された結果、後に発売された現行バージョンでは追加部分である廃人エンドも最初から抹消されている。
ランボーと並ぶシルベスター・スタローン主演の代表作品。人生のどん底にあった三流ボクサー・ロッキーが、ふとした事から現役チャンピオンのアポロからチャンスを与えられ、恋人や友人達に支えられながらアメリカンドリームを体現していく物語。
公開されているエンディングは、最終15ラウンドを戦い抜いたロッキーと恋人のエイドリアンがリング上で抱き合うという有名なシーンだが、当初は全く違うエンディングが予定されていた他、低予算の作品故にカットせざるを得なかった結末も存在する。
1つ目は脚本の段階だと、クライマックスの試合前に師匠のミッキーが人種差別的な思想を表した事でロッキーは完全に失望してしまい、「俺の周りには憎しみしかない。元の自分に戻りたい」と試合を放棄して会場を去り、ボクシング界からも引退してしまうというもの。
これは当時の流行だったアメリカン・ニューシネマの流れを汲んだ展開であったが、当時のスタローンの奥さんがこの結末に難色を示した為、このエンディングはお蔵入りに。
公開版通りの誰もが心から熱いものが込み上げる純愛かつ人間讃歌を描いたサクセスストーリーとなったのである。
そして、このエンディングを採用した事で上記のアメリカン・ニューシネマの時代は終わりを告げ、以降はハッピーエンドやポジティブな映画が流行していくようになった。
映画製作までの逆風の経緯(売れない俳優が自ら脚本を書き難色を示された上、嫌がらせとすら思える扱いを受けても映画をヒットさせ、自らの評価をも変えてみせた事)なども含めて、『ロッキー』は映画史に残した革命の一つとなった。
2つ目は激闘を戦い抜いたロッキーが控室に戻ると、そこで待っていたエイドリアンがロッキーに小さな星条旗を渡してささやかな祝福をし、アポロがリング上でインタビューなどを受ける中、2人だけで静かに裏口から会場を去っていくというもの。
この展開は「アポロをダウンさせ、激闘を戦い抜いたその瞬間、偉大なボクサーとなり人々の心に永遠に刻まれたロッキーが永久に無名の人間へと帰っていく」という、モハメド・アリとウェプナーの試合を見て感銘を受けた事で脚本を書き上げたスタローンの意向が反映されている。
このシーンは実際に撮影されており、ポスターにもなっているが、エンディングとしては何か物足りないと判断された結果、現在知られるエンディングへと変更された。
そして3つめは上記のロッキーとエイドリアンが抱き合うシーンの後、本来は熱狂した観客達にロッキーが担がれて祝福されるという結末が予定されていたが、観客役のエキストラが完全に素人で、撮影前に統制が保てずに帰ってしまった為、撮影自体ができなかった。
シルベスター・スタローン主演の代表シリーズの第5弾。
当初は完結作として作られた(『
ロッキー3』の時点で完結の予定だった)が、暗いストーリーや複雑な人間ドラマ、クライマックスの超展開などが受けず、シリーズでは一番興行成績や評判が悪い。
後に『
ロッキー・ザ・ファイナル』が最終作として作られ、スタローン自身も「失敗作だった」とコメントしているなど、半ば
黒歴史扱いされている。
……というのが一般公開されているものであるが、特別編として非公式に公開されたアナザーバージョンが存在しており、こちらの方が非常に評判が良く、「こちらを公開すべきだった」という声もある。
度重なるファイトで脳に後遺症が見つかった事でボクサーを引退し、会計士の不正で財産を失ったロッキーはトレーナーとして第2の人生を歩む。
若き新人ボクサー・トミーの育成に夢中になるあまり家族との絆が崩れていくが、悪徳プロモーター・デュークの甘い誘惑に惑わされてトミーはロッキーを裏切ってしまう。
妻エイドリアンに諭されて本当に大切なものに気づいたロッキーは、息子と仲直りを果たしていた。
一方、デュークに引き抜かれたトミーは新チャンピオンとなるが、ロッキーを裏切った事を知る観衆やマスコミから猛烈にブーイングやバッシングを浴びせられてチャンピオンとは認められず、ロッキーとの師弟対決を望むデュークにけしかけられて試合の要求を迫る。
酒場で仲間達と飲んでいたロッキーの元にトミー達が現れ、リングに引きずり出そうと挑発をするが、親友のポーリーをトミーが殴り倒した事でロッキーは遂に激怒し、「ここがリングだ。かかってこい」とテレビ局のカメラの前でストリートファイトを繰り広げる。
脳の後遺症によって一時はダウンしたロッキーだったが、亡き師匠のミッキーが激励する幻を見た事で立ち上がり、ついにトミーを倒した。
衆人大観衆に祝福され、警察に逮捕されたトミーをあっさり見捨てたデュークをも殴り飛ばしたロッキー。
後日、かつてトレーニングを積んだフィラデルフィア美術館を息子と一緒に訪れたロッキーは、父親として新しい人生を歩んでいく。
元々プロットの段階では、ストリートファイトのシーンで脳の後遺症のダメージが限界に達したロッキーがエイドリアンの腕の中で愛を呟きながら静かに息を引き取るというものだった。
その後、フィラデルフィア美術館のロッキーの銅像の前に大勢のファンやロッキーの親友達が集まり、エイドリアンがロッキーの死を表明し、愛を告げるラストシーンも描かれている。
本編でも、この伏線とも取られるセリフをエイドリアンが呟いている。
しかし、撮影の段階で映画会社から「ロッキーは死なない」という意向が伝えられた為、この展開は没となった。
本作で監督を務めたジョン・G・アヴィルドセンが非公式に公開していた、様々な未公開シーンが追加されている特別編。
元は編集がされる前のオリジナル版で、試写会の時に不評だったのか現在知られるものへと変更がされた。
クライマックスのストリートファイトのシーンが劇場公開版とは内容が大きく異なっており、酒場から外に出ていくところまでは同じ。
劇場公開版では裏口から路地に出てそこからファイト中に乱戦で表通りへ飛び出てくるが、こちらではいきなり表通りに出てきてファイトを行っている。
ミッキーの幻を見るシーンも、こちらでは鉄橋の上から檄を飛ばすミッキーの姿がはっきり映っており(本編でもそれらしいカットが少しだけ映る)、ロッキーがトミーに「お前を愛していたんだ」と言う場面のタイミングも異なる。
最終的にトミーに打ち勝った後、そのまま仲間や家族達に祝福されていった劇場公開版とは異なり、倒れたトミーに手を差し伸べている他、未公開シーンでのみ登場のリトル・マリーが祝福に現れ、デュークを殴り飛ばさないといった違いがある。
その後のフィラデルフィア美術館を息子と訪れるシーンはほぼ同じ。
ロッキーのヒーロー性を抑えた結末であるが、悪役のデュークが何も痛い目を見ないというのが不評だったのか、現在知られる結末へと変えられたと思われる。
特別編はDVD・VHS共に一般には流通していないが、動画サイトに映像が流出しているので視聴は可能。
監督本人も「こっちを正式に公開したかった」と直々にコメントしている。
恐らく『
ジョーズ』の次に有名な
サメ映画。遺伝子改造によって人間以上の知性を持った3匹の鮫が、閉鎖された研究所で大暴れするパニック映画。
有名俳優が演じるいかにも活躍しそうなキャラがあっけなく死に、いかにも死にそうなキャラが生き延びる予想のつかない展開も見所である。
多数の犠牲者を出しながらも2匹の鮫を討伐したカーター(主人公)、スーザン(鮫を作った研究者で全ての元凶)、ブリーチャー(コック)だったが、脱出を前に最後の1匹が立ちふさがる……
最後の鮫は研究所から大海へと逃亡しようとしていた。スーザンは鮫をおびき寄せるべく出血した状態で海に飛び込み、そのままあっけなく喰われてしまう。
しかし、鮫をおびき寄せる事には成功し、カーターとブリーチャーが協力して鮫を倒す事に成功。結果、生存者は2名でエンディングを迎える。
本来、スーザンは生存する予定だった。しかしスクリーンテストで彼女が生き延びる結末に不満の声が挙がり、撮り直しを行った結果、死ぬエンディングに差し替えられた。
今までの例では死亡ルートから生存ルートへの変更が多かったが、この作品では珍しく逆転している。
前述の通りスーザンは全ての元凶であり、視聴者の反感を買う行動ばかり取っている為、「彼女こそが罰を受けるべき」という意見が集まったと思われる。
ある意味では、この作品の魅力である「誰が死ぬかという予想を裏切りまくる」という点に磨きをかけている。
ご存じ世界一運の悪い刑事ジョン・マクレーンがテロに巻き込まれるアクションシリーズ第3弾。
当初執筆された脚本が、同時期のスティーブン・セガール映画『沈黙の戦艦』と舞台設定が被ってしまい、急遽『サイモンセッズ』と題された独立作品の脚本を転用したという経緯がある。
元の脚本通りに撮影された結末は「陰鬱すぎる」と重役たちの不評を買い、新たに“ダイ・ハードらしい”結末が追加撮影される運びとなった。
元の脚本ではこれ以上ない正着の結末が、伝統ある他作品シリーズに転用されたが為に作品の色そのものを塗り替えられてしまった事例と言える。
当然というか、オリジナルの脚本家はこの変更に今でも不満とのこと(もっとも、この業界ではよくある話だが)。
テロリストのボスであるサイモンの残した手掛かりから、一味の潜伏場所を突き止めたマクレーンは、相棒のゼウスや警官たちと共に勝利の美酒に酔う犯人達を強襲。
サイモンの乗ったヘリを残り2発の銃弾で機転を利かせて撃破するという、1作目をオマージュした結末。
お馴染み「イピカイエー」の決め台詞も健在で、犯人に勝利してエンディング突入という典型的ハッピーエンド。
劇場公開版と同様のヒントでサイモンに辿り着くのは同じだが、こちらは半年ほど経過したクリスマスの日である事が語られている。
タンカーの爆発後、サイモンは仲間を皆殺しにし、獲物を独り占めして逃亡。事件後に共犯を疑われたマクレーンは長年勤務した警察をクビにされ、謂れのない扱いを受けたマクレーンは怒り心頭。
サイモンに復讐するべく、ロケット砲を用いた「マクレーンセッズ」というゲームを仕掛けるという、それまでの本編とは真逆の展開が繰り広げられる。
このゲーム、どう転ぼうともマクレーンが勝利する仕組みとなっており、またサイモンも報酬を独り占めしようとテロリストの仲間達を皆殺しにしており、陰鬱と評されるに相応しい内容。
ゲームに敗北し、物言わぬ骸と化したサイモンを前に吐き捨てられる「イピカイエー」が乾いた印象を残す。
特記すべきはマクレーンの処遇で、長年勤めた警察をクビになってしまった。
これが採用されていた場合、その後の続編製作に大きな影響を及ぼしていた事は想像に難くない。
この結末はDVDの特典映像の他、公開当時執筆された小説版で見る事ができる。
監督は『エイリアン』でお馴染みの名匠リドリー・スコット。SFサイバーパンクの金字塔。
現在までに複数のバージョンが存在している事も有名で、エンディングも個別に存在する。
荒廃した近未来の地球に、宇宙で奴隷として使役されていた人造人間「レプリカント」達が侵入。
彼らの目的は創造主を探し出し、自分達に設定された短い寿命を延ばさせる事だった。
人間に紛れるレプリカント達を処分すべく、「ブレードランナー」リック・デッカードのレプリカント追跡劇が始まる。
最後の侵入レプリカントであるロイ・バッティの死を見届けたデッカード。そこに同僚のガフが現れる。
デッカードが匿っているレイチェルもレプリカントだったが、デッカードは彼女を愛していた。
しかしガフは彼女の寿命がもうすぐ尽きる事を告げる。
追手に注意していたデッカードは、アパートの玄関先でユニコーンの折り紙が落ちている事に気づく。
それはガフがアパートに来ていた事を意味する。来ていながら彼女を見逃したのだ。
折り紙を握り潰しながら、デッカードはガフの最後の言葉を思い出していた。
デッカードとレイチェルは残りの寿命の限り逃避行に走るべく、エレベーターに乗り込む。
明るい陽射しの風景の中、車を走らせるデッカード。助手席にはレイチェル。
「タイレル社の連中は知らない。レイチェルが他のレプリカントのように寿命が短くないという事を」
デッカードとレイチェルが残りの寿命の限り逃避行に走るべく、エレベーターに乗り込むところで終わる。
そもそも、レイチェルが他のレプリカントのように寿命が短くないという設定自体、後付けされたもの。
試写会での反応が悪く、分かりやすいハッピーエンドが求められたので、上記の劇場公開版に至った。
また「内容が分かりにくい」との声から、劇場公開版は要所にデッカードの心の内の独白として説明が入るようになった。
デッカードが「ユニコーンの白日夢」を見るシーンが追加されている。
追手に注意していたデッカードは、アパートの玄関先でユニコーンの折り紙が落ちている事に気付く。
それはガフがアパートに来ていた事を意味する。来ていながら見逃したのだ……だが何故ユニコーンなのか。
折り紙を握り潰しながら、デッカードはガフの最後の言葉とユニコーンの白昼夢を思い出していた。
デッカードとレイチェルは残りの寿命の限り逃避行に走るべく、エレベーターに乗り込む(ここでスタッフロールに突入)。
明確な答えは提示されていないが、この「ユニコーンの夢」は『デッカードもレプリカントだった可能性』を示唆している(自分しか知らないはずの夢の内容をガフが知っている=人為的に作られた記憶を持つレプリカント) 。
また試写版に近づける為、デッカードの独白がカットされている。
主だった流れは上記の『ディレクターズ・カット最終版』と共通。
リドリー・スコット曰く「最も自分の意図に近いバージョン」。
「走るゾンビ」のブームを引っ張った牽引役として有名な
ゾンビ映画。
そこ、ゾンビじゃないとか言わない。
劇場公開版以外にもifエンディングが複数存在する。
チンパンジーで実験中だった感染性の強い危険なウイルス「レイジウイルス」が漏れ出てしまう。
瞬く間に広がったそれは28日間でイギリス全土に広がり、街は荒廃し感染者だけが蔓延る魔窟と化した。
そんな中、1ヵ月以上昏睡状態だった主人公ジムは、病院のベッドで目を覚ます。
ジムは仲間のハンナとセリーナの2人を助け出すも、ウエスト少佐に腹を撃たれて意識不明の重体になってしまう。
基地から何とか脱出した3人は廃病院に駆け込み、薬剤師セリーナが必死の看護でジムの命を救おうとする。
それからさらに28日後、感染者達は次々と餓死して行った。
セリーナの手で何とか生き延びたジムは、セリーナとハンナと共に感染者の少ない田舎の小屋に避難していた。
ハンナが布を使って「HELL」と地面に文字を広げていると、低空飛行で近づいてくる飛行機の音に気付き急いでジム達に知らせる。
そして残りの布をかき集めて皆で広げ、3人は飛行機に必死に手を振った。
パイロットは「HELLO」の巨大な文字を発見しジム達に気付き、3人も発見された事を確信し、皆で微笑み合う。
ジムはハンナとセリーナの2人を助け出すも、ウエスト少佐に腹を撃たれて意識不明の重体になってしまう。
基地から何とか脱出した3人は病院に駆け込み、セリーナが必死の看護でジムの命を救おうとする。
しかし必死の治療も虚しく、ジムはそのまま眠るように息を引き取った。
セリーナとハンナは彼の遺体を病院に残し、生き残る為に歩き出した。
DVDなどで上記のエンディングの後に流れる。
ジムはハンナとセリーナの2人を助け出すも、ウエスト少佐に腹を撃たれて意識不明の重体になってしまう。
基地から何とか脱出した3人は病院に駆け込み、セリーナが必死の看護でジムの命を救おうとする。
生死の境でジムは、かつてのメッセンジャーの姿で荒廃したイギリスを彷徨う走馬灯を見ていた。
結局セリーナの必死の治療も虚しく、ジムはそのまま眠るように息を引き取った。
2人は彼の遺体を病院に残し、生き残る為に歩き出した。
ジムはハンナとセリーナの2人を助け出すも、ウエスト少佐に腹を撃たれて意識不明の重体になってしまう。
基地から何とか脱出した3人は病院に駆け込み、セリーナが必死の看護でジムの命を救おうとする。
しかし必死の治療も虚しく、ジムはそのまま眠るように息を引き取った。
セリーナとハンナは彼の遺体を病院に残し、生き残る為に歩き出した。
それから更に28日後、感染者達は次々と餓死して行った。
2人が地面に布を広げていると、低空飛行で近づいてくる飛行機の音に気付き、アピール。
飛行機のパイロットはセリーナ達に気付いて救助した。
撮影されなかったエンディングで、ダニー・ボイル監督が絵コンテで説明。
ウエスト少佐達は登場せず、フランクの感染後に3人は彼を拘束して近くの医療施設に運び込む。
実はそこが冒頭の研究所であり、生き残っていた研究者からウイルスの治療法を聞き出す。
その方法は「全身の血液を全て交換する」というもの。しかし輸血に必要な血液の量が足りなかった。
そこでジムはたまたま同じ血液型だった事から、フランクを救う為に自分の血を提供する。
ジムの血で何とかフランクはウイルスから回復したが、ジムは血を失い過ぎてしまい、そのまま死亡する。
ちなみに、失血死を回避しようとフランクの血を逆にジムに送り込んで、ジムが感染してしまう話もあった。
「
死亡フラグ」そのものが襲い掛かってくるという斬新な設定で好評を博したホラー映画シリーズ第1弾。
実は後のシリーズにも繋がる重大な設定変更がなされている。
パリに向かう修学旅行の飛行機「180便」の中で、飛行機事故を予知夢で見た事で生き残った主人公アレックス。だが、彼と共に飛行機から降りた生存者達が次々と不可解な事故で死んでいく。
「死神」の魔手から逃れようと奔走するアレックス達。その果てに待ち受ける運命は……
生き残りがアレックス、ヒロインのクレア、いじめっ子のカーターの3人だけになり、遂に死神がクレアに迫る。
様々な事故の犯人として警察に追われる身のアレックスは、自身にも降りかかる事故から逃れつつも、クレアの自宅に向かう。
強風にあおられて切断された高圧電流の電線がクレアに迫る中、アレックスは自らの身を挺してクレアを救う。
それから6か月後。
幸いにもアレックスは命に別状はなく、生き残った3人はパリを訪れていた。
無事死神から逃れた事を喜び合うクレアとカーターに対し、一人憂鬱そうなアレックス。
「まだ死神の計画は終わっていないのではないか?」
そう思ったその時、突然の事故により看板がアレックス目がけて落ちてきた!
……が、間一髪のところでカーターがアレックスを突き飛ばす。
「死の順番は飛ばされた」
そして、カーターの背後から「180」のように読める看板が迫り……
DVDに収録されている別エンディング。
途中までは同じだが、クレアの自宅でアレックスはガチで死んでしまう。しかも劇場公開版と違い、演出的にも死亡した事が明確である。
そして一気に時は飛んで10か月後。
クレアは子供を産んでいた。いつの間にかできていたアレックスの子供である。
ラストシーンで、クレアは生まれたばかりの息子、カーターと共に180便の事故の慰霊碑の元に向かう。
新たな命の誕生により、死の計画は完全に止まったのだった。
このように、珍しく試写会版の方がハッピー(かどうかは微妙だが、まだ救いのある)終わり方となっている。
また、本作で没になった「新しい命の誕生により死の計画が止まる」というアイディアは、続編の『
デッドコースター』で使われている。
サム・ライミ監督の出世作である『死霊のはらわた』シリーズ第3弾。
前作Ⅱも大概だったが、今作ではバカ映画方向に大きく舵を切っており、一部の視聴者からカルト的な人気を誇っている。
主人公アッシュはスーパーマーケットで働くバカ者青年だったが、山小屋に泊まった際に死者の書から出現した悪霊に襲われ、何とか悪霊を退けたが騎士達が活躍する過去の世界に飛ばされてしまう。
間違って処刑されそうになったり、悪霊にまた襲われたり、間違った呪文を唱えてうっかり死霊軍団を甦らせてしまったりするものの、勇気と悪運と現代知識でそれらを迎え撃つ。
はたして彼は現代に帰れるのだろうか……?
死霊軍団を撃退し、死者の書を守り切ったアッシュ。
死者の書には、飲んで呪文を唱えれば現代に戻れる薬の作り方が書いてあり、これで現代に戻り再びスーパーの店員としての生活に戻っていた。
ところがまた呪文を間違えてしまったのか、現代でも悪霊が登場し再びアッシュに襲い掛かってきた!
売り物のショットガンで悪霊を撃退するその姿は、まさにキャプテンスーパーマーケットだった……
死者の書には、一滴飲めば100年眠れる薬の作り方が書いてあった。それを数滴飲む事で疑似的にタイムスリップする事にしたのである。
ところがどっこい、洞窟が少し崩れた音で飲んだ回数のカウントが中断され再開時の数を間違ってしまい、うっかり1滴多く飲んでしまったアッシュ。
眠りから覚めて外に出てみるとガラクタの山と崩壊した都市が。100年の間に文明は滅亡してしまったのだ……
早い話、
日本における有名落語『時そば』オチである。
ビデオ版以降の別エンディングであり、現在ではDVDでどちらも収録されている事が多く、確認は容易。
我らが
シュワちゃん主演のSF筋肉映画。オランダが生んだ
変態奇才ポール・ヴァーホーベンが監督しただけあって、外連味やら
シリアスな笑いやらみんなのトラウマやらのある一作として知られている。
火星に人類の植民地が築かれ、多くの人々が移住した時代。
地球で暮らすダグラス・クエイドは、行った事がないはずの火星の夢を毎晩見ていた。
その理由を探ろうと火星行きを妻に提案するも、反対されて断念する。
ならば気分だけでも味わおうと、リコール社を訪れる。
このリコール社とは、「記憶」を売っている会社で、現実には起きていない事をあたかも体験したかのような記憶を植え付けてくれるのだ。
ところが、リコール社を訪れたクエイドは記憶を植え付けられる前に暴れだしてしまう。
記憶の植え付けに失敗したのかと思われたが、そうではなかった。まだ記憶の植え付けは始まってもいなかったのだから。
クエイドは記憶を消されて家に帰されるが、帰り日に会社の同僚に命を狙われ、さらに家では妻にも襲われる。
混乱するクエイドだが、やがて火星の運命を左右する戦いに巻き込まれていく……
かつての同僚と名乗る人物から謎のトランクを受け取り、中に入っていたビデオ映像を見る。
映像にはクエイドと同じ顔の人物が映っており、ハウザーと名乗る。
ハウザーは火星を支配する採掘会社の社員だったが、ある理由から裏切り、命を狙われているという。
クエイドは追手から逃れる為に記憶を消して成り済ました架空の人物であると、ハウザーは語った。
「自分達をこんな目にあわせた奴らに一泡吹かせてやれ」というメッセージを受け、クエイドは火星に向かう。
火星に渡ったクエイドは治安部隊の攻撃を受けるが、レジスタンスに助けられる。
そこでクエイドは記憶の一部を取り戻し、異星人が遺したリアクターという装置があり、それを起動させれば大量の酸素を生み出せるという事実を知る。
その事実を酸素を牛耳り、火星を支配している採掘会社は自分達の支配体制を維持する為に隠蔽していたのだ。
すると突然、治安部隊がレジスタンスの本部に突入し、レジスタンスのリーダーも殺害される。
採掘会社に連れてこられたクエイドはそこで真相を教えられる。
ハウザーはレジスタンスを潰す為に裏切った振りをしていただけで、何も知らないクエイドになる事でレジスタンスのリーダーに近付いたのだった。
ハウザーに戻されそうになるクエイドだが、辛くも脱出し、激しい戦いの末にリアクターを起動させる。
大量の酸素が生み出され、火星に地球のような青空が広がった。
クエイドは「もしかしたらこれは夢かもしれない」と言いつつも、レジスタンスの女性とキスを交わすのだった。
日本語吹き替えビデオにのみ収録されているエンディングが存在する。
どのようなエンディングなのかというと、映画前半に出て来たリコール社のマシンに横たわっていたクエイドが目を開け、ニヤリと笑うというもの。
そう、全てはリコール社によって植え付けられた
架空の記憶だったのだ。
ちなみにこのシーン、よく見ると物語序盤でリコール社のマシンに横たわるシーンを逆再生しただけであり、新撮したものではない。
だが、ビデオ版独自の解釈なのかというとそういうわけではなく、通常エンディングが黒ではなく白で終わるのは、全ては架空の出来事であり、クエイドは脳が壊れて現実に戻れなくなった事を示唆しているとオーディオコメンタリーで語られている。
確かに、現実で起きたにしてはあまりにもデタラメなシーンが複数ある(脳に埋め込まれた発信機を鼻から取り出す、銃弾一発でぶっ壊れる耐圧ガラス、そのガラスの近くで何の躊躇いもなく銃撃戦を始める治安部隊……など)。
バーホーヴェン監督の考えを知っているととんでもないバッドエンド作品となってしまい、これなら現実世界に戻れた分、ビデオ版エンディングの方がマシだったのではないかとすら思えてしまう。
滅茶苦茶なスピードで進化するエイリアンを退治しようとてんやわんやするSFコメディ映画。
起きている事態は確かに深刻なのだが、『
ゴーストバスターズ』シリーズのアイヴァン・ライトマンが監督を務めており、肩の力を抜いて見られる娯楽作品となっている。
ある日、アリゾナに隕石が落下した。
グレイキャニオン短期大学の教師であるアイラは、同僚のハリーと共に調査に向かう。
隕石の落下地点には奇妙な生物が蠢いていた。
アイラはサンプルを採取するが、事態を知った軍部に現場を閉鎖され、さらにサンプルも奪われてしまう。
サンプルを取り戻そうと隕石の落下地点に侵入するが、そこにはまるで熱帯雨林のような動植物が発生していた。
実は隕石と共にやってきた生物は、わずか1か月で46億年分の進化を遂げる驚異の生命体だった。
最初は酸素に適応できず、空気中ではすぐに死んでしまったエイリアンだが、徐々に空気中での生存時間が長くなっていく。
それに伴い、街にエイリアンが現れるようになり、市民にも被害が出る。
やがてエイリアンは完全に酸素に適応し、恐竜のような種を経て霊長類にまで進化する。
エイリアンの恐怖を目の当たりにした州知事は、ナパームでエイリアンを焼き尽くす事を決断する。
軍の誘導で住民が避難する中、アイラ達はエイリアンが熱で急激に成長する事を発見し、同時にエイリアンにとってセレンが人間にとってのヒ素と同様に猛毒である事に気付く。
二硫化セレンを含んだシャンプーを街中からかき集め、消防自動車に詰めてエイリアンの元へと向かうが、一歩遅くナパーム攻撃が開始されてしまう。
熱によって全てのエイリアンが合体・急成長し、アメーバ状の巨大エイリアンとなって暴れ回るが、アイラ達がシャンプーを注入し、エイリアンは爆発四散した。
アイラ達は州知事から表彰され、シャンプーのCMに起用されるのだった。
エイリアンをシャンプーで倒すところまでは同じだが、その後が異なる。
劇中でエイリアンに肛門に入り込まれてしまったハリーは、またしても肛門に異常を感じ、台に寝かされて処置を受けていた。
アイラが励ますが、肛門から異形のエイリアンが姿を現す。
悲鳴を上げるハリーだが、それは夢だった。ほっと一息つき、洗面所へと向かうハリー。
だが、その尻はあり得ないほど肥大化していた。洗面所に入ったハリーの悲鳴が響き渡ったところで映画は終わる。
ライトマン監督は一昔前のホラー映画のエンディングをオマージュしたつもりでこのラストを撮影したらしいが、試写会であまりにも不評だった為に変更したとこと。
いわゆる「バタフライ効果」を意識した
タイムリープもの。
そのあまりに斬新かつ、物悲しい物語から根強い人気を誇る。
主人公エヴァンは子供の頃からナイフで人を刺す絵を描くなど異常な行動を取っていたが、それを覚えていない奇妙な症状があった。
隣人かつ初恋の相手で会ったケイリーを自殺させてしまったエヴァンは、過去の日記を読む事で過去に戻る能力が自分にある事に気が付く。
ところが過去を改変すればするほど、より良いものになるはずの未来はどんどん悪い方向へ向かっていく……
どうあがいてもケイリーと自分が一緒だと不幸になってしまうと気が付いてしまったエヴァンは、ケイリーと出会ったばかりの頃に戻り、敢えて心無い言葉をぶつけて自分へ近づかないようにしてしまう。
現代に戻ったエヴァンは平穏な日常になっている事を確認し、日記を燃やしてしまう。
ある日エヴァンは街中でケイリーがいる事に気付くも、声をかける事なくただすれ違うのだった……
2種類の没エンディングが存在し、レンタルDVDの特典映像で確認可能。
最後ケイリーと街中で偶然出会うところまでは一緒。
すれ違ったケイリーの後ろをエヴァンが声もなく追いかけていく。
ケイリーに声をかけるエヴァン。和気藹々と会話は弾んでいく。
どちらにせよ、オーディオコメンタリーでも指摘されているように「彼女への思いを断ち切って過去改変したのにこれでは台無しでは?」という事でどちらも没に。
エヴァンが最後に戻った瞬間は母が産気づいた瞬間……つまり自分が生まれる前だった。
母の胎内でエヴァンは自らの臍の緒を首に巻いて死んでしまう。
この後、皆が幸せな人生を送り、ケイリーも結婚式を挙げたのだった……
実は劇場公開版だと、最初にエヴァンが残したメモやエヴァンの母が何度も流産しているという伏線が無視されており、さらに記憶を失っているはずなのにケイリーと初めて会った事を覚えているという矛盾がある為、映画としての完成度としてはこちらのほうが高い。
とはいえ、あまりに救いがないエンディングである事から賛否両論。
2017年製作のホラー映画。アメリカの黒人差別を題材にし、アカデミー賞脚本賞を受賞した傑作。
本来は別エンディングの方が当初の結末だったが、現実における出来事が「フィクションに追いついてしまった」為に現行のエンディングとなった。
黒人の写真家クリスは、白人の恋人ローズの実家・アーミテージ家に招待される。
一族全員白人である事に緊張するクリスだったが、気さくなアーミテージ家の面々に徐々に打ち解けるも、彼らにはどこか不自然な部分があった。
そして一家には黒人の使用人がいたが、いずれもどこか不審な様子なのである。
やがて、クリスにかけられた催眠術や白人の親族全員が集まったパーティーにおけるどこかよそよそしい雰囲気、そして黒人の客が「出て行け」と叫びだした事など、不穏な気配は高まるばかり。
そして使用人の正体が判明した時、アーミテージ家の恐ろしい秘密が明らかとなる。
アーミテージ家は黒人の持つ丈夫な肉体に目をつけ、彼らの体に自分の脳を移植し、
健康な肉体を手に入れる禁断の医療に手を染めていた。
黒人の使用人の正体は全員アーミテージ家の人間で、肉体は元々は誘拐された被害者。
その為、最初からローズはクリスの体が目当てだったのである。
催眠術を何とか解除したクリスは、襲い掛かるアーミテージ家の人間を次々と返り討ちにして殺し、屋敷から逃げようと試みる。
だが、最後に生き残ったローズがクリスを殺そうとするが、正気を取り戻した使用人の働きによって重傷を負わせる事に成功。
ローズの体に馬乗りになって首を絞めようとするクリス。だがクリスは何もできない。暴力を働けば、彼らの望む通りの存在になってしまうからだ。
そこへパトカーがやってきた。乗っていたのはクリスの親友で黒人のロッドだった。
空港警備員のロッドのコネで、パトカーで助けに来たのである。
ロッドは、茫然自失のクリスを乗せて屋敷を去る。後には死にゆくローズだけが残された。
ローズの上に馬乗りになるところまでは同じだが、こちらでは本当に首を絞める。
だが、そこへパトカーがやってきて、降りてきたのは2人の白人の警官。
2人はクリスがローズに暴行を働いていると勘違いし、クリスを逮捕してしまう。
そして刑務所に収監されたクリスにロッドが面会に来る。
ロッドはクリスに何があったのか聞くが、クリスは手術の前処理の後遺症のせいで、もはやまともに受け答えもできない状態だった。
ロッドは親友の惨めな姿に、涙を流す事しかできなかった。
現実のアメリカ社会で問題となっている、白人警官による無実の黒人への暴行を皮肉った結末だが、そうした事件があまりに問題となってしまった為、救いのある現行のエンディングに改変された。
『ジョーズ’87 復讐編』
サメ映画のパイオニアたる名作の続編ではあるものの、あんまりにも荒唐無稽な内容から非常に評価が低く、シリーズ最終作となってしまった映画。
クライマックスで鮫にマストを突き刺した後の展開が2バージョン存在する。
マストを突き刺された鮫は苦しみながら海へと沈んでいく。当時発売されたNESのゲームでもこの最期が再現されている。
日本での劇場公開版ではこのバージョン。
オリジナルが残酷すぎるという理由で急遽制作された修正版。マストが刺さった瞬間、鮫は謎の大爆発を起こし、鮫に食べられたジェイクも生還する。
アメリカでの劇場公開はこのバージョンで、現在の映像ソフトなどではこちらのみの収録。ただし、英語版のBlu-rayでは特典映像としてオリジナル版も収録されているらしい。
2017年にBSジャパンで放映されたバージョン。
鮫の死に様まではオリジナル版で、その後にジェイクの生還シーンを繋げる独自の編集版となっていた。
『ブラック・レイン』
1989年公開のリドリー・スコット監督作。マイケル・ダグラス、高倉健、アンディ・ガルシア、
松田優作といった日本とアメリカのスターが集結した日米共作映画。
大阪の街を舞台に、型破りなニューヨーク市警の刑事ニック(ダグラス)と、堅物な捜査一課刑事の松本(高倉)がお互いに衝突しながらも犯人逮捕に向けて協力するというバディもの。
本作の悪役である凶暴なヤクザ・佐藤を演じた松田優作の怪演ぶりが話題となったが、松田は公開直後に急逝した為、彼の遺作となった。
壮絶な銃撃戦やバイクチェイス、格闘の末に佐藤を追い詰めたニックは、松本と共に佐藤を大阪府警まで連行する。
ニックが佐藤を追い詰めるくだりまでは同じだが、その後ニックは佐藤を串刺しにして殺害してしまう。
しかしスコット監督が「ニックが何かを学んだならば殺さないはず」「佐藤は殺すには惜しい」と考え、佐藤を殺さず連行するパターンも撮影していた。
スコット監督は佐藤を主演にした続編を撮影する意向があったようだが、佐藤役の松田優作が公開直後に急逝した為、実現は叶わなかった。
クロウシリーズの2作目。
麻薬王が牛耳る街で愛する息子共々殺された主人公アッシュが、カラスの力で不死身のダークヒーローとなって復活。
前作に引き続き登場したヒロイン・サラの助力を得て悪党への復讐に立ち上がる。
クライマックスでカラスの力を失いながらも麻薬王との死闘の末に復讐を果たしたが、その代償としてサラが命を落としてしまった。
使命を終えたアッシュは二度目の死を迎えた末に、死後の世界で息子と再会した。
当初想定していたエンディングはこちら。
サラが死亡して麻薬王に引導を渡すくだりまでは同じだが、劇場公開版とは逆に復讐を果たした後も死後の世界へ戻れず、再び孤独になったアッシュはバイクを走らせて街を去った。
客観的に見れば悲劇性が強調されているものの、本編中盤でアッシュに救われた少女グレースが見送りに現れるなど、一筋の希望を感じさせる結末となった(そのシーンで、グレースがサラの形見となった猫を抱きかかえていた)。
邦画において
洋画では複数のエンディングが存在する作品は珍しくないのだが、それとは対照的に別エンディングが存在する邦画は極めて稀である。
スクリーンテストという試写会、及び編集システムが日本では存在せず、洋画と比較して制作費が少ない都合上、必要最低限の撮影しか行わない(洋画のように別エンディングの編集に備えて様々なパターンを撮影する事がない)事がその理由と思われる。
『
天空の城ラピュタ』や『
千と千尋の神隠し』など、スタジオジブリシリーズの作品は「別エンディングが存在する」という話がテレビ放映などの度に毎回持ち上がるが、いずれも都市伝説である。ラピュタに関しては100%捏造というわけでもないのだが……
詳しくは
アニメに関する都市伝説を参照。
近い例としては『
火垂るの墓』のように、劇場公開時に製作が間に合わず未完成だった部分が順次追加されていった結果、劇場公開版とソフト版で映像が異なる現象が起きている。
それでも例が全くないわけではない。ここでは一部を紹介する。
原作漫画でも
テレビアニメの方でもなく、1986年に公開された劇場版。原作の設定やストーリーを一部変更し、再構成した初の劇場公開作品。
テレビでは見られなかった
原作者も苦言を呈するほどの残酷描写が話題となった。
時はまさに世紀末、核戦争によって荒廃した弱肉強食の世界。
唯一無二の殺人拳・北斗神拳の伝承者ケンシロウは、悪漢から虐げられる弱者を守る救世主となっていた。
さらわれた妹を探す南斗水鳥拳のレイとの出会いや、世紀末の世界で傍若無人に暴れる兄ジャギとの戦い、そして恋人ユリアを奪った宿敵シンとの再会が次第にケンシロウを強くするも、愛するユリアには北斗の長兄ラオウの手が迫っていた……
ケンシロウがラオウに負け、ラオウがトドメを刺そうとしたところでリンに制止され、引き下がるというもの。
原作のパワーバランス的にもこの時点ではそれほどおかしい展開ではないものの、最後の最後にこれをやった事で拍子抜けする観客が続出。半端な結末になってしまったのは続編の構想を考えた結果らしい。
一時期は視聴が難しかったこの結末だが、下記の別エンディングと併せて2008年のDVDに収録された。
余談だが、悪名高い韓国実写版北斗の拳はこのエンディングの今作が元ネタ。
続編構想が立ち消えた為、ビデオ版では結末が変更となった。差し替えシーンは新規作画。
互いに死力を尽くし戦い、最後の一撃を放つ寸前にリンに制止されてラオウが引く……という、原作のマミヤの村での一戦に近い結末となった。
また、最後に「完」のカットが追加され、単独作である事が分かりやすくなっている。
1965年8月8日公開。フランケンシュタイン(の怪物)と地底怪獣バラゴンとの対決を描いた、東宝の特撮映画。
原爆投下から15年後の広島で、科学者のボーエン博士により謎の少年が保護される。
異常な成長を見せる少年と、戦時中に日本へ持ち込まれていた「フランケンシュタインの心臓」との関連性が疑われる中、巨人と化した少年は横暴な新聞記者が焚いたフラッシュに怯えて脱走。
手枷から千切れた彼の腕が生命を持っていた事から、少年の正体がフランケンシュタインと確定する。
時を同じくしてヒトや家畜が何者かに食われる事件が発生。フランケンシュタインの仕業ではないかと疑われるが、ボーエン博士は真犯人が地底怪獣
バラゴンであることを突き止める。
やがて富士山麓にてフランケンシュタインとバラゴンは激突。死闘の末にフランケンシュタインはバラゴンを絞殺、勝利するが……
バラゴンの死体を蹴り、その死を確認していたフランケンシュタインだが、突如発生した地割れ(バラゴンが穴を掘っていた影響ともされる)に呑み込まれ、消息を絶つ。
不滅の心臓を持つ彼はまだ生きているだろうと推測されるが、ボーエン博士は「死んだ方が良いかもしれない、彼は所詮怪物だ」と語るのだった。
また、これとは別に「フランケンシュタインがバラゴンを抱え上げたまま地割れに呑み込まれる」別エンディングが存在しているとも噂されているが、特技監督はDVD版のオーディオコメンタリーでその存在を否定している。
バラゴンの死体を崖下に放り投げた直後、山中だというのに
突如大ダコが現れ、フランケンシュタインともつれあいながら湖へ沈んでいく。
何の伏線も前フリも無い事態だが、博士達は特にツッコミもせず、日本公開版と同じ会話を交わしてその場を去っていくのだった。
この別エンディングは、海外公開の際にベネディクトプロの希望で入れられたとする説が主流だったが、実際は海外でも使われず、国内でテレビ放送された際に初めて付けられたという。
日本製のOVAだが、北米においてはPART1がロボテックシリーズの外伝として劇場公開された。
原作では主人公が敗北してPART2に続くという結末なのだが、そこから逆転勝利するハッピーエンドが新たに付け加えられた。
地上波放送時のカット編集について
別エンディングとは少し異なるが、国内での地上波テレビ放送の際には邦画・洋画を問わず、放送時間の都合で一部シーンをカットすることもある。
この場合は大抵作品中盤の重要ではないシーンを削るのが普通であり、ラスト付近やエピローグを削って作品のストーリーを大きく変えるような編集が行われる事は少ない。
ボーカル曲とテロップが流れるのみのエンディングがカットされる事はたまにあるが、Cパートがある作品などでは無編集で流す場合が多い。
大きな改変がされた作品として挙げられるのは『
妖怪大戦争』。
地上波放送ではエピローグがカットされ、視聴後の感想が大きく異なるものとなってしまっている。
エピローグを含めたバージョンが地上波放送された際には、
「なんだこのラスト!?」「俺が前に視聴したのと違うぞ?」と驚いた視聴者も発生した模様。
『藁の楯』が地上波放送された際には、ラストシーンの一部がカットされた事で「作品で一番重要な部分が台無しになっている」という批判的な意見もあるが、一方で「内容が内容だけにカットも仕方ない」という擁護する声もある。
また、『
アナと雪の女王』がフジテレビで放送された際、元々あったエンディングをカットして独自に制作した「視聴者が歌う映像」を特別エンディングと銘打って挿入した結果、苦情が殺到した例もある。これについてはやった事が悪すぎたとしか言いようがないが。
これを他山の石としなかったのか、日本テレビでも『
ワイルド・スピード スカイミッション』のエンディングをカットした結果、Twitter(現・X)に苦情が届いたという事態も起きている。もっとも、アナ雪に比べればまだ小火と言っていいが。
前述した『ラピュタ』では歌無しの「君をのせて」を
BGMに、本編カットや「スタジオジブリ作品関連資料集」などの静止画にスタッフロールを乗せた簡易エンディングを流した結果、「凧でシータの故郷に帰ったパズーとシータが抱き合ってパズーは帰った後、ある日シータが牛の世話をしていると一人乗り飛行機でパズーが訪れる」と視聴者に脳内補完されて、都市伝説化してしまった例もある。
その他にも、人体欠損や大量出血といったグロテスクな描写についてもカットされる場合が多い。
『
バイオハザード』のレーザーによる人体細切れシーンなどは不自然に画面が切り替わるので、規制が入ったと素人目にみても分かりやすい。
この規制によって、悪役の最期などカットするのが難しいシーンでグロ表現などがある映画は、地上波で放送されないという見方も強い。
例外的にテレビ朝日で『
プライベート・ライアン』が放映された際、開始前に「グロテスクな表現を含むため、子供には視聴させないように」と呼び掛ける注意テロップを表示した上で、人体欠損や、内臓がはみ出るといった描写をカットしなかった事もある。
余談
漫画の場合、単行本化の際に加筆修正や本編の後日談を挿入する事で、本誌連載時とは異なる結末を迎える事もある。
『
エクゾスカル零』は単行本化された際に大幅に加筆修正されており、わずかだが希望が残る結末となっている。
また、この作品自体が『
覚悟のススメ』の
別エンディングと言えなくもない位置づけにある。
この類似例としては漫画『銃夢』があり、初版単行本の最終巻後半に収録された内容が愛蔵版以降では全カットされ、最終巻前半→『銃夢 Last Order』となるように編集されている。
『
ゴールデンカムイ』の最終回は単行本化に伴い4ページ加筆してあり、さらに4ページの番外編が付属している。ただ、こちらは修正や変更というよりも増補といった方が適切である。
『
超人ロック』シリーズの少年キング版は、後に全37巻分を『超人ロック 完全版』として大規模カラー化・加筆・増補刊行したが、それによりエンディングが(読者目線で)実質的に変わったエピソードもある。『プリンス オブ ファントム』などが代表的。
また『ニルヴァーナ』の最終回は、掲載誌ヤングキングアワーズではエピソードを通じて出番の多かったゲストキャラ達と「最大の敵だった彼を容赦なく否定し滅ぼす事にはなったが、彼も満足だったのではないか」と語らうニュアンスで〆られていた。
が、単行本ではそのくだりは全てカットされ、全く別の人物(ほぼモブ)との新規場面で〆られている。
大局は変わらず、アワーズ版のラストを否定するような流れではないが、単行本のみからその場面の存在を想像するのはまず無理だろう。完全な別エンディングと言って差し支えない。
小説においても似たような事例は存在する。
井伏鱒二の小説『山椒魚』では、全集に収録された際に作者が終盤の文章の一部を削除した結果、結末が大きく改変された。
教科書に載るほどに有名かつ高評価された文学作品だったために、この改訂には多くの読者や書評家から反発の声も届き話題となった。
そりゃあ「次世代の文章表現と言っていい」と評価した部分が削除されたら、書評家の面目が丸つぶれ
修正の反響を受けて、作者の井伏も複雑な心境を打ち明けるコメントを述べている。
「作品は誰のものなのか」という命題に一石を投じた騒動と言える。
橋本紡の小説『九つの、物語』では、この『山椒魚』の改変前と改変後の違いを軸としたストーリーが描かれている。
追記・修正はスクリーンテストの感想を反映させた内容でお願いします。
- キャプテン・スーパーマーケット/死霊のはらわた3にも別エンディングがあったんだよな。オリジナルが落語の「時そば」よろしく寝すぎて荒廃した未来に目覚めちゃったというので、公開時は別エンディングに差し替えられたんだっけ -- 名無しさん (2017-04-19 14:29:58)
- 28日後…でも別エンディングあったなー。シベ超も範囲内かな。どんでん返しがカットされてるぐらいだけど -- 名無しさん (2017-04-19 14:39:30)
- アイアムレジェンドは別にアナザーエンドでもよかったと思うけどなぁ、皮肉的な話は過去にもあるのに不評だったのは何故だ? -- 名無しさん (2017-04-19 15:24:00)
- 本来のED・別のEDって書き方はどうかと思う。事実関係を考えれば、あとからEDを変えた例は、変える前が本来のEDだろう? -- 名無しさん (2017-04-19 15:40:45)
- ファイナル・ディスティネーションも試写会不評で結末変えた作品だったかな -- 名無しさん (2017-04-19 15:51:02)
- ↑2 ? だからそうなってるんじゃないの? -- 名無しさん (2017-04-19 16:03:34)
- ↑試写会で公開されたほうが別EDで、現在のEDが本来のEDってのはおかしいだろ? 記述が事実関係と逆になってるんだよ。 -- 名無しさん (2017-04-19 16:16:02)
- ↑アイアムレジェンドはDVDではっきり「本編」「別エンディング」と区別している 実際には逆転していても一般公開された方を本来の結末としてオマケ扱いされている方を別エンディングとする形でいいとお -- 名無しさん (2017-04-19 16:36:41)
- ターミネーター2以降はパラレルワールドで正史ではないって否定されてるだろ。 -- 名無しさん (2017-04-19 16:58:18)
- ↑2「最初はこれにする予定だったけど、結局は違うやつにしました」ってパターンなら、「本来のED」と聞いて想像するのは前者じゃないかい? -- 名無しさん (2017-04-19 17:05:40)
- 『アイアムレジェンド』は別エンディングの方が原作っぽいけど、これまた原作通りに主人公が死んでないから駄目だったのかな? -- 名無しさん (2017-04-19 17:09:59)
- 「本来のエンディング」をどっちの意味で取るか人それぞれみたいだし、「公開版エンディング」と「別エンディング」にしては? -- 名無しさん (2017-04-19 17:42:59)
- 『アイアムレジェンド』はそういうことだったのか! これは試写会EDの方が遙かに良いわ。原作EDでも良い。修正後EDだと、物語からなんのテーマも感じない。 -- 名無しさん (2017-04-19 18:15:56)
- 俺も「公開版エンディング」と「試写版エンディング」辺りに変えた方が分かりやすいと思う。エンディング違いと内容も知ってたけど、リージョン開いて「あれ、逆だっけ?」と混乱しちゃった -- 名無しさん (2017-04-19 18:19:34)
- アイ・アム・レジェンドに関しては、当時の世相(イラク戦争とか諸々)が原因で敵側の正義や価値観を認めるエンディングがアメリカ受けしなかったという説を聞いたけど実際どうなんだろうか -- 名無しさん (2017-04-19 18:32:01)
- 日本の映画では挙げられる例は無いのだろうか なぜ日本にはこのような差し替えが存在しないのだろうか 誰か教えて -- 名無しさん (2017-04-19 19:46:01)
- 日米合作ではあるけどフランケンシュタイン対地底怪獣とか? TV放送で追加されたという大ダコエンドはマジで突然始まるのでびっくりする -- 名無しさん (2017-04-19 19:53:30)
- 「バタフライ・エフェクト」も該当するね。劇場公開版→彼女を助けるために、わざと彼女を遠ざける。別エンディング→自分自身の存在を消す -- 名無しさん (2017-04-19 20:13:49)
- アイアムレジェンドでガラス戸粉砕直前にひび割れが蝶を描くってのがあったけどこれは別EDの伏線ってよりは名残かな -- 名無しさん (2017-04-19 22:20:06)
- ↑4 日本映画だと86年公開の北斗の拳のアニメ映画がそれかな 劇場公開版だとケンシロウがラオウとの戦いに敗れて倒れてトドメをさされかけた所をリンが止めてラオウが立ち去るラストだけど、VHS版ではケンシロウが敗れず両者がトドメの一撃を放とうとする時にリンが止めてラオウが立ち去るという引き分けエンドに変更された -- 名無しさん (2017-04-19 23:10:41)
- 結末に限定しなければ、「試写会がきっかけでカット」は結構多いよね。特にBTTFシリーズは本編にカットの跡が残ってるカットシーンが多い -- 名無しさん (2017-04-20 00:08:51)
- 確か「ロッキー」って1作目と5、ザ・ファイナルの3つは別パターンのエンディングがあるんだっけ。 -- 名無しさん (2017-04-20 00:16:10)
- ↑ファイナルの判定勝ちするパターンは映画の内容に感動した人間からすると蛇足だったなあ。まあ、ストーリー云々よりもサプライズで本物の会場に登場して殴りあったって撮影秘話の方が衝撃なんだけど(笑) -- 名無しさん (2017-04-20 00:23:47)
- ブレードランナーはソフト化でバージョン違いがいくつも存在するけど、そのいずれもエンディングが微妙に異なっている。一番有名なのが製作側がつけた劇場公開版のハッピーエンド。DC版やファイナルカット版と全然違う。 -- 名無しさん (2017-04-20 00:38:02)
- 仮面ライダー龍騎テレビスペシャルはわざとそうしてるから特殊パターンか。 -- 名無しさん (2017-04-20 01:20:18)
- 日本映画でEDが違う実例は宇宙戦艦ヤマトの初代劇場版。当初はスターシアは既に死亡していてコンピュータが出迎える展開だったが後にTV版と同じ展開に差し替えられた -- 名無しさん (2017-04-20 01:42:17)
- まどマギ『叛逆の物語』の通常バージョンと1stテイクバージョンもある意味該当するんじゃないだろうか。違うのほむらの声だけなのだけど、それでもだいぶ違う解釈が出来るわけだし -- 名無しさん (2017-04-20 05:32:08)
- 1stガンダムがTV版はZに繋がらないけど劇場版は繋がるのは…ちょっと違うか -- 名無しさん (2017-04-20 07:22:10)
- 個人的には「酔拳2」も追加してほしい。割と有名だし。 -- 名無しさん (2017-04-20 08:59:26)
- マーズアタック!で、囮になったボクサーがエンディングで生還するのも、試写会の後に追加された物らしい。 -- 名無しさん (2017-04-20 09:14:55)
- 宇宙戦艦ヤマト復活篇では試写会で「地球救済」と「地球滅亡」のふたつのエンディングをアンケートで選んで「地球救済」が選ばれた。でもその後のディレクターズカット版での「地球滅亡」エンドのほうがファンの評価が高いという皮肉な結果に -- 名無しさん (2017-04-20 09:21:40)
- ↑7龍騎のSPは90年代の「世にも奇妙」の派生ドラマ「ifもしも」を参考にしてそう。(井上はじめスタッフ皆好きそうだし)最初から結末が二通り用意してある特殊なオムニバスだった。今度アニメ映画化されるよな、打ち上げ花火のエピソードが。 -- 名無しさん (2017-04-20 10:09:59)
- 宇宙戦艦ヤマト復活篇ではブラックホールから地球を救済するエンディング(劇場)と為す術なく地球が飲み込まれる(ディレクターズカット)の二種類あるな飲み込まれる方が正史で第二部(ガンダムSEED劇場版とどっちが先に公開されるか怪しいレベル)に続くらしいけど) -- 名無しさん (2017-04-20 10:42:38)
- 「エスター」って映画でも別EDあったな。勝敗が逆転するほどのものだった気がするが、2度と見たくない映画なので確かめないw -- 名無しさん (2017-04-20 11:57:06)
- 仮面ライダーNEXTの隼人のシーンは別エンド? -- 名無しさん (2017-04-20 18:27:29)
- ↑そう。本来は一文字の最期で〆だったはずなのに、田崎が欲張りすぎたせいでホラー映画のお約束エンドに…まるで意味が分からんぞ! -- 名無しさん (2017-04-20 18:36:11)
- リーサルウェポン1のバディ解消エンドと2の殉職ED。リーサルウェポンはノベライズも含めるとアナザーエンド多いな。 -- 名無しさん (2017-04-20 23:16:04)
- ↑同じ人が脚本書いたロング・キス・グッドナイトもノベライズ版(恐らく本来の脚本)とラストが変わってる。やっぱハリウッドのアクションは明るいエンドが基本なんだね。 -- 名無しさん (2017-04-21 04:36:55)
- リーサルウェポンと同じ監督の16ブロックもブルースウィリス死亡EDが -- 名無しさん (2017-04-21 22:44:43)
- ウルトラマンマックスの第三惑星の奇跡もここにいれていいんじゃないかな? -- 名無しさん (2017-04-22 08:28:39)
- ちょっと違うかもしれないけどfateのアニメ版UBWはTVで放送されたトゥルーエンドの他にグッドエンド版もある -- 名無しさん (2017-04-26 10:27:11)
- インデペンデンス・ディが無いのは別エンディングというよりは別ルートって感じだからか? -- 名無しさん (2017-04-27 08:13:40)
- ロッキーのは別エンディングの他に没エンディングもあるのか 海外ではあるのが普通なのに邦画では滅多に無いのが本当に不思議だ -- 名無しさん (2017-04-30 20:49:34)
- ゴジラVSデストロイアも別エンディングなかったっけ?本来は自衛隊がデストロイアを倒す展開だけど別エンディングではゴジラが倒すっていう -- 名無しさん (2017-05-13 00:25:25)
- ゴジラVSビオランテもビオランテがゴジラを丸呑みして消滅する別エンディングが存在したはずだ -- 名無しさん (2017-05-13 00:45:07)
- ↑2 あれは途中でカットされたシーンを組み込むとデストロイアの最期が変わるだけで、「ゴジラ死す。が……」っていう映画自体の結末は同じだからなぁ。確かにゴジラが倒したか人類が倒したかって言うのは大きいとは思うんだけども -- 名無しさん (2017-05-13 00:49:09)
- アナ雪の特殊エンディングとやらはこの記事に書かれてる内容だけだと何が駄目なのかイマイチ分からない -- 名無しさん (2017-05-13 01:36:26)
- 都市伝説の項目にもあるけど、一部地域では前後編最終回の後編が削られてしまったせいで、前編の「洗脳されたヒーローが街を破壊し尽くすべく大暴れして終わる回」が事実上の最終回になってしまったアイアンキングもある意味別エンディングかもw -- 名無しさん (2017-05-25 19:38:53)
- ↑2 アナ雪の場合全編ノーカットを謳いながらMay.Jのエンディングありきであのストーリーなのにそれを数秒で終わらせて内輪ネタと番宣をブッ込んだから。 -- 名無しさん (2017-05-26 11:50:41)
- あと有名なのがワールドウォーZかな。本来は飛行機乗った後でロシアで感染者と血みどろバトルで撮影も終わってたんだけど、試写会で評判悪かったから急きょ終盤の感染研究所でのこじんまりしたものになったという。 -- 名無しさん (2017-05-26 13:32:02)
- ↑8 邦画と洋画じゃ予算が違うからじゃないかな。カツカツだから余計なシーンは極力撮らないor撮ったシーンは出来るだけ使うんじゃない? 構想としての別案みたいなのはあるだろうけど、撮っとく余裕がないんだと思う -- 名無しさん (2017-05-26 13:44:02)
- ↑2 Zはエンディングつーかラスト20分丸々差し替えだから凄いよね。パラマウントの経営陣しか観てないから一般の目にはお披露目されてないし。96時間リベンジも本編後半の展開が違うバージョンがBDの特典になってたな -- 名無しさん (2017-05-26 21:49:41)
- インディペンデンスデイで普通に核を使ったな 放送局によって異なるのか -- 名無しさん (2017-06-10 22:17:54)
- シュワちゃんの方のトータルリコールはどういう扱いかな?(日本語版スタッフがビデオにラストを追加したってヤツ) -- 名無しさん (2017-06-20 10:42:31)
- ↑2 地上波で出現時の津波シーンをカットしたギャレゴジも核弾頭爆発シーンはカットはしなかったし山場な場合はセーフなんじゃなかろうか? -- 名無しさん (2017-07-05 23:13:03)
- ディープブルー( 気持ちは分かるが、改心したし、母親のこともあるし・・・ねぇ。 )ファイナル・ディスティネーションの別エンディングについて一言・・・・「試写会の観客って、時に残酷っぽいね( フッ・・・。 )」 -- 名無しさん (2017-07-05 23:20:28)
- 別エンディングって良いのか分からないけど、キューブリック版シャイニングも試写会と公開版でEDが違う。最初のバージョンはフィルムがカットされてるらしくもう観れないけど -- 名無しさん (2017-12-11 19:50:54)
- ↑ミス。良いのか分からないけど×言っていいのか分からないけど -- 名無しさん (2017-12-11 19:51:28)
- フランケンシュタイン対地底怪獣はないのか。あの映画の説は何が正しいのかわからないのがすごいが -- 名無しさん (2017-12-11 20:09:28)
- 確かブレードランナーも最後のエピローグがあるのとないのがあったな -- 名無しさん (2018-05-29 20:29:11)
- ドラえもんのおみやげ風呂敷にも別エンディングがなかったけ? -- 名無しさん (2018-08-07 20:17:40)
- ↑間違えましたすみません -- 名無しさん (2018-08-07 20:18:46)
- 禁じられた遊びとリトルショップオブホラーズにも別エンディングあるよね。すげぇ後味悪い奴 -- 名無しさん (2018-08-07 20:24:04)
- 最近だとゲット・アウトの別エンディングが公開版と真逆でバッドエンドだったな -- 名無しさん (2018-08-08 07:28:22)
- アイ・アム・レジェンドは円盤収録のピクチャードラマでダークシーカー化した側の視点の話もあったりしてあっち側の状況を理解するとなるほどなぁとなった -- 名無しさん (2018-09-20 10:19:48)
- 仮面ライダー龍騎のepisode finalは違うのかな?あれも元々「最終回先行公開」だったけど、結局TV本編とは別物になったし -- 名無しさん (2019-03-14 13:59:03)
- ↑映画内での別のエンディングって意味であって、本編と別の結末って意味ではないぞ -- 名無しさん (2019-03-14 14:19:36)
- 「全米が泣いた」なんて言われてもアイ・アム・レジェンドを台無しにした「全米」なんて信用ならんわ -- 名無しさん (2019-04-26 16:36:03)
- 本題とは関係ないけどどの業界でも厄介な原作厨は癌にしかならんな。 龍騎はTVSPがこの項目に最適だと思う(DVDに両END共収録されてる)、しかし両ED共真司が碌な事にならんな......... -- 名無しさん (2019-06-23 01:33:22)
- バタフライ・エフェクト思い出した -- 名無しさん (2019-06-25 02:16:38)
- 96時間リベンジとか。ディスク版には両方収録されてるけど製品版の展開でベストだったって言ってる。 -- 名無しさん (2019-09-25 14:24:43)
- トイ・ストーリー4にも別エンディングが存在してアメリカの円盤に収録されるらしい 劇場公開エンディングでも賛否両論だったのがどう変わったのか… -- 名無しさん (2019-09-29 21:05:41)
- 原作では主人公が死ぬエンド→アメリカでは死なない改変を施して出版→ハリウッドで映画化される際はアメリカ版のオチを採用→国外向けに死ぬバージョンも撮影という面白い経緯をたどったフランダースの犬 -- 名無しさん (2019-11-03 12:31:14)
- ↑5 龍騎のTVスペシャルはまさしく当てはまると思うが、この項目名は(映画)なので -- 名無しさん (2020-03-11 11:43:39)
- ぼくべんとかいう -- 名無しさん (2020-03-11 11:55:42)
- アイアムレジェンド、名前しか知らなかったけどそういう映画だったのか。安易にハッピーエンドにすれば良いというものでもないなあ -- 名無しさん (2021-08-03 21:37:45)
- 試写会を見るのは一握りの人間に過ぎないから、正式公開された時の多数派の評価とは異なるという事はありうるよな。 -- 名無しさん (2021-09-27 00:59:55)
- ↑5クジョーも原作「カーちゃんがピストルを見つけられず殺害した狂犬息子そっちのけで殴った結果息子死亡」>映画版だと「狂犬を一度気絶させた後に車に戻って息子を涼しい屋内に避難、その後狂犬が復活して屋内に襲撃するがピストルも確保してたため返り討ちにして親子無事生還」となったな -- 名無しさん (2022-02-13 09:28:29)
- バタフライエフェクトはうまく着地したってところかな(全エンディング比較すると)。安易なハッピーエンドじゃないが、本来版じゃ救いがなすぎるし。 -- 名無しさん (2022-02-13 11:02:52)
- アイアムレジェンドは海外のYouTubeチャンネルで公開版に文句言ってるの見たことある程度しか知らないけど、試写会に参加した人はウィルスミス主演のホラー映画くらいにしか思ってなかったんかな? -- 名無しさん (2022-02-13 11:16:45)
- シリーズものなんかで、納得のいかないファンが切り貼りして一部自主制作(やたら凝ってる)したエンディングを追加した円盤とか売られてたりするね -- 名無しさん (2022-02-13 12:01:16)
- 新訳Zガンダムも最後の結末で違う歴史になったな -- 名無しさん (2022-02-13 14:37:55)
- 過去コメントで複数回言及されているZガンダムはTVA版と劇場版では明らかに展開と結末が違いますし、このページの定義に入ると思うのですがいかかでしょうか? 編集者の方が見ておられましたら、Zガンダムの劇場版についてご検討お願いいたします -- 名無しさん (2022-04-17 01:22:05)
- 新訳ZはTV版のアナザーストーリーであって本項目の趣旨とは違うのでは? 「当初は精神崩壊エンドの予定だったが廃案となり、ファに回収されるエンドに変更された」なら本項に該当するかもだけど。「原作とはラストの展開が異なる」も含め出したらキリが無いと思う -- 名無しさん (2022-04-17 07:39:52)
- [] -- 名無しさん (2022-04-17 08:45:07)
- 「原作から派生した別作品で結末が異なる」と「同じ作品の別バーションで異なる結末がある」の違いよね。 -- 名無しさん (2022-04-17 08:47:23)
- 試写会でEDが変更されたわけじゃないけど、「エスケープ・ルーム2 決勝戦」は続編を匂わせる劇場公開版と綺麗に話を完結させるエクステンデッド版があるね -- 名無しさん (2023-02-14 12:03:14)
- マキバオー、モンモンモンのつのまる作品は単行本で大幅に加筆されて印象が全く違う。モンモンは悲しく、マキバオーは未来を感じるエンドに -- 名無しさん (2023-02-14 12:28:58)
- モンモンモンはなぜか最終回だけ雑誌に載らなかっただけだから加筆とも違う気が -- 名無しさん (2023-08-25 14:03:14)
- 金曜ロードショーではスタジオジブリ作品はノーカット放送だけど流石にエンディングだけはカットされちゃうんだよね。 -- 名無しさん (2023-11-21 18:35:44)
- ノーカットといいながらEDはカットされたり簡易版になるのはモヤモヤするけど仕方ないんかな -- 名無しさん (2024-04-28 23:09:33)
- ターミネーター2のオリジナル版エンディングは「ニュー・フェイト」が公開された今となっては事実上のバッドエンドになった感じだと思う -- 名無しさん (2024-12-06 12:59:35)
- ルナールの小説「にんじん」は同じ作者の戯曲版で父親と語り合う場面を加筆、だいぶ読後の印象が変わる。のちの映画やアニメなどの映像化ではこっちが採用されることが多い。 -- 名無しさん (2025-07-01 02:29:21)
- 余談についての話になるけど、監獄学園の最終回は、キヨシの大失態によって千代ちゃんが会長と同じ大の男嫌いになって、裏生徒会長に就任したところで終わった。「単行本にて大幅加筆決定!期待せよ!」って宣伝してたけど、唐突に男子達が再投獄されてて、「濡れTコンテスト見に行くか!」って感じで監獄を出ていくっていう、前後の話がまるで分からない話だったな…しかもたった6ページくらい。 -- 名無しさん (2025-11-09 12:56:13)
- バビル二世も連載版だけのオチがあるね。 -- 名無しさん (2026-01-08 00:35:23)
- T2もタイタニックも別エンディングが元々想定されてただけに完成度が高いのがまた… 特にT2は指導者としての大人ジョン・コナー役だし カイルとすれ違うってのも良い -- 名無しさん (2026-04-02 11:32:27)
最終更新:2026年08月21日 15:35