別エンディング(映画)

登録日:2017/04/19 (水) 13:10:10
更新日:2021/01/27 Wed 22:40:00
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この項目では主に洋画における「本来の結末とは異なるエンディング」について説明する。

ゲーム作品とは違い映画の結末は一つである。しかし、世の中には何らかの理由によってエンディングが複数ある作品も存在する。

主に「試写会での映像と劇場で映像の結末が異なる」「劇場公開時と映像ソフト収録時の映像の結末が異なる」の2パターンに分かれる。

別エンディングが存在する理由としては「試写会での評価が悪かったために劇場公開の前にエンディングを差し替えることで挽回を図る」「尺の都合や続編への布石のためにエピローグをカットした結果、結末がガラリと変わる」の2パターンが多い。

海外では「スクリーンテスト」という、一般公開前に一般人を集めて試写会を行い、アンケートの結果を編集に反映させるシステムが存在する。それによって不評だった部分を削る、もしくは説明不足な部分を追加するといった措置が取られるわけである。
場合によっては主要人物の生死といった内容から作品の主旨を根本から変えるような改変が入ることもあるほどにこのテストは重視されている。

差し替えられた、もしくは削除された映像がソフト化の際に収録されて日の目を浴びることもあるが、大抵はお蔵入りとなってしまう。
中には情報の真偽が定まらないものも存在するため、「有名なあの作品には実は別の結末が存在する」といった都市伝説と化す例もある。


別エンディングが存在する作品(ネタバレ注意!)


アイ・アム・レジェンド

ウィル・スミス主演の2007年のSF映画で、原作はリチャード・マチスンの同名作品(旧邦題『吸血鬼』『地球最後の男』)。

「別エンディングが存在する作品」として広く知られており、その別エンディングが作品のテーマやメッセージ性を180°反転させる内容ということで有名である。
スクリーンテストで上映した際、ラストシーンが特に不評だったため、撮り直しを行って全く別物のエンディングとなった。一部のDVD版やBD版には別エンディング版も収録されているので、視聴も容易である。
結末が変わったことで本来のラストシーンのために用意された伏線が放置されたままになったため、鋭い人なら「あのシーンは結局何だったんだ?」と疑問に思うかもしれない。

※あらすじ
ガンの治療薬が突然変異したことで生まれたウイルスによって90%の人間が死滅した世界。
生き残った6億人もそのうちの98%がダークシーカーと呼ばれる驚異的な身体能力を持つ怪物に変異して健全な2%の生存者を襲うようになり、人類は絶滅間近であった。

元軍人であり現在は科学者である主人公のネビルは愛犬のサムと共にニューヨークに残って治療薬の研究を続けていた。
突然変異したウイルスの治療薬を開発するためダークシーカーを罠で捕獲して何百回も実験を繰り返すも結果は芳しくなかった。
今度こそはとばかりに女のダークシーカーを捕獲するネビル。捕獲した際にあるダークシーカーがネビルを追撃しようとするも、ダークシーカーは陽光を浴び続けると死ぬという弱点を持つため追跡を断念していた。
蝶のタトゥーを入れた女のダークシーカーに試作した血清を打つも効果は見られなかった。ウイルスを再度注入して実験体を生き永らえさせることにして、気を落としながらも研究を続行することを誓うネビル。

その後、外を探索中にダークシーカーが仕掛けた罠にはまってしまい日没までに住処に帰還することが出来ず、複数のダークシーカーから襲撃を受けることとなる。
その場はなんとか切り抜けるが、サムが命を落としてしまう。
愛犬の喪失に自暴自棄になって夜間にも関わらずダークシーカーに報復攻撃を図るネビルだったが、反撃されて追い詰められてしまう。
絶体絶命のピンチだったが、アナとイーサンの親子に助けられる。2人はネビルの無線放送を聞きつけてニューヨークを目指していたのだった。

しかし彼女のミスでダークシーカーに住処がバレてしまい、夜間に襲撃を受けてしまう。
仕掛けた爆薬やトラップで反撃するも多勢に無勢、追い詰められ地下の研究所に逃げ込む3人だったが……。

+劇場公開版エンディング
地下の研究所では捕らえたダークシーカーが人間に戻りつつあった。ネビルの作った血清は効果があり、ついに治療薬の開発に成功したのだ。しかしダークシーカーは研究所にも侵入し、最後の防壁であるガラス戸を破ろうとする。
ネビルは「この治療薬でお前たちを人間に戻すことができる」とダークシーカーに呼びかけるも話は通じず、ガラス戸は砕け散る寸前となり、完全に追い詰められる。

意を決したネビルは血清をアナに託し、自分は爆弾を抱えてダークシーカーの群れに特攻。彼ら全員を道連れにすることで親子を守った。
エピローグではアナとイーサンがニューヨークを脱出し、生存者が集まるコロニーにネビルが作った血清を届けるところで終わりを迎える。
こうしてネビルは治療薬を開発して人類を救った「伝説の男」となったのであった。

この映画と同じ原作を使った『地球最後の男 オメガマン(The Omega Man)』と同系統のエンディングであり、主人公が純粋に自分の価値観を信じていられたルートでもある。

+別エンディング
治療薬が完成したところまでは同じで、展開が変わるのはネビルがダークシーカーに対して「人間に戻れるんだ!」と呼びかけるところから。

最後の防壁を破られる寸前でダークシーカーのリーダー格と思われる男が攻撃を中断し、手を使ってガラス戸に蝶の絵を描く。
ネビルは一度は疑問に思ったが、ダークシーカーの意図に気付いてしまう。捕らえた女のダークシーカーには蝶のタトゥーがあった。この男は女のダークシーカーを取り返しに来ただけなのではないか……。
ネビルはアナに頼んでガラス戸を開けさせ、自らは女のダークシーカーを乗せた担架を連れて彼らの前に進む。

すかさず攻撃をしようとするダークシーカー達だが、リーダー格の男はそれを制止する。彼もネビルの意図を察したのだ。
リーダー格の男は元に戻せと言わんばかりにネビルを睨みつけた後に、女のダークシーカーを心配そうに見つめる。
ネビルがウイルスを注射すると、女性は再びダークシーカーとして蘇生する。意識を取り戻した女性は愛おしそうに男性に手を伸ばして抱き合った。2人は恋人同士だったのだ。

「済まなかった」と謝罪するネビルをリーダー格の男は憎々しげに睨むものの、襲いかかることはせず仲間と共に研究所を去っていった。

助かったと安堵するアナとイーサンだったが、ネビルの表情は暗かった。

「治療してやる」という呼びかけはネビルの勝手な考えに過ぎなかった。
ネビルはダークシーカーを吸血鬼(伝説の怪物)だと恐れていたが、彼らからすればネビルこそが何百人も同胞を拉致して人体実験の果てに殺す「伝説の怪物」であることを理解したのであった。

エピローグではネビル達3人が生存者の居る新天地を目指してニューヨークを離れるところで終わりを迎える。

元々のエンディングはこちらであり、そのためいくつかの伏線が張られている。
  • 女のダークシーカーを捕獲した際に仲間の一人が必死で追いかけようとするも、日光が照る昼間では追跡出来ないので無念そうに咆哮するシーン。このダークシーカーこそが終盤のキーパーソンである「リーダー格の男」である。
  • 捕らえた女のダークシーカーに蝶のタトゥーがあることに気付くシーン。
  • 地下研究所に追い詰められた際に一際目立つ動作で仲間を押しのけてまでガラス戸に近づいて破ろうとするダークシーカーが存在する。これも上述の「リーダー格の男」である。
  • 地下研究所の実験記録である壁一面に貼られた何百枚ものダークシーカーの写真。劇場版エンディングでは中盤に一度映るのみなので「何百回も実験を繰り返しているが治療薬の研究は進んでいない」ということのみを説明するアイテムだが、別エンディングではネビルがダークシーカーに謝罪するシーンでも映る為、「ダークシーカーからすればネビルは何百人もの同胞を殺した男」という別の視点を説明するアイテムにもなっている。


さらに言うと原作では「主人公がダークシーカーによって公開処刑される直前に自分こそ『伝説の怪物』だったと気付く」という皮肉なバッドエンドなため、これでも大分緩和された方である。

タイトルの『アイ・アム・レジェンド』は「俺は奴らを吸血鬼(伝説の怪物)だと思っていたが、奴らからすれば俺が伝説だった」というネビルの気付きと自嘲を意味している。(原作小説の最後の一行の文章)

劇場公開EDの場合、確かにネビルは治療薬を作った伝説の男となるが、本人は死亡しているのでアナ視点で「彼は伝説」と語られるのが適切である。

「俺は伝説」というタイトルは別EDの場合でのみ当てはまるので、ある意味最大のギミックであるタイトル回収でさえスクリーンテストでの変更によって機能しなくなったことになる。


ターミネーター2

誰もが知る名作にも別エンディングが存在している。
劇場版や地上波放送時のエンディングではT-800が溶鉱炉に自ら身を投げて存在を抹消。ジョン暗殺とスカイネット誕生の芽を摘み取ったところで本編が終わるのだが……。

+別エンディング
2027年を迎えたある日の映像が挿入される。
世界は審判の日を迎えることなく平穏なまま、サラ・コナーは初老の女性となっていた。
一方で中年に達したジョンはアメリカの上院議員として活躍。娘が1人存在することが明かされるというものであった。
理由は不明だが、試写会では放映されたものの劇場公開時にカットされており、『拡張特別編』に収録されている。
このエンディングでは『3』以降の続編の存在を完全に否定してしまうことになる。

ランボー

シルベスター・スタローン主演の有名作品だが、元々のエンディングは全く異なるものであった。こちらも一部のDVDに収録されている。

※あらすじ
ジョン・ランボーはベトナム戦争の帰還兵で、PTSDを患っていた。
古い戦友に会いに行くランボーだが、すでに友人は死去していた。落ち込むランボーに追い打ちをかけるように横暴な警察が町からランボーを追い出そうとした挙句、難癖に近い理由で逮捕してしまう。

取り調べ時に暴力を受けた上、石鹸無しで髭を剃られそうになった際にベトナムで受けた拷問のトラウマが蘇った彼は思わず暴れ出し、警察署から山へと逃走。
その後、追跡する警察官が無許可でランボーを射殺しようするが、ランボーに反撃されて命を落とすことになる。

ランボーに殺すつもりは無かったのだが、これによって戦争もかくやというような戦いが始まった。
圧倒的な戦闘力で警察と州兵を返り討ちにするランボーだったが、町の保安官事務所で完全に追い詰められてしまう。
そこにベトナム戦争時に上官だったトラウトマン大佐が現れ、彼を説得しようとするのだが……。

+劇場公開版エンディング
劇場公開時のラストはトラウトマン大佐の説得に応じて投降するというもの。
説得を受けたランボーが本心を吐き出して号泣するシーンは映画史に残る名場面として評価される一方で、ネタ動画の素材とされることでも有名。

+別エンディング
試写会時のラストは「大佐に拳銃で射殺される」というものであった。(但し大佐に銃を握らせて無理矢理撃たせているので自殺と言っていい)
これは原作小説『一人だけの軍隊』に沿ったものだったが、試写会で不評だったこと、また続編の構想もあったことから差し替えられた。
ランボー4』では存在しないはずの射殺シーンがランボーのフラッシュバックとして一瞬浮かび上がる場面がある。

酔拳2

カンフー映画の金字塔『ドランクモンキー 酔拳』の続編。笑いありアクションありで、ジャッキー・チェンの魅力がこれでもかと詰まった快作、なのだが……。

※あらすじ
清朝末期の広東。主人公のウォン・フェイフォンは父の病院で使う人参の税金をごまかそうとしたことで、大英帝国の中国国宝の密輸計画に巻き込まれてしまった。
フェイフォンは酔拳の達人であったが、その身を案じた父から酔拳の使用を禁じられてしまう。
それでも国宝、土地、仲間の仕事など大切なものを次々奪っていくイギリスの諜報員に対し製鉄所で最後の戦いを挑む。
最終決戦では酒がなかったため、工業用のアルコールで無理やり酔っ払うことで酔拳を発動しイギリスの諜報員を倒す。
日本公開版ではここでフェイフォンが口から泡を出して終わる。

+劇場公開版エンディング
劇場公開時のラストでは後日談が書かれているのだが、それは フェイフォンが酒を飲みすぎて目と頭をやられ発狂してしまい、手足を引き攣らせて舌を出して笑いながら近づいて来る というものだった。
失明に関しては工業用のアルコールを飲んだことによる後遺症とも考えられるが、それ以外の症状は完全にアルコール中毒である。
酒の飲みすぎはよくないということだったようなのだが、あまりにブラックすぎたためか国際公開版ではカットされてしまった。
ただしフェイフォン、つまり黄飛鴻というのは歴史上実在し、かつこの後に活躍した人物であるため、中国人にとっては「あの英雄の若い頃のお話」と取るのが普通である。
つまりこうした後遺症は一時的なものである、とギャグ的な教訓オチだったはずなのだが、その知識がなければ文字通りの廃人エンドである。
このシーンは劇場公開時を除けば中国で初期に発売されたDVDにしか収録されておらず、幻のシーンとなっている。

ロッキー

ランボーと並ぶシルベスター・スタローン主演の代表作品。人生のどん底にあった三流ボクサー・ロッキーがふとしたことから現役チャンピオンのアポロからチャンスを与えられ、恋人や友人達に支えられながらアメリカンドリームを体現していく物語。
公開されているエンディングは最終15ラウンドを戦い抜いたロッキーと恋人のエイドリアンがリング上で抱き合う、という有名なシーンであるが当初は全く違うエンディングが予定されていた他、低予算の作品故にカットせざるを得なかったラストも存在する。

+幻の三つのエンディング
一つ目は脚本の段階だと、クライマックスの試合前に師匠のミッキーが人種差別的な思想を表したことでロッキーは完全に失望してしまい、「俺の周りには憎しみしかない。元の自分に戻りたい」と試合を放棄して会場を去り、ボクシング界からも引退してしまうというもの。
これは当時の流行だったアメリカン・ニューシネマの流れを汲んだ展開であったが、当時のスタローンの奥さんがこの結末に難色を示したため、このエンディングはお蔵入りとなった。

二つ目は激闘を戦い抜いたロッキーが控室に戻ると、そこで待っていたエイドリアンがロッキーに小さな星条旗を渡してささやかな祝福をし、アポロがリング上でインタビュー等を受ける中、二人だけで静かに裏口から会場を去っていく、というもの。
この展開はアポロをダウンさせ、激闘を戦い抜いたその瞬間、偉大なボクサーとなり人々の心に永遠に刻まれたロッキーが永久に無名の人間へと帰っていく、というモハメド・アリとウェプナーの試合を見て感銘を受け、脚本を書き上げたスタローンの意向が反映されている。
このシーンは実際に撮影されておりポスターにもなっているが、エンディングとしては何か物足りないと判断されたことで現在知られるエンディングへと変更された。

そして三つめは上記のロッキーとエイドリアンが抱き合うシーンの後、本来は熱狂した観客達にロッキーが担がれて祝福されるというラストシーンが予定されていたが、観客役のエキストラが完全に素人で撮影前には統制が保てずに帰ってしまったため、このラストの撮影ができなかった。

ディープ・ブルー

おそらくジョーズの次に有名なサメ映画で、遺伝子改造によって人間以上の知性を持った3匹の鮫が閉鎖された研究所で大暴れするパニック映画。
有名俳優が演じるいかにも活躍しそうなキャラがあっけなく死に、いかにも死にそうなキャラが生き延びる予想のつかない展開も見所である。
多数の犠牲者を出しながらも2匹の鮫を討伐したカーター(主人公)、スーザン(鮫を作った研究者で全ての元凶)、ブリーチャー(コック)だったが、脱出を前に最後の1匹が立ちふさがるのだが…。

+劇場公開エンディング
最後の鮫は研究所から大海へと逃亡しようとしていた。スーザンは鮫をおびき寄せる為に出血した状態で海に飛び込み、そのままあっけなく喰われてしまう。
しかし、鮫をおびき寄せることには成功し、カーターとブリーチャーが協力して鮫を倒すことに成功。結果、生存者は2名でエンディングを迎える。

+試写会エンディング
本来はスーザンは生存する予定だった。しかしスクリーンテストで彼女が生き延びる結末に不満の声が挙がった為、取り直しを行って死ぬエンディングに差し替えられた。
今までの例では死亡ルートから生存ルートへの変更が多かったがこの作品では珍しく逆転している。
前述の通りスーザンは全ての元凶であり、視聴者の反感を買う行動ばかりとっている為、彼女こそが罰を受けるべきという意見が集まったと思われる。
(誤解のないように説明しておくとスーザンが実験で危険なサメを作り出したのは難病で命を落とした父が居るという背景がある他、研究データが壊れることを承知の上で水中に電流を流して1匹のサメを倒すなど、反感を昇華させる行動も取っている)
ある意味ではこの作品の魅力である「誰が死ぬかという予想を裏切りまくる」という点に磨きをかけている。

ダイ・ハード3

ご存じ世界一運の悪い刑事ジョン・マクレーンがテロに巻き込まれるアクションシリーズ第三弾。

当初執筆された脚本が同時期のセガール映画「沈黙の戦艦」と舞台設定が被ってしまい
急遽「サイモンセッズ」と題された独立作品の脚本を転用したという経緯がある。

元の脚本通りに撮影された結末は陰鬱すぎると重役たちの不評を買い、
新たに“ダイ・ハードらしい”ラストが追加撮影される運びとなった。

元の脚本ではこれ以上ない正着の結末が、伝統ある他作品シリーズに転用されたがために
作品の色そのものを塗り替えられてしまった事例と言える。
当然というか、オリジナルの脚本家はこの変更に今でも不満とのこと。(この業界ではよくある話だが)

+劇場公開エンディング
テロリストのボスであるサイモンの残した手掛かりから一味の潜伏場所を突き止めたマクレーンは、
相棒のゼウスや警官たちと共に勝利の美酒に酔う犯人らを強襲。
サイモンの乗ったヘリを、残り二発の銃弾で機転を利かせて撃破するという一作目をオマージュした結末。
お馴染み「イピカイエー」の決め台詞も健在で、犯人に勝利してエンディング突入という典型的ハッピーエンド。

+別エンディング
劇場版と同様のヒントでサイモンに辿り着くのは同じだが、こちらは半年ほど経過したクリスマスの日であることが語られている。
事件後に共犯を疑われ、謂れのない扱いを受けたマクレーンは怒り心頭。
サイモンに復讐のため、ロケット砲を用いた「マクレーンセッズ」というゲームを仕掛けるというそれまでの本編とは真逆の展開が繰り広げられる。
このゲーム、どう転ぼうともマクレーンが勝利する仕組みとなっており、
またサイモンも、報酬を独り占めするためテロリストの仲間たちを皆殺しにしたという設定で、陰鬱と評されるに相応しい内容。
ゲームに敗北し、物言わぬ骸と化したサイモンを前に吐き捨てられる「イピカイエー」が乾いた印象を残す。
特記すべきはマクレーンの処遇で、長年勤めた警察をクビになってしまったという。
このラストが採用されていた場合、その後の続編製作に大きな影響を及ぼしていたことは想像に難くない。
この結末はDVDの特典映像ほか、公開当時執筆されたノベライズ版で見ることが出来る。

ロッキー5/最後のドラマ

シルベスター・スタローン主演の代表シリーズの第五弾。
当初は完結作として作られた(ロッキー3の時点で完結の予定だった)が
暗いストーリーや複雑な人間ドラマ、クライマックスの超展開などが受けず、シリーズでは一番興行成績や評判が悪い。
後にロッキー・ザ・ファイナルが最終作として作られ、スタローン自身も「失敗作だった」とコメントしているなど半ば黒歴史扱いされている。

…と、いうのが一般公開されているものであるが、特別編として非公式に公開されたアナザーバージョンが存在しており、
こちらの方が非常に評判が良く、「こちらを公開すべきだった」という声もある。

※あらすじ
度重なるファイトで脳に後遺症が見つかりボクサーを引退し、会計士の不正で財産を失ったロッキーはトレーナーとして第二の人生を歩む。
若き新人ボクサー・トミーの育成に夢中になるあまり家族との絆が崩れていくが、悪徳プロモーター・デュークの甘い誘惑に惑わされてトミーはロッキーを裏切ってしまう。
妻エイドリアンに諭されて本当に大切なものに気づいたロッキーは息子と仲直りを果たしていた。

一方、デュークに引き抜かれたトミーは新チャンピオンとなるがロッキーを裏切ったことを知る観衆やマスコミから
猛烈にブーイングやバッシングを浴びせられてチャンピオンとは認められず、ロッキーとの師弟対決を望むデュークにけしかけられて試合の要求を迫る。

+劇場公開版エンディング
酒場で仲間達と飲んでいたロッキーの元にトミー達が現れリングに引きずり出そうと挑発をするが、
親友のポーリーをトミーが殴り倒したことでロッキーはついに激怒し、「ここがリングだ。かかってこい」とテレビ局のカメラの前でストリートファイトを繰り広げる。

脳の後遺症によって一時はダウンしたロッキーだったが、亡き師匠のミッキーが激励する幻を見たことで立ち上がり、ついにトミーを倒した。
衆人大観衆に祝福され、警察に逮捕されたトミーをあっさり見捨てたデュークをも殴り飛ばしたロッキー。

後日、かつてトレーニングを積んだフィラデルフィア美術館を息子と一緒に訪れたロッキーは父親として新しい人生を歩んでいく。

+幻のエンディング
元々プロットの段階ではストリートファイトのシーンで脳の後遺症のダメージが限界に達したロッキーが「エイドリアンの腕の中で愛を呟きながら静かに息を引き取る」というものだった。
その後、フィラデルフィア美術館のロッキーの銅像の前に大勢のファンやロッキーの親友達が集まり、エイドリアンがロッキーの死を表明し、愛を告げるラストシーンも描かれている。

本編でもこの伏線とも取られるセリフをエイドリアンが呟いている。
しかし、撮影の段階で映画会社からの「ロッキーは死なない」という意向のためにこの展開は没となった。

+アナザーバージョン
本作で監督を務めたジョン・G・アヴィルドセンが非公式に公開していた様々な未公開シーンが追加されている特別編。
元は編集がされる前のオリジナル版で、試写会の時に不評だったのか現在知られるものへと変更がされた。

クライマックスのストリートファイトのシーンが劇場公開版とは内容が大きく異なっており、
酒場から外に出ていく所までは同じだが劇場公開版では裏口から路地に出てそこからファイト中に乱戦で表通りへ飛び出てくるが、
こちらではいきなり表通りに出てきてファイトを行っている。

ミッキーの幻を見るシーンもこちらでは鉄橋の上から檄を飛ばすミッキーの姿がはっきり映っており(本編でもそれらしいカットが少しだけ映る)、ロッキーがトミーに「お前を愛していたんだ」と言う場面のタイミングも異なる。

最終的にトミーに打ち勝った後、そのまま仲間や家族達に祝福されていった劇場公開版とは異なり、
倒れたトミーに手を差し伸べている他、未公開シーンでのみ登場のリトル・マリーが祝福に現れ、デュークを殴り飛ばさないといった違いがある。

その後のフィラデルフィア美術館を息子と訪れるシーンはほぼ同じ。

ロッキーのヒーロー性を抑えた結末であるが悪役のデュークが何も痛い目を見ないというのが不評だったのか、現在知られる結末へと変えられたと思われる。

特別編はDVD・VHS共に一般には流通していないが動画サイトに映像が流出しているので視聴は可能。
監督本人も「こっちを正式に公開したかった」と直々にコメントしている。

ファイナル・デスティネーション

「死亡フラグ」が襲い掛かって来るという斬新な設定で好評を博したホラー映画シリーズ第一弾。
実は後のシリーズにも繋がる重大な設定変更がなされている。

※あらすじ
パリに向かう修学旅行の飛行機「180便」の中で、飛行機事故を予知夢で見たことで生き残った主人公アレックス。だが、彼と共に飛行機から降りた生存者たちが次々と不可解な事故で死んでいく。
「死神」の魔手から逃れようと奔走するアレックスたち。その果てに待ち受ける運命は……

+劇場公開版
生き残りがアレックス、ヒロインのクレア、いじめっ子のカーターの3人だけになり、遂に死神がクレアに迫る。
様々な事故の犯人として警察に追われる身のアレックスは、自身にも降りかかる事故から逃れつつも、クレアの自宅に向かう。
強風にあおられ切断した高圧電流の電線がクレアに迫る中、アレックスは自らの身を挺してクレアを救う。

それから6か月後。
幸いにもアレックスは命に別状はなく、生き残った3人はパリを訪れていた。
無事死神から逃れたことを喜び合うクレアとカーターに対し、一人憂鬱そうなアレックス。
「まだ死神の計画は終わっていないのではないか?」
そう思ったその時、突然の事故により看板がアレックスめがけて落ちてきた!
……が、間一髪のところでカーターがアレックスを突き飛ばす。
「死の順番は飛ばされた」
そして、カーターの背後から、揺り戻された看板が 180 と読める形で迫り……


+試写会版
DVDに収録されている別エンディング版。
途中までは同じだが、クレアの自宅で アレックスはガチで死んでしまう (劇場公開版と違い死亡したことが明確な演出)。
そして一気に時は飛び10か月後。
クレアは子供を産んでいた。 いつの間にかできていたアレックスの子供 である。
ラストシーンで、クレアは生まれたばかりの息子、カーターと共に180便の事故の慰霊碑の元に向かう。
新な命の誕生により、死の計画は完全に止まったのだった

このように、珍しく試写会版の方がハッピー(かどうかは微妙だが、まだ救いのある)終わり方となっている。
また、本作で没になった「新しい命の誕生により死の計画が止まる」というアイディアは『2』で使われている。


死霊のはらわたⅢ/キャプテン・スーパーマーケット

サム・ライミ監督の出世作である死霊のはらわたシリーズ第3弾。
前作IIも大概だったが今作ではバカ映画方向に大きく舵を切っており一部からカルト的な人気を誇っている。

※あらすじ
主人公アッシュはスーパーマーケットで働くバカ者青年だったが山小屋に留まった際に死者の書から出現した悪霊に襲われ、何とか悪霊を退けたが騎士たちが活躍する過去の世界に飛ばされてしまう。
間違って処刑されそうになったり、悪霊にまた襲われたり、間違った呪文を唱えてうっかり死霊軍団を甦らせてしまったりするものの勇気と悪運と現代知識でそれらを迎え撃つ。
はたして彼は現代に帰れるのだろうか…?

+劇場公開版
死霊軍団を撃退し死者の書を守り切ったアッシュ。
賢者たちの助けで現代に戻るための薬と呪文を教えてもらい再びスーパーの店員としての生活に戻っていた。
ところがまた呪文を間違えてしまったのか現代でも悪霊が登場し再びアッシュに襲い掛かってきた!
売り物のショットガンで悪霊を撃退するその姿はまさに キャプテンスーパーマーケット だった…


+ディレクターズカット版
死者の書には一滴飲めば100年眠れる薬の作り方が書いてあった。
それを数滴飲むことで疑似的にタイムスリップすることにしたのである。
ところがどっこい うっかり1滴多く飲んでしまった アッシュ。
眠りから覚め外に出てみるとガラクタの山と崩壊した都市が。
100年の間に文明は滅亡してしまったのだ…

ビデオ版以降の別エンディングであり現在ではDVDでどちらも収録されていることが多く確認は容易。


トータルリコール

※あらすじ
火星に人類の植民地が築かれ、多くの人々が移住した時代。
地球で暮らすダグラス・クエイドは、毎晩行ったことがないはずの火星の夢を見ていた。
その理由を探るために火星行きを妻に提案するも、反対されて断念する。
ならば気分だけでも味わおうと、リコール社を訪れる。
このリコール社とは、「記憶」を売っている会社で、現実には起きていないことを、あたかも体験したかのような記憶を植え付けてくれるのだ。
ところが、リコール社を訪れたクエイドは、記憶を植え付けられる前に暴れだしてしまう。
記憶の植え付けに失敗したのかと思われたが、そうではなかった。
まだ記憶の植え付けは始まってもいなかったのだから。
クエイドは記憶を消されて家に帰されるが、帰り日に会社の同僚に命を狙われ、更に家では妻にも襲われる。
混乱するクエイドだが、やがて火星の運命を左右する戦いに巻き込まれていく...

+劇場公開版
かつての同僚と名乗る人物から謎のトランクを受け取り、中に入っていたビデオ映像を見る。
映像にはクエイドと同じ顔の人物が映っており、ハウザーと名乗る。
ハウザーは火星を支配する採掘会社の社員だったが、ある理由から裏切り、命を狙われているという。
クエイドは、追手から逃れる為に記憶を消して成り済ました架空の人物であるとハウザーは語った。
自分たちをこんな目にあわせた奴らに一泡吹かせてやれというメッセージを受け、クエイドは火星に向かう。
火星に渡ったクエイドは治安部隊の攻撃を受けるが、レジスタンスに助けられる。
そこでクエイドは記憶の一部を取り戻し、異星人が遺したリアクターという装置があり、それを起動させれば大量の酸素を生み出せるという事実を知る。
その事実を、酸素を牛耳り火星を支配している採掘会社は自分たちの支配体制を維持するために隠蔽していたのだ。
すると突然、治安部隊がレジスタンスの本部に突入し、レジスタンスのリーダーも殺害される。
採掘会社に連れてこられたクエイドはそこで真相を教えられる。
ハウザーはレジスタンスを潰す為に裏切った振りをしていただけで、何も知らないクエイドになることでレジスタンスのリーダーに近付いたのだった。
ハウザーに戻されそうになるクエイドだが、辛くも脱出し、激しい戦いの末、リアクターを起動させる。
大量の酸素が生み出され、火星に地球のような青空が広がった。
クエイドは「もしかしたらこれは夢かもしれない」と言いつつも、レジスタンスの女性とキスを交わすのだった。



+ビデオ版エンディング
日本語吹き替えビデオにのみ収録されているエンディングが存在する。
どのようなエンディングなのかというと、映画前半に出て来たリコール社のマシンに横たわっていたクエイドが目を開け、ニヤリと笑うというもの。
そう、全てはリコール社によって植え付けられた、架空の記憶だったのだ。
これはビデオ版独自の解釈なのかというとそういうわけではなく、通常エンディングが黒ではなく白で終わるのは、全ては架空の出来事であり、クエイドは脳が壊れて現実に戻れなくなったことを示唆しているとオーディオコメンタリーで語られている。
確かに、現実で起きたにしてはあまりにもデタラメなシーンが複数ある(脳に埋め込まれた発信機を鼻から取り出す、銃弾一発でぶっ壊れる耐圧ガラス、そのガラスの近くで何の躊躇いもなく銃撃戦を始める治安部隊、等)。
監督の考えを知っているととんでもないバッドエンド作品となってしまい、これなら現実世界に戻れた分ビデオ版エンディングの方がマシだったのではないかとすら思えてしまう。


エボリューション

※あらすじ
ある日、アリゾナに隕石が落下した。
グレイキャニオン短期大学の教師であるアイラは、同僚のハリーと共に調査に向かう。
隕石の落下地点には奇妙な生物が蠢いていた。
アイラはサンプルを採取するが、事態を知った軍部に現場を閉鎖され、更にサンプルも奪われてしまう。
サンプルを取り戻す為に隕石の落下地点に侵入するが、そこにはまるで熱帯雨林のような動植物が発生していた。
実は隕石と共にやってきた生物は、僅か一か月で46億年分の進化を遂げる驚異の生命体だった。

+劇場公開版
最初は酸素に適応できずに空気中ではすぐに死んでしまったエイリアンだが、徐々に空気中での生存時間が長くなっていく。
それに伴い、街にエイリアンが現れるようになり、市民にも被害が出る。
やがて、エイリアンは完全に酸素に適応し、恐竜のような種を経て霊長類にまで進化する。
エイリアンの恐怖を目の当たりにした州知事は、ナパームでエイリアンを焼き尽くすことを決断する。
軍の誘導で住民が避難する中、アイラ達はエイリアンが熱で急激に成長することを発見し、同時にエイリアンにとってセレンが人間にとってのヒ素と同様に猛毒であることに気付く。
二硫化セレンを含んだシャンプーを街中からかき集め、消防自動車に詰めてエイリアンの元へと向かうが、一歩遅くナパーム攻撃が開始されてしまう。
熱によってすべてのエイリアンが合体、急成長し、アメーバ状の巨大エイリアンとなって暴れまわるが、アイラ達がシャンプーを注入し、エイリアンは爆発四散した。
アイラ達は州知事から表彰され、シャンプーのCMに起用されるのだった。



+試写会版エンディング
エイリアンをシャンプーで倒すところまでは同じで、その後が異なる。
劇中でエイリアンに肛門に入り込まれてしまったハリーは、またしても肛門に異常を感じて、台に寝かされて処置を受けていた。
アイラが励ますが、肛門から異形のエイリアンが姿を現す。
悲鳴を上げるハリーだが、それは夢だった。
ほっと一息つき、洗面所へと向かうハリー。
だがその尻は、あり得ないほど肥大化していた。
洗面所に入ったハリーの悲鳴が響き渡ったところで、映画は終わる。
監督は一昔前のホラー映画のエンディングをオマージュしたつもりでこのラストを撮影したらしいが、試写会であまりにも不評だったため変更したとこのと。




邦画において

洋画では複数のエンディングが存在する作品は珍しくないのだが、それとは対照的に別エンディングが存在する邦画は極めて稀である。
天空の城ラピュタ』や『千と千尋の神隠し』など、ジブリシリーズの作品は「別エンディングが存在する」という話がテレビ放映などの度に毎回持ち上がるが、いずれも都市伝説である。ラピュタに関しては100%捏造というわけでも無いのだが……。
詳しくはアニメに関する都市伝説を参照。

近い例としては『火垂るの墓』のように、劇場公開時に製作が間に合わず未完成だった部分が順次追加されていった結果、劇場公開時とソフト化時で映像が異なる現象が起きている。

また特異な例としては2014年公開の映画『平成ライダー対昭和ライダー 仮面ライダー大戦 feat.スーパー戦隊』において、
作中に登場するクウガ鎧武までの平成ライダー15人と1号Jまでの昭和ライダー15人のどちらが勝利するか2パターンのエンディングを製作し、
公開前にWeb上及び全国の上映劇場で行われたファン投票でどちらのエンディングを劇場公開するかを決定するという前代未聞の試みが行なわれた。詳細は項目参照。


それでも例が全くないわけではない。ここでは一部を紹介する。

北斗の拳

テレビアニメでも漫画の方でもなく、1986年に公開された劇場版。原作の設定やストーリーを一部変更し再構成した初の劇場公開作品。
テレビでは見られなかった原作者も苦言を呈するほどの残酷描写が話題となった。

※あらすじ
時はまさに世紀末、核戦争によって荒廃した弱肉強食の世界。
唯一無二の殺人拳・北斗神拳の伝承者ケンシロウは悪漢から虐げられる弱者を守る救世主となっていた。
さらわれた妹を探す南斗水鳥拳のレイとの出会いや世紀末の世界で傍若無人に暴れる兄ジャギとの戦い、そして恋人ユリアを奪った宿敵シンとの再会が次第にケンシロウを強くするも、愛するユリアには北斗の長兄ラオウの手が迫っていた……。

+劇場公開版エンディング
劇場公開時のラストは ケンシロウがラオウに負け、ラオウがトドメを刺そうとしたところでリンに制止され引き下がる というもの。
原作のパワーバランス的にもこの時点ではそれほどおかしい展開ではない(トキがいないためラオウが弱っていない)ものの、最後の最後にこれをやったため拍子抜けする視聴者続出。半端な結末になってしまったのは続編の構想を考えた結果らしい。
一時期は視聴が難しかったこの結末だが下記の別エンディングと併せて2008年のDVDに収録された。

余談だが、悪名高い韓国実写版北斗の拳はこのエンディングの今作が元ネタ。

+別エンディング
続編構想が立ち消えたためビデオ版では結末が変更となった。差し替えシーンは新規作画。
互いに死力を尽くし戦い、最後の一撃を放つ寸前にリンに制止されラオウが引く……という、原作のマミヤの村での一戦に近い結末となった。

また、最後に「完」のカットが追加され単独作であることがわかりやすくなっている。

フランケンシュタイン対地底怪獣

※あらすじ
原爆投下から15年後の広島で、科学者のボーエン博士により謎の少年が保護される。
異常な成長を見せる少年と、戦時中に日本へ持ち込まれていた「フランケンシュタインの心臓」との関連性が疑われる中、
巨人と化した少年は横暴な新聞記者が焚いたフラッシュに怯えて脱走。手枷から千切れた彼の腕が生命を持っていたことから、少年の正体がフランケンシュタインと確定する。
時を同じくしてヒトや家畜が何者かに食われる事件が発生。フランケンシュタインの仕業ではないかと疑われるが、ボーエン博士は真犯人が地底怪獣バラゴンであることを突き止める。
やがて富士山麓にてフランケンシュタインとバラゴンは激突。死闘の末にフランケンシュタインはバラゴンを絞殺、勝利するが……

+日本公開版
バラゴンの死体を蹴り、その死を確認していたフランケンシュタインだが、突如発生した地割れ(バラゴンが穴を掘っていた影響とも言われる)に呑み込まれ、消息を絶つ。
不滅の心臓を持つ彼はまだ生きているだろうと推測されるが、ボーエン博士は「死んだ方が良いかもしれない、彼は所詮怪物だ」と語るのだった。

また、これとは別に「フランケンシュタインがバラゴンを抱え上げたまま地割れに呑み込まれる」別エンディングが存在しているとも噂されているが、
特技監督はDVD版のオーディオコメンタリーでその存在を否定している。

+TV放送用
バラゴンの死体を崖下に放り投げた直後、山中だというのに突如大ダコが現れ、フランケンシュタインともつれあいながら湖へ沈んでいく。
何の伏線も前フリも無い事態だが、博士たちは特にツッコミもせず日本公開版と同じ会話を交わしてその場を去っていくのだった。

この別エンディングは海外公開の際にベネディクトプロの希望で入れられたとする説が主流だったが、実際は海外でも使われず国内でテレビ放送された際に初めて付けられたとのことである。

地上波放送時のカット編集について

別エンディングとは少し異なるが、国内での地上波放送の際には邦画、洋画を問わず、放送時間の都合で一部シーンをカットすることもある。
この場合は大抵作品中盤の重要ではないシーンを削るのが普通であり、ラスト付近やエピローグを削って作品のストーリーを大きく変えるような編集が行われることは少ない。
ボーカル曲とテロップが流れるのみのエンディングがカットされることはたまにあるが、Cパートがある作品などでは無編集で流す場合が多い。

変わった例では『インデペンデンス・デイ』ではストーリー終盤の核爆弾による攻撃シーンがカットされた他、『クレヨンしんちゃん 嵐を呼ぶモーレツ!オトナ帝国の逆襲』では中盤の送迎バスに乗って敵の本拠地に突入するシーンがカットされたことがある。これらは核爆弾の使用や幼稚園児がバスを運転するという内容が問題視されたためと思われる。
また、『アナと雪の女王』がフジテレビで放送された際、元々あったエンディングをカットして独自に制作した「視聴者が歌う映像」を特別エンディングと銘打って挿入した結果、苦情が殺到した例もある。これについてはやったことが悪すぎたとしか言いようがないが。
これを他山の石としなかったのか、日テレでも『ワイルド・スピード スカイミッション』のエンディングをカットした結果、Twitterに苦情が届いたという事態も起きている。アナ雪に比べればまだ小火と言っていいが。

その他にも人体欠損や大量出血といったグロテスクな描写についてもカットされる場合が多い。
バイオハザード』のレーザーによる人体細切れシーンなどは不自然に画面が切り替わる為、規制が入ったと素人目にみてもわかりやすい。

この規制によって悪役の最期などカットするのが難しいシーンでグロ表現などがある映画は地上波放送の対象外という見方も強い。

例外的にテレビ朝日で『プライベート・ライアン』が放映された際には開始前にグロテスクな表現を含む為、子供には視聴させないように呼び掛ける注意テロップを表示した上で人体欠損、内臓がはみでるといった描写をカットしなかったこともある。

余談

主に打ち切られた漫画は、単行本化の際に加筆修正や本編の後日談を挿入することで本誌連載時とは異なる結末を迎えることもある。
打ち切り漫画と言えるかは微妙なラインだが『エクゾスカル零』は単行本化された際に大幅に加筆修正されており、僅かだが希望が残るラストとなっている。
また、この作品自体が『覚悟のススメ』の別エンディングと言えなくもない位置づけにある。

この類似例としては漫画『銃夢』があり、初版単行本の最終巻後半に収録された内容が愛蔵版以降ではオールカットされ、最終巻前半→『銃夢 Last Order』となるように編集されている。

小説においても似たような事例は存在する。井伏鱒二の小説『山椒魚』では全集に収録された際に作者が終盤の文章の一部を削除した結果、結末が大きく改変された。
教科書に載るほどの有名かつ高評価された文学作品だった為、この改訂には多くの読者や書評家から反発の声も届き話題となった。
そりゃあ「次世代の文章表現と言っていい」と評価した部分が削除されたら書評家の面目が丸つぶれである。
「作品は誰のものなのか」という命題に一石を投じた騒動と言える。





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最終更新:2021年01月27日 22:40