左翼手(レフト)

登録日:2024/09/16 Mon 00:15:00
更新日:2025/03/21 Fri 23:38:03
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左翼手(レフト)とは、野球もしくはソフトボールのポジションの一つである。



【概要】


野球やソフトボールにおいて、3人いる外野手のうち、ホームから見て左側を守るポジション。
守備位置番号は「7」番。英語表記は「Left-fielder」で略称は「LF」。
中堅手の左側、三塁手遊撃手の後方を主な守備範囲とする。


【主な役割】


外野手のポジションの一つでその名の通り、ホームから見て左側を守るポシションである。
競技レベルが低い少年野球や草野球は右打者が多く、右打者もライト方向へ打つ技術(流し打ち)を身に付けていないことが多いので、中堅手ほどではないが右翼手よりは守備機会が多い。
そのため、外野を守る選手の中では中堅手の次に守備が上手い選手がつくことが多い。

しかし競技レベルが上がるにつれて、左打者も増えてきて右打者も流し打ちできる技術を身につけている選手が多くなってくるのが当然であるため、右翼手の守備機会が増えて逆に左翼手の守備機会は減っていく。

簡単に言えば、『高校野球以上の競技レベルだと一番下手な人が守るポジション』である。
一塁手も同じような待遇にあり、どちらを「下」とするかは意見が分かれる。
特徴として一塁手は求められる技術や判断こそ他ポジションより少ないが捕球機会自体は多い。高速なボールやイレギュラーに対応する必要性も多く、エラーが多いとチーム負担がレフト以上に大きい。
レフトはある程度以上の守備の上手さ(位置取りや足の速さ含む)と他外野手程ではないが返球の上手さ(速度も含む)が求められる。
この違いからも単純な順列は付けられず、更に選手との相性も違うことが分かるだろう。


【ポジションとしての特徴】


前述の通り、プロレベルになると軽視されるポジションとなるため、
  • 守備に不安のある助っ人外国人
  • 以前は中堅手、右翼手を務めていたが加齢により守備能力が落ちたベテラン外野手
  • 打撃に専念させたいタイプの選手
がつくことが多い。
それ故、このポジションに守備の秀でた選手を配置できるという事はそのチームの外野守備力の高さの象徴とも取ることができる。

バックホームをすることが多い中堅手&右翼手や、時には距離が遠い三塁へダイレクトへ投げられる強肩が求められる右翼手と違い、
左翼手の場合は距離が遠いのが一塁であるため、捕ってダイレクトで投げなくてはならないケースは少ない*1
そのため、外野手の中でも肩が弱い選手が消去法でつかされるポジションである。

とはいえプロの外野手なら誰でも左翼手を簡単にこなせるというわけではなく、普段右翼手を務めている選手に左翼手としての起用をぶっつけ本番でやらせるのは位置関係が逆になることもあり、そう簡単なことではない。野球ゲームとは違う。
有名な例としては、西武・ロッテで活躍したG.G.佐藤は2008年の北京五輪で左翼手として致命的な失策をやらかしたことであまりにも有名であるが、
本来は右翼手であり、前年にシーズン通して無失策を達成した紛れもなく優秀な外野手であった。

もちろん外野手であることに間違いないので、あまりにも肩が弱い場合(や自身の能力に応じた送球判断が出来るか)も問題。
これに合わせて守備範囲が狭い場合などは、名手がやっている場合と比べて一点二点の差が付く試合は珍しくない。
これらは守備が下手でもそれ以上の攻撃面でカバーされているだけで、似た扱いの一塁手と同じく決して守備が下手でも問題ないというわけではない。

高校野球では打撃にも秀でたエース級の投手を投球面で休ませたい時には打力を買って左翼手を守らせ、有事の際はマウンドに戻れるようにする(あるいは、投球させたが降板させる際に左翼へ残す)ことが多い。


【主な実在選手】


(五十音順で表記)

《現役選手》


  • 阿部寿樹
東北楽天ゴールデンイーグルス所属。
入団時26歳の社会人出身オールドルーキーとして、中日に入団し内野ならどこでもこなすユーティリティーさを武器に中日でも主力として活躍していたが、2022年オフに涌井秀章との電撃トレードで楽天に移籍した。
ベテランになった現在は代打や左翼手として出場することが多い。
愛称は『マスター』。髭を生やした風貌がバーのマスターっぽいことからこのあだ名をつけられた。

  • 大島洋平
中日ドラゴンズ所属。
2010年代のドラゴンズで中堅レギュラーとして社会人出身の選手としては数少ない2000本安打も達成。
ベテランになった現在は肩の衰えや体力的負担を考慮され左翼手としての出場や代打起用が多い。

  • 角中勝也
千葉ロッテマリーンズ所属。
首位打者を2回獲得するなど、福浦和也にも引けを取らない幕張の安打製造機。
ベテランになった現在では代打や左翼手としてまだまだ頼れる存在感を見せつけている。
何故か育成選手出身と勘違いされることが多いが、実際には支配下指名された独立リーグ出身の選手である。
独立リーグ出身者としては初の打撃タイトル獲得&通算1000安打を達成しており、育成指名出身とするのが誤りなだけで「NPBへの進路のパイオニア」であるのは正解でもある。

  • 栗山巧
埼玉西武ライオンズ所属。
同期入団のおかわり君こと中村剛也と共に長らく西武を支えてきた大ベテラン外野手。
通算2000安打も達成しており、全盛期はやや弱肩の肩以外は三拍子揃ったパリーグを代表する外野手の1人だった。

  • 近藤健介
福岡ソフトバンクホークス所属。
元々は捕手だったが、非凡な打撃センスを買われコンバート。当初は三塁手を守っていたが、後に外野手に転向。
2022年オフにFAで日ハムからソフトバンクに移籍し、球界を代表する外野手として活躍中。
2023年のWBCでも代表に選出されラーズ・ヌートバーとの1、2番コンビで世界一に大きく貢献した。

  • 佐野恵太
横浜DeNAベイスターズ所属。
その年の支配下選手としては最後の指名順となったドラフト9位での入団で『代打で使えれば儲け物』ぐらいの感覚で指名された模様。
だが、当初の期待を超えた成績を残し続けレギュラーに定着、前任の左翼手である筒香から受け継ぐ形でチームの主将を務め2020年には首位打者を獲得。代打どころか球界を代表する外野手に成長した。
現在は主将は後輩の牧秀悟に譲っている。

  • ドミンゴ・サンタナ
東京ヤクルトスワローズ所属。
ドミニカ共和国の外国人助っ人。2017年のブリュワーズ所属時にはシーズン30発を記録した経験もあるバリバリの大リーガーであった。
助っ人外人野手獲得が得意なヤクルトの選手らしく一年目から活躍し、同僚のホセ・オスナと共にチームを支えている。
規定打席に到達している3割打者が絶滅しつつある昨今で数少ない、規定3割を打てるミート力の持ち主。

  • 島内宏明
東北楽天ゴールデンイーグルス所属。
2021年には打点王、2022年には最多安打を獲得するなど、球界を代表する外野手として活躍。
だが最近は辰巳涼介や小郷裕哉の台頭や自身の打撃不振もありレギュラーを剥奪され苦しいシーズンを送っている。

  • 末包昇太(すえかねしょうた)
広島東洋カープ所属。
2023年は巨人戦に滅法強く『巨人キラー』として注目を浴びた強打がウリのカープの若手外野手。
右翼手を守ることも多い。

  • 長野久義(ちょうのひさよし)
読売ジャイアンツ所属。
熱烈な巨人志望だったため二度の入団拒否を経て2010年にドラフト1位で巨人に入団した外野手。
一年目から新人王を受賞する等巨人の主軸として活躍していたが、2018年オフにチームが丸佳浩をFAで広島から獲得したことで人的補償として広島へと移籍した。
移籍後のカープでも主に代打として活躍していたが、『長野は巨人で現役を終わるべき』と考えた広島側の配慮により2022年オフに無償トレードで巨人に復帰した。
若い頃は中堅や右翼を守っていたが、ベテランの現在はスタメン出場する際は左翼を守ることが多い。
人柄がよく、移籍決定時の「選手冥利に尽きます」をはじめとする発言が著名。これはドラフト時の経緯などから巨人愛が非常に強い選手と思われていたことや、巨人復帰時も同じく「(巨人に戻るのを決断したことで)2倍の信頼できる仲間ができた」として双方の所属メンバーに感謝を伝えたほど。
巨人だけでなく広島にいたときもまるで生え抜きと言われるほどに馴染んでおり、だからこそ上記の配慮が成されたのだろう。

横浜DeNAベイスターズ所属。
2010年代の横浜DeNAで主砲として活躍したスラッガー。
2019年以降はMLBに挑戦し、2024年にNPB復帰。現在はなんか誤報流れたけど概ねの予想通り古巣横浜に復帰している。詳細は項目参照。

  • 西川龍馬
オリックス・バファローズ所属。
長らくカープの主力野手として活躍していたが、『パリーグに挑戦したい』という理由から、2023年オフに広島からFAでオリックスに移籍した。
2024年シーズンはシーズン序盤は不振に苦しんだが夏以降は調子を上げている。

  • 前川右京(まえがわうきょう)
阪神タイガース所属。
前年日本一に貢献したシェルドン・ノイジ―とヨハン・ミエセスが揃って大不振に陥ったのを契機に一気に2024年シーズンに台頭してきた阪神の若手外野手。
巨人の主砲・岡本和真やオリックス・廣岡大志、チームメイトの村上頌樹は高校の先輩である。
パワプロの顔再現が完全に某ぴにゃこら太。

  • 水谷瞬
北海道日本ハムファイターズ所属。
元々はソフトバンクに在籍していたが、選手層の厚いソフトバンクでは過去一軍出場なしと出場機会に恵まれなかった。
しかし2023年オフの現役ドラフトでの日ハムに移籍したのを契機に、2024年交流戦MVPを受賞するなど一気にブレイクした。

  • 吉田正尚
ボストン・レッドソックス所属。
2018年からレギュラーに定着し、個人成績も首位打者2回、ベストナイン5回を獲得するなどオリックスの主軸として2度のリーグ優勝(1度は日本一)に大きな貢献をした功績を認められポスティング・システムでレッドソックスに移籍。
MLB1年目の2023年シーズンは打率289、15本、72打点、OPS783とまずまずの成績を残した。


《OB選手(NPB経験者)》


  • 淡口憲治
70年代~80年代前半の巨人を彩った選手で、のちに近鉄に移籍。
打席で構える際、2~3度腰を振る「ヒップダンス」と呼ばれたルーティーンは、こぞって当時の野球少年がモノマネをした。
一方で王貞治を超えるスイングスピードで打球速度もものすごく速かったので長嶋茂雄が「コンコルド打法」と命名した。
作家の中島らもは小学校の同級生。

  • 石嶺和彦(いしみねかずひこ)
阪急→オリックス→阪神の外野手。
プロ入りは捕手だったが、膝の怪我もあり外野手に転向。
そこから調子が上向きになり、左翼手の定位置を獲得し、1990年に打点王、1993年オフにFAで阪神に移籍。96年まで在籍して現役引退。
10年連続二桁本塁打の記録を残し、通算盗塁数は13盗塁だが、その中でホームスチールを2度成功させている。
指導者としては「バッティングに正解はなく、体型や筋力に応じてそれぞれ適切な打撃フォームがあり、一番振りやすい形がベストだ」という持論がある。

  • 内川聖一
現役時代は主に横浜・ソフトバンクで活躍したヒットメーカー。
2008年の打率.378は右打者としてのNPB歴代最高打率である。しかし当時の横浜は彼の打率よりも勝率が低いこともザラである程の弱さで、チーム状況への嘆きからコピペが作られたことも。
そんなチームの不甲斐なさに嫌気がさしたのか2010年オフにFAでソフトバンクに移籍。ソフトバンクでは黄金期の主力としてチームを支え優勝も幾度と経験した。晩年はヤクルトにも在籍し、ソフトバンク時代の4連覇と合わせて5年連続の日本シリーズ優勝を経験。
最後には独立リーグに1年間所属した後に引退し、吉村と村田は病院内で静かに息を引き取った。

  • 大熊忠義
阪急黄金期の左翼手。2番打者として起用されることが多く、福本豊のアシスト役に徹することが多かった。
意図的なカット打ち、空振り、右打ちにより福本を13年連続盗塁王に導く。守備においても、低い身長をカバーするため大き目のグラブを使用し、フェンスによじ登って捕球する練習をした。後にこれは阪急~オリックスの伝統となる。

  • 金森栄治
西武~阪神~ヤクルトと3球団でプレーした選手。
入団時は捕手だったが、伊東勤という壁に阻まれて外野手へ転向。
1984年、1985年とリーグ最多死球を記録し、「珍プレー好プレー」は「生キズ男・金森特集」というコーナーを作ったほど。
その死球の多さから「東の金森、西の達川」と番組が誇張し、みのもんたがやりたい放題ナレーションを入れたことで彼の知名度も上がった。
ただ金森が死球を受けた試合の西武はなぜか勝率が良かったので、一部ファンからは死球を期待されていた節も。
一時期登録名を「金森永時」にしていた。

ご存じ『アニキ』。広島時代はトリプルスリーも達成するなど走れるスラッガーであった。2002年オフに阪神にFA移籍し、阪神で選手として残した実績に関しては説明不要だろう。しかし現役晩年には肩の故障と戦いつつの出場となり、不本意なプレーを見せてしまうことも多かった。
パワプロで肩力1にされたり*2、主に遊撃手にカバーをさせることで周囲の守備負担まで増やしていたこともあり、はっきり言って2000年代以降のNPBとそのファンから漂っていた「一番守備がヘタな選手がやるのは左翼手」とされる風潮の半分くらいは金本に無理をさせていたこの時期の阪神が生み出したと言っても過言ではない。
引退後は監督も務めたが2018年には最下位に沈むなど監督としては苦戦した。詳細は項目参照。

  • ダン・グラッデン
MLBではサンフランシスコ・ジャイアンツなどに在籍し、俊足巧打の1番打者として名を馳せた。
1994年シーズンに巨人に加入。肩、走力共に全盛期の面影はなかったが1番レフトでチームの日本一に貢献し、そのシーズン限りで現役引退。
在籍が1年のみだったこともあり、どちらかというとプレーよりもハルク・ホーガンを思わせる風貌と気性の荒さにより球史に残る乱闘事件を起こしたことで記憶に残っているファンが多いのではないかと思われる。
それは5月のヤクルト戦。既に一度頭部死球で打者を負傷退場させていた相手投手の投球が頭部をかすめたことで激高。
投手に詰め寄ろうとしたが、捕手に制止されたことでマスクの上から殴りつける実力行使に出て捕手も応戦、これがきっかけで両軍入り乱れる大乱闘に発展。グラッデンと捕手はこれで骨折に至っている。
何より、現在制定されている危険球制度はこの試合がきっかけで導入されているため、ある意味偉大な足跡を日本野球に残したといえる。

  • 佐野仙好(さののりよし)
1985年阪神日本一の時のレフト。
もともとは三塁手だったが、掛布雅之とのレギュラー争いの末コンバート。
1977年川崎球場での大洋戦で相手選手の大飛球をフェンスに激突しながらも好捕したが、当時の川崎球場のフェンスはコンクリートむき出しであり、頭部を強打して左前頭部の頭蓋骨陥没骨折という重傷を負う。
この事故を機に全球団の本拠地球場のフェンスにラバーが張られるようになったほか、救急隊員による対応中もオンプレーだったため大洋の点が入ってしまったことの反省から「明らかに負傷による対応中のときは原則ボールデッド扱い」とルールが改定された。

  • 清水隆行
90年代中盤の巨人~2000年代の巨人で活躍した左翼手。ルーキーイヤーの1996年に即戦力外野手として同期入団の仁志敏久と共に大逆転優勝『メークドラマ』に貢献した。
スタンドが震え上がるほどの弾丸ライナーを放つ打力と走力は一流だったが、守備面は特に肩が非常に弱く当時のパワプロをはじめとした野球ゲームでも最低評価を受けることもしばしばだった。ただ俊足で守備範囲はそれなりにあったため左翼守備自体は壊滅的というほどではなかった。
晩年には西武にも在籍し、登録名を『清水崇行(読みは同じ)』としていた。

  • 鈴木尚典
90年代横浜で活躍し1998年の横浜日本一にも大きく貢献したアベレージヒッター。
かのマシンガン打線の一員として首位打者を2回獲得するなど、90年代の球界を代表する安打製造機と言っても過言ではない選手。
だが、この人も上記の清水と同じく肩が非常に弱く、全体的に守りも良かった当時の横浜の中で唯一かつ最大の穴と評されることも*3
張本勲のように守っても安打製造機と揶揄されたりしたが、張本は後述の通りやむを得ない事情があり捕球以外は及第点以上であったため、鈴木の方が残念度が高い。
2024年現在は横浜DeNAで一軍打撃コーチを務める。

  • 田尾安志
中日→西武→阪神と3球団に所属し、後に楽天の初代監督も務めた人物。
甘いマスクと華のあるプレー、打席でバットをぐるぐる回してピタッと止める「円月打法」は少年時代のイチローもあこがれたとか。
打率ランキング上位の常連で、1982年には大洋の長崎啓二と首位打者を争ったが、1厘下回った状況で迎えた最終戦の直接対決で5打席連続敬遠を受けてしまいタイトルを逃す*4。この個人記録を優先した大洋の対応がファンや評論家から「敗退行為ではないか」と非難されるなど物議を醸した。

  • 高田繁
V9時代の巨人を支えた外野手。センターには柴田勲という不動のレギュラーがいたため左翼手を守ることが多かったが、左翼手としては珍しくどちらかといえば走力や守備力が武器のタイプの三拍子揃った選手だった。特にクッションボールの処理が抜群に上手く、壁際の魔術師の異名を取った。
長嶋茂雄引退後は三塁手に転向し三塁手としてもゴールデングラブの前身であるダイヤモンドグラブを2回受賞した。
引退後は日ハム、ヤクルトで監督も経験し、横浜DeNAの初代GMにも就任。初代監督の中畑清と二人三脚で、それまで(TBS時代)は弱小チームだった横浜DeNAの躍進を導く土台を築き上げた。

  • 高橋智
阪急・オリックス~ヤクルトで活躍した「デカ」というあだ名の選手。
幼少期から水の代わりに牛乳を飲んだ結果、その異名の通り身長194㎝・体重100㎏に達し、秋広優人に抜かれるまで長らく最長身日本人野手であった。
強打の外野手である一方守備力はあまり高くなく、とある試合では定位置よりやや後ろの割と平凡なレフトフライの打球を見失った結果、センターからカバーで猛ダッシュしていたイチローが捕球する珍事が起きた。
日本人初の左耳にピアスを開けた選手として『ドカベン』に登場したり、ヘヴィメタファンで同趣味の初芝清と仲が良かったりと小ネタが多い。

  • 田口壮
90年代のオリックスで活躍した外野手。当初は遊撃手だったが、送球イップスにより外野手にコンバートされ主に左翼手として同期入団のイチローと共に90年代のオリックスを支えた。
右翼イチロー、中堅本西、左翼田口の外野手トリオは当時球界随一の守備力と言われた。
2001年オフにMLBに移籍しカージナルスではクラッチヒッターとして世界一に貢献するなどMLBで8年間もプレーした。2024年現在はオリックス・バファローズ外野守備走塁コーチを務める。

  • 西田真二
PL学園時代、木戸克彦(のち阪神)とバッテリーを組み、奇跡的な勝利を重ねて甲子園優勝、「逆転のPL」と呼ばれるきっかけを作った。
その後法政大学で外野手へ転向したのちに広島へ入団。
当時の広島外野陣は選手層が厚く、主に代打要員だったものの主力選手の不調や負傷離脱時には4番を任されるなど打撃は非凡であった。守備はあまりうまくなかった。
練習量が他球団に比べて圧倒的に多い事で有名な広島に在籍していながら大の練習嫌いとして知られており、入団早々フラフラ遊び惚けていたことから「トラ」とあだ名がついた。由来はもちろんフーテンの寅さん。


  • 張本勲
東映→日拓→日本ハム→巨人→ロッテで活躍した『安打製造機』。
NPB通算3085安打は現在も破られていないNPB記録で、首位打者7回獲得もイチローと同数とNPB史上歴代最高クラスのヒットメーカー。
俊足で通算3割300本塁打300盗塁の歴代トリプルスリー達成者は彼のみである。
分からないと思えば、ジャック•ブルームフィールドに弟子入りする素直さも持ち合わせている。
野球を始めた頃は右投げ左打ちだったが、右手の怪我の影響で変化球を投げづらかったことから、左投げへ転向、利き手を変える大改造を行なった。
一方、その強い個性と独特のプレースタイルが災いして、指導者経験は日拓時代に1年だけ選手兼任ヘッドコーチを務めたのみで、引退後監督や常任のコーチになることはなかった。
アニヲタ的には「サンデーモーニング」(TBS)の「喝の人」というイメージが圧倒的で、番組内での発言がしばしば物議を醸しネットニュースの常連になることでもおなじみだった。
バントもジャック•ブルームフィールドに仕込まれてセーフティバント、ドラッグバント、犠牲バントと上手かった。
なお男のシンボルが小さいことを元同僚に暴露されている

  • ウラディミール・バレンティン
日本プロ野球のシーズン本塁打記録60本を放った2010年代のヤクルトを代表する怪力男。他にも規定未到達での本塁打王やら規定打率ワースト本塁打王などの記録を持っている。来日当初は右翼出場が多かったが途中からはほぼ左翼で出場している。
良くも悪くも気分屋な性格で、やる気があるときは文字通り最恐の打者と化し、守備でも意外な強肩を見せるなど素晴らしいパフォーマンスを見せる。
だが気分が乗らないときは脆さが露骨に出る打撃に怠慢守備で足を引っ張りまくる難儀な面も。しかしそういったところも含めヤクルトファンからは愛されていた。
国際大会でのオランダ代表としての活躍や、「バレンティンキラー」DeNA・加賀繁との長年にわたるライバル関係なども印象深い。
晩年はソフトバンクにも在籍したが、終始あまりやる気はなくヤクルトに復帰したい旨を仄めかしてホークスファンの怒りを買ったりした
一度引退したが撤回し現在はメキシカンリーグでプレー中。

  • 英智(ひでのり)(蔵本英智)
00年代の中日黄金期を支えた名外野手。
イチローにも引けを取らない強肩が武器で左翼手としては珍しく守備力を武器にしていた選手。当時の福留孝介、アレックス・オチョア、英智の強肩外野手三人衆は他球団に恐れられた。
詳細は項目参照。

  • ラルフ・ブライアント
80年代後半~90年代前半の近鉄で主に活躍したアメリカ人スラッガー。俳優のエディ・マーフィーに風貌が似ていたことから愛称は『エディ』。
当初は中日に所属していたが、当時主軸であったリチャード・デービスが『大麻所持により退団』というとんでもない事態が発生したことで代わりの外国人を探していた近鉄が中日から金銭トレードで獲得。
これは当時外国人選手は1軍に2名しか登録できず、中日は主軸のゲーリー・レーシッチと守護神・郭源治がいた*10ためにブライアントは2軍で育成という状況だったことから、外国人枠が空いた近鉄が目を付けたもので、これが大当たりになる。
強烈な打棒で本塁打を量産し、1989年のリーグ優勝に大きく貢献。中でも同年10月12日の対西武戦のダブルヘッダー4連発は今でも語り草になっている。
その反面「大型扇風機」と称されるほど三振数も多い典型的な「ホームランか三振か」タイプのバッターで、
1993年に記録したシーズン204三振は2024年現在でもNPBにおける最多記録で、2009年までは世界記録でもあった。
引退後もOB戦等のイベントのために幾度か来日し、40歳を越えてもバックスクリーンへホームランを放つなど往年のパワーを見せつけた。

  • ドゥエイン・ホージー
1997~8年にヤクルトに在籍した外国人選手。
前年度まで在籍した名助っ人、トーマス・オマリーとヘンスリー・ミューレンに代わる存在としてルイス・オルティスとともにアメリカから招かれた。
だが来日当初は「俊足しか取り柄がない」と言われるくらい打てない・走れない*11・守れないの逆三拍子が揃った状態だったため、当時の野村克也監督や日ハム時代の落合博満に「こんな史上最低の助っ人見たことない」と酷評された。
だがこの前評判により他球団から見くびられ研究されなかったことや、ミーティングには必ず参加し相手投手の球種や癖を書き込んだノートを常に持ち歩くなど研究を怠らなかった本人の姿勢が要因となり、開幕後は大活躍。チームの中心打者として規定打席に到達し日本一に貢献、本塁打王のタイトルも獲得した。
だがその結果翌年はゴリゴリに研究されてしまい、故障もあってか結果を残せず退団となった。

  • カルロス・ポンセ
1986年から5シーズン大洋に在籍したプエルトリコ出身の助っ人。
口ひげを生やしており、その風貌が大人気ゲームキャラに似ていたため、「マリオ」と呼ばれた。
俊足選手を好んだ近藤貞雄監督から重宝され、高木豊・加藤博一・屋敷要のスーパーカートリオに続く4番打者として起用、さらに5番を打ったローマンも俊足だったため、86シーズンは「フリーウェイクインテット」と呼ばれた。
翌87年は打点王、88年は本塁打王と打点王に輝き、名実ともに大洋の中心選手として活躍し、90年に退団。
退団後も古巣愛が強く、1998年のベイスターズ日本一の際にはお祝いコメントを送っていたり、OBイベントにも参加している。
現在は日本ファン向けにYouTubeチャンネルも開設している。

  • 松本匡史
1980年代のジャイアンツ不動の1番打者。
プロ入り前は内野手だったが、肩の脱臼を経験しプロではセンターかレフトを守備することが多かった。
1983年にはシーズン76盗塁のセ・リーグ記録を樹立し、この記録はいまだに破られていない。またヘッドスライディングしても砂が入らないように特注のワンピースユニフォームを着用。
さらに、チームの先輩柴田勲が赤い手袋をしていたことにあやかり、自身は青い手袋を使用。当時の巨人のビジターユニフォームが水色だったこともあり「青い稲妻」と呼ばれた。炎カラダ灼き尽くすゲッチュではない。
近眼であり、コンタクトレンズが目に合わないという事情から晩年には眼鏡をかけて出場していた。

2010年代前半の阪神で大活躍したアメリカ人外野手。拙守や舌禍こそあったものの、名助っ人野手としてランディ・バースに次いで彼の名を挙げる阪神ファンも多い。詳細は項目参照。

  • 森本稀哲(もりもとひちょり)
札幌移転後の日ハムを支えた三拍子揃った外野手。怖くないOB
スキンヘッドが特徴的で2006年の球宴では人気漫画『ドラゴンボール』の主要人物『ピッコロ』のコスプレをするなど話題になった。
2005年から2006年にかけて中堅手新庄剛志、右翼手稲葉篤紀と共に抜群の連携で鉄壁の外野守備を誇っていた。2006年から2008年まで3年連続でゴールデングラブ賞を受賞しており、特に2006年は新庄、稲葉と共に1チーム独占受賞を果たしている。
糸井嘉男台頭後は横浜にFAで移籍するも横浜では結果を残せず、晩年は西武にも在籍した。現在は北海道日ハム一軍外野守備走塁コーチを務める。
ちなみに北海道移転後にSHINJO(新庄剛志現監督)から続く「ファングリーティングやパフォーマンス担当」のバトンをひちょり劇場として受け取ったのもこの森本。移籍以降も毎年かならずひとりはそういった試合外パフォーマンスを担当する人が一軍にいる。
まさか新庄本人にバトンが返されるとはみんな思ってなかったけど

  • 山本和範(カズ山本)
近鉄~南海・ダイエー~近鉄とパ・リーグで戦い続けた苦労人。
そのキャリアで特筆すべきは、所属チームが変わったタイミングは、いずれもトレードではなく自由契約からのテスト入団であること。
生まれつき難聴というハンデを背負いながらも、猛練習の末常に3割前後の打率を残せる安定感ある打撃と強肩・正確な送球技術を会得、通算22年間NPBでプレーした。
Jリーグ開幕によるサッカーブームが起こっていた一時期に、当時のスター・三浦知良にあやかり登録名を「カズ山本」にしていたことも。
水島新司とは遠い親戚だったためか、あぶさんでの出番が多い。

  • 山森雅文
1980年代の阪急で活躍した外野手。
1981年9月16日の西宮球場でのホームランキャッチは今でも有名で、このプレーが『日本人第一号の米国野球殿堂入り』になる程である。

  • 吉村禎章
おもに1980年代後半に巨人で活躍した「不屈の男」。
背番号55を引っ提げ入団、同世代の駒田(50)・槇原(54)と共に「50番台トリオ」と呼ばれプロスペクトとして将来を有望視される。長打力と確実性を兼ね備えており、エースの江川卓からも「間違いなく将来4番を打ち、球史に残る活躍をする選手」と評されていた。
だが1988年、札幌円山球場にて相手選手の飛球を捕球した際にチームメイトと激突。左ひざの4本の靭帯のうち3本を断裂、重度障害認定されるほどの大怪我に見舞われてしまう。手術を担当したスポーツ医学の権威・ジョーブ博士も「こんな大ケガ今まで見たことない」と絶句したほどだった。
しかし、ここから1年以上の過酷なリハビリを経て復帰を実現。野球ファン皆がもろ手を挙げてカムバックを祝った。その後は主に代打の切り札として活躍し、1998年に引退。
後楽園球場公式戦最後のホームラン、東京ドーム完成後最初のホームランを打った選手でもある。
プレー外では王貞治の「養護学校への訪問・支援活動」を正式に引き継いでおり、引退してコーチになってからも継続していた。この功績から王と連名でゴールデンスピリット賞特別賞*12を受賞。

御存じラミちゃん。ヤクルト入団当時は右翼手としてのレギュラーを約束されていたが、キャンプで当時右翼手のレギュラーだった稲葉篤紀の守備を見て自信を喪失したことで左翼手に転向。ヤクルト、巨人、横浜とセリーグの球団を渡り歩き外国人初のNPB通算2000安打も達成。
アイーン」「ゲッツ!」などのホームランパフォーマンスは当時の野球少年はみんな真似していた。
打撃成績は素晴らしいのだが守備に関しては守っても安打製造機タイプ。左翼に行ったのは大正解だった
引退後は日本に帰化し、初代監督の中畑清の後を継ぎ横浜DeNA二代目監督に就任。リーグ優勝は出来なかったが、5年の任期で3回CSに出場し2017年はリーグ優勝した広島をCSで下し日本シリーズにも進出するなど監督としても功績を残した。
詳細は項目参照。

  • リチャード・ランス
山本浩二が引退して主軸打者を探していた広島に1987年に舞い降りた大砲。
本名はリチャード・ランセロッティとイタリア系アメリカ人なのだが、「長すぎる」としてNPBでの登録名は「ランス」になった。
極端なアッパースイング、プルヒッティングで規定打席到達者の中で最低打率(.218)、最多三振(114個)を記録しながら6試合連続を含む39本の本塁打を打って本塁打王を獲得。シーズン88安打ながら実に約45%が本塁打という驚異の長打力を見せてくれた。
翌年は打撃改造に失敗、絶不調に陥りシーズン途中に退団。
応援歌が生稲晃子の『麦わらでダンス』というギャップも手伝い、今でもカルト的な人気を誇る。

  • レロン・リー
MLB4球団を渡り歩いたのちに、日本に活路を求め1977年にロッテに入団。来日直後はパワー不足と酷評されていたが、ふたを開けてみれば、いきなり本塁打と打点の2冠を獲得。翌年には弟レオンも入団させて、リー兄弟としてロッテ打線をけん引。
NPBではロッテ一筋11年の在籍で、生涯打率(4000打数以上).320は歴代1位*13
左打ちのため、当代最強の左キラー・永射保には大の苦手意識を持っており、苦肉の策で右打席に立ったこともある。

  • タフィ・ローズ
90年代中盤から長らくNPBで活躍したアメリカ人スラッガー。
当初は近鉄に入団し、盗塁数も多く守備も上手いなど三拍子揃った助っ人外国人であったが、1999年に本塁打王を獲得したのを契機にスラッガーへと変わっていき、2001年近鉄時にはMVPを受賞するなど長らく近鉄の主砲として活躍。
同年には王貞治に並ぶ当時のNPBタイ記録であるシーズン55本塁打を達成している*14
チームメイトの中村紀洋と共に「いてまえ打線」の中核を成し、他チームからは大いに恐れられた。
2004年~2005年までは巨人にも在籍し首脳陣との確執もあったが、本塁打王を獲得するなどセ・リーグでも打棒を発揮。晩年はオリックス・バファローズにも在籍してここでも打点王を獲得するなど実力、そしてなにより明るくお茶目な性格は健在であった。
ちなみに日本暮らしが長かったせいで通訳なしでも会話ができるほどに日本語は堪能だが、本人の性格が少々短気な上に怒ると口が悪くなる傾向があるため、
舌禍を回避するという名目で「記者との会話では通訳を通すこと」という契約が交わされていた。

  • 和田一浩
30歳過ぎてからレギュラーに定着した大器晩成のスラッガー。なお毛根は犠牲になった模様。
当初は捕手だったが2002年以降は非凡な打力を生かすため外野手へ完全転向し、同僚のアレックス・カブレラと共に西武打線の主軸として活躍。
2007年オフにFAで中日に移籍し中日史上最高のFA獲得選手と言っても過言ではない活躍を見せ、2010年には38歳でリーグMVPを獲得し優勝に貢献した。
現在は中日ドラゴンズ打撃コーチ。


【主な架空の選手】


漫画・ゲーム


  • 麻生尊(あそうたける)
漫画『ダイヤのA』の登場人物。
右投げ右打ち。主人公グループの1学年上で、3年が引退して秋の新チームになってから左翼手の定位置を獲得。
捕球してから送球までが速く、軌道が正確な反面、中学時代は四番打者も、現チームで打力は並と見做されては下位打線に置かれ、降板した降谷の打力と投手力を残すために交代することが多い。
アニメ版のCVは村田太志。

  • エーモンド
漫画『ドラベース』の主要人物。
ロボットだがアメリカ・フロリダ出身で片言の日本語を話すドラーズ不動の四番打者。
異様に人間くさいという意味では機種としての「ドラえもん型」の例に漏れない
変化球やスローボールには弱いが直球には無類の強さを見せる。左翼守備でもファインプレーを見せることもしばしば。

  • 大垣(おおがき)
漫画『やったろうじゃん!!』の主要人物。
下の名前は設定されていない。
家は大垣工務店を営んでいる。
監督の喜多条に反発していた部員達の一人。
全国クラスの強豪と練習試合をして大敗、やる気をなくして、一時期は野球部を離れていた時期も。
元は三塁手だったが、身体が硬いという理由で左翼手に転向。
学校側の方針変換で野球部の専用グラウンドに制限が掛かった時は、行動力を見せ、実家の機材を持ち出して廃工場の跡地に即席の練習場と練習機材を準備した。
打力は非凡なモノを持ち、左腕を苦にしない。

  • 景浦安武
漫画『あぶさん』の主人公。
ホークス一筋で活躍し、彼の背番号『90』は現実のホークスでも長らく準永久欠番的な存在だった。

  • 上福岡徹(かみふくおかとおる)
漫画『ラストイニング―私立彩珠学院高校野球部の逆襲』に登場する外野手。右投げ右打ち。
180cm、85kg、恵まれた体格から高校通算で11本の本塁打を放つ等、長打力に優れているが犠打は下手、直球には強いが変化球に弱い、疑り深い処があり、それが一騒動起こす事も。
実家は病院で、将来はその後を継ぐつもりらしく成績は良い。
行く大学は早慶上智に次ぐ偏差値の安政大学を滑り止めというほどかなりの高偏差値らしく、引退後はグラウンドには顔をださずに医学部合格のため受験勉強に精を出していた。

  • 坂本栄一(さかもとえいいち)
漫画『風光る』に登場する外野手。
主人公・野中ゆたかが在籍する多摩川高校で2学年上。
一番•左翼手で右投げ右打ち。
俊足で肩もチームで2番目に強い。
打つ方はフライばかり上げているから上から叩きつけるように打ったほうがいいとの指摘を受けて、修正、出塁率が上がった。

  • 球三郎(たまさぶろう)
ゲーム『実況パワフルプロ野球』の登場人物。
システム上右翼手・中堅手・左翼手すべて同一の守備適性になっていることから意外と外野手のメンバーでもそのへんボカされることの多いパワプロでは珍しく、明確にレフト専任扱いになっているサクセスキャラ*15
もともと『パワプロ6』するめ大学編のEDで「喋り方に特徴があるナインメンバーが語り合う」という描写があり、球三郎もここでの描写からキャラ設定があとで固められ…なかった
というのもここで登場しているのは「女性口調」「イヤミの喋り方してるザンス語尾」「それぞれ薩摩言葉と関西弁のふたり」「侍口調」であり*16、球三郎に該当するであろう選手のセリフはない。
そのため注に挙げたメンバー、元々『6』時点で明確な設定があった田中まさると鮫島粂太郎*17とは異なり、『'99』においてするめ大学所属選手としてほぼイチからキャラ設定が起こされている(これは二塁手の猿も同様)。
藤森に関してはそもそも『2024』現状どういう設定になってるのかがわからんので割愛
ここで作られた『6』準拠のサダメナイン全員分の設定が『サクセスレジェンズ』、あるいはパワフェスモードで継続して使われているのだ。

いわゆる平安貴族キャラだが、明確に主人公所属チームの選手ということもあってか穏やかな性格で社交性も高く、いわゆる「慇懃無礼な悪役」系の人物ではない。
そしてなにより左翼手前提のオーダーが組まれるにも関わらず俊足・守備の名手タイプの能力をしているのが特筆され、『2024』では順に2DDSCBBとそれなりに高い総合能力を持っている。
とは言え送球Eを所持していること、なにより他の外野手メンバーが走力守備力捕球Aで肩もBある天王寺・肩S守備Sで走力と捕球もAの村雨と正直言って守備に関しては球三郎以上に上手い選手であるためこれでも一応は外野手の中で一番守備がヘタな選手ではある*18
ちなみに打撃も基礎能力だけなら天王寺の方が高い。*19

  • 田村達郎(たむらたつろう)
漫画『名門!第三野球部』に登場する左翼手。
従兄弟で野球部マネージャーの村下夕子(むらしたゆうこ)の頼みで桜高校第三野球部に加わる。
テニスの経験者で左投げ両打ちのスイッチヒッター。
長打力は人並みだが、テニスで培った動態視力と両手バックハンドを応用した「テニス打法」でバットコントロールに長け、狙った処に打球を放つ事が出来る。
最初は泥臭いプレーを嫌ったが、徐々に野球部に染まっていった。
アニメ版のCVは井上和彦

  • 鶴嘴温助(つるはしぬくすけ)
漫画『実録!関東昭和軍』に登場する外野手。
連載開始時は1年生。
外野手兼投手で右投左打、見た目はあの人にソックリ。
2年生時に春のセンバツに出場した時は左翼手兼任投手で登板。
身長は2メートル近くあり、投げてはコンスタントに140km/hを超える速球を繰り出し、落差のあるカーブを操り、打っては長打力抜群の選手とフィジカルは抜群だが、異常なまでに頭が悪くサインを一切覚えられず、後にグラブに直接ペンでサインを書いて、それを見ることで問題を解決している。
普段は大人しいがキレると手がつけられないため、入学直後の上級生からの体罰にキレた後は一切ヤキを入れられなくなり、恐れられている。

  • 七井=アレフト
ゲーム『実況パワフルプロ野球』の登場人物。
サングラスがトレードマークで金髪、設定上アメリカ人(七井は日系。ただし高校・大学野球やNPBの制度上は「日本の学校出身なのでnot外国人≒日本人」とはなる)ということで上述したエーモンドとの類似性も指摘されている*20
弾道4ミートBパワーAにパワーヒッター・広角打法のホームランバッターセットを備える反面、走力や守備関連の能力はE(満点の半分よりちょっと下)が並ぶといかにもな「レフトのレギュラー」の能力をした選手で、強豪・あかつきOBチームにおいて三本松、五十嵐と共にクリーンナップを形成する。
実は三塁手項でも触れるように、五十嵐先輩の方が能力上は拙守。

数字先輩の例に漏れず後輩のことはちゃんと気にかけており、あかつきを選べる作品やそもそもどのシナリオにも七井が搭乗できる『アプリ』では猪狩世代のみならず主人公にもアドバイスや指導を与える描写もある。
『9』の正史では体育教師を目指して進学とプロ志望届を出さなかった可能性が高いが、『10』ではシステム上の都合もあって七井の選手データはホークス所属扱いになっている。


  • 葉柴(はしば)
漫画『4P田中くん』に登場する外野手。
下の名前は設定されていない。
主人公・田中球児が在籍する栄興学園で一学年上。
夏の選手権大会2回戦で敗退後に出来た新チームで中堅手の定位置を獲得。
春のセンバツ決勝でトリックプレーを見せるなど機転は利くが、中学時代は四番打者で投手も、現チームでは打力が並で下位打線に置かれたり、春のセンバツ決勝で緊張の余り、状況が読めなかったり、メンタルに難点。
センバツ終了後にチームメイトに推薦されて主将に就任、夏のチーム選考会の結果、中堅手から左翼手に転向。
「甲子園決勝の雰囲気に呑まれない、強い精神力を持つ選手の育成」
を監督に頼まれた。

  • 半田(はんだ)
漫画『プレイボール』、『プレイボール2』、『キャプテン2』に登場する墨谷高校野球部の外野手。
下の名前は設定されていない。
学年は最終的に丸井達と同じになった。
右投げ右打ちで小柄、×字型の目が特徴。
当初、野球はそのものは下手だが、観察眼があり、偵察に赴いては試合や練習中の他校選手のクセや特徴を調べあげ、対戦相手の攻略法にまで昇華させた。
特に専修館戦では誰も気づかなかったメモの足跡を消した点に着目し、チームの逆転に繋がるきっかけを作り、チームを勝利に導く力となり、信頼と敬意を持たれるまでになった。
対戦相手に守備の穴とバカにされたが、努力の甲斐あってエラーの数は減り、右翼手としてスタメンに出ることが多くなり、「チームで一番うまい」と言わしめるほどバントが向上した。
谷口達の引退後は副主将に就任、チーム事情で左翼手に転向。
練習への考え方が異なる丸井と松川の間に入ることが多い。
夏の選手権大会•東東京大会決勝で足を負傷、完治に時間が掛かるとの事で夏の選手権大会本大会では記録員に回り、左翼手の定位置を近藤に譲った。
アニメ版のCVは田中恭兵。

  • 微笑三太郎
有名野球漫画『ドカベン』の登場人物。
元々は土門剛介の剛球を受けられる捕手として横浜学院に入る予定が、もろもろの手違いから明訓入りし、そのまま外野手として居着いた。
山田、岩鬼、殿馬、里中と並ぶ『明訓五人衆』の一人だが、他の4人と比べると地味で彼を除いた『明訓四天王』の方が遥かに有名という不遇なキャラクター。
だが選手としての実力は高く、そもそもドラフト指名される・入団した巨人では本塁打王を獲得するなど、上記4人にも引けをとらない実績を残している。
2003年に新球団「東京スーパースターズ」に山田らかつてのチームメイトと共に移籍。2010年に広島にトレードされ、その後2012年に新球団「京都ウォリアーズ」の選手兼任監督となる。


追記・修正は左翼手に詳しい人に補足して貰えると助かります。

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  • 7
最終更新:2025年03月21日 23:38

*1 仮に強肩でも、一塁へ向かう走者を刺してアウトにするのは現実的ではなく、そのため一種の牽制としての価値も見出し難い。

*2 ただし当該の『2010』はパワー以外の基礎能力は15点満点での査定であり、100点満点での査定になった作品では11とか19とかそれくらいはあった。それでも他のレギュラー選手と比べると極めて低く、サクセスモード主人公の初期状態未満ではあるが

*3 実際は俊足で守備範囲は悪くなかった鈴木より右翼手の佐伯貴弘の方が守備指標の値は悪かったとする声もある

*4 長崎は欠場

*5 被曝前に起こった子供の頃の火傷の後遺症で右手指の殆どが機能しなかったため、右手を完全に開くことが出来ず、特注のグラブで守備を行っていた。

*6 これは平均以上の数値であり、2.5を越えれば一流と言われる。

*7 =浪華商業高等学校(なにわしょうぎょうこうとうがっこう)、通称•浪商。現•大体大浪商

*8 張本は両親が当時の日本統治下の韓国出身な在日韓国人二世であり(なので本名も「張」姓)、かつ広島県から一年生の秋に浪商へと編入した来た野球留学生という、いわば二重の意味で浪商側にとっては「外の人間」という意味合いがあった

*9 高校卒業後はいくつもの職を経て板前として店を任される。その後、初代智辯学園野球部監督からヤクザの組長、画家になっている

*10 しかし、ブライアントが移籍した1988年のシーズン終了後、ゲーリーはかねてから痛めていた右脇腹痛の影響で退団・引退し、郭は日本への帰化申請をしたのでもう1年遅かったら中日で1軍登録された可能性は高い。

*11 盗塁は出来るが走塁が下手だった。

*12 社会貢献活動を顕彰する賞で、性質上普通の受賞でも選手以外が選ばれることはある。王の活動開始時に賞自体が無かったことから、20年目の節目の特別として授与。

*13 ただし、日米通算ではイチローが.322と上回る。

*14 パ・リーグでは2024年現在でもアレックス・カブレラと並んで最高記録。

*15 彼、下で紹介する七井、ときめき青春高校の三森左京のような「守備位置番号や名称がそのままキャラ名や称号になっている」選手で会ったり、そういうチームのメンバー以外は基本的に外野手のメンバーの担当位置は一定しておらず、あの矢部くんですら『2024』では継承選手次第でセンターになったりライトになったりする。一応KONNMIオフィシャルとしては矢部くんは中堅手っぽい感じのことは多いが。

*16 順に乙女、ザンス、九州と天王寺、村雨の原案とされる

*17 鮫島のみ『5』初出

*18 というか元々するめ大学メンバー自体が田中御大以外は「特殊能力は少ないが基礎能力は非常に高い」のが基本となっている

*19 ただし球三郎が持っている「内野安打〇」を天王寺は持っていない

*20 時期的にオマージュとして設定が固められたかはまあまあ疑問でもあるが