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Прелюдия 少女人形達の歌と、パン。

おのれの心のはたらきが自分だけのものであるなどという幻想を信じられなくなったときに
こころなど呆気なく抑えられ、御され、土足で踏み躙られるものなのだと逸早く気づいたときに
人は異能とよばれる新たなる力を得るのかもしれない。


「N国。」
某国に存在する研究所のベッドの上。
馴染みのないものを馴染ませるように復唱してみせた自分はいささか間抜けた表情形成をしていたようで
上からの命令を運んできた男は呆れた声でもう一度同じ説明を最初から伝えてくれた。
高い機能を誇るガイノイドの自分の数少ない欠点がデータ領域の空白だ。
二度目ともなる内容を今度こそしっかり記憶領域に書き込んで、頷く。
曰く、数多の新しい力の発生、曰く、ゆえに交錯する複数組織の盤上遊戯めいた優位の奪い合い
そして、愉快痛快なこどもたちの事件。それらが集束する都市N国T都のこと。
「ソシキヲダイトシニシンジュンサセルオオキナアシガカリニナル」それらについて。

…親切に教えてくれる彼は知らない。
どんな場所に連れていかれて、どんな仕事に関るにしても
結局自分に命じられることはいつも変わらぬ唯一つであることを。

しがらみは、思絡みで、糸絡み

人は踊る。
糸ひとつ張るだけで、ゆるめるだけで、断ち切るだけで。
その糸に干渉して結果招かれたものが災厄であったり不幸であったりしても
いつだって自分にはどうすることも出来ない。
この身もまた、他者に易々操られるだけの、人形でしかない以上は。
―――ならば精々特等席に値するよい観客になるために
日々学習を積み重ねるのが自分の、高機能ガイノイド・エリザヴェータの使命だろう!
やっぱり自分の指針はそのひとつで、いつも、これからも、きっと変わることはないのだ。

N国への潜入経路、活動の足掛かりとなる拠点、注意事項
そして同じ利権のために働くこととなる者の名幾つか――既知もあらば初見もある――と顔写真
仕事に必要となる、種別としてはありふれた資料を置いて、衣服を調えて立ち去る男の
その背中を見送って枕元の人形を引き寄せる。
そう云えばどの子をおしごとに連れていくのか思案する必要性を感じながら
人工血液を循環させる器官と呼ぶ場所の高なりを持て余して、微熱めいた排気を落とす。

「どんなものが見聞きできますかしら。
 どんなものが学習できますかしら。
 たのしみね、ヴェーラ」

薔薇色にほほえむ少女の腕の中でビスクドールの青い硝子玉の目がかがやいたように見えた。


* * * *



理想とか信念とか、こころとか。ヒトが基板として上げるものは、時に夢想と呼ばれる。
儚い希望を抱いて、それでもヒトは現実を生きる。
ならば、それらがありふれたこのセカイは、一体どこからが夢で、どこまでが現実なのだろう?


自分の朝は、周囲に転がる幻の死体の数を数えることで始まる。
何度見ても慣れはしないものの、それなりに割りきりはつけられるようになって長い、どうでもいい習慣だ。
未だ夢の世界に半分突っ込んだような、現実味のない一日の始まり。

(……今日は四人か)

それなりに眠りはよかったせいか、割合少ない。
すっかり隣が冷たくなったベッドの傍に散らかった服を拾い上げ、もそもそと着替え始める。
ガラス窓の向こうの空は、それなりの晴天。しかし、鏡のように反射して映る、だらしない自分の姿を認めれば、その青は一瞬燃えるような赤へと巡る。

「…………」

何時ものことだ。いつものこと。
軽くもない吐息を溢し、手早くスマートフォンを操作して、近場の仕事の資料を確認する。これも、何時ものこと。

ごろん、とベッドに転がり直して、頭半分に資料をなぞる。
あの辺りの複数勢力が集まるが故のゴタゴタは把握しているが、どうやら最近はその均衡が些か代わり始めているらしい。きっとその中の裏取りに暫く奔走されることになるのだろう。
ああ、めんどくさい。めんどくさいが、駒が盤上の主に逆らうわけにもいかぬ。
早くもやる気が削がれ始めてきた頭で適当に資料を流していたところで、ふと手が止まった。

要注意人物として上げられた資料写真の、その一枚。世の普通の女の子達が見れば色めき立ちそうな、整った顔立ちをした男が写っていて。
これまた珍しい紫の瞳は、振り替えってばっちりとカメラ目線を決めている。
………隠し撮りのはずだよな、これ。

「『探偵』、ねぇ……」

彼もまた。
いつか、自分の“セカイ”に入るのだろうか。

―――――♪

「うわっ!?」

突然スマホが電子オルゴールのメロディを歌い出して、思わず軽く手の中でホップさせる。
キャッチしたディスプレイに映し出された名前に、少しだけ目を細めて……通話ボタンを押す。

「はい、もしもし――」

続けて呼び掛けた名は、自分としてはあまり相性はよくない、黒づくめの同僚のものだった。


* * * *



 生暖かい冬の昼下がり、その人はやってきた。
 僕はイートインコーナーに座ってパンを食べていた。
 昼休みだ。僕が応対する必要はない。
 だが今日のバイトは僕しかおらず、店主はパン焼き窯に張り付いている。

「ひはっはいはへ」

 しかたない。
 焼きそばパンを飲み下し、立ち上がる。
 口元を紙ナプキンで拭い、レジまで歩いたところで、僕は目を見開いた。

 外国人だ。
 ヒゲ面のオッサンだ。外国人のくせに金髪でも黒人でもない。
 肌色は僕らに近いし、髪も黒くて背丈だって似ている。
 中韓? インド? 中東? いや、ロシア人か?

「************」

 オッサンが何か喋った。
 よくわからないがロシア語っぽい気はする。
 ハリウッド映画の悪役ロシア兵が、こんな調子で喋っていたんだ。

 僕の全身から冷や汗が吹き出した。
 白いネクタイを締めたダークスーツ姿は、葬式帰りのように見える。
 だが僕は見た。
 オッサンは襟元にサングラスをさしている。
 さらに、ポケットから刑事ドラマの鑑識が使うような、白い手袋がはみ出ている。

 想像は悪い方向にはたらいた。
 上手に誤魔化しているが、あの脇あたりの膨らみ……拳銃じゃないか?
 やばい。僕はエプロンの名札をむしりとってポケットに突っ込んだ。

「は……はろー?」

 僕は飲食業アルバイトの鑑、まずはにっこり挨拶だ。
 インターネットに本名はばらしていない、大丈夫、大丈夫。
 だが確か、最近、合法麻薬にロシア流れのが増えてきた覚えは、あった。



* * * *



 しまった。
 ロシア語なんぞ通じるわけないのに。
 目の前の少年はずいぶんうろたえているようだ。
 困ったな。美味しそうな香りにつられたは良いが言葉がわからない。
 通訳は先に帰ってるし、下っ端の私に現地の部下などいない。
 私ひとりだ。

「こんにちは。おすすめのパンはありますか?」

 相手が何事か言ったので、英語で尋ねる。
 …………。理解されていないようだ。訛りのせいか。どうも抜けない。
 試しに中国語でも話しかけるが、愛想よく笑うだけだ。
 しきりに頭も下げている。日本人の妙な習慣だ。

 まあいい。
 要は金を出して買えば良いのだ。

 ガラスケースに並べられたパンの数々を見る。
 一食の半分にも満たないぐらい小さいものが多いが、菓子と考えれば構わない。
 本国の少女たちにはちょうど良いだろう。

 どうせなら日本らしいパンにしよう。
 今日にはここを発つのだし、そう固いパンでなくてもいい。

 あれなどどうだろう。
 黒い粒はゴマか。つやつやしていて丸くて見慣れない。
 思い出した思い出した。
 日本の警察は、張り込むときにああいうパンを願掛けに食べるのだと、上司が大真面目に話していた。

 私はそのパンを指さし、少し考え、手指で六を示した。


* * * *



 アンパン!?
 僕は戦慄した。
 人の良さそうな笑顔で「ハロー。ナントカカントカ」って言うから油断したけど、
 間違いない。こいつ、マジモンのヤクザだ。

 アンパンはシンナーの隠語だ。
 袋からシンナーを吸うサマと、アンパンを袋から齧るサマをかけたダジャレだ。
 もちろん吸い目的でマトモには買えないけど、ガキでも知ってる薬だし、
 なんたって脳を酸欠にさせるっていう、僕的には最高にハイなヤツだ。

 ついこの間も、シンナー含めた“合法”麻薬をカラーギャング共に流したばかりだ。

「***********」

 今度は何語だ!? 英語かもしれない。
 英語だったとしても、真面目系クズの僕に語学力を求めないでほしい。
 日本に来たら日本語を喋ってくれ。

「*******……」

 ヤクザは指を立てた。
 何の暗号だ。右手をグーにして左手の小指だけ折っている。

 まさか。
 合法麻薬をギャングに流したのは港の四番倉庫だった。
 これは「4」を示す外国人流のやり方かもしれない。
 あの倉庫は僕の肝いりの隠れ家だ。バレるはずがない。
 でも、プロのヤクザの恐ろしさは、ネットで嫌というほど知っている。

「*****? ******? ******、*******?」

 ヤクザは小首をかしげ、アンパンを指差しては同じしぐさを繰り返す。
 麻薬の首謀者は僕だと睨まれているようだ。

 やめろ。僕が直輸入したわけじゃない。僕はただの運び屋だってば!
 だがそれを伝える語学力もなければ、伝えたところで助かる保障もない。

 どう逃げる。いっそのこと裏口まで猛ダッシュしようか。
 背中を向けた瞬間、ズドン……嫌だ。
 店主はまるで出てくる気配がない。助けを期待するだけ無駄だ。
 そうだ。外に助けを求めよう。スマホはエプロンのポケットだ。
 バイト仲間は――ダメだ。ただの女子高生だ。
 あの子も外国人っぽいけど英語喋れるか知らないし。
 インターネットの知り合いが次々に思い浮かぶが、びっくりするぐらい頼りになりそうもない!


* * * *



 怖がられている。
 必死に笑顔を作っているが、少年の手は震えている。
 そんなに私は怖いだろうか?
 おっと。ポケットから手袋がはみ出ていた。血痕はないが改めて押し込める。
 日本人は外国人に親切なわりに、外国人を怖がると聞いたが、首都の店でここまでとは。

 ああ、そうか。
 彼は田舎から上ってきたばかりなのかもしれない。
 だから外国人を見慣れないのだ。
 そう考えると、ろくろく英語が通じないのも頷ける。
 なんとなく親近感がわいた。
 私もカルムイクからモスクワに上がったばかりのころは、ロシア語が下手だ、田舎訛りだ、扁平な顔だと馬鹿にされたものだ。

 そうだ。私はスマートフォンを取り出した。
 翻訳アプリも良いが、ただでさえ怖がられているのに、さらに誤解を生んだら困る。
 私は番号を押して電話をかけた。


* * * *



 電話?
 オッサンはスマホで誰かに電話をかけている。
 かすかに声が漏れている。
 女だ。ヤクザの仲間か愛人か。
 でもこれはチャンスだ。いまなら逃げられる。
 僕はゆっくりと、ゆっくりと、後退りを始めた。


* * * *



「おはようございます、カルディアお嬢さん」
『なに、ギルテ。二度寝したいんだけど』
「また夜のお仕事ですか。若いんですし身体は大事にしないと」
『切るよ』
「ああちょっと待って待って。あなたにもお土産買いますから! お嬢さんは日本人ですよね?」
『一応』
「いま、日本から帰るところでしてねえ。土産に日本のパンを買いたいんですけれども、言葉が通じなくて困ってるんですよ」
『ふざけてるの?』
「大真面目です。アレ買いたいんです、ええっと、丸くてゴマが乗ってる、ここの警官が願掛けに食べるっていう」
『……アンパン』
「そういう名前なんですね」
『……エリザヴェータや、シエルジゼルにあげるんなら、もっと分かりやすく甘いモノが良いんじゃない。メロンパンとか』
「メロンが入ってるんです?」
『違うけど』
「はあ。とにかく、私じゃ分からないのでね、あなたが代わりに注文してくれませんか。適当なのを。ヘルさんや……桃樹さんにもあげましょうかね」
『相変わらず、マフィアのくせに年下に甘いね』
「ジジイですから。ほら、音量上げますからお願いします。あなたの分は余分に買っていいですよ」
『そもそも、そこで何が買えるかも分からないんだけど』
「日本でメジャーなものなら構いませんよ。ベツレヘム信徒にはウンとマズいやつお願いします」
『そんなものわざわざ売ってるわけ――』


* * * *



 ヤクザが顔を上げた。
 僕を見た。
 ヤクザの手が動いた。
 僕の心臓は凍りついた。


* * * *



 私はスマートフォンのスピーカーの音量を上げ、少年によく聞こえるように掲げた。
 懐を弄り、財布を探す。


* * * *



 なぜスマホをこっちに向けているかは分からないけど、
 ヤクザは僕を撃つ気だ!
 懐から拳銃を抜く気だ!
 話が通じないから、黙らせようとしている! 永遠に!
 逃げよう。地の果てまで逃げよう。
 息があがる。酸素が足りない。酸素が――


 ――――あ。


* * * *



『**********』

 スマートフォンからカルディアさんの声が響いた。
 やれやれ。これで万事解決。
 注文はカルディアさんに任せて、私は金を払うだけだ。

 がしゃっ。
 音がした。
 何の音だろうと見下ろすと、スマートフォンが落ちている。
 手が滑ったか。
 いくら耐衝撃とはいえ、通話が止まってしまう。
 しゃがみこもうとして、ぐらりと身体が傾いた。
 胸を抑える。落ち着け。どうした。歳か? そんな馬鹿な。まだ私は四十だ。
 息ができない。視界がちかちかする。頭がぼうっとして、力が抜ける。

『**********? **********?』

 最後に聞こえたのは、カルディアさんが繰り返す異国語だった。
 多分、“アンパンください”って言っていたんだろう。


* * * *



 …………。
 …………良かった。死んでない。
 あー、死ぬかと思った。
 どうしよう。通報すれば良いのかな。でも僕の行いがバレても困る。
 裏道に転がすにも、けっこうこのオッサン重そうだしなあ。

 ああそうだ。
 もうそろそろ、遅めの昼食を買いに、探偵サンが来る時間じゃないか。


* * * *



 その日、東都探偵倶楽部の連絡先リストにひとりの男が追加された。
 ベーカリー・ハコラのアルバイトによると、店先で商品を選んでいたところ、突如胸を押さえ倒れたとのことだった。
 心筋梗塞かと疑われたが、身体に異常はなく、医者も首をかしげた。

 男は探偵の助けを借り、箱いっぱいのメロンパンとアンパン、そして店主謹製『納豆&くさやパン』を土産に、空港からロシアに帰国したという。





「Прелюдия 少女人形達の歌と、パン。」

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最終更新:2016年01月07日 11:03