揺れる。
嗤う。
触れた先に……にじむ、アカ。
快楽に飲まれる顔が、恐怖に歪に歪む。
……嗚呼、今日もダメだった。
「だぁめ。……誘ったのは、そっちデショ?」
こぼれる悲鳴をゆるり、塞いで。
夢幻に溺れる熱情の中で、そうして今日もまた、泡沫の安息を得るのだ。
例え、それがどれだけむなしくとも。
* * * * *
父は、仕事一筋の人だった。
母は、小さくも劇団に所属していて、あまり帰ってこない人だった。
一人で家にいるのは寂しかったけど、それでもあたしは両親が好きだった。
だから、大きくなって少しずつ父さんから仕事のことを教えられるようになった時は、純粋に嬉しかった。父さんの背中に追いつけることが、嬉しかった。
だからだろうか。何も言わずにいなくなった時、あたしはひどく悲しかった。
ねえ、どうして行っちゃったの?会社を守っていくのは自分しかないって言ってたじゃない。
戻ってきてよ。帰ってきてよ。父さん。
……そう、純粋に待っていたあたしは、今思うととても無知で、とても愚かだったのだと思う。
帰ってきたあの人は、もう以前のあの人ではなくなっていた。
信頼していた人に。守ろうとしていたものに裏切られて。何も信じられなくなったあの人は、もうコワレてしまっていた。
浮かべる笑みは怨嗟の笑み。
吐き出す言葉は、呪いの言葉。
その異質な雰囲気に触れた者は、皆同じように狂っていった。
一つ疑えば刃をかざして。一つ惑えば恐怖に溺れ。
――そうして世界は赤く染まっていった。
濁った眼で転がる母さんの死体。
片腕がなくなったおばあ様の死体。
真っ赤な血だまりに沈む使用人達。
その中で父さんは笑っていた。
壊れてしまえと嗤っていた。
そうして、あたしは。
あたし、は―――
* * * * *
「……さむい…」
ごろり、シーツにくるまって、寝返りを打つ。
時刻は未だ深夜。一度は眠れたはずなのに、すぐに意識が戻ってしまった。
まどろみの中で、目を開く。――周囲には、おびただしいほどの死体が転がっていた。
見覚えのある顔。当たり前だ。全部、自分が狂わせてきた者達なのだから。
鈍く燃えて。黒く爛れて。切り裂かれて。赤く染まって。
「………許されちゃ、いけない」
言い聞かせるように、呟く。
そうだ、今までだってそうだった。手を伸ばせばあっけなく壊れていって。そうして、いつしか伸ばすことすら諦めたのは、自分だったはずだ。
あの時自分も壊れてしまったのだ。父の、呪いを受けて。
そうだった……はずなのに。
どうして、こんなに痛いのだろう。
「違うんだ……あんなことが、言いたかったんじゃ、ない」
本当は……もう一度、触れてみたかった。
初めてあのセカイを怖がらなかった人に会えたのが嬉しかった。
初めてあんなことを言ってもらえた。
暖かくて、暖かくて……できることなら、もう少しだけその暖かさの傍にいたかった。
いられるだけで……よかったのに。
ああ、わかってしまった。あの笑みが、どうしても痛くて、見ていたくないと思ってしまった、理由。
自分に似ていると思っていたけど、それだけじゃなかった。
アイツは父さんだ。人を信じられなくなって、迷って、そうして苦しんでいる人。
ああ、どうしよう。自分はまた間違えてしまったのだろうか?また、誰かを傷つけてしまったのだろうか?
一度浮かんだ黒い感情は、胸を渦巻いて、苦しいほどに締め付けて、そうしてまた、心は深く深く沈んでいく。
以前なら一度熱を重ねれば夢も見ず眠れたのに、近頃はそれすら冷たく感じるようになってしまった。
全部あのぬくもりを知ってしまったせいだ。ずっとほしくてたまらなかった、優しい手を知ってしまった、せい。
でもオレは自らその手を壊してしまった。……次、オレはどうやって顔を合わせたらいい?
幻はオレを責めたてる。
囲い、這いずり、冷たく撫でる。
眠れない。終わらない。
助けられない。救えない。
オレの手は結局、何かを壊すことしか、できない。
許されないのなら――いっそ、あの時、終わっていた方が、よかった?
「………たす、けて」
助けて。
父さん。
黒紅に沈む
『探さないで』
たった一言を残して、その日彼女は、アジトから姿を消した。