その少女の姿は枯葉の舞い散る秋のIノ頭公園の風景からは明らかに浮いていながらも、
まるで少し目を離せばそのまま空気に溶け込んでいってしまうように自然でもあった。
車いすの背に体をゆるりと凭れさせ、ひじ掛けに両手をのせたまま、
呼吸さえしているのかどうかという静かさで、彼女はそこにいた。
まっすぐに散歩道の向こうへ向けられた顔と視線は、だが何も見ていない様にも見えた。
「……一人なの?」
その様子があまりにも儚げだったからなのか、それとも他に何かあってなのか、
傍らを通りすがった長身の青年が立ち止まってそう、尋ねた。
ナンパというわけでもなく、障碍者を心配してというわけでもなく、
ただ聞いてみたかった、とでも言いたそうな表情、
年のころは二十歳前後、片手に抱えたスケッチブックといくらかの画材。
覗き込んだ瞳に映った彼を含めたそんな風景を彼女がどう考えたのかは彼にはわからない。
むしろ、うつっているだけで何も見えてないのじゃないのかと思ったくらいだ。
そうして視線が合ったことや、続いて微かに振られたような気がした彼女の首に、
「あ、ちゃんとわかるんだ」と逆に驚いたほどに。
首を振ったのち、彼女はもう一度、先程からじっと見ていた散歩道の向こうへ視線を戻したように
……彼には見えた。
「ああ……誰か、待ってるんだ?」
こくり、彼女が頷くのに彼も頷いて。
ひじ掛けの上に置かれた白い手の甲に、ひょいと自分の手を重ねる。
触れた手は驚くほどに冷たい。
唐突な接触にぴくり、と彼女の体が強張ったのちに、
何やらとても不思議そうな表情で少女ははじめて目の前の彼を見た。
まるで、何故、普通に触らせてしまったんだろうと驚いてでもいるかのように。
「手ェ、冷たい……。だいぶ長いコト待ってるの? 寒くない?
こんなトコで一人で待たせて、彼氏だか親だかしらないけどしょーがない奴だなあ?忘れてんじゃないの?」
ふるふる、と彼女は首を振る。全部『違う』で答えられる質問だったから、迷わずに続けて首を振る。
さいごの二つのぶんだけ、強い否定と、怒りを込めて。
あのひとのことを、通りすがりのあなたにどうこう言われる筋合いはない、とばかりに。
「……あ、彼氏か。ゴメンゴメン」
その様子に何か感じたのか、目の前の男はにっと笑ってそう軽い調子で謝ると、
改めて彼女の左手を何やら少し真面目な顔をしてしばらく眺めている。
「コレと、コレだったら、ドッチが好き?」
そうして、片手で持っていた顔料がいくつかセットされた携帯パレットを開いて、彼女に尋ねてくる。
その二つだったら、そっちのピンク。 でも、あのひとの悪口を言う人なんかに口をきいたりしない。
華やかなパレットの色模様からふい、と意識を背けて再び散歩道のほうへ視線を戻す彼女。
「ピンクのほう、ね。 何がいいかなあ……寒いから、じゃあ、山茶花」
驚いたように見える彼女に、視線合わせて、軽く笑う青年。
「え、違った?……コッチがイイって聞こえたと思ったんだけど。
……ちょっとジッとしてて。すぐすむから。デートなら、お洒落しないとサ」
などと言いながら、ひじ掛けに置かれた彼女の左手にぺとり、と落とされる絵筆の濡れた感触。
振り払うことも、『彼』を呼ぶこともできたはずなのだけれど、
なんとなしにそんな事を考えている間にも手慣れた様子で彼が自分の手首から手の甲にさらさらと描いていく薄いピンク色の花の図柄に彼女は見入ってしまう。
――サザンカは、おひさまだけあてておけば元気に育つし、水やりもあんまり気を使わなくてもいい、手のかからない子。
だけどね、寒さに強いと思われてるけど、あんまり寒いと枯れちゃうこともあるんだよ。
そんな植物話をするほどこの行きずりの男に打ち解ける理由も無いので心の中だけで未亜がそう呟いたころには、
細い鎖で手首から手の甲に飾られた遠目に見れば凝った細工のアクセサリのような、山茶花をモチーフにした彼のボディペイントは完成していて。
正直、こんな体になってから無縁だった彼女のお洒落心をかるく擽るには十分に、それは良い出来だった。
何か、こういうのを専門にしている人なんだろうか。
「出来上がり。あ、気に入ってくれた?」
等と満足そうに青年は呟いて。それから聞こえてくる遠くから近づいてくる足音が少し何かを感じたように早足になるのにそちらを軽く振り向いた。
ああ、『彼』が戻ってくる。
「……おっと、彼氏のお出ましかな。じゃあ、サヨナラ。似合ってるよ。
可愛い。彼氏も気に入ってくれるよ、きっと」
何だか勝手なことを言ってパチンと音を立ててパレットを畳むと、青年はその場を立ち去っていく。
ほどなくして息せき切って走ってくる彼。 その両手に私がよくここで池を見ながら食べたいと我儘を言った、
この場所からはだいぶ離れた場所にあるアイスクリーム屋さんの、アイス。
「未亜? なんか変な予感したから走ってきたんだけど……誰かいたのか?」
心配そうに尋ねた彼の表情は、私の左手を見てさらに固くなる。
「うわっ?! 何だよコレ、誰か居たんだな? くそ、お前が動けないのいいことにラクガキしやがって
……帰ったら、ちゃんと、すぐに洗って落としてやっからな?」
……そう、そうよね。心配そうに私の手を取り上げて、彼は怒っている。
だから、私も、あのいきずりの人にしそびれた返事はそのまま忘れておこう。
綺麗な花の模様が確かにちょっと気に入って、心が躍ったこと。
もし見せたら彼は「おっ、カワイイじゃねーの」なんて笑ってくれただろう、昔の私たちのこと。
それでも、そうして私の事だけを心配して怒っている彼にとっては私のことが一番で、
彼は間違いなく私だけのものだと実感できることに比べれば、申し訳ないけれどそんな事はどうでもいいと思ってしまう事。
<了>
プアレナさんとミアちゃんに
ミサコがニアミスしたいつかのお話、ということで!
鈴黒さん監修ありがとうデシタ。 (さい)
最終更新:2016年01月08日 02:47