《 即ち昨今の異常事件は、精神異常者の犯行が多い。 》
最早読み慣れた一節を指先でなぞり、男は口元に笑みを浮かべる。
巨大都市T都はその人口に比例して多くの闇を抱える街であり、それは即ち男の愛する犯罪行為が多い街、という意味でもある。
夜の闇すら煌びやかに彩る街はその実、どうしようもならないほどの罪業を溶かし込んだ坩堝、闇と異能の街なのだ。
(まあ、それ故にこの街が愛しいって思う俺もまた、そのうちの一人ってことなんだけどさ。 ……にしても、また何処の馬鹿なんだろうな?
懲りずにアイツを狙うのは。)
口には出さずに、ただ僅かに笑みを深めて。座り心地の良い椅子から立ち上がった男は、奥へと声を投げる。
「ルーシー嬢、留守を頼めるか?」
「はい、大丈夫ですけど……今日はどちらへ?」
奥から顔を出した少女――お茶汲みと称しているが、頼もしい助手だ――にうっそりと笑ってみせて、男はコートを手にとる。
「何、ちょっと古巣にね。」
その男、通称を『ミラビリス』。 東都探偵倶楽部の所長であり、探偵。 彼もまた、異能を抱える一人である。
* * *
国立中野総合病院。緑に囲まれた静かな病院が「公安33課」の本拠地であることは、その筋では有名な話だ。
第六疾患者と呼ばれる、精神的倒錯疾患より生じる異能を有する者たちを保護すべく設立された病院の地下、特に厳重に隔離された区画。そこを訪れる者は、治療に当たるもの以外ではミラビリス一人であろう。
……近づく許可すら下りないのだ。ここに『保護』された患者の危険性、それ故に。
どことなく怯えの色を浮かべた医師の脇を抜け、ガラスの壁の向こう側に、小さな姿を認めると、ミラビリスはそっと微笑んだ。
「イヴ……来たよ。」
「にいさま!」
弾かれたように立ち上がった小さな姿。それは、稚い少女であった。病院の中にはそぐわぬ、パステルピンクのワンピース。造花の花冠。ガラス張りの部屋に転がる、無数のぬいぐるみ。
イヴと呼ばれた少女は、ガラスの部屋の中へ入ったミラビリスに躊躇なく抱きつく。ミラビリスもまた、当然のようにイヴを抱きしめ返した。
「いい子にしてたか?」
「うん! さみしいしさむいけど、ちゃんとがまんしたよ。」
褒めて、というように笑うイヴの頭をミラビリスの手が優しく撫でる。その様子を、不気味なものを見るように眺める医師や研究者たち。
やがて、短い逢瀬を終えて外へと出てきたミラビリスは、仕方ないとでも言うように肩をすくめた。
「……妹を、よろしく頼む。」
言い置いて立ち去る男に、向けられる視線。上機嫌な歌声の聞こえるガラスの部屋の中に向けられるのは、やはり怯えの色が混じる。
その稚い外見から、誰が想像できるだろうか? 彼女こそが、かつて1週間で30人を超える人を虐殺してのけた、その犯人だと。
* * *
関係者区画から一般区画を経て、再び関係者区画へ。事務所の受付から中を覗けば、そこには知り合いの顔があった。
「いたいた。 よー、キース。」
「お、ラビりんおひさ! 今日も見舞い?」
「おーよ。ついでにちょいと情報、貰いにきた。 ……またぞろアイツに手ぇ出そうとしてるのがいるってな?」
「流石ラビりん、耳が早いな。」
朗らかに笑う元同僚、通称、キース。彼もまた疾患による異能を持つものであり、公安33課のメンバーである。
……かつて、ミラビリス自身もこの場にいた。既に懐かしいとすら思える、遠い記憶だ。
「イヴの周囲から誘拐っぽい気配がしたんでな。で、何処かと思って。キースなら知ってるんじゃねーか、ってな」
「いや、まだあんまり。大きいところが動いてる気配だけど……ってかラビりんそこまで察してるなら自分で動こうず!」
「動くけどさぁ。こっちの情報欲しいんだよ。 大きいとこってーと……相性的に厄介な〝ルフェウス〟とか〝与太郎〟は『ハーメルン』だけど、あそこは動く理由ないだろ?
華僑系だと〝毒蛇〟あたりが厄介か。……それともまた『コンビナート』の〝ギルテ〟か? 交渉通じないって解ってるだろうに。」
「『コンビナート』の方な。まだ未確認だけど、〝カルディア〟が動いてるっぽい」
「うげ、戦闘のトップクラスじゃねーか……。」
面倒だ、と肩を落として溜息をつくミラビリスに、キースは苦笑する。
「この件は情報流してイイって上司に言われてるし、ラビりんもいろいろ探るんだろ? 頑張ってなー。」
「………おー。」
微妙な顔をして呻くように答えて、ミラビリスは顔を上げる。
「また暫く、厄介なことになりそうだなぁ」
言う内容とは裏腹に、その目に宿すのは蕩けるような光。夢見るような、焦がれるような眼差しは、やはり彼もまた疾患者であることを示しているようであった。
これは、一つの物語の始まり。
或いは、過ぎ去った物語の懐旧の、その序章。
罪と病と異能の混じる場所で起こった、ほんの些細な、はじまりの一節。