考証

登録日:2020/01/03 (金曜日) 19:37:00
更新日:2024/05/06 Mon 22:15:02
所要時間:約 10 分で読めます




考証とは、「文献資料を頼りにして、過去における事実関係を明らかにしたり、その当時の人が使った服飾品・道具などを復元したりすること」である*1
要するに「昔の事について、文献に基づいて実証的に説明すること」である。

――であるが、「SF考証」という言葉があるように、単に時代考証だけの話ではない。

ここでは「創作において現実味を持たせるために色々調べること」であると定義する。


概要

鑑賞者は不可解な組み合わせに出くわした場合、その中間を自分の文化の常識で意識的・無意識的に補おうとする。作者の説明はその補完を誘導するものであるが、これが受け手にとって納得がいかないか不十分であると、受け手は積極的に補完を行おうとする意志を失ったり、新たな情報に集中できなくなったりする。

考証に基づいた説明はもっぱら受け手に生じた(作品・作者に対する)疑問や疑念を晴らし、作品に特有の考え方のルール(リアリティライン)が通底していることを読者に保証するために行われるものであり、多くはその場で簡潔かつ正確に行われるかその余地があることが明示される。
一方で受け手は新たな知識を得たことによる視点の転換を楽しんだり、作者の知識・観察力に感嘆して賞賛したり(すなわち作者をある種のアイドルやキャラクターとして消費したり)もする*2。このような場合では説明は長くなり、話は一旦脇道に逸れるものの、受け手の熱量は維持される。

リアリティライン

作品はそれぞれについて特有の「リアリティライン」を持つ。リアリティラインは通常物語の初めに示され、視聴者ないし読者がその物語における「現実」の基準と考えるものである。リアリティラインが正しく設定されていないと受け手はどの程度まで真面目に作品に取り組んだら良いのか・自分が今どの場にいるのかが分からず、思考を放棄したり、混乱したりしてしまう。

リアリティラインの生成には以下のような原因があると思われる。虚構の世界においては完全に写実なものを描くことはできず、アニメ絵で手の皺の一本一本まで描くことがないように、常に受け手が現実と対応させきれない部分が存在している。しかも虚構であるが故に例えばその世界には魔法が存在するのかだとか、現実世界と同じ歴史を歩んできたのかといった不確定な前提も存在している。鑑賞する者はその部分を想像で補うほかない。想像で補うということは劇中の出来事からその世界を支配しているであろう法則を予想するということである。したがって序盤に主人公が崖から落ちて痛い思いをすれば読者は物語の世界をこの世に近いものだと想像するし、必殺技の名前を声に出して叫べば読者は「この作品は頭でなく心で理解するべきだ」と思うかもしれない。

複雑な、込み入った話を書く場合には自ずとこのリアリティラインが高くなる。もちろん工夫によっては部分的にデフォルメを行うことは可能かもしれないが、少なくとも複雑にしたい部分に関して写実な描写を欠いた場合、受け手は作者の意に依らず特別な意図を警戒してしまう。そのような警戒をさせたくない場合はリアルに見えるようにしなければならないのであり、しかも読者層にそれを専門とする人が一定数居ると考えられる場合には、リアルに見せようともっともらしい説明を加えるだけでなく、それが取材や計算に基づいた学術的に正確なものでないと批判を受ける可能性がある。

考証の意義

異世界などが絡むタイプの創作(いわゆるハイファンタジー)だと、後述するようにこちらの世界の歴史・科学等や他作品から類推することによって作られた設定などを用いない場合、こちらの常識が通用しないため、現在はあまり気にする人はいない。
また、絵本や一部の児童文学等のように、伏線や科学的要因などのSF的な要素だけで成り立っているわけではないような作品では、この手の批判は当然ながら成立しない。
したがってここでは、対象を広義のSF寄りの作品に絞って解説する。

二次創作において

二次創作や制作者の原作と異なるリブート作品では話の幅を広げたり、登場人物の感情を表現したりするためにあえて原作の矛盾を利用する手法がしばしば取られる。

時代考証

ジャガイモ警察という言葉があるように、ある時代にタイムスリップした場合などに、その時代と合わないものが出てきてしまった時、時代的におかしいことになるので、非難の対象になることもある。

特に「この時代にここで戦争があるのでそれを利用しよう」などというように歴史要素を絡めてくる場合などは、背景となるものを調べておいた方が無難。
異世界モノに関しても、「この世界は中世ヨーロッパ風なので、きっと半袖だと警察に捕まる」などと唐突に設定を出す場合、もはやこちらの世界の常識が異世界に通用しないとは言えなくなってくるので、時代考証が必要になってくる*3

食べ物で言うと、トマトジャガイモ、唐辛子、ナス、トウモロコシといった野菜やチョコレートの原料であるカカオ豆は、大航海時代に新大陸(南米大陸)から来ているので、中世のヨーロッパやアジア圏ではまずお目にかかれない。
マイナーな所では結球種の白菜。16〜18世紀に中国で改良される前はシロ菜に近かったらしい。

科学考証・SF考証

科学考証はミステリー等における現実世界でのトリックなどが、SF考証は現実ではあり得ない設定やそれに伴う展開が出てきたときに、それに付随して起こる現象などが科学的に正しいかどうかを検証する。

前者は例えば、隠し通路を探すのにちょっと地面を叩くだけで本当に大丈夫なのか、向こう岸の建物からロープで吊るした死体を振り子状に移動させて川を横断させることは可能か、といったような話。

後者は例えば、超能力で長距離を高速移動すると時差があるとか、衝撃波が発生するとか、光速を超えると質量が無限大になるとかいった類の話。『空想科学読本』で扱われる部分である。

空気がない宇宙空間で音がするのはおかしいとか、爆発したら光と同時に音が届くのはおかしいとかいう類の話も、これに当てはまるかもしれない。
ただこれは演出の都合もあるし、ガンダムのパイロットもそうみんながみんな後ろに目がついてるような猛者ばかりとは限らないので、もしかしたら機械が視覚情報を音に変換してくれているのかもしれない*4

ひとくちに科学と言っても、人文科学(ソフトサイエンス)・自然科学(ハードサイエンス)の違いに始まり、色々な分野がある。
自分の専門分野についての知識を中心につけていくと、リアリティのある世界が作れるはずである。

科学の例

自然科学とは再現性があるもののことを指し、人文科学や社会科学とは区別される。
人文/社会科学に再現性はないが、例えば単語の語形変化や交差婚の共同体での役割、羨望の性差などのように、統計から大まかな傾向を得ることは可能であるため、これらは統計の知識を必要とする。

人文科学/社会科学

言語学
語学が個別の言語の学習を主としているのに対し、言語学は単語や文法ができる仕組みや、社会との繋がりなどを研究する分野である。
人工言語を作る場合は大体ここの範疇である*5

文化人類学/民俗学
部族社会や集落等を研究することにより、さまざまな風習に隠れた人の意識や、文化の持つ役割を探る。
とはいえ創作ではもっぱらその具体的な方法(通過儀礼とか)の方が描写されがちである。
また異なる文化間の不理解など、フィールドワークで得られた経験が活きる場合もある。
これらを生かした作品は「ヘテロゲニア リンギスティコ ~異種族言語学入門~」や「精霊の守り人」などがある。

宗教学
キリスト教等のメジャーな宗教から、新宗教や部族宗教まで幅広い宗教を研究する。
文化人類学や心理学、文学など他分野との関わりも深い。
また神話学と呼ばれる分野では様々な神話の類型が調査されており、創作宗教を作る際には有用である*6

社会学
国語の評論文とかでよく出てくるのがこれ。
文化人類学が文化の類型や多様性に焦点を当てているのに対し、社会学は現行の社会が抱える問題や権力関係を研究する。
社会学を取り入れたカート・ヴォネガットやル・グヴィンの作品のようなSF小説はしばしば「社会派SF」と称される。
最早未来を予測するのは不可能と言われており、実際後から理由をつけているだけのため、架空の世界を作る場合でも文化や習俗の創作というよりは精神性の創作に向いている気がする。

倫理学
哲学との関わりが深い。
下位分野に応用倫理学があり、アシモフのSF小説「われはロボット」などに顕著。
なお、和辻哲郎の『風土―人間学的考察』は文化人類学などよりは倫理学の範疇にある。

経済学
人類学や社会学とも関わりが深い。
数学を用いることが多い。
狼と香辛料』などが有名。
SFではル・グヴィンの『所有せざる人々』など。

心理学
人間の心理について立てられた仮説を実証するため、統計などの数学的な知識を必要とする。
教育学と密接な関係がある。
深層心理学とはおそらく別物だが、統計によって確かめようとすることもある。
HUNTER×HUNTER』などの漫画に用いられている他、ファンタジー以外でもいわゆる体癖のようなものもしばしば創作に用いられる。
二次創作では心理学を用いて登場人物の感情を読み取ったり、心理学的に不自然な記述を原作からあえて抽出して自分なりに解釈する場合がある。用いられる知識は特に発達心理系に偏っているらしく、このことについて創作者側の社会学的な要因も絡んでいるのではないかなどと憶測が飛び交っている。

政治学
ゲート 自衛隊 彼の地にて、斯く戦えり』などのように、国家レベルの動きを考える際に重要となってくる。

哲学
哲学の知識を持っているキャラクターのキャラクターづけのために使われることがある。
あるいは考証というより創作のヒントを得るために利用するケースの方が多いかもしれない。
とはいえ中には様々な文献によって作られた作品もある*7

美学、文学
何を美しいと感じるか、あるいは芸術の体験はどのようなものか、もしくは今までの作品で扱われてきたものはどのようなものか、ということを研究する。
ファンタジーやSFのごく一部のジャンルでは小説の内容とこうしたメタ的な要素が絡んでくる場合がある他、主要な人物の行う社会活動にも文学の知識が用いられる場合がある。

自然科学

数学
自然科学を理解するために必要となる他にも、歴史とともに発達してきた道具は高校数学の知識で作れる場合があり、やる夫スレなどの異世界モノでは異世界の現地住民の使う道具を数学によって数世代後のものに改良するなどの方法でしばしば出てくる。

物理学
ローレンツ力やヤング率などといった用語は物理学の範疇である。
  • 力学
  • 熱力学
  • 電磁気学
  • 量子力学
    • 難しいので分かってる奴も分からない奴も使わない方がいいってSCP Foundationの規約に書いてあった。量子論的引き寄せの法則とはきっと別物。
  • 相対性理論
    • 量子力学よりは扱いが簡単らしく、『レッドシフト・ランデブー』というSF小説で扱われている。

化学
フィクションではの説明に使われることもある。異世界モノではハーバーボッシュ法が有名か。

生物学
  • 分子生物学
  • 分子人類学
  • 生態学
    • モンハンでよく出てくる。

地学
地球やその他の星の地形や地質、天候を研究する。
  • 地形学――プレートテクトニクスや火山を研究する分野と、浸食や植物による地形の変化を研究する分野とがある。ブラタモリで出てくるやつは「地形発達史」らしい。

工学
物理学や化学を応用した分野。
  • 機械工学
  • 材料工学
  • 流体力学
  • 熱力学

医学
とある魔術の禁書目録』などの医学的な考証をした動画がある。

総合的なもの

軍事学
いわゆるミリタリー。
兵士の心理や政治的な要因といった人文科学・社会科学的な面と、兵器の性能や作戦行動といった自然科学的な面がある。
似たようなものに「地政学」と呼ばれるものがあり、これは地理的な要因と軍事とを結びつけてかんがえるものである。
学問には含まれないとする考えもあるものの、一つのジャンルを形成している。

地理学
地形学などの自然科学的な要因と、石材の利用などの社会科学的な面がある。
異世界の創作において大きな役割を占めている。

論理学
倫理学や数学などに応用される。

…などなど。

その他の考証

土木、車、アルバイト、警察、看護、風俗……専門分野の数だけ考証の余地がある。
スタートレックの脚本家で知られるハーラン・エリスンはリアリティ追求のためにゴロツキの仲間に加わったらしいが、ここまで来ると取材に近い。

考証の是非

例えば異世界ファンタジーの場合、人が住んでいて人の言葉を喋れる設定なのに地質や言語や文化だけ創作し、リアリティを持たせるのは中途半端であるという意見もある。
特にそうしたリアリティを持たせた分だけ、この手の疑念は大きくなることだろう。
例えばそれは偶然そこにたどり着いたのではなく、その世界から召喚されたとか、何かしら地球と異世界との間に関係があるとかいう設定になることが多い。
論理を作品に加えてしまうと、隅々までそれを通底させなければならなくなるのは、さながら『るろうに剣心』が下手に史実のキャラを出したせいで飛び上がって斬るなどのファンタジー的な技に疑念が持たれやすくなったのと似ている。

「センス・オブ・ワンダー」という言葉がある。
要するに異世界感には真新しさが必要があるという説であり、ガンダムが関節という弱点を曝け出しながら戦ったり、日本が沈没したり、本来はあり得ないことが起こるのはそれが面白いからに他ならない。
ファンタジーやSFを描くには、こうしたワンダーが必要不可欠なのである。

では「考証が必要ではないのか」というと必ずしもそうでもないらしい。
「大嘘ついても嘘つくな」という言葉があるように、少なくともSFにおいては他の本筋とあまり関係ない部分や、その嘘の補強にあたる部分を正確に描写することにより、大嘘を本当らしく見せることに美学が置かれているのである。

一例として『けものフレンズ』を挙げてみよう。
同作における「大嘘」といえば、勿論動物の美少女化である。
そしてこの「大嘘」の周囲は「元になった動物の能力や習性」という生物学考証によってガッチリ固められており、これによってフレンズらが「動物のコスプレをした美少女」ではなく「美少女の姿に変化した動物」であると感じられるようになっているのである。

考証されていなくても技術さえあれば、それっぽい説明で大抵の人は騙されてくれるのであるが、これにはそもそも考証の知識が必要なのである。

とはいえ重要でもないことにまで突っ込んでいくのは、人によってはやりすぎと思える。
考証する以前にある程度「そういうものだから」と納得することも必要だろう。

見地とターゲット層の違い

上記のような学問や基準によって最適解が食い違う場合がある。
仮に、人類の大半が死滅した設定で、生き残った人間が銃を手にするシーンを考えてみよう。

ミリタリー的な考証では、例えば銃を持つ際の銃口の向き、指の位置が安全かどうか、あるいは、手に対する銃の大きさや構えた時の重さによる姿勢の変化などに焦点が当てられる。

では、生き残った人間というのがそういった知識を持っているかというと、必ずしもそうではない。
銃を持っていることから、どこかしらで使い方に関する知識を手に入れてはいるかも知れないが、独学の場合もあるし、扱いに関しては当然間違いも起こりうる。むしろ間違っていた方が、SF的には正しいのかもしれない。

このように、分野の違いからどちらが正しいか分かれることがある
媒体や条件によって受けれられる条件が変わることは珍しくないため、どちらのファン層に売るかによって、使う知識を分ける必要がある。
つまりファン層が異なる場合、その都度何かしらの説明をしなければならないだろう。
例えば『るろうに剣心』の弥彦が「殺人技術に長けたプロの大人を何人も倒す」という描写について、連載当時は批判の声が大きかったが*8
仮に掲載誌が『週刊少年ジャンプ』ではなく『コロコロコミック』であったならば、このような事態が起きることはなかった可能性がある*9

コスト等の問題

正しい知識があるからと言って、それを実践できるとは限らないし、実践することが正しいとも限らない。

例えば映画『ラストサムライ』では富士山をバックにしたシーンがあるが、やむを得ず富士山ではなくニュージーランドのタラナキ山が使われたという話は有名である*10

またミステリーにおける殺人トリックは、意図的に間違った描写をする必要が生じる。
これは正しい知識に基づいて正確に描写してしまうと、現実で模倣犯を出現させる恐れがあるためである。

間違った描写をした方がよく売れる・よく儲かると判断されるケースもある。
トラベルミステリーの大家・西村京太郎は生前、自身の作品について「鉄道マニアがツッコミ目的で買ってくれるため、最低一つは鉄道関係の考証ミスを入れていた」と述べていた。

制作コストの面で言っても、考証ばかりしていたのではいつまで経っても作品は完成しない。
アニヲタの間で有名な例といえば世界一腕の立つ殺し屋か。
彼は実は少年兵出身で、構えが変なのは当時の癖が残っているから……と言うのではなく、単に恋愛漫画の内容で銃について無駄に凝った描写をしても見る人がいないというのが正しい。
ぶっちゃけ「雰囲気が楽しめればそれでいい」という人が大半である。

出典の正確性

歴史や科学の解説書には出鱈目や憶測が多分に含まれているものもあるため、よく吟味しなければならない。
本に書いてあることが全て正しいとは限らないのである*11

健康マニアが医者にはなれないように、原理をある程度知っておかないと思わぬところでオカルトや疑似科学といった落とし穴に嵌る場合がある。

また、我々の科学も日々進歩しているため、今までの仮説が誤りとなってしまう場合も往々にしてある。
ウェルズの『宇宙戦争』の冒頭が良い例である。

場合によっては出典にしたいものがやむをえず内容を変えている事もある。
銃を例にとってみれば、モデルガンの銃口の内部の形状やSMG・SPG*12マークの表示がそれである。

文化人類学で言えば、民話と再話の違いも重要である。
三国志』を例にすれば、作者が話を面白くするために史実に創作を加えているが、それはある特定の民族で語られる話にも言え、その民話がどこから伝わってきたのか、どのような心理・社会の仕組みがその話を作らせたのかといった考察をする際に、そういった創作を出典とするのは適切ではない。

演出との折り合わせ

例えば時代劇で本当にお歯黒をしていたり、眉毛を剃っていたりする大奥が出てくるのは稀である。
一般受けを狙いたいなら、このように見栄えを重視する必要も出てくる。

先に例に挙げた銃で言えば、銃を画面に入れるために構えを変えたり、銃であることの記号として持った際に音を鳴らすなどの演出がされたりする。

また、変装するシーンで明らかに視聴者に正体が分かるような変装をするのも、この演出を重視した結果である。

大河ドラマ『麒麟がくる』ではキャラクターのイメージカラーが五行で決められていると言われているが、そのためか主人公の服装が画質等によっては浮いて見えてしまうこともあり、演出と考証との折り合わせを考えさせられる。
宮崎駿アニメなどはそうした演出の周辺を他ならぬ考証によって埋めることで本当らしく、かつワンダーに見せていると言えよう。

言語で言えば、年齢や性別、身分等に応じた言葉遣い(「〜じゃ」「〜わ」「〜てよ」等)がテンプレとして存在していたりする、所謂役割語の問題がある。
ボディーランゲージでも美味しい時に頬に手を当てるといった仕草も現実ではあまり起こり得ないことを行う場合がある*13

美術面ともなると現実と演出との乖離は顕著となる。
もともと超現実主義などの自己表現を重視するアートや、アニメキャラの目を大きくするといったデフォルメが多い界隈だからである。
ここでもコンタクトレンズの大きさが食い違うなどの問題が多発している。

現状

ここまで読んで分かる通り、要するに完全な考証というのは不可能なのである。
誰も全てを知っている訳ではないが、かと言って想像が出来なければ物語は生まれないので、ある程度妥協しなければならない。

また上記のような演出やターゲット層等の関係もあり、ドラマ関係では特撮が銃の扱いが凝っているのに対し、特撮以外ではそれ程でもなかったりする。
これは前者の層にミリオタが多いのに対して、後者はそれ以外の数が多いことに起因する。


追記・修正よろしくお願いします。

この項目が面白かったなら……\ポチッと/

+ タグ編集
  • タグ:
  • 創作
  • 考証
  • フィクション
  • 時代考証
  • SF考証

このサイトはreCAPTCHAによって保護されており、Googleの プライバシーポリシー利用規約 が適用されます。

最終更新:2024年05月06日 22:15

*1新明解国語辞典』第六版による。

*2 この二つの感覚は通常、区別できないとされる

*3 因みに中世というと14世紀ぐらいだが、魔女裁判があるのはもっと先のルネサンス以後らしい。

*4 コックピット内で聞こえる音について言及されている作品として、『機動戦士ガンダム 光芒のア・バオア・クー』『機動戦士ガンダム 逆襲のシャア ベルトーチカ・チルドレン』が挙げられる

*5 特に言語類型論、生成音韻論、音声学、社会言語学など

*6 例えば王立宇宙軍では火の発明に関わる神話において犠牲が払われるが、これは日本神話の軻遇突智やギリシャ神話のプロメテウスなどに通じる。

*7 例えば、SFアンソロジー 「アステリズムに花束を」に所収の『隔世機関』など

*8 弥彦は剣を習って半年の小学3年生に該当するため、現実的に考えた場合、ありえない描写である。

*9 『コロコロコミック』において「小学生が市販品を改造したオモチャを使ってプロの軍人やテロリストを行動不能にする」という作品はちょいちょいある。

*10 許可が下りなかったため。

*11 取り敢えずカズオ・イシグロの『日の名残り』でも読んでみるか、異なる著者の歴史の本を複数読んでみるかするとよく分かる。

*12 前者は金属製、後者は樹脂製モデルガンの安全基準。

*13 これらは現実に逆輸入される場合があるので一概にそうとも言えないが