基本プロフィール
生年月日 |
1963年4月12日 |
職業 |
フリーアナウンサー |
クロノスプロフィール
総参戦回数 |
1 |
賞金獲得回数 |
0 |
復活回数 |
0 |
逃走時間 |
19分42秒 |
逃走率 |
16.42% |
逃走ポイント |
118.2 |
各回成績
逃走中
出演回 |
逃走時間 |
逃走率 |
逃走ポイント |
順位 |
備考 |
ハンターと強欲の王 |
19分42秒/120分 |
16.42% |
118.2 |
18位/19人 |
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略歴
1987年にフジテレビに入社し、同年初回放送となった「FNSスーパースペシャル(現・FNS27時間テレビ)」の提供読みを担当。その後「タイム3」「とくダネ!」など報道番組を中心に出演。「とくダネ!」ではベスト姿のトレードマークで20年に渡りサブ司会を務めた。また、2011年の東日本大震災の際には民放関係者で最初に被災地入りし現場の状況を伝えた。
2019年にフジテレビを退社しフリーアナウンサーに転身。同年悪性リンパ腫の罹患が発覚。ステージ4(5年生存率約50%)という厳しい状況ながら懸命な治療の甲斐もあり1年で完全寛解(がん細胞が体から完全に消えた状態になる)。以後はフリーアナウンサーとしての活動に加え、がんの経験を伝えるインタビューやCM「アフラック」に出演している。
年間130本以上のハリウッド映画を見る映画通であり、同じく映画通の軽部真一アナと「男おばさん」の名称で映画を語るイベントを開催した他、映画に関するイベント、さらに「ゴジラ2000」や「UDON」などにも本人役として出演している。
クロノス略歴
逃走中1回、「ハンターと強欲の王」の参戦。逃走中及びクロノスゲーム史上で男性アナウンサー初の参戦者。2023年7月の
雑誌「週刊女性」のインタビューにて「『逃走中』に出たい」「ステージ4でも、大量の抗がん剤を使っても大丈夫という姿を見せたい」と語っていたが、その直後に参戦し夢を叶えることとなった。
自己評価はスピードを2とするも、ジムに通い5kmを走破するスタミナを4、臨時ニュースなど瞬時の対応も求められる決断力も5、そしてがんのステージ4でも完全寛解した運の良さを5に。賞金の使い道は「なし」。賞金よりも元気になれるという事を見せるのが目標。
ゲーム前の意気込みでは「がんのステージ4でも逃走中で走り回れるって見せたい」のはもちろん、還暦として同輩の方々に勇気と元気を見せる為にも1秒でも長く逃げたいところ。このためにジムでのトレーニングで鍛え、さらに「緊張で眠れない」という逃走者もいる中でしっかり睡眠をとっての参戦と万全の状態で挑む。
ゲーム前にも「元気に走れるって見てもらいたい」「捕まる訳にはいかない。
捕まる訳にはいかない。」と諦めなければ夢は叶う姿を見せるために気合十分。
賞金単価変動ミッションには「私は賞金よりも逃げたい。ハンターが少ない方がいい。」と賞金度外視なだけにハンターは少ない方がいいところ。
狩野舞子とも合流し、狩野舞子は賞金単価アップ派ではあるが否定はせず任せることに。
迫田さおりも合流し相談する中で路地の奥にハンターがいたのを目撃しすぐに距離を取る中々の警戒力を見せつつも、道に置かれた看板なども多く拠点にすべきか頭を悩ませる。残り10分となり、この時点でレバーは3本全て上がっており、このままだとハンター3体が追加されるという状況となることからレバーを下げることに。賞金アップレバーまでは路地1本を抜けた先にあるが、どこから来るか分からないハンターに慎重な姿勢。とはいえ生き延びるためにレバーを下しにいって確保されれば意味なし。動くべきか動かざるべきか頭を悩ませるが、一瞬「起動前のハンターが並ぶ中で果敢に自分がレバーを下げる」という自分が活躍するシーンが目に浮かび揺れた所でハンターに見つかり逃走。路地を曲がり続ける戦い方を見せるも徐々に追いつかれて確保。活躍への欲望と喋りすぎて集中が散った結果の序盤落ちに「もっと走れるのに…まだ行けるのに…」と苦悶の地団駄。
最終更新:2024年10月01日 22:27