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生年月日 |
1711年6月15日 |
出生地 |
ヴェシパ プネシャント |
没年月日 |
- |
死没地 |
シャグマ=ラゴン ラグマウ |
所属政党 |
愛国党 |
次代 |
サンシャンマヒャパ |
先代 |
スニャールフィエ |
出身校 |
プダージ=サブラシガイユ大学 |
前職 |
招民院長官 スニャールフィエ参事会招民担当官 星衛評議会議員 ヴェシパ星議会議員 |
称号 |
自由主義のダガイユル 第4代愛国党党首 |
配偶者 |
未定 |
親族 |
未定 |
サイン |
- |
ライ=ダ=ファウ=サナウ=ダガイユルは
ニーネン=シャプチの星衛主席、政治家。
1739年から1747年までの間、
スニャールフィエ政権に次ぐ愛国党与党政権の第52代星衛主席を務めたマグリ角のガーク系ナグシャ。
概要
ダガイユルは18世紀の愛国党政権で重要なポストを担った人物の一人であり、1730年代頃の
ニーネン=シャプチにおける
ファルトクノア共和国と
ヴァルエルク共和国との友好の立役者として知られる。
国内で新しく台頭した「
五番目の種族」であるアンドロイドの積極的な導入を行い、国際的ムーブメントに追従する動きを奨励した。
生い立ち
ヴェシパの惑星首都プネシャントで生まれる。
父親はヴェシパの惑星議会の議員だったことから事あるごとに政治の話を聞かされ、政治の話題を嫌う子供時代を過ごした。祖父は
ライ=ダ=ファウ=ドラウという人物で17世紀の与党ナイユシ=ハウム党政権の星衛長官として活躍し、
デーチェー主席と共に外交融和を主張していた人物として知られている。
このまま政治とは無関係の一生を送ってやると決意していたダガイユルだったが、大学時代の後輩が愛国党の党員になってしまい、辞めさせるために説得に行こうとしたところ、ガバガバの政策にダメ出しし続けているうちに党員になってしまった。
愛国党党員時代
男前の顔立ちのダガイユルは女性人気が高く、愛国党の広告塔にさせられるなど面倒な目に遭っていたところ、ナプトーやスニャールフィエと出会い、三人は意気投合する。そのうち三人は愛国党の有力候補となり、「公社のナプトー、シャプチのスニャールフィエ」に並んで、「自由主義のダガイユル」と呼ばれるようになった。
招民院長官時代
ファルトクノアとヴァルエルクとの友好を主張していたダガイユルはその外交手腕の将来性を買われて招民院長官に抜擢される。
同時期に招民院軍部では長官としてスニャールフィエが就任していた。スニャールフィエとは愛国党党員時代からの付き合いだったため軍部との調整が予想以上にうまくいき、自分の主張が招民院内部で通りやすい環境も相まって次々と功績を挙げていった。
スニャールフィエ参事会時代
1721年、スニャールフィエは星衛参事会選挙に勝利し、第51代星衛主席に就任する。ダガイユルは彼女の政権の参事官として招民院長官の経験を生かして招民担当官に就任した。
就任当時は1716年に前任のヌイラ主席がヴァルエルクを
大宇宙連合総会壇上で公然と非難したため、ヴァルエルクとの関係は疎遠であった。
しかし、1710年に
サーヴァリア革命によってサーヴァリアが企業連合国家になってからはスガイユン経済システムを採用しているニーネンとの相性が悪く、ニーネンの服飾文化に少なくない影響を与えているエルトリアとも関係が悪化したため、ダガイユルはかねてから主張していたヴァルエルクとの友好路線を参事会の外交方針として提案し、その方針が採用されることになった。また、同時に資源大国でありながら発展途上国である
アクース連邦に対してアクース=ニーネン間の資源貿易を最恵国待遇で受けられるよう継続的な経済支援を続けることを決定した。
アンドロイドの導入
1720年代後半にはヴァルエルクやエルミアといった有力国が次々に多目的アンドロイドを導入し始めていた。それ以前にもアンドロイドは存在したが、戦闘用や医療用など目的が限定されていたが、
ゼラエ博士が
エントロピー思考AIを発明したことで様々な用途でアンドロイドが利用されるようになった。
スニャールフィエ政権はこれに注目し、1724年には導入を検討し始めた。1726年にはゼラエ博士が
エゴイズム思考AIを発明し、アンドロイドの時代の到来を予見したダガイユルの強い説得により導入を決定した。
導入に際してはニーネンでは電子部品・
アンドロイド工学部門の産業の発達が他国に比べて弱いため国内への導入が現実的でないとする反対意見が多く見られたが、ダガイユルは惑星アハンガークに経済特区を設け、外国産業を誘致することで解決できると示した。
実際に3年の猶予期間の間にアハンガークに経済特区が設定され、一方で5年間の外国産業誘致助成金を出した。同時期に国際スガイユンでない形態の外国企業に対して税を課す特定スガイユン等組織税を新たに制定した。助成金を申請すれば相殺して助成金が上回るように設定した。
1729年に最新式の
アイローム・
アンドロイドの購入契約を締結。
- ファルトクノア、ヴァルエルクとの友好
- アイローム・アンドロイド導入の奨励
マーカス内戦
マーカス内戦の
ニーネン=シャプチ介入を主導した。
ニーネン=シャプチ介入は
ヴァルエルク共和国からのアイローム派での介入要請に応えた形で行われた。
当初、ニーネン首脳部は参戦に否定的な意見を示していたが、首脳部は
リスヒューメ独立戦争後にヴァルエルク政府に対して外交補填を行ったことでニーネン独自の行動を見過ごしてもらうよう期待したものの、ここでヴァルエルクの介入要請を断れば
アクース内戦前後から続く今までの外交努力が水の泡と帰すことを懸念し、最終的には
マーカス内戦介入を決断した。
また介入のもう一つの理由にニーネン政府が想定したよりもアイローム・アンドロイドの介入への訴えが多かったことも挙げられる。彼らは1740年前後のニーネン=シャプチ国内のアンドロイドはその多くが国家の威信を賭けた大プロジェクトであったシャグマ=ラゴン開拓に従事しており
国策の根幹を担う労働者としての一面があったため安易に黙殺することができなかったのである。
上記の決定に最初に反対したのはダガイユル参事会のナンバー2ともいえる
スニャールフィエ星衛長官だった。ダガイユル主席と何度も衝突を繰り返し、1740年に「政治性の違い」を理由に辞任。後任には女性型アイローム・アンドロイドのジェート=シェムート=シェーニが就任し主にアンドロイド人権問題を担当した。
国内世論はイェシュート種族が多数を占める非戦派とアイローム・アンドロイドが多数を占める介入派に二分された。非戦派は国内の主要構成種族が中心だったため介入派はマイノリティの意見であったが、介入派にはアイローム・アンドロイドの活動家シャ=クシャント=ナーグ氏など明確な指導者がいる一方で非戦派にはそのような人物はいなかった。
ナーグ氏の活動は日に日に拡大していき、次第に過激な方向に傾倒していった。彼らはシャグマ=ラゴンのプナフェウに拠点を持ち、瞬く間に高度な統制能力を持つ組織を作り上げた。こうしてナーグ氏を代表者に担ぎ上げる形で過激派組織「新祖国ダナジュラーチ武装戦線(通称:”新祖国”)」が結成された。
新祖国の活動の目的は「現在の間違ったエフューラフトを本来の正しいエフューラフトに戻すこと」であった。ダガイユル星衛主席を「エフューラフト秩序のチェローニェ(略奪者)」と呼び、国内の反政府活動から徐々にデクトリア派での介入にシフト。
だが、本当の目的は「(ニーネン政府がヴァルエルクのためにアイローム派に介入することに対し、)非合法組織を結成し、そこにスニャールフィエと彼女の部下を加えてデクトリア派で介入することでスラーン諸国との友好も重視すること」だったのである。
実はスニャールフィエはまだ星衛長官だった時に招民院諜報機関”サナト”の実行部隊を動員して新祖国団のアジトの占拠に成功しており、ナーグ氏を傀儡にすることで彼の罪を不問にする「取引」を行った。この一件でスニャールフィエは新祖国団を裏から支配する影の実行者になった。スニャールフィエは自身と関係の深い招民院の軍人数名と麾下の兵力を新祖国団に提供し、通常でありえない短期間で優れた装備と高い練度の軍隊を作り出した。
スニャールフィエのこの行動は、実際には綿密な計画の下に行われていた。スニャールフィエの星衛長官辞任は新祖国団としてデクトリア派に介入することでスラーン諸国との外交関係を保つためのマッチポンプであり、スニャールフィエとダガイユル主席との政治的な意見の衝突は演出であったのである。この水面下の工作では主に
エシュマ=ヴィデュマー枢密院議長が連絡係を務めた。
マーカス内戦への介入は新祖国団はニーネン本国軍と合流させる予定で行われ、結果的にアイローム派とデクトリア派の共闘を実現させた。この共闘でリヴァダー派優勢の状況を一変させ、アイローム・デクトリア派の勝利に貢献した。ただし、最初からアイローム・デクトリアの共闘を計画していたかどうかについてはあまりよく分かっていない。
マーカス内戦介入直前に戦意高揚のため部隊名の命名規則を変更し、艦隊・師団への愛称を公式名称に併記することを認めた。
愛国党幹部や一部の国家主義者たち・現場の将兵には評判が良かったものの介入直前の部隊名称変更は指揮統制に混乱をもたらし招民院の兵站部門の不興を買った。また
マーカス内戦に出兵する予定の第一混成師団の愛称をダガイユル主席自らが名付けることとなり、「Droush-Peusûfe
(雷鳴突風)」と命名したが、国民の間でこれが「妙にダサい」と言われ政策自体の批判に発展した。ダガイユル本人は全く気にしていない素振りを見せたが、プライベートでは命名への不満の声を聞いてひどく落ち込んでいたという。
任期中は
シャプチ第一主義を推進し、
大イプカ主義など軍国主義的な政策を行った一方で、
ヴァルエルク共和国との友好を深め、自由主義政策に腐心した。
スガイユンのシャグマ=ラゴン開拓地公社に行政代理官を設置した。これを元になって、十六人委員会が誕生した。これによって影響力が軍人階級から貴族階級に傾倒する原因となった。
マーカス内戦の終結と共に政治目標達成のため辞任した。
人物
顎ひげを蓄えたマグリ角のナグシャの筋肉質の大男。身長は196cmくらい。
男前の顔立ちで女性に人気の主席だった。年上の女性が好み。
宇宙船や宇宙艦の運転免許を持っており、休暇中もよく
プダージ周辺でドライブする姿が目撃されている。
国内ではあまり健康に良くない飲料とされているが、ダガイユル本人は
ガイエン宗教社会主義人民共和国の飲料用
SEP-IP流体をよく飲む。普段の食生活は健康的。運動も得意で趣味のスポーツはショクト。
性格
大雑把。
勢いがあるタイプなのであまり思い悩んだりせずにガツガツ進んでいくことができるが、突進しすぎてよく窮地に追い込まれる。
ピンチの時でも根性があるのでいつも何とか逆境をひっくり返す。
どっかのちんちくりんとは違って。
性格にも男前なところが反映されており、言い訳が嫌いで責任を取ることを好む。
苦手なことは器用さを求められる作業。プラモデルとかすぐに壊すし、ネジを外そうとするとネジ穴をダメにしてしまう。ビンの蓋を開けるのは得意。
関連項目
最終更新:2022年10月03日 05:33