だから
アーテルは振り向きざまに掌で彼の顔面を掴むと、握力の限りに指を食いこませた。
「!?!?」
「ヒトのハナシを、聞け」
『それはコッチの台詞だ』なんて言いたそうな相手の空気はあえてガン無視だ。
そのままぐい、と床から足が浮くほど顔で雅の身体を持ち上げるように腕を伸ばし、
低くドスのきいた声でそう言うと、
吊り上げた身体の軽さを少し気にしながらもじたばたと手足動かす相手が大人しくなるまでの数秒をアーテルは待った。
「……とりあえず、正座」
ぽい、と床にソファの上のクッションを蹴り込んで、そこに雅の身体を下ろすと手を離す。
ふわりとスカートの裾を逃がしてぽす、とその前に腕を組んで座るアーテル。
「何があったの。親父さんをなんとかしてきたっていうのは解ったけど、アレは倒しても倒しても増えるとか、
そういう話だったと思うんだけど、何か違う事思いついたの?具体的に何をどうして今ここに居るのかまず言いなさい。
君にしかわからない抽象的な表現とか雰囲気で流す言い回しナシで。 簡潔に。というか、あなた今ちゃんと正気? 雅クン」
「……正気、だよ。たぶん、まだ」
渾身の力で握りしめられた顔の痛みに若干涙目で押さえた指の間から少々恨めし気に視線返して、雅。
やがて確かに先ほどよりは少し落ち着いた様子で顔をあげる。
そうしてどう話したものか、という顔で少し考えて。
「相手が完璧にこっちを読んで勝つ手を出してくる後出しジャンケンに勝つ方法って言われたら、お前ならどうする?」
訥々と、考えを巡らせるように話し始めた雅の頬にまた容赦なくグーの拳をめり込ませるアーテル。
「あ、ゴメンなさい? 何があったか経緯を話せつったのに、また例え話から入んのかテメエって思ったらイラッとしたわ」
「順序ってものがあんだろ順序ってものが!?」
「そうね、しばらくなら我慢してあげるから続けなさいな。
まああたしの答えはこの通りだわね。『向こうが手を出す前にヤれ』……それで?」
まったくもう、とか小さくぶつくさ文句を言いながら座布団の上に戻ってくる雅。
「俺はさ。 読み合いに勝てば、良いと、思ってたんだ。
俺がアイツを超えて、コッチがグー出してくるとあいつが思って得意げにパーだしてくるところで、チョキだせばいいって。
そしたら、アイツ、それを読んでグー出してやがったんだよ」
「……。雅クン、あのね、あなたまず」
――自分で思ってるほどアタマヨクナイっていう事実を覚るべきだわね。
とは、何やら万事詰んだという表情の相手には言えず、アーテルは慌てて言葉を探す。
「……一人で考えこむ癖をやめるべきだわ。
あたしは貴方についていくって言った。 貴方はあたしについて来いと言った。
それは、貴方が勝手にあたしの幸福を自己満足に定義して置き去りにいいという意味ではけしてなくてよ?」
座布団の上に座る少年のほうへ、ついと床に手をついて身を伸ばし、その頬に軽く唇を寄せるアーテル。
言葉で言い現せないものがそれで伝わればよい、と。
「それで、つまりあなた、負けたわけなの。ホントのホントにもう駄目なの?アイツは今どうなってるの」
触れた唇の感触に場違いに安らぎを思い出したように寸時目を閉じると、床についた彼女の手に自らの手を重ねる雅。
感じたひやりと冷たい頬の感触にそうして彼女もまた思い出す。このひとケガをしていたのだった、と。
重ねたられた手をそのままに、つと彼の表情を確かめるように目をのぞき込んで。
アーテルは少し躊躇ったのちに言葉を続ける。
「君が、困るんだわ」
いったい何を?と軽い困惑の表情を浮かべる雅に構わず、代わりに、重ねられた手を両手で握りなおして一つ息をつく。
「あのクソオヤジが、居なくなったら、『困る』のは君。……違う?
何をやっても倒せない、いつまでたっても終わらない、一生そうして戦い続けるほかに道は無い。
だがいつか決着をつけてやる。そう言いながら……ずっと、そこから出てこられないのは君。
ほんとうは、もしそれが終わったら、そのあと何をしていいのかわからないから。他に何もないから。
だから、貴方は、アレに勝てない。……いいえ、本気で勝とうとしたことなんて一度もない」
反射的に沸いた怒りにアーテルの服の胸元を掴みあげて睨み付ける雅の顔から、視線を逸らさずに、アーテルは続ける。
「……殴りたければ殴れば? 図星指されてカッとして女殴るようなダメな奴だって思い出せば?
悪いけど、あたしはそれで君に失望して離れてモットイイ男探すわとか言える女じゃないからね。手遅れよ、ボケ。
君が先にくれようとした安心を、今度はあたしがちゃんと君にあげる。どうなっても傍に居るって証明してあげる」
ふい、と胸倉をつかみあげていた腕の力が緩む。
そのまま彼女の身体を抱きしめて、肩口に顔をうずめる雅が、低い嗚咽を漏らすのを、黙って抱えこむようにして。
「そういえば、刀はどうしたの? 牛鬼クン。斬った、と言ったわよね? どっかに落としてきたの?」
「……邪魔になったんだよ」
「……は?」
呟かれた言葉が意外だったので、アーテルは若干素っ頓狂に裏返った声で尋ね返す。
何年も、一緒に戦ってきた相棒、雅を支えてきた半身のような存在ではなかったのか。
「親父も俺もこの世から消えて『田中』の血脈が絶えてしまうことをアイツは許せない。アイツの意志に関わらず。そのために打たれた刀だから。
親父がいなくなって『困る』のは、俺じゃない。アイツだ。……奴は知らないだろうけどね。
アイツがこの世に存在しなければ……『親父』が過去や未来へ飛ぶ力を得ることもない。それを、確かめにいってきた。アイツが作られた、その、日に、行って」
そう語る雅の言葉は弱弱しく吐息のように途切れがちになっていく。
背中に回した手の濡れた感触に今更に確かめれば厚い布を通して彼女の手を染める、赤。
「……自分がサイテーなの、知ってるよ。それでも、それでさ……まだ何も起こってないころのお前の生まれた国、とか、
そんな時代の、そんな場所でなら……」
――きっと一緒に、生きられた。
急激に体温を失くしていく彼の身体とじわりと床に広がる血溜まりの中、今更に鳴るスマホの着信音を何処か遠くでアーテルは聞いていた。
「……最後にひとつだけ、ワガママ聞いて」
愛用のサバイバルナイフを取り出して、冷たくなっていく雅の手に自分の手を重ねて握らせながらアーテルは小さく呟く。
「もうこの先の未来に一緒に生きる術はないと、あなたが言うのが本当なら、せめて一緒に」
そうして彼女はその刃の上に勢い身体を倒しこむ。正しく自分の心臓を一撃でその刃が貫くように。
「そ……れで」
雅はどこか壊れたように虚ろな声でその勢いのまま胸の中へ倒れ込んできたアーテルの身体を弱弱しく抱き止めながら、
背中から床に倒れ、彼女の背中にいきなり生えたような、赤く塗られたナイフの刃をぼんやりと見つめる。
「……それで、お前、いいのかよ」
そう呟く自分の声にしかし、明らかにどこか満ち足りた響きが存在するのを感じつつ、
抱きしめた彼女の髪に、緩く指を潜らせながら、雅は目を閉じる。
――どこかで、静かな怒りに満ちた嘲笑が聞こえたような気がした。
――何か大きな義のため志のために。
それとも唯一人恋人とかわした小さな約束の永遠のために
それが善きものだろうと悪しきものだろうと。
抗う事なく押し流されて行き着いた先の単なる結果でしかなくとも、
尊い自らの命と引き換えにするなら、当然のように何かが成されるべきだ、と。
そう思い酔い呆れる人の傲慢さよ。
「……お前か」
「……お前にも絶望をやるよ。残念だな。……これが人間だ」
さいぜんからずっと鳴っていたスマートフォンの着信音が途切れたのは、彼の最期の呟きからほどなく。
「……出ない。あなたの云う通り、何かあったのかもしれない」
軽く舌打ちをして、蜜柑は呼び出し音ばかりが空しく響くスマートフォンの通話を一旦切ると、傍らの
シトロンのほうへ視線を向けた。
夜半ふいに起き出してきた彼女が自分を揺り起こすと、嫌な予感がするからとにかく電話をかけてくれ、とそう言ったのだ。
何故?自分でかければ?、とは蜜柑は問わなかった。
シトロンはシトロンで、辿れる糸を別に持っている事を知っていたから。
そうして今、かけた言葉に返事をすることもなく人形のように目を見開いて闇を見つめているシトロンの姿に蜜柑は初めて焦燥を感じる。
「シトロン?」
肩に手をかけて揺さぶれば、ぱちり、と数回瞬いて、シトロンは弾かれたように蜜柑に縋りついてくる。
小さく震えながら物凄い力で抱きついてくるその体を抱きかえせば、
たった今しがたシトロンが見てきたものが、彼女の感情の波の向こうに蜜柑の心にも伝わってきた。
――そう、行きたい所に行って、食いたいものを食って、ヤリタイ女とヤッて、気に入らないものはぶっ壊す。人生を愉しむ。
人が永遠を手に入れたなら、それが正しい。狂っているのは、俺じゃない、雅だよ。だから奴は死んだ。だから俺は生きてる。
何処かの白い森。旧日本帝国陸軍の軍服姿に似つかわしくない長髪の少年がこちらを見る。
笑ってそう言いながら、手にした軍刀の鯉口を切る。
――第一にただ生きようと、思う者が己の主。それが定められた自分の理、故。
振り下ろされる軍刀。
切り裂かれる小さな約束の蜘蛛、彼女の分身。繋がれた細く赤い糸。
強烈な痛みの追体験と共に現実にはじき返され、蜜柑はただ、腕の中の半身を抱きしめる。
その視界に映る、ベッドの上に落ちた二つに割れた小さな鎖鎌。
「……それなら、初めから」
ともすれば笛のように震えそうになる声で、腕の中力なく小さな嗚咽を漏らすシトロンの身体を抱きしめて蜜柑は呟く。
その声は静かな怒りに満ちていた。
「初めから、この子に近づくべきじゃなかった。
抗えない自分の運命だか下らない拘りだかから逃げられないと知っていたなら、
中途半端にこの子の運命を巻き込むべきじゃなかった。
……いくらこの子が泣いたって、私を恨んだって初めから……殺してやればよかった」
FIN.(ED04)
最終更新:2016年07月26日 17:34