――その場所には音は無く。 光もなかった。
*
長く止まっていた時間が動き始めたような感覚に、ぱちりと一つ目を瞬いて、ふいと
アーテルは手にしたカップの水面に目を落とす。
つい先ほどまでと変わらない、紅茶の温度。揺れる琥珀色に写り込む自分の顔。
それらの間に挟まれた普通なら気づくはずもない違和感を彼女は見逃すことはなかった。
何故なら、それを感じるのはこれが初めてではないからだ。
カップを置いて立ち上がると、スマートフォンの画面を指ではらって、電話をかける。
数度呼び出し音が続いたのち、留守電に切り替わることもなく切れるそれに、短く舌打ちをして。
「……この間ヤリカタ教えてあげたのに。素直にシルバー携帯もっとけ、ジジイども」
そうして、それなら、と次の番号を回しかけたところで再びの違和感。
背後に立つ人の気配、そして先ほどまでは居なかった、誰かの手が、するりと背後から伸びて通話を切って止める。
緩く背後から凭れかかるようにして、小さく息をつくその人物からは、新しい血の匂いがした。
「……雅、さん?」
問いかける言葉に頷く気配と、背後から抱きすくめるように回される腕。
若干戸惑いながらもアーテルはその腕に自分の手を重ね、背後を振り向くように半身を捻る。
いつもの野暮ったい昭和初期デザインのレトロな学生服姿の長髪の少年の姿がそこにあった。
常と明らかに違うのは、明らかに血の気を失った青ざめた顔といくつもの新しい傷。
「!? 何があったの? 何処でこんな……くそ親父とやり合うときには呼べってあんなに」
言葉で詰りながらも、手当をするためにベッドのほうへと体を押そうとするアーテルの腕を 手首を握って止めると、緩く彼は首を振る。
「……一人で、やらなくちゃならないって、わかったんだ。はじめから、俺が一人でやらなきゃいけないことだった。そして、もう、終わったよ」
何処か場違いに明るい声でそう答えると、笑顔を浮かべながら彼は両腕を回して彼女の体を抱きしめる。
失血のせいか冷たい手の感触と、それなのにへんに強引なその行動の力強さのアンバランスさは、安心よりも不安を強くかきたてた。
「これから何処に行こう? 何処に行くのももう自由だ。 親父はもういないし、俺はそれでもちゃんとここに居る。
アーテルの、生まれた街とか、見たいな。海は見える? 酒は美味い? 楽しいところ?」
詠うように呟かれる言葉はどこか甘い。 本当に、この人は、この人が、彼か? 言っていることは本当か。
『あいつのフリしてる俺に、誰も気づけるはずない』と、いつか彼は言った。 だが同じことを彼の父親も言うのだろう。
己が気づかせようとさえ思わなければ、そもそも見分けがつかないように振る舞うことは不可能ではない、と。
あたしが間違えるわけにはいかない、と彼女は思う。
いくら似ていても、解らなくても、それだけは自分が間違えるわけにはいかない。
彼女の見慣れた彼女の部屋の風景がゆらりと揺らぐと融けて消える。
「じゃあ、一緒に行こう。君の愛した過去の景色を、俺も見たい」
そんな呟きがもう忘れかけていた懐かしい地中海の風にかわり、そして彼女の意識を攫っていった。
「未来にはもう、居場所が無くなった」
*
それはとても寝苦しい夜だった。
ちり、と胸元が焼けおちるように熱くなるのを感じて、
シトロンは跳ね起きる。
反射的に身構えながらちらりと横を見れば、蜜柑は穏やかに眠っているようだ。少しほっとして胸元に手をやれば、
田中の軍刀から削りだした小さな鎖鎌に触れる。指で触れるそれはひやりとした感触のみで、先ほど感じた熱さはない。
「……ぎゅ……き? 何かあったのじぇ?」
小さく握りしめて問い返す言葉に、再びごくわずか、錯覚かと疑うほどほんの少しだけ熱を増したようなそれに、
嫌な予感を感じて彼女はそろりとベッドから這い出す。
その途中でぽとり、と力なく敷布の上におちた何かが視界に入り、彼女はそれを掌に拾い上げる。
それは小さな蜘蛛。彼女が削り落とした刀身の一部の等価として、彼に託した彼女の小指の先のひとり。
死んでは居ないということは直感が教えてくれる。だが「気を失っている」という様子でもない。
時間が止められたようにそこに在る。
そっと、その子を掌に抱えたまま、ちらりと一瞬心配そうに蜜柑の寝顔を確かめた後、夜の街へ抜け出していくシトロン。
一方、シトロンが出ていくのをそのままにすやすやと眠っていたようにみえた蜜柑の枕元で、携帯が着信を告げる。
手を伸ばして彼女が取り上げる間もなく切れたその、発信元はアーテル。
反射的にかけ返した通話には、誰も出ない。
とりあえず駆けつけてみた田中家は静かに記憶通りの場所に佇んでいた。
見れば台所と記憶していた窓には灯りがともっている。横開きのガラス窓は不用心にもあいていて、
そこから覗き込んだ台所に拡がる光景に彼女は息を呑んだ。
二つに折られて壁に深々と突き立てられた、見慣れたあの刀。 壁一面に炸裂し叩きつけられた何かが筋を引いて描く赤、赤、赤。
――悲鳴を上げたのだと思う。
それとも声にすらならなかったのかもしれない。
兎も角、彼女がそこで覚えているのはそこまでだった。
気がつけば彼女は誰かに抱きかかえられて白い森にいた。
心配そうに顔をのぞき込む、雅と同じ顔をした蜘蛛の腕を持つ少年は、彼女が目を開くとほっとしたように小さく息をつく。
「……気づいたか、すまない。あの様でな」
言葉なくぎゅっとしがみついてくる少女の体を抱きとめて、背を撫でながら、少し遠くを眺めるようにして、
牛鬼と名付けられた彼はそう呟いた。
「こうして言葉を交わせるのもこれで最後になろうよ。……ずっと傍には居られるだろうが。お前が、あれを捨てないなら」
「なに、が、あったのじぇ……?クソジジイが襲ってきた……?」
それはさておき、とでもいうように見上げて尋ねられる言葉に牛鬼は苦笑にもならない顔をして一つ頷くとしばし黙ったのちに低く答えた。
「……雅が、自決した。己が生き続けたいという欲がある限り環は何度でも閉じられると、察してしまった故。
それを断ち切るためにはそうするしかないと。 始めたのは、『親父』だが、奴には終わらせる気が無い故な。
『そもそも、雅の一人芝居だった。父親はとうに死んでいて、オヤジとは奴の闇の分身でしかない』
『発狂した雅が過去に戻り、自分を産んだことにしよう』『倒された自分をアーテルとの間の子供としてもう一度産ませよう』
そのように、いくらでも、何度でも……過去も未来も作りかえながら、『現在』に自分が存在できる理由を奴は作ることができる。
それが『正解』だったとあとから言うことができる」
「だから? ……わかんないのじぇ。『それ』は、一番最初にナシだって、だから、アーテルおねーさんも、あたいも」
ぎゅ、と食い込むように指を立てる彼女の額にそっと額を寄せて。
「雅は諦めては居なかった。お前やアーテルを呼べばどうにかなると思える状況でもなかった。
……手を離されたあとのことは、俺は知らないが、信じてはいる。奴との付き合いは長いからな。
お前に触れたり口をきいたりできなくなるのは辛いが……どうか、覚えていてくれ。俺はそこに居ると」
そんな言葉と、軽く触れるように寄せられた唇の感触と共にそうしてその白い空間もまた永遠に閉じた。
*
田中家の庭で意識を失くして倒れているシトロンを見つけた蜜柑は彼女に話を聞くまでは知らない。
台所で彼女が見たというその光景を。
彼女が駆け付けたときにはそこはただの『入居者募集』と書かれたのすらもう10年以上は経過していまいかという廃屋であり、
アーテルのマンションにも別人が数年前から入居していて彼女の姿もモラトリアムに所属していた形跡すらもない、
といったのちのち明らかになる事実がなければそう、
「夢でも見たんじゃないの、って言えたかもしれないわね」
夏の太陽は今日も街をじりじりと灼いている。
「そうではなかった」と知っている二人を無理矢理に「何事もなかった」に押し込んで、そうして日々は続いていく。
FIN.(ED00)
☆あそび方(←)
- この前にこういうことしてたことにしたい
- ここでこんなことしてることにしたい
- この後こうしたい
という事がありましたら、この下へ追記してください。
(長いしとかナイショのほうが美味しいとかあれば適宜ツイッターのDMなどご利用いただきまして!)
何かするために必要な情報があれば、提示します。
成否の可能性は検討不要です。「したいこと」=「できたこと」で書いてくださって構いません
(ED00が何もしなかった、できなかった場合なので)
気が向かれたら台詞なんか入れていただいてもかまいませんというかむしろ私が喜びます(←
最終更新:2016年07月21日 11:45