誇大化した解釈とは、N121MTが提唱している解釈であり、「0と100はありえないけど、1と99はありえる」というテーマで作った解釈である。
概要
もともとはTwitter等におけるストライサンド効果などで出てくる「インターネットに出された情報は誰もが見れる状況にある」というのを誇大化した解釈と称したのが最初である。
この辞書では何度となくその解釈を体現しており、勝手にまとめた項目が別へ移入されたり、或いはそれが理由によるトラブルなどもあるため、良くも悪くもこの人間社会の善意と悪意と付き合っていくための解釈として使われている。
解釈は2つのタイプが存在しており、大きすぎるものと小さすぎるもので分けられている。
大きすぎるもの
前述した「インターネットに出された情報は誰もが見れる状況にある」や、「創作作品や動画には決してアンチが寄り付かないことはありえない」などの、どこまで行っても絶対にそれが存在するという解釈。
事象の最たる例には「ルール34」(創作物が存在していればその創作物のエロは存在するというインターネットミーム)や、「無限の猿定理」(ランダムに文字列を打っていれば、いつかシェイクスピア作品が書ける定理)が存在する。
N121MTは「インターネットは怖いものであるため、そのリスクを留意する」という基本意識を持つべきとしており、創作主になろうとしている、Youtuberになろうとしている人への1つのハードルとして存在するものと考えている。
これについてはテレビに出演することですら同じようなものが言えて、『月曜から夜ふかし』のような視聴者インタビュー重視番組であってもそのリスクはある。(最近はそのリスクを踏まえて顔出ししない人も増えてるけど)
小さすぎるもの
対してこっちは「広大すぎるネットでこの情報を見つけることが困難でしかない」や「自分が有名でなければ多数に埋もれてステルス行動ができる」といった、上記のリスクは存在するけどその発生確率が0に近いという解釈。
N121MTの辞書が当初そういう方針を使うことで自由自在に情報を流したり、ネットゲームにおいてあえて埋もれるような行動を取って界隈の目から退けつつゲームを楽しむといったムーブなどが挙げられる。
残念ながらこの小さすぎる解釈は、大きすぎるものに食われる運命にある。 事実、Youtubeに見られることの無い動画を上げたらテレビで紹介されたり、公式でも禁止したのに二次創作の規定を違反する人が出るなど、何らかの理由で発見されてしまうことがほとんどである。
この辞書でもエゴサーチによって何度となく発見されているが、それをきっかけに「誰かに見つかるのなら、むしろ見つかることを前提にしたドラフトページを作るべきでは」と発想を転換し、辞書の方針も変えるというきっかけにもなった。
更に「アニメ系のまとめ番組でこれは出ないというのは、一般でどれだけ通じるか」というのを度々ツイートしており、『魔法少女?なりあ☆がーるず』の例を上げて「誰も知らない作品は出るわけがない」という解釈もしている。
また、「超短期間でインターネットに公開すれば、Googleなどのロボットにも見つからずに情報を公開できる」という
技術的な限界によって発生する脆弱性からなる小さすぎる解釈もあり、
地獄耳のエイプリルフール企画ではそれが活用されている。
これに基づいて作ったもの・行動指標のもの
以下のものはこの解釈に基づいて作ったものである。
このN121MTの辞書についても「インターネットに出されているどころかatwikiのトップページで表示されちゃうので見られることが前提にある」とした記事構成となっている。(どうもそういう仕様らしい)
まだWiki等にはない項目を先に作っておき、然るべき場所へ作られるまで保管することを目的としている。 欲しい人は絶対に居る、そしてその人はこの辞書である必要はないという2つの解釈を使って作っている。
そもそもこの項目たちはこれとは別の解釈で作っており、特に「欲しい人は絶対に居る、そしてその人はこの辞書である必要はない」を半ば煽るようなノリで作ってしまっているのもあるという。
また、これを大規模に拡張したWikiがどこかにあるとのこと。
元々N121MTの独自ルールだったものが、比較的公共性の高いものになっていることも稀にあるため、そうした理由で作り出すことがある。 TGUS-FMXはこれを前提にしたものであり、作る際には「こんなところまで想定しなければ駄目だ」というのを前提にもしている。
それでも三次創作などの問題まで手が入らないところもあるが、ある一定の広範囲を定義して一旦は「その他へ分類」したり、「二次創作の規定だけど三次創作の規定にも対応可能」という一時的なシノギとしての運用も柔軟には出来るという。
(ただ三次創作等の「同人誌をどう使うかという規定」については別に定義する必要はあるとしている)
忍者ホームページの
地獄耳に置いているHTML5で動くツール群は公共性が高い+自分も欲しいと言うほど欲しがるツールということで、この理屈を利用して作っているという。
ただどっちかと言うと「この解釈を狙って作ったというよりかは、自分が欲しいのとみんなもこれ使えばもっと良くなるよ」という方面であって、その時にちょっとだけ考慮されるぐらいでしかないという。
Twitterは一般的に「オープンソーシャルネットワーク」として考えており、「ファンもアンチも第三者もN121MTを知る者知らない者も家族から地球外生命体までありとあらゆるもの全てから見られている」ことを前提にしている。
これはTwitterにおけるオープンなアカウントはそういうのを踏まえてツイートせよという意味であり、良くも悪くもそれを利用してツイートしているとのこと。(ただ皮肉系よりかは誰もがダイカを払わずにエガオになりやすいネタ系ツイートをメインにしている)
いわゆるルール34をより一般的なものに変えただけであり、『パーソン・オブ・インタレスト』における「我々は見られている」というセリフに統合されるものではある。
またLINEなどのクローズドネットワークだと謳っていてもどこかに抜けがあるという解釈は捨てきれておらず、いわゆるサイバーセキュリティなどにおける一般的な考え方に基づいた解釈も使うこともあるんだとか。
最終更新:2025年08月28日 22:19