ハル研究所(企業)

登録日:2014/02/21 Fri 22:03:09
更新日:2024/03/17 Sun 13:12:51
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(C)HAL LABOLATORY,INC

ハル研究所とは、ゲームソフト及びその関連機器の開発・制作・販売を行っている企業の一つである。
「HAL研究所」とも表記される他、略称は「ハル研」。

2020年時点での代表取締役は川瀬滋史氏が務める。




概要

かの任天堂と深いつながりを持つ、セカンドパーティー企業の一つ。
紛らわしいが専門学校HALとは関係ない。*1
カービィの生みの親、桜井政博氏が勤めていた会社でもある(現在は独立。意外と知らない人も多い)。
後に任天堂4代目社長になった岩田聡氏が社長を務めていたり、MOTHERシリーズを作り出した糸井重里氏が取締役として在籍していたこともあった。


ハード面では任天堂のゲーム機向けソフトウェア(ゲームソフトではなく開発環境)を開発しており、
ゲームキューブの時もハル研が作ったそれを、任天堂から各サードパーティーに配布された。
まさしく「縁の下の力持ち」と言うべき存在だが、
一般的には『星のカービィ』シリーズを作っている会社、の認識でだいたい合っている。
(正確に言うと販売は任天堂が、ゲームの中身の開発はハル研究所が担当。このような形態はなにもこの2社に限った話ではなく、むしろゲーム業界ではよくある事である)
ただし『星のカービィ』しか作っていない訳ではなく、3DSにデフォルト内蔵されている「顔シューティング」や
ポケモンレンジャー」など色々なソフトの開発も手がけてきた。
有名なものだと「ポケモンスナップ」辺りで、写真を現像できるシステムを発売前ギリギリに導入した経緯がある。
マニアックなものでは64の「糸井重里のバス釣りNo.1 決定版!」、SFCの「ジャンボ尾崎のホールインワン」とか。


特色の一つとして、休日に東京方面への散策を(月2回まで会社が往復交通費を出して)奨励する
東キョロ制度」というユニークな制度を実施している。
「東京」を「キョロキョロ」するから東キョロ。
社員が仕事のヒントを見つけるために谷村氏が考案したものであるが、散策といってもお金の使い方はかなり自由。
モノ作りのヒント探しの一環で劇団四季の公演を見に行くことだって出来るのである。


今でこそ『星のカービィ』のイメージが強い企業だが、昔は自社ブランドで何本ものタイトルを発売していた。
「エッガーランド」シリーズは最たるものである。
他にもFC末期の悲運の名作「メタルスレイダーグローリー」などなど。
だが、ある出来事をきっかけに一時期は自社ブランドのタイトルはめっきり減少、しばらくは任天堂ブランドのタイトルに注力していた。
その出来事については後述。
2017年に星のカービィとは別に「HAL Egg」というスマートデバイス向け事業のブランドを立ち上げ、スマートフォンでオリジナルタイトルを配信するようになった。


カービィキャラの版権を管理する子会社「ワープスター」の株を約50%所有している。
アニメのオリジナルキャラがゲーム側に殆ど出演していない事は一部で有名な話だが、
実際の所はワープスターの一括管理なので、やろうと思えばコレみたいに出す事は可能なのである。


作風

ユーザーに「おどろき」を与え、
ゲームの「たのしさ」を感じさせ、
遊び終わった後に「あたたかさ」を感じさせるもの作り。
これがハル研の掲げる三大モットーである。
(冒頭のタマゴを温めている「犬たまご」のロゴマークにも同様の意味が込められている)


それ故か、特に主力である星のカービィシリーズの作品には
だいたい何かしらのお遊びが込められている事が多い。
コレとか、コレとか色々……
アレな方面では俗に言う「黒い任天堂」系のネタも有名か。


また、ゲーム作りに関してはとかく職人気質な所があり、
安易にソフトを乱発せず、1本のソフトのクオリティーアップに専念しているフシがある。
これも星のカービィが最たる例で、かつてファンは1年待たされるだけまだ良い方、年に2本以上も出たら奇跡といっていいレベルであった。
(中にはとんでもなくお待たせしたタイトルも……)
なので、新作の音沙汰が一切無い時期に突入するとやっぱり
「早く次の新作出てくれ(泣)」
という嘆きの声が少なくなかったりする。

尤も、そのおかげで一定以上のクオリティーを常に維持しており、ファンからの信頼も厚い。
そもそも、初代「星のカービィ」からして、宮本茂のちゃぶ台返しで発売延期を決断し
クオリティアップを行ったことによって名作たり得たのである。

ただ、2010年代からはゲーム業界も(その後のスマートフォンゲーム台頭をはじめとして)激動の時代を迎えたこともあってか、
規模の大小関わらずコンスタントに新しいゲームを送り出す傾向を取っている。
上記のとあるタイトルが難産だった経験からか昨今は発表から発売までのスパンが短くなり、2020年は何の予告もなく唐突に発表されて即配信されたタイトルも…。


ハル研と縁が深い人物と所属スタッフ

カービィの生みの親として広く知られている。
現在は有限会社ソラでスマブラシリーズを中心に開発中。
詳しくは個別項目へ。
  • 岩田聡
MOTHER2を一から作り直して世に送り出した天才プログラマ。
ポケモンシリーズでもその天才的な技術で開発を大きく支援したことで知られる。
後に任天堂の4代目社長になり『ニンテンドーダイレクト』や『社長が訊く』など様々な活動をしていた。
2015年7月、55歳という若さで急逝。
カービィのエアライド』から開発に関わり『USDX』からディレクターになる。
一時期シリーズ存続の危機を乗り越えた功労者。
詳しくは個別項目へ。
  • 糸井重里
MOTHERシリーズの原作者で企業ロゴ(犬たまご)の考案者。
1995年から2001年まで取締役を務めていた。
  • 石川淳
初代』から現在までシリーズのBGMを担当している。
夢の泉の物語』から現在まで石川氏と共にシリーズのBGMを担当している。
ニワトリを飼っており、その鳴き声はとあるボスの技に使用されている。
詳しくは個別項目へ。
  • 酒井省吾
スマブラDX』から参加して一部タイトルのBGMを担当。
25周年記念オーケストラコンサートの発案者でもあり、エアライドメドレーでは指揮者を担当した。
  • 池上正
『ピンボール』から参加して一部タイトルのBGMを担当。
現在の活動は縮小しているが『スーパーカービィハンターズ』のエンディング曲で久しぶりに参加した。
  • 大原萌
スーパーレインボー』から参加して一部タイトルのBGMを担当。
カービィと同い年であり初めて作曲したのが「天かける虹」である。
  • 小笠原雄太
スターアライズ』から参加して一部BGMや効果音を担当。
三魔官のボイス調整の注文の多さからデス小笠原と社内で呼ばれているとの逸話がある。とあるキャラの時のとあるボスのBGMもあって、ファンからも親しみを込めてそう呼ばれる事も。


沿革

以下敬称略とさせていただく
更なる詳細はウィキペディアあたりで調べたらいいんじゃないかな







全ては1980年、西武百貨店池袋店から始まった。


パソコンコーナーにあった「PET 2001(コモドール社)」の前に集っていたのが、
当時大学生の岩田聡を初めとするパソコンマニア達。
(この中には後に代表取締役となる谷村もいた)

※PET2001……コモドール社が発売した当時の最新パソコンの一つ。今では見劣りするが岩田達にとって興味の対象であった。

すると彼らに一人の店員が声をかけ、ある事を提案する。



「今度パソコンの会社立ち上げようと思うんだけどさ、一緒にやってみない?」



岩田らは賛同し、5人(岩田はアルバイト)のメンバーで秋葉原のマンションの一室を開発室として借りた。
これがハル研誕生の瞬間である。



創業当初は今のようにいきなりゲームを作っていたわけではなく、パソコン関連の周辺機器開発がメインだった。
次第にゲームソフトも開発し始め、前述のコモドール社の日本支社「コモドールジャパン」の下請けとなる。
(ちなみに当時、ナムコのゲームソフトをパソコンに移植したこともあったが、
実は後から許諾を得たもので最初は無許諾だった。比較的緩い時代で良かったと言うべきか……)


1983年、岩田は大学卒業にともないアルバイトから正社員に。
同じくして任天堂からファミリーコンピュータが発売されると、取引先だったこともあり早くから参入を果たした。
この時の記念すべき第1作は『ジャウスト』だった……が、大人の事情で発売に至らず、
翌年の『ピンボール』が初リリースとなる。
その後も任天堂ブランドのタイトルを手がけ、同時並行で自社ソフトやハードウェアも担うようになった。
当時は完全に任天堂の傘下、という立場になかった為
MSXでもソフトを出していたことがある(エッガーランドミステリー、田代まさしのプリンセスがいっぱいなど。
…一部目を疑うタイトルが見えたって?気にするな!)。

やがて社員が90人に達し規模が大きくなると、山梨県にオフィスを移す。
あとバブル景気に便乗して株や不動産投資にも手を出しちゃったりした。ハル研にとってこれらの過去は半ば黒歴史扱いされている。





……しかし、勢いも長くは続かなかった。
次第にゲームソフトが売れなくなり、バブル崩壊に伴い不動産等ゲーム以外の事業も失敗したのである。


バブル崩壊からの事業失敗は確かに後述の末路と無関係ではないが、本軸の「ゲームを作る企業」という面で見た場合、ゲームソフトの不振はかなり深刻だった。

どんなに出来の良さに自信があったとしても、満足に売れないという事は利益が出なくて開発費も回収できない。
間違いなく会社の経営、社員の給与に響く。
そうなると、少しでも開発費諸々を削減するために発売を早めなければならない。
が、そんな未完成の代物を出したところで余計に売れるはずもなく、
ユーザーに見放されてますます売上が減るのは、火を見るより明らかである。
更に売れなくなるという事は、つまり経費の割合と圧迫が……開発期間が……


こうしてバブル崩壊の波に呑まれ、ゲーム開発特有の悪循環「悪魔のサイクル」に陥った結果……1992年6月、ハル研究所は和議法(民事再生法)を申請し、倒産。
まさに悪魔のサイクルの典型的な犠牲者であった。
(新卒向けの会社説明会で倒産の経緯を毎回語っている、という話も聞かれる。それほど重大な出来事だったのである。)


(なお、倒産の原因は「カービィの後に出たソフト『メタルスレイダーグローリー』が特に開発費をかけた作品であるにもかかわらず大赤字を出したため」とされる事も多いが、これはよくある勘違いである。ファンブックによると、むしろ各店舗で品薄が相次いだほど好調な販売記録であり、スタッフによれば「ゲーム一本で会社は倒産しない」とも語られている。
同作は特殊なROMを使い、ファミコンとしては非常に高いクオリティのグラフィックを実現しており、「倒産の原因」と言われるとうっかり納得してしまいがちではあるが、それだけの技術力が同ソフトに詰まっている事の証左でもある。興味のある方はWii UのVCでどうぞ。)


その後、ハル研は取引先の任天堂から支援を受けた。
当時の任天堂社長だった山内溥(故人)が「岩田を社長にしろ」と条件を提示したことにより、
社長に就任した岩田のもとで再建が始まる。
第2のハル研スタートでもあった。


初めに行ったのがパソコン関連事業の分社化。
これはハル・コーポレーションとして独立し、ハル研究所本体はゲーム事業に一本化された。
そして、会社一丸となって掲げた信念


「今後発売するソフトは全てミリオンセラーを目指す!」


を合言葉に、あの名作『星のカービィ 夢の泉の物語』を発売。
クオリティーの高さと面白さでFC末期という逆風にも負けず、宣言通り100万本越えの大ヒットを記録したのである。
以後、ハル研は再建を果たし、星のカービィシリーズを中心にゲームソフト開発へ専念するようになった。
(ちなみに「ミリオンセラーを目指す!」という言葉だが、今は無くなっている。
かえってゲーム作りの幅を狭めてしまうからだろうか)



2001年、まさかの『星のカービィ』テレビアニメ化を決定。
ハル研は任天堂と共に、アニメ制作に全面協力する立場だった。
本作が色々な意味で話題になり、人気となったことはアニヲタ的に言うまでもないだろう。
そう、本当に色々な意味で。

勿論ハル研側にも思惑があって、アニメ化カービィを世界的に有名なキャラクターにする狙いがあった。
実際、これまで世界各国(60カ国以上とも)に現地の言語で翻訳・放送されており、
アニメ放送後の地域では放送前よりゲームの売上本数が劇的に伸びたと言われている。
日本での放送終了後も、放送されている国の数は着々と増え続けているらしい。


2002年、岩田聡が山内直々の使命を受けて任天堂の代表取締役に就任。
また同年にはハル・コーポレーションが解散。
晩年はエッガーランドのwindows版を手がけていたこともあり、
事実上それらがエッガーランド最後のリリースとなった。


2003年、アニメ終了と同時期に桜井政博がハル研を離れる。
この事でネットの一部の場所で人騒ぎあったが、それはまた別の話。


2012年、星のカービィシリーズが20周年を達成した。
ワープスターへの指示かは不明だが、この前後からカービィ関連のグッズが大幅に増えた。


2015年、ハル研が創業35周年を迎える。
しかし同年7月11日、岩田聡が胆管腫瘍によりこの世を去った。
享年55歳。あまりにも早すぎるであった。
13日に任天堂から公式発表されたことで世界中のファンが衝撃を受け、彼に数え切れないほど多くの追悼メッセージが送られた。


2017年、星のカービィシリーズ25周年を迎える。
翌年の『星のカービィ スターアライズ』発売までの間には多方面に渡るグッズ・メディア展開を繰り広げ、遂には星のカービィを題材にしたオーケストラコンサートも開催。
カービィとしても、ハル研としても非常に豪華な1年となった。
ちなみに同年は「HAL Egg」ブランドもスタート。しかし当時はゲーム開発で色々いっぱいいっぱいだったらしく、公式Twitterアカウント含めて本格的に動き出すのは2年後の話となる。


2020年、東京オリンピック開催と同年に創業40周年を迎える予定……であったが、オリンピックの方は2月頃より世界で流行した新型コロナウイルスの煽りを受け、翌年に延期となってしまった。
しかし創業40周年自体は滞りなく祝われた。


おもな自社タイトル

コンシューマ

etc…


スマートフォンアプリ

  • はたらくUFO
  • 歩数で勝負!!カメさんぽ


余談

ハル研究所といえば山梨県のイメージが強いと思われる*2が、
正確には開発センターが山梨・東京の2箇所に分かれて存在するのであって、
本社そのものは東京の千代田区の方にある。


ちなみに、会社案内のパンフレットにも遊び心が込められており、よく凝った作りになっている。
一度志望したことがある人は、ハル研から届いたパンフレットを開いて感心したのでは?


追記・修正は遊び心のある方にお願いします。

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  • ハル・コーポレーション←2002年に解散
  • 倒産からの復活
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最終更新:2024年03月17日 13:12
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*1 ただし、そこを卒業したと明らかになっているスタッフはいる。

*2 トリデラ以降のストーンカービィの変身パターンに「富士山とハル研の建物」があるため