登録日 :2012/03/16 Fri 15:41:30
更新日 :2025/09/17 Wed 20:49:20
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小田急 ( おだきゅう ) ロマンスカーは、小田急電鉄の
特急列車 およびその特急車両の名称である。
概要
小田急電鉄の看板列車であり、
東武特急 や近鉄特急と並んで有料の私鉄特急列車としては屈指の人気と知名度を誇る。
私鉄特急の中でも流線型や連接台車をいち早く導入し、国鉄へ貸し出されて当時の狭軌における世界最高速度を樹立。
新幹線 の開発に多大な影響を与え、日本で初めて地下鉄に乗り入れる特急にもなるなど、常に時代の最先端の技術を導入している点が特徴。
1967年(
御殿場線 直通列車は1985年)以降は定期券でも乗車できるようになっており、観光のみならず通勤・通学での需要も高い。
ちなみに、私鉄の定期特急列車で最長となる10両編成で運行されている唯一の列車でもある。
技術面での評価も高く、グッドデザイン商品などのさまざまな賞を受賞している。
特に「鉄道友の会」が毎年優れた車両に送る「ブルーリボン賞 」はEXEを除いた歴代の全形式が受賞しており、受賞回数8回は近鉄の9回に次いで2位の記録を持つ。
このブルーリボン賞が創設されたのも小田急ロマンスカーがきっかけである。
そもそも「ロマンスカー 」は本来、2人がけの座席である「ロマンスシート」を備えた車両であり、当時の長距離列車は4人で1区画の向かい合わせ固定式(ボックスシート)が多かった中、2人客がある程度でもプライベートな時間を過ごせるロマンスシートは画期的なものだった。当初は各鉄道会社が「我が社のロマンスカー」とアピールしてきたが、1950年代以降は各社が独自のネーミングを用いるようになっていった。
しかし、小田急だけは唯一特急列車の愛称として「ロマンスカー」という名前を使い続けたため、一般にも広く定着するようになり、最終的には1990年代後半に商標登録(第3321840号)するまでに至った。
歴代形式は一部を除き、運転席を2階に上げることで車両の最前列に座席を設置する「展望席」を設けており、最高の眺望性を楽しむことができる。事前予約なしでは座席の確保が難しいほどで、ロマンスカーの代名詞にもなっている。
種別
列車番号は下りが奇数・上りが偶数の番号を使用し、併結運転を行う「(メトロ)はこね」と「(メトロ)えのしま」は番号を共有する。
ただし、2012年3月17日のダイヤ改正まで併結していた「ホームウェイ」では系統ごとに個別の番号を使用していた。
小田急線内種別
1950年から存在する伝統ある種別で、新宿~箱根湯本間を走る主力列車。停車駅は概ねパターン化されている。
土休日には新宿~相模大野間で「えのしま」と併結する列車がある。
1996年3月23日から登場。上記の「はこね」のうち、小田原線内を無停車で走行する最速の種別。「はこね」の大半が町田駅に停車するようになったため、同駅を通過する列車を分離する形で設定された。
かつては上り列車や平日の運用も存在したが、現在は土休日9:00・10:00発の下り2本のみ運行。
2018年3月17日のダイヤ改正では土休日の一部列車のみ小田原線内を59分で走破する列車が設定され、SE開発当時の悲願だった「新宿~小田原間60分以内」という小田急の60年越しの夢が実現した (2025年現在は消滅)。
「はこね」を補う特急で、小田原線内完結の列車。停車駅は「はこね」よりも比較的多い傾向にあるが、上りの途中駅始発や下りの途中駅止まりといった区間運転を行う列車も多い。
元々は1948年に運行を開始し、1963年から現在の名称が登場した古参の種別ではあるが、1999年~2004年の間は一時的に廃止されていた。
相模大野駅を経由し、江ノ島線に直通する特急。新宿駅に到着したロマンスカーの車両を利用した「納涼ビール電車」という臨時列車が起源である。
1964年3月21日より土休日のみの種別として初登場し、翌年3月1日から毎日運転されるようになる。
平日は下り1本・上り3本のみの運用だが、土休日では観光需要により大幅に本数が増加し、2時間に1本ペースで運転される。
2018年3月17日のダイヤ改正で「はこね」「さがみ」との併結列車は一部を除いてほとんどが廃止されたが、2022年3月12日のダイヤ改正からは再び増加している。
1997年7月17日から登場。JRの「ホームライナー」と同様に通勤・通学客をターゲットとし、午後18時以降に新宿駅を発車する下り列車は行き先に関係なく全てこの名称が用いられる。
愛称は公募によって決定。ちなみに第1位は「ホームタウン」だったが、
JR東日本 が既にその名称を使用していたことから「ホームウェイ」の名前が採用された。
基本的に毎時小田原線系統2本・江ノ島線系統1本のペースで運行され、かつては多摩線系統の列車も存在したが、2016年3月26日のダイヤ改正で廃止された。
以前は日中時間帯の「はこね・えのしま」などと同じように、相模大野まで小田原線系統と江ノ島線系統を併結する列車が存在していたが、2012年3月17日のダイヤ改正で完全に系統分離された。
2022年3月12日のダイヤ改正からは1時間前倒しされ、午後17時より運行を開始している。
2018年3月17日のダイヤ改正より運行開始。「ホームウェイ」の上り版で、午前9時30分までに新宿駅に到着する上り列車は系統に関係なく全てこの名称が用いられる。
こちらもホームウェイと同様に公募が行われ、応募名称数が第1位だったことから選定された。
他社線直通列車
全列車がMSEによる運行である。
新松田駅付近の連絡線を経て松田駅に入り、
御殿場線 に直通して御殿場駅まで運行する列車。1日3往復が運転されている。
ロマンスカーの中では唯一、全列車が6両編成で運転される。「あさぎり」時代は土休日のみ新宿~相模大野間で「えのしま」と併結する列車があったが、「ふじさん」に変更してからは全て単独運転。
片乗り入れという形ではあるが、関東の大手私鉄が
JR東海 の路線に乗り入れる唯一の事例。
●メトロ特急
2008年3月15日のダイヤ改正より登場した、日本初となる地下鉄乗り入れ特急。
代々木上原駅から
東京メトロ千代田線 に直通して
北千住駅 まで向かう列車で、いずれも「メトロ○○」という名前で案内されており、行先や運行時間帯は小田急線内の同名の種別に準ずる。
千代田線内のみの乗車は不可能で、下りは乗車・上りは降車のみ取り扱う。加えて待避設備がないことから一般列車に挟まれての走行になり、時間調整のために各駅2分程度の停車時間が設けられている。
千代田線内ではホームドアの関係上、1・4・5・7・8・9号車のみドアが開く。
北千住~箱根湯本間を運行する主力列車。平日1往復、土休日3往復が設定されている。
土休日の1.5往復は北千住~相模大野間を「メトロえのしま」と併結して運行しており、こちらは相模大野に停車する代わりに町田と本厚木は通過する。
2025年3月15日のダイヤ改正からは全列車が伊勢原に停車し、平日の20号のみ経堂~代々木上原間は緩行線を走行する。
2018年3月17日のダイヤ改正で登場。土休日のみの運転で、下り2本・上り1本が運行される。「えのしま」と違って成城学園前にも停車するが、新百合ヶ丘と大和は通過する。
全列車が北千住~相模大野間を「メトロはこね」と併結して運行。江ノ島線内では4両編成で運転する。
「ホームウェイ」と同じく、午後18時以降に北千住(一部は大手町)駅を発車する下り列車にこの名称が用いられる。全列車が本厚木行きで、小田原・片瀬江ノ島方面には乗り入れない。
平日5本・土休日2本運転され、平日の4本のみ大手町駅を始発としており、千代田線の配線の関係で湯島駅の留置線で折り返してから戻ってくる。
「ホームウェイ」ともども2022年3月12日のダイヤ改正からは午後17時より運行。現在は平日のみ代々木上原→経堂間で緩行線を走行し、新百合ヶ丘には3番ホームに発着する。
2018年3月17日のダイヤ改正より運行開始。「モーニングウェイ」と同じく、午前9時30分までに北千住駅に到着する上り列車にこの名称が用いられる。
「メトロさがみ」から改称しつつ、停車駅に海老名を追加して平日に1本増発する形で登場し、全列車が本厚木→北千住間で運行される。
平日2本・土休日1本が運転。平日は経堂→代々木上原間を緩行線で走行し、土休日は新百合ヶ丘と成城学園前にも停車する。
臨時種別
通称「ニューイヤー号」「NYE」(New Year Express)。
大みそかの12月31日深夜から年が変わった元日の早朝にかけて運行される臨時初詣特急。1969年度に新宿~新原町田間で「初詣号 」が1往復運行されたのが始まりで、2001年度からは「ニューイヤーエクスプレス」の名称で運転されている。
かつては新宿→片瀬江ノ島間で5~8本、新宿→小田原(2008年まで伊勢原)間で1本(2018年まで2本)が運行されていたが、2020年度はコロナ禍もあって全列車が運休。2021年度は新宿→片瀬江ノ島間の1本で引退の決まったVSEが使用され、2022年度以降はEXE・EXEαを使用して1月1日早朝に新宿~片瀬江ノ島間で1往復のみが運行されている。
車内販売は深夜ということもあって基本的に実施されないが、唯一の例外として1987年度の運転においては新型車両の宣伝施策として、デビューしたばかりのHiSEで「走る喫茶室」のサービスが実施されていた。
最後の「初詣号」になった2001年1月1日には新宿→町田・伊勢原・片瀬江ノ島間で運行されており、途中停車駅は参宮橋(一部停車)・代々木上原・向ヶ丘遊園・町田・大和・藤沢だった。
片瀬江ノ島行きの途中停車駅は2003年1月1日以降、新百合ヶ丘・町田・大和・藤沢になっており、通常の「えのしま」とは違って町田に停車するのが特徴。2002年1月1日の運行では向ヶ丘遊園に停車する列車もあったが、翌年より設定がない。
また、当初は唐木田→片瀬江ノ島間という、新百合ヶ丘でスイッチバックを行って多摩線から江ノ島線に向かう珍しい列車が設定されていたが、2004年1月1日を最後に運行がない。
小田原行きの途中停車駅は2005年1月1日以降、新百合ヶ丘・町田・伊勢原・秦野になっており、2008年までは伊勢原が終点だった。その後は成城学園前・相模大野・海老名・本厚木が順次追加されていったが、町田は通過になっている。
2022年度以降は両者を折衷し、成城学園前・新百合ヶ丘・町田・相模大野・大和・藤沢停車で運行されている。
2009年度~2019年度には北千住→片瀬江ノ島間の下りのみ、千代田線直通の「メトロニューイヤー 」が運転されていた。途中停車駅は大手町→霞ケ関→表参道→成城学園前→新百合ヶ丘→町田→大和→藤沢で、メトロ特急と同じく千代田線内では降車できなかった。
2020年度のコロナ禍を機に設定がなくなり、現在も復活していないことから2019年度が最後の運転になっている。
かつては12月31日深夜と1月1日早朝に運転される列車で運行系統が異なっていた、
前者は明治神宮最寄り駅である参宮橋に臨時停車する列車が運行されていた。運行区間は年度によって異なり、小田原・本厚木・町田のいずれかを始発とし、参宮橋に臨時停車して新宿へ向かう形になっていた。2001年度には元日に本厚木発で運転されたが、翌年より設定がない。
2018年度からは「はこね72号」が参宮橋に臨時停車する形で運転されている。
後者は片瀬江ノ島を始発とし、藤沢・大和・町田に停車していた。2018年度以降はこちらのみ運行されているが、停車駅は通常の「えのしま」と同じく藤沢・大和・相模大野・新百合ヶ丘になっている。
2020年度・2021年度はコロナ禍や下りのみの運転ということもあって設定がなかったが、2022年度より復活している。
1990年度~2008年度には「初詣&初日の出号」が運行されており、1000形を使用して千代田線と直通運転を行っていた。
2007年度以降は「初詣号」の名称を復活させ、唐木田→綾瀬間の上りで運転。途中停車駅は多摩急行と同じ。
過去の主な種別
1950年に箱根湯本駅へ乗り入れを開始して以降は列車ごとに異なる愛称が設定されており、1963年にNSEが登場する直前の時点では最大16種類まで存在したことがある。
ここでは準特急を除き、現行の運行体制が成立した1966年6月1日以降に運行された主な列車について解説する。
1953年4月1日のダイヤ改正より、料金不要ながら座席定員列車である「サービス急行」を格上げする形で登場。当時は特急用車両が不足していたため、文字通り特急ロマンスカーを補完する目的で土休日に運用された。
1959年4月21日のダイヤ改正で「準特急」に改められ、100円の座席定員制の指定券を発行するようになった。
車両は2扉のセミクロスシート構造である2300形・2320形が使用され、準特急の運行がない平日には一般列車にも充当されていた。
1963年にNSEが登場し、特急列車の増発が可能になったことで廃止された。
1950年の箱根湯本への乗り入れ開始に伴い。「箱根特急の特定1便を識別するための列車名」として登場。1966年に一度は消滅したものの、翌年より系統名称の形で新原町田に停車しつつ朝と夜の時間帯に運行する列車として復活し、定期券での乗車も可能になった。通勤・通学需要を想定した列車という点では小田原・箱根湯本線系統の「ホームウェイ」「モーニングウェイ」の始祖と言える。
登場以来長年に渡って親しまれてきたものの、1999年7月17日のダイヤ改正で廃止された。
その後、2018年5月3日~5日の3日間限定で臨時列車「あしがら61号」が設定され、19年ぶりに復活。車両は登場したばかりのGSEが使用された。
1999年7月17日のダイヤ改正より、「あしがら」「さがみ」を統合した種別として登場。「途中駅に多く停車することで沿線利用者の生活をサポートする」という目的で設定され、名称は社内公募によって決定された。
2004年12月11日のダイヤ改正にて列車愛称が行き先別になったことで廃止され、「さがみ」が復活した。
東京ディズニー リゾート への利用者をターゲットとして、2008年3月15日のダイヤ改正で登場。千代田線を経由して有楽町線に直通し、新木場駅まで運行されていた臨時特急。土曜日を中心に年間30日程度設定されていた。
運行の性質上、本厚木発着として朝上りと夜下りの1往復が設定されており、運行日は当該時間帯の「メトロさがみ」と「メトロホームウェイ」がそれぞれ運休になっていた。
霞ケ関駅と桜田門駅の間にある連絡線を利用し、スイッチバックもあるなど趣味的にも面白い列車だった。
しかし、臨時列車で宣伝も消極的だったことから利用者数は振るわず、2011年9月25日を最後に運行がなくなり、2012年3月17日のダイヤ改正を最後に設定が消滅した。
表向きの理由としては有楽町線にホームドアが設置されたことになっているが、新木場駅で
京葉線 や
りんかい線 に乗り換えなければならなかったことから中途半端に不便で、スイッチバックの兼ね合いもあって所要時間も長く、運行面でも煩雑な存在だった。
現在は大開口形やロープ式ホームドアが運用されているので技術的な問題は解消されているが、上述の問題から今後復活する可能性は極めて低いだろう。
途中停車駅は町田・新百合ヶ丘・成城学園前・表参道・豊洲で、これに加えて代々木上原と霞ケ関に運転停車していた。
「ホームウェイ」は2000年12月2日のダイヤ改正より登場。毎日1本、新百合ヶ丘を経由して新宿→唐木田間で運行されており、2002年3月23日のダイヤ改正で1日2本、2003年3月29日のダイヤ改正で平日3本に増発された。
「メトロホームウェイ」は2008年3月15日のダイヤ改正で平日のみ、新宿発の1本を北千住発に置き換える形で登場した。
しかし、2012年3月17日のダイヤ改正からは平日のみの運行になり、2016年3月26日のダイヤ改正をもって廃止された。
現在は平日のみ「ホームウェイ」83号・85号・87号と「メトロホームウェイ」が新百合ヶ丘に3番ホーム発着しており、多摩線への乗り継ぎに配慮されている。
途中停車駅は(大手町→霞ケ関→表参道→成城学園前→)新百合ヶ丘→小田急永山→小田急多摩センター。定期列車で栗平駅を通過した最後の種別でもある。
2008年3月15日のダイヤ改正より登場。毎日朝に上り1本が設定され、本厚木→北千住間を運行。
2018年3月17日のダイヤ改正で「メトロモーニングウェイ」に改称される形で廃止された。
「ふじさん」の前身。元々は戦争中に東海道線が爆撃を受けた際に迂回路線として活用するという構想が由来である。
1955年10月1日のダイヤ改正で運行が始まった気動車による特別準急を起源としており、当初の途中停車駅は松田のみだったが、1959年7月2日のダイヤ改正からは一部列車が山北・駿河小山にも停車するようになった。
1964年以降は沼津駅までの延伸要望もあったが、当時の御殿場線には御殿場~裾野間の約15㎞に渡って列車交換設備がなく、財政問題もあって国鉄時代には進展しなかった。
1968年7月1日の御殿場線電化後はSSE導入とともに名称が「あさぎり」で統一され、同年10月1日のダイヤ改正からは国鉄の準急が急行に統合される形で廃止になったため、小田急線内でも連絡急行扱いになる。
途中停車駅は引き続き松田・山北・駿河小山の3駅だったが、1971年10月1日からは新原町田にも停車するようになり、1984年2月1日からは本厚木も追加された他、1・6号のみ谷峨にも停車していた。
しかし、SSEは元々耐用年数10年で設計された車両だったために1987年で車齢30年になるなどかなり老朽化が進んでいたが、国鉄側の現場の反応などを考慮し、車体修理を行った上で継続使用していた。
国鉄分割民営化後の1988年7月には小田急が
JR東海 に対してSSEの置き換えについて申し入れ、さらに1989年10月には利用者数の増加によって富士岡駅と岩波駅に列車交換設備が新設されたこと、御殿場線沿線からも運転区間延長の要望が強くなっていたことから、老朽化したSSEを置き換える抜本的な構想が本格的に進められることになった。
その結果、1991年3月16日のダイヤ改正から小田急とJR東海による相互直通運転が開始され、特急に昇格させた上でRSEと371系がデビュー。
運行区間も沼津まで延長され、途中停車駅も町田・本厚木・松田・駿河小山・御殿場・駿河小山(一部)・裾野に変更された。
これに合わせて路線バスによる二次交通も整備され、東海バスでは中伊豆・西伊豆方面に直通する特急バス「スーパーロマンス号」の運行が始まり、このために開発された車両は正面から見て右側をRSE・左側を371系の塗装で塗り分けるというユニークなデザインだった。
当時のバブル景気を背景に利用者数は好調で、御殿場線沿線に点在するゴルフ場利用の乗客で満席になることも多かった。東海道線に直通して静岡駅までの延伸要望もあったものの、JR東海は3時間以上の所要時間ということで新幹線との差が大きすぎると否定的だった。
しかし、バブル崩壊による景気の低迷とともに駿東地域でのリゾート開発が頓挫したことや観光地としての西伊豆自体の知名度も上がらず、御殿場~沼津間の利用が低調になっていった。
そのため、2012年3月17日のダイヤ改正をもって相互直通運転は終了し、RSEと371系が引退。運行区間もSSE時代と同じく御殿場までに短縮され、車両もMSEによる片乗り入れの形になった。
そして、2018年3月17日のダイヤ改正をもって「ふじさん」に改称される形で消滅した。
その後、MSE運行開始10周年を記念して同年12月2日に団体臨時列車「メトロあさぎり」が運行され、1日限りの復活を果たした。
この列車は綾瀬駅を始発とし、千代田線・小田急線・御殿場線の3路線をまたいで運行された。
ちなみに、SSE時代までは小田急の乗務員の中でも国鉄の考査に合格した人が御殿場まで全区間乗務する という、今では考えられないことをやっていた。これは当時の御殿場線の列車は全て蒸気機関車牽引の客車で、気動車の乗務員がいなかったためである。
多層建て列車
一部の「(メトロ)はこね」と「(メトロ)えのしま」は、車両によって異なる行先になっている
多層建て列車 である。いずれも「(メトロ)はこね」が小田原方6両、「(メトロ)えのしま」が新宿方4両になっており、相模大野で分割・併合を行う。
途中駅では分割案内板Aを境に、相模大野から前6両は箱根湯本行き、後ろ4両は片瀬江ノ島行きであるとの放送が入る。
これとは別に、箱根登山線内のホーム有効長は20m級7両編成までであるため、EXE・MSE10による「はこね」「ホームウェイ」においても小田原駅で分割・併合を行い、途中駅でも同様の放送がある。
過去には「さがみ」「あさぎり」と「えのしま」、「ホームウェイ」の併結列車も存在しており、「はこね」と同様に「さがみ」「あさぎり」「小田原線系統ホームウェイ」が6両側を、「えのしま」「江ノ島線系統ホームウェイ」が4両側を担当していた。
ドアカット
1999年7月まではロマンスカーに乗車する際には乗車口を限定し、ホーム上で特急券を確認する乗車改札を行っていたため、LSEからEXEまでの車両では半自動扱いも可能な回路になっていた。
千代田線においては上記のように、2008年3月15日のメトロ特急運行開始以来2・3・6・10号車がドアカットされている。
小田急は2032年度までに新宿~本厚木間の全駅と中央林間・大和・藤沢の合計37駅へのホームドア整備完了を目指しているが、本厚木駅では2022年にロマンスカーに対応した「大開口ホームドア」が初めて設置された。
開口部分を最大限に広げることで通勤車両と特急車両の扉位置の違いという課題が解消されるが、それでも一部乗降口に干渉してしまうため、2022年11月15日よりEXE・MSEの4・7号車が小田急線・御殿場線の全停車駅でドアカットされている。
その後は町田・相模大野・海老名にも設置されている。
車両
現行車両
●30000形「EXE ・EXEα 」(Ex cellent E xpress)
概要
1996年3月23日に運行開始。1996年グッドデザイン商品選定車両。
観光以外の日常利用者増加への対応および輸送力増強と老朽化したNSEを置き換えるために登場した車両で、現行車両では最古参。
この時点では複々線化工事がそれほど進展しておらず、これ以上の増発やスピードアップが困難だったため定員数の増加を重視。さらには柔軟な運用を行うべく、分割・併合に対応した6両編成と4両編成を製造し、状況に応じた運用が可能になった。
その反面、定員増加や短時間の乗務員交代を考慮して連接構造や展望席は見送られるなど、それまでの特急ロマンスカーとは一線を画す車両になっている。
製造数は7編成70両とNSEに次ぐ多さで、座席数は578名とMSEと並んでロマンスカーNo.1を誇る。
パンタグラフがシングルアームになった初の車両でもある。
塗装・機能
連結時に両端となる1号車と10号車はやや傾斜した非貫通型だが、中間になる6・7号車は自動ほろ装置を備えた貫通型になっており、通り抜けが可能。
オレンジや赤などをベースに明るい色合いで塗り分けられていたこれまでの車両とは打って変わり、全体をメタリック系のハーモニックパールブロンズ■ で彩った以外はアッパーレッド■ のワンポイントが入っているという、ロマンスカー初の単色塗装である。
これは「10年経っても飽きのこないデザイン」を意図したものである。この関係上、3000形以降のロマンスカー車両で初めて側面に長くのびる赤系統の帯がなくなっている。
側面や各先頭車両正面には「EXE」のロゴマークが記載されているが、そもそもロマンスカーの車体外部に愛称が表示されること自体が初めてであり、この点でも異彩を放つ。代わりにLSE~RSEの3代に渡って使われてきたヤマユリのロゴマークもなくなっている。
長らく搭載されていた補助警報音も廃止され、そもそも唯一「SE」を冠さないなど、文字通りロマンスカーの異端児とも呼べる存在と言えよう。
ロマンスカーでは初めて側面の行先表示器に列車番号を表示しており、3色LEDで表示される。ドアも今までの折戸式から引戸式に変更されている。
なお、ハーモニックパールブロンズは金と銀の中間のような色合いの金属光沢でかなり派手なように見えるが、いざ使用してみると特に曇り空の日には風景に溶け込んでしまうなど、むしろ地味な色だったことが判明した。
内装・車内設備
シートピッチは1000mm。各シートの肘掛けにはリクライニングのボタンと収納式のテーブルが備えられており、シートを向かい合わせにした時も各自使用できるようになっている。当初は6両編成が箱根をイメージした緑色、4両編成が江ノ島をイメージした青色のモケットを使用していたが、1999年の増備車ではグレーと茶色系のツートンに統一され、既存の車両も同様に変更されたが、1・2次車にあった肘掛けは設置されておらず、リクライニングの角度も最大まで倒しても背もたれの厚みに満たない程度である。ヘッドカバーには小さいながらも「EXE」の刺繍が入っている。窓枠は2席に1枚ずつ割り当てられている。
座席の座り心地は良好で、座面・背もたれともに柔らかく、重厚感あるデザインになっている。
照明は間接照明を採用し、さらに荷物棚下には蛍光灯の直接照明が設置されている。
客室とデッキの仕切りドアの幅は700mmで、「EXE」のロゴマークが描かれている。5号車と8号車はバリアフリー対応車両で、車椅子対応座席が設けられているが、この近くのドアは両開きの幅900mmになっており、ロゴマークは描かれていない。
トイレ・洗面台は2・5・8号車に設置。共通して男女共用和式トイレがあり、さらに2・8号車は男子用トイレと女子トイレ(8号車はベビーベッド付き)、5号車はベビーベッド付き車椅子対応トイレがある。
3・9号車には売店とロマンスカー初の
自動販売機 を設置。ただし車内放送では自動販売機に関する言及はなく、リニューアル後も変わっていない。6・7号車のデッキにはAEDが設けられている。
かつては3・4・9号車に公衆電話が設置されていたが、現在は撤去されている。
唯一のブルーリボン賞を逃した車両
1996年3月23日に2編成が運用を開始して以降、LSEよりも130人以上定員数が多いEXEは輸送力増強に貢献しており、検査時にはHiSEで代走する「スーパーはこね」にも運用され、初日は箱根湯本駅で到着式も行なわれた。
1999年までに残り5編成も増備され、これによって「ゆめ70」を除いたNSEを全て置き換えた。
しかし、これまでの伝統だった展望席の廃止やそのデザイン、観光的な要素の少なさには否定的な意見も少なくなく、分割・併合を前提とした車両なのに途中駅無停車でそれらを行わない「スーパーはこね」に使用されるなど、そのちぐはぐな運用も低評価に拍車をかけてしまった。
その結果、1997年に行われたブルーリボン賞の選考では最多の得票数を得ておきながら、「該当なし」票がそれを上回ったために ロマンスカーで唯一受賞を逃してしまう といった屈辱を味わう憂き目にあった。
途中駅を重視した特急施策によって確かに特急利用者数は増加しており、EXEを前面にピックアップした結果、1987年時点では1100万人だった年間特急利用者数が2003年には1400万人に増加している。
しかし、肝心の箱根特急箱根特急の利用者数は1987年には550万人だったのが、2003年には300万人程度にまで減少してしまっていた。バブル崩壊もあって箱根の観光客数そのものも減少傾向ではあったが、観光客全体の減少率が15%程度であるのに対して箱根特急の利用者数は45%も減少しており、ロマンスカーのイメージとされた展望席がEXEにはなかったために魅力が減少したことは明らかであった。当時の子どもから「こんなのロマンスカーじゃない」と泣かれた逸話はこれを如実に物語っていると言えるだろう。
これを踏まえ、2002年からはイメージリーダーとして起用される車両はHiSEに変更されている。
しかし、高い輸送力と柔軟な運用法は特急利用者数の増加に大きく貢献しており、現在では観光から日常利用まで幅広くロマンスカーの主力を担っている。1996年にはグッドデザイン商品、2007年にはロングライフデザイン賞に選ばれているなど鉄道車両としての評価は高く、ロマンスカーでさえなければ十分に人気を集め得た車両だったという声も存在する。
何より観光目的のために特殊な機能を搭載したHiSE・RSE・VSEが比較的短命で引退したことを考えれば、無難で堅実的なEXEは「花はなくとも大樹」だったと言えよう。
実際に単色塗装はVSE以降のロマンスカーにも踏襲されており、MSEやGSEも日常利用の要素が含まれていることから考えても、VSEともども21世紀以降のロマンスカーの基礎になったことには間違いないだろう。
(出典:Wikipedia)
リニューアル
2017年からは、塗装・内装を一新してプラスアルファの要素を加えたリニューアル車両「EXEα 」が登場。
デザインは近年の小田急グループ車両と同じく岡部憲明氏が担当し、同年3月1日の新宿16:30発「はこね41号」より運行を開始した。
その後も第2編成・第3編成・第4編成・第6編成がα化されている。
車体色をムーンライトシルバー■ とディープグレイメタリック■ のツートンとし、側面にロマンスカーの伝統色であるバーミリオンオレンジ■ とVSEと同色のシルキーホワイト□ のラインを添え、ロゴマークもVSEなどと同様のデザインに一新。
車体前面に設置されていた行先表示器は撤去されており、側面のものについてはMSEと同じくフルカラーLEDで種別・列車番号と行先が交互に表示される。
内装は全体的に明るいものに改善され、照明も直接照明と間接照明の組み合わせに変更。
座席背面にはフックと網ポケット脇に傘入れが設置されており、座席肩部には点字表示も兼ねた握り手が新設された。
観光客への対応として2号車・5号車・9号車の一部座席が大型の荷物置き場に改造され、3・9号車のデッキにも同様のスペースが設けられている。
客室とデッキの仕切りドアは白を基調としており、引き続き車椅子対応の5・8号車は両開き、それ以外は片開きになっているが、いずれもロゴマークは描かれていない。ドアチャイムとドアランプも新設された。
トイレも一新され、共通して男子用トイレがあり、さらに5・8号車にはオストメイトとベビーベッドを備えた「ゆったりトイレ」を設置。車椅子でも入れる広さになっている。2号車はベビーベッド・ベビーチェアを完備した女子トイレと男女共用洋式トイレの構成。洋式トイレの便座は温水洗浄機能付きである。
売店は撤去されて車販準備室になっており、3・9号車デッキの荷物置き場隣には体調不良時の休憩や授乳などに使用できる多目的室が設けられている。自動販売機は荷物置き場の隣に移動した。自動販売機もICカードに対応している。
AEDの配置号車も3・9号車になった他、客室とデッキには防犯カメラの設置も行われており、第2編成以降は窓側の全座席にコンセントも備え付けられている。
当初は全編成をリニューアルする予定だったが、コロナ禍もあって第5編成と第7編成の更新は見送られ、2029年に登場予定の新型車両に置き換えられる予定である。
このうち第5編成のみ行先表示器がフルカラーLEDに更新され、前面の行先表示器が非表示になるなどEXEαに合わせられている。
●60000形「MSE 」(M ulti S uper E xpress)
(出典:Wikipedia)
概要
2008年3月15日に登場。日本初の事例となる「座席指定制特急列車の地下鉄直通」を目的に、小田急が東京メトロの協力を得て開発した車両である。
他社路線に乗り入れる史上初のロマンスカーであり、EXEと同様に20m級のボギー車両かつ6+4両編成の構造を生かし、文字通りマルチな活躍を見せている。
6両編成5本と4両編成3本、計42両が在籍している。
塗装・機能
VSEに続いて岡部氏がデザインを担当。
ロマンスカー伝統の流線型を意識しつつ、非常時のための貫通扉が設置されている。EXEと同じく連結時に中間車両になる6・7号車は自動ほろ装置を備えた貫通型になっており、通り抜けが可能。
地下鉄内でも明るく見えるようにフェルメールブルー■ の塗装が施されており、ロマンスカーの伝統色であるバーミリオンオレンジ■ とホワイト□ の帯も健在。VSEに引き続き愛称と形式名のロゴも添えられており、ミュージックホーンも搭載されているが御殿場線内では使用されない。
側面の行先表示器はフルカラーLEDで種別・列車番号と行先が交互に表示されるようになっているが、御殿場線直通運用時には「特急」の文字も表示される。ロマンスカーでは初めて任意の愛称を自由に設定できる機能が追加され、臨時列車や団体使用にも柔軟に対応できるようにしている。
内装・車内設備
ドーム状の天井や落ち着いた色合いはVSE、座席モケットはEXEを思わせる折衷型のデザインが特徴。
シートピッチは983mm。EXEの1000mmより狭くなっているものの、背もたれが薄いので足元は逆に広くなっている。
テーブルはEXEと同じように肘掛けに収納されており、シートを向かい合わせにした時も各自使用でき、出したまま回転することも可能。
車端部には1枚板のテーブルが設けられ、肘掛けのテーブルとセットで使える。
座席背面には傘立てとフックを設置。肩部には「MSE」のロゴが入った握り手が備えられている。
仕切り扉の上にはフルカラーLED式の車内案内表示器があり、2段スクロール式で「日本語・英語」の後に「中国語(繁体字)・韓国語」が続けて流れるようになっている。
車内設備の配置は基本的にEXEに準拠しており、トイレ・洗面台は2・5・8号車、カウンターブース・自動販売機・AEDは3・9号車、車椅子対応座席は5・8号車に設置。カウンターの前には日本の鉄道車両として初めてAED が設置された。
トイレは共通して男子用トイレとベビーベッド・ベビーチェアを完備した女子トイレを備えており、大用は全て洋式トイレ。5・8号車にはVSEと同様にベビーベッドとオストメイトに対応した「ゆったりトイレ」があり、車椅子にも対応している。
客室とデッキの仕切り扉は車体色と同じくフェルメールブルーになっており、2009年の増備車ではデッキに防犯カメラも設置された。
運用
事前広報には他のロマンスカーよりも力が入れられており、デビュー直前には「ファミリー鉄道展」で歴代ロマンスカーと並んでお披露目されたり、大手町駅にモックアップを搬入してイベントスペースとして使ったりするなどさまざまな催しが行われた。
2008年3月15日より運行を開始。この時点では6両編成が2本と4両編成が1本のみで平日は予備の車両がなかったことから、「メトロさがみ70号」で北千住駅に到着後は綾瀬駅で折り返し、喜多見検車区まで回送していた。土休日は6両編成と4両編成を各1編成ずつ使用。
2008年には第10回ブルネル賞「車両部門・奨励賞」に輝き、さらにVSEに続いて「グッドデザイン賞」も受賞。
そして、2009年9月13日には前述した車両運用・デザイン・居住性など多くの点が評価され、有効投票総数2668票中797票を得る形で第52回ブルーリボン賞を受賞。新宿駅で記念式典が行われた後、RSEの「はこね」運用を一部代走する形で記念列車が運転され、初の「はこね」運用および10両編成の新宿乗り入れを果たした。
当初の予定では土休日に新宿~箱根湯本間の「はこね」運用に使用する予定だったものの、実際には臨時列車や他形式の代走を除いて新宿発着の運用はなかったが、2012年3月17日のダイヤ改正より「あさぎり」全列車をはじめとした新宿発着列車の定期運用に加わった。
2009年には6両編成が1本、2011年と2015年11月には6両編成・4両編成がそれぞれ1本ずつ増備されている。
6両の第3編成は2024年秋に実施した定期検査に際し、小田原方3両は車体の塗装工程を省略してラッピングを施しており、色味の違いが見て取れる。その他、一部編成には窓側に電源コンセントが設置されている。
2025年3月3日からは車内チャイムで「もころん」のテーマソング「今日はどこにでかけよう」の使用を開始しており、同月末には編成によって異なるヘッドマークが取り付けられた。
●70000形 「GSE 」(G raceful S uper E xpress)
(出典:Wikipedia)
概要
2018年3月17日のダイヤ改正で登場。LSEの置き換えとロマンスカーのさらなるサービス向上を目的に開発された車両である。第62回ブルーリボン賞受賞車両。
2012年の時点で社内に部門横断的なプロジェクトを発足させており、「箱根につづく時間 ( とき ) を優雅に走るロマンスカー 」をコンセプトに、観光向けの「非日常性」と実用的な「日常性」を兼ね備えた車両になっている。2編成14両が在籍。
デザインはVSE・MSE・EXEαに引き続き岡部氏が担当。
塗装・機能
バラを思わせるローズバーミリオン■ の塗装が特徴で、屋根はルージュボルドー■ 、床下台枠覆部はEXEαと同じくムーンライトシルバー■ で彩られている。ロマンスカーおなじみのバーミリオンオレンジ■ の帯も描かれており、VSEと同様のロゴデザインに加えてミュージックホーンも搭載されている。
VSEと同様に展望席を備えているが、定員増加やホームドア設置を考慮して20m級ボギー車両による7両編成になっており、展望席とボギー構造というSEとは真逆の組み合わせになった。
EXEαに続いてカフェカウンターを廃止した結果、VSEよりも42人多い400人の定員をクリアしている。
乗り心地向上のため、車体の左右振動を低減させるフルアクティブ式車体動揺防止制御装置を採用している。
内装・車内設備
座席は展望席1列目を除いて475mmの幅になっており、ロマンスカー最大級のサイズを誇る。座面の高さも従来より20 mm高い440 mmになり、立ち上がりやすくなっている。
前面窓には大型の1枚ガラス、車体側面には高さ1mの連続窓をそれぞれ採用しており、他の展望付き車両以上に眺望性が高い。窓枠はEXEやMSEと同じく2席に1枚ずつ配置される。
なお、VSEとは違って展望席は回転できない構造になっている。
シートピッチはMSEと同じく983mmだが、座席下と前席間には国内線旅客機持ち込みサイズの荷物を置ける十分なスペースが確保されており、4号車を除くデッキ付近にも荷物置き場が設置されている。1・7号車は荷棚を撤去し、中間車両もその下面に空に浮かぶ雲をイメージした人工大理石とガラスを使用することで荷棚特有の閉塞感をなくすなど、他の車両以上に眺望性に配慮されている。
モケットはモザイク調になっており、座席背面にはドリンクホルダー・マガジンラックを備えたボードと、傘立て・3つのフックが設けられている。ヘッドカバーには「GSE」の文字が入っており、肩部の手すりも工夫されている。
テーブルは従来通り肘掛けに収納されており、座席を向かい合わせにした時でも各自使用できる他、ロマンスカーでは初めて全座席にコンセントが設置された。
車内設備は4号車に集約されており、車椅子対応座席・AED・自動販売機などが設けられている。EXEαと同様に多目的室も設けられている他、デッキには防犯カメラも設置されている。
トイレと洗面台は2・4・6号車に設置。共通して男子用トイレがあり、2・4号車はベビーベッド・ベビーチェアを備えた女子トイレ、4号車はオストメイトとベビーベッドを備えた「ゆったりトイレ」になっている。こちらも全ての洋式便座に温水洗浄機能を設けている。
VSEと同じく「ロマンスをもう一度」のチャイムが流れるが、あちらよりも若干音程が高い。これとは別に始発駅発車前や終着駅到着前には「tea for two」と「moon light serenade」のBGMが流れることもある。
GSEでは車内Wi-Fiシステムとして「Romancecar Link」を搭載しており、これに接続すると行先・停車駅や異常時案内など運行に関する情報を8言語で提供するとともに、中間車両からでも現在走行中の展望映像を端末から見ることができる。
運用
第1編成は2018年3月17日のダイヤ改正より運行開始。初運行の「スーパーはこね5号」はわずか2秒で特急券が売り切れた。
5月3日~5日には19年ぶりに復活した臨時列車「あしがら61号」として新宿→箱根湯本間を運行した。LSEが引退した7月11日以降は第2編成も戦列に加わっている。
10月3日にはグッドデザイン・ベスト100、10月31日にはグッドデザイン金賞(経済産業大臣賞)を受賞。
そして、2019年5月23日には有効得票数の62.8%をマークする形で第62回ブルーリボン賞を受賞。26日・27日の「小田急ファミリー鉄道展」ではSEと並べて展示された。
現在は「展望付き車両」として運行ダイヤが公開されており、LSEが引退するまでは共通運用が組まれていた。
ちなみに、2019年1月3日の
箱根駅伝 では1位の選手が箱根湯本駅を通過する時にちょうど駅にいたが、これはダイヤ担当者の粋な計らいで、選手の通過時間に近い列車にGSEが充当されたためである。
●新形式車両
2024年9月、VSEの後継とEXEの置き換えを兼ねた新型車両が2029年にデビューすることが発表された。デザインは「檸檬ホテル」や「熊本益城町テクノ仮設団地みんなの家」などを手がけたCOA一級建築士事務所が担当する。
過去の車両
本項ではSE登場以前に特急に使用されていた車両についても解説する。
●1600形
戦後復興のために復活した、特急ロマンスカーの前身である「
週末温泉特急 」に1948年から導入された車両。
有料ながら3扉ロングシートの通勤車両で、座席に白いカバーをかけた上でスタンド式灰皿を並べただけだったが、戦後の復興途上だったこの時期においては精いっぱいのサービスであった。
廃車後は全国の地方私鉄に譲渡されており、特に
関東鉄道 に譲渡された車両は下記のキハ5000形とコンビを組んで運用された。
●1910形→2000形(初代)
1949年に小田急が分離独立して初めて発注した車両にして、「特急ロマンスカー」の名を冠して走り始めた最初の専用車両 。ロマンスカーの代名詞のひとつ、「走る喫茶室」のサービスを開始したのもこの形式が初である。
基本的な性能は通勤用の1900形と同様の2扉セミクロスシート構造。1950年からは2000形に改番され、1952年を最後に特急の運用を終了。
その後は通勤車両として改造され、1976年の引退後はこちらも全国の地方私鉄に譲渡された。
●1700形
1951年に登場。高まるロマンスカー人気に対応すべく開発された、初の2扉オールクロスシートの特急専用車両。ロマンスカーの地位を不動のものにした車両しても名高い。
第1・2編成は当時の世相や財政面を加味し、戦災した国鉄車両の機器類を流用して製造された。
先頭車両17m・中間車両20mという独特の車体構造で、車幅は2850mmと当時としてはかなり広く取られた。
第1・2編成は貫通扉を装備していたが、第3編成は非貫通構造になり、中心部に細いピラーを置いた2枚窓という独特の前面形状が特徴。屋根も張り上げ式にしてよりスマートな風貌になっている。初めて「ヤマユリ」のシンボルマークを取りつけた車両でもある。
SEの導入に伴い、中間車両を増備した上で3ドアロングシートの通勤車両に改造され、「ヤマユリ」のマークも消滅。1974年もって引退した。
当時の小田急の通勤車両とは違って他社に譲渡されることなく全車両が解体されたが、これは上記のように車幅が地方鉄道の2744mmを上回るサイズだったことや、一部は国電の台枠を流用した車両だったことが理由とされる。
●2300形
SEの開発と並行し、当初から「新型車両導入までのつなぎ役」として1955年に登場した車両。小田急の特急車両としては初のカルダン駆動式で、当時最新の2200形をベースに開発された。
小田急初のリクライニングシートを採用し、通常18度の角度である背もたれがボタン操作によってさらに6度リクライニングする構造だったが、角度の固定に難があり、背もたれの高さが不揃いになることが多かったこともあって評価は芳しくなかったという。
SEが出揃った1959年をもってその役割を全うし、2扉セミクロスシートの準特急用車両に改造されて引き続きSEを補完する立場に。
1963年のNSE増備によって準特急が廃止になったことで3ドアロングシートの通勤車両に改造され、1982年に引退。その後は富士急行に譲渡され、同社5700形として1997年2月まで使用された。
●2320形
特急ロマンスカーを補完する準特急用車両として1958年に登場。準特急用に格下げされた上記の2300形と同じく、両開きの客用扉を2か所に持つセミクロスシート構造になっている。
土休日の準特急を中心に、平日には一般列車としても使用されていた
NSEの増備によって準特急が廃止されてからは通勤車両に改造され、制御方式が同じ2200形・2220形・2300形と共通運用が行われた。1983年の引退後は3形式揃って富士急行に譲渡された。
●キハ5000形・5100形
1955年に登場した御殿場線直通用の気動車。
基本設計は当時御殿場線で使用されていた国鉄キハ50形に準じているが、車体形状は通勤車両の2100形に近い。
1956年からはシートピッチを拡大した5100形が登場し、後に5000形にも同様の改造を実施した。
塗装は当初他の小田急車両と同じく青と黄色のツートンだったが、1959年にクリーム色に朱色帯という当時の国鉄気動車準急色に近いものに変更された。
御殿場線の電化によって使用車両はSEの転用に決まったため、1968年6月30日をもって運行を終了。
全車両が関東鉄道に売却され、3扉ロングシート化などの改造を経て同年12月より同社キハ751形・753形として運行を開始し、1988年9月まで使用。廃車後も常総線新塗装の検討モデルとして使用された。
なお、関東鉄道では前述した1600形と併結して運用されるという、小田急時代には決して見られなかった編成で使用されたこともあった。
●3000形(初代)「SE 」・「SSE 」
(出典:Wikipedia)
概要
1957年7月6日より運行開始。一般的に知られるロマンスカーの元祖車両であり、連接台車・流線型を取り入れた初の列車にして、格下げを考慮せずに特急専用での運用を前提に開発された初の車両でもある。
学生時代にスペインの
タルゴ の存在を知って以来連接車両に関心を抱いていた山本利三郎氏の主導のもと、戦争で疲弊した輸送施設の復旧と改善のために「新宿と小田原を60分で結ぶ」ことを目標に、国鉄との共同開発の末に「画期的な軽量高性能新特急車」として誕生した。
「
S uper
E xpress」(SE)という愛称が設定され、以降ロマンスカーはEXEを除いてそれぞれの特徴を表した言葉の頭文字を先頭につけた「○SE」という名称で呼ばれることが恒例になる。
8両編成4本、計32両が導入された。全車両が電動車になっている。
「電車といえば四角い箱」という認識が当たり前だった当時においては非常に画期的な車両であり、多くの人々の注目を集めた。初代ブルーリボン賞受賞車両……というより、ブルーリボン賞は元々SEを表彰するために創設されたものである 。
国鉄へ貸し出されて当時の狭軌世界最高速度145km/hを記録し、新幹線の開発に多大な影響を与えたために「新幹線の親 」ともいわれる、鉄道史に残る名車。
実際に現物を見たことがある人は分かると思われるが、上記の通り軽量・高速化を前提に設計されたため、一般的な鉄道車両に比べて車高が低く、小型化が図られているのが特徴。おまけにその性能ゆえに当初は冷房も設置されていなかった 。
当初こそ画期的な形状や性能を誇っていたが、次第に国鉄や私鉄各社も負けじとさまざまな特急列車をデビューさせていったこともあり、小田急としては軽量化に徹しすぎたSEではやや物足りなく感じていったという。
ちなみに、映画『
007 』の原作者であるイアン・フレミング氏は1959年に来日した際にSEに乗車した経験があり、「
まるで火星上を走る列車を思わせた 」と大絶賛している。
塗装・機能
全く新しい車両ということで塗装も一新され、バーミリオンオレンジ■ をベースにグレー■ とホワイト□ の帯で塗り分けられたものになっており、テントウムシのような明るい警戒色である。このデザインは続くNSE・LSEにも引き継がれたほか、特にバーミリオンオレンジは「ロマンスカーの伝統カラー」としてVSE以降の全形式で側面の帯に使用されている。
ロマンスカーの補助警報音も初めて採用され、「小田急ピポーの電車」というCMソングも作られたほどロマンスカーのイメージとして定着した。
EXEでいったん途絶えたものの、VSE以降は警笛と兼用のミュージックホーンを搭載する形で復活している。
内装・車内設備
座席は回転式クロスシートをシートピッチ1000mmで配置。窓側には折りたたみ式のテーブルが設置される。
特急車両ながらデッキは設置されておらず、客室に直接ドアが備えられている。車両間の貫通路は車内の見通しをよくする目的で広幅とし、仕切り扉は一切設けていない。
3・6号車には喫茶カウンター、2・7号車には男女共用和式トイレと洗面台が設けられており、いずれも通路を挟んだ反対側は座席が置かれている。
前述の通り当初は非冷房だったが、1962年以降はトイレ前や売店前・出入り口脇といった乗客に好まれなさそうな座席を撤去した上で冷房を設置。これに伴い各号車とも定員が4人ずつ減少した。
運用開始と国鉄試験
1957年5月20日に第1編成、6月上旬に第3編成が入線。試運転では最高速度127km/hを記録したものの、曲線の多い小田急線ではこれが限界だったため、鉄道技術研究所は当初より国鉄での高速試験を希望していた。
同年7月6日に運行を開始して以降、前評判を聞いた利用者が殺到して連日満席になる好成績をおさめた。
当時、後の新幹線になる高速電車の構想を考えていた国鉄は、山本氏から試験で収集されたデータを両社が使用することを条件に、SEを国鉄線上で高速試験することを打診され、「絶対に145km/h以上出さない」ことを条件に受諾。
また、SEは車両としては日本初の信託車両であり、所有者はあくまで住友信託銀行にあったため、万が一を考慮して高速試験そのものに保険をかけることで決着した。
こうして、私鉄の車両が国鉄線上で高速試験を行うという日本の鉄道史上初の事例が実現した。
試験には同年8月8日に入線し、すぐには営業運転されていなかった第2編成が充当された。9月19日に小田原から自力で東海道線に入り、翌日より試験を開始。初日は日中時間帯に藤沢~平塚間、9月21日以降は深夜に大船~平塚間を走行した。
最初は95km/hで走行し、5km/hずつ速度を上昇。9月24日深夜には小田急線での記録を上回る130km/hをマークした。
そして9月26日午前3時34分30秒、当時の狭軌鉄道世界最高速度である143km/hを打ち立て、「東京と大阪を結ぶ特急電車計画の見通しがついた」と新聞各紙で報道された。
その後、SEの設計上の最高速度である145km/hを出すべく、9月27日からは長い直線区間と緩い下り勾配がある函南~沼津間で日中時間帯に試験を開始。午前11時ごろから2往復してウォーミングアップを行い、午後に函南駅を発車。三島駅を100km/hで通過した後も加速を続け、午後1時57分に145km/hに到達。この瞬間、前日の記録を上回る狭軌鉄道世界最高速度が更新された。
なお、前日までのデータを考慮して150km/hまで速度を上げることも想定されていたが、実現することなく終わっている。
一連の試験によって「東京~大阪間4時間半」の可能性が立証され、「東海道線を広軌や標準軌の別線にすれば最高速度250km/hも可能」との裏付けが作られた。
1959年には新幹線開発のための速度試験とデータ収集が行われることになり、その速度試験ではSEの記録をさらに更新する163km/hの記録が打ち立てられた。いよいよ開発は本格化し、1963年にはモデル線区間で256km/hの速度記録が樹立されている。
こうした経緯もあり、SEは「新幹線のルーツ」「超高速鉄道のパイオニア」 とも言われるようになったのである。
その波及はすさまじく、世界最高速度記録がマスコミで大きく取り上げられたこともあって小田急でもロマンスカーの利用者数が急増。
鉄道友の会はこれを契機に「ブルーリボン賞」を創設し、SEに対して無投票で第1回ブルーリボン賞を授与した。
9月28日に速度試験は終了し、SEは小田急線に戻ったため、1700形は一般車両に改造された。1959年2月28日からは第4編成が運行を開始し、ロマンスカーは全列車がSEで運用することが可能になったため、2300形は準特急に格下げされた。
1967年にNSEが出揃ってからは「えのしま」や「さがみ」に運用されるようになった。
(出典:Wikipedia)
SSEに改造
御殿場線の電化によって直通列車には電車が使用されることになり、新型車両を製造する案やNSEで置き換える案もあったものの、当時の国鉄では組合闘争が激しく、「NSEが乗り入れてくれば反対する」という噂もあったため、SEを転用して対応することになった。
しかし、そのままでは「えのしま」「さがみ」に加えて御殿場線直通列車まで使用するのは輸送力不足なことから、1編成あたりの両数を減らしてその分編成数を増やす方法が採られた。
その結果、8両編成から5両編成に短縮改造され、1968年7月1日から特別準急(後に連絡急行)「あさぎり」として乗り入れを開始。5両編成になったSEを「SSE 」(S hort S uper E xpress)と呼ぶこともある。多客時や団体輸送時は2編成を連結した「重連運転」も行われたが、連結時は1号車から5号車が2両ずつ存在してしまうため、「A号車」「B号車」として区別した。
改造は先頭形状の変更や連結器の設置、冷房装置の屋根上への移設などが行われ、塗装もNSEに準じたものに変わった。トイレ・洗面台は2号車、喫茶カウンターは3号車に変更された。
既存の4編成は旧1・2・3・7・8号車からなる5両編成に短縮、新規の2編成は既存の5・5・6・4・4号車で構成し、中間車両を先頭車両に改造して対応した。
余った旧第1編成・旧第3編成3号車の2両の車体は廃棄された。
しかし、この頃になると元々耐用年数10年を前提に設計されていたことでかなり老朽化が進んでおり、1980年には後継となるLSEが登場。NSEの検査中にSSEが代走することによる輸送力不足もなくなった。
その「あさぎり」もLSEに置き換える案もあったものの、当時の国鉄側の情勢や現場の反応などを考慮し、やむなく継続使用された。
LSEの増備によってまず1983年に第1編成が廃車され、大井川鉄道へ譲渡。続いて1984年からの車体修理工事に含まれなかった第2編成も運用に入らずに経堂検車区で留置され、1987年3月27日をもって廃車された。
この編成は国鉄を走行して世界最高速度を記録した車両だったため、その後もしばらく海老名検車区で保存されていたが、車両増備による留置線不足などを理由に、1989年5月に大野工場で解体されてしまった。
運用終了・保存
残った4編成も引き続き使用されていたが、1989年のHiSE増備後はもっぱら「あさぎり」専属で運用された。
その後、後継車両であるRSE・371系の登場が決定したことでようやく置き換えの目途が立ち、1991年に入ってからは「さよなら運転」のロゴが入った愛称板も用意された。
本格的な特急車両が格下げされずに運用から外れるのは小田急では事実上初めてであり、多くの鉄道ファンが沿線で撮影する姿が見られた。
定期運用最終日である3月15日の「あさぎり8号」は重連運用になり、新宿駅には多くのファンが詰めかけた。
その後もしばらくは波動用として残されていたものの、1992年3月8日の「さよなら3000形走行会」にて最初で最後となる唐木田駅へ入線。これをもって全車両が廃車された。
その日は奇しくも、「のぞみ」初代車両にして新幹線初の大幅モデルチェンジである
300系新幹線 の試乗会でもあり、新旧の節目と報じられた。
生みの親である山本氏は「特急車は10年もすれば陳腐化する」「丈夫に長く使える車両と考えるから鉄道車両の進歩が遅れる」という理由から耐用年数10年で設計していたが、実際には彼の意志に反して約35年にも渡って使われたのである。
当初は保存の計画はなかったが、日本鉄道史および産業考古学上重要な存在ということもあり、役員会で1編成の永久保存が決定。第3編成が選ばれ、新宿方2両を登場当時のデザインに復元した上で海老名検車区の専用格納庫に収蔵された。内装はSSE時代のままになっており、モケットはNSEとほぼ同様のデザインである。
通常は非公開だが、毎年行われるファミリー鉄道展で展示されることがあり、2007年10月開催時には保存以来初となる屋外展示が行われた。
また、1992年11月10日には大野工場の構内にSEのモニュメントも設置された。
しかし、2018年4月27日に車両基地のスペース確保の観点で2・3号車の解体が告知され、最後の5両での屋外展示になった2019年5月26日・27日のファミリー鉄道展ではブルーリボン賞を受賞したばかりのGSEと共演し、終了後の8月に大野総合車両所で解体された。
残った1・7・8号車はロマンスカーミュージアムに展示されており、ドア付近から座席や連接部を見学することが可能。
また、2023年8月には一般社団法人日本機械学会の「機械遺産」に認定されている。
その他、台車が製造元である近畿車輛へ譲渡され、隣接するJR
学研都市線 の車窓から見える場所に設置されている。
●3100形「NSE 」(N ew S uper E xpress)
(出典:Wikipedia)
概要
SEをフル稼働してもなお不足する観光需要と、迫る東京五輪に対する輸送力増強のために1963年3月16日に登場した、初の展望付き車両。第7回ブルーリボン賞受賞車両。
「安全」「経済」「デラックス」「魅力」「快適」「高速」という6つのコンセプトがあり、当初はこれらの項目の頭文字(S afety, E conomy, D eluxe, A ttractive, C omfortable, S peed)から「SEDACS Car 」という愛称にする案もあったという。
最大の特徴は何と言っても展望席で、運転席を2階に上げることで車両の先端まで座席を置くことが可能になり、乗客に眺望性を楽しんでもらえるようになっている。構想自体は1700形の段階ですでにあったものの、なかなか採用には至らなかったという。
車幅は2900ミリに拡大し、鋼板もやや分厚いものが使用されるなど、徹底的に軽量化を追求したSEで問題視されていた全体の貧弱さも解消されている。
当初は3両ないし5両連接車を製造し、これを複数連結した上で1つの編成とするという案があったが、輸送力増強策としては1つの固定編成の方が優れていると考えられたことから、軸重制限の兼ね合いもあって11両で開発された。
しかし、連接車両ということで1両あたりの長さが短いため、編成長は144.47mと20m級通勤車両換算で7両程度の長さしかない。
導入数7編成77両は歴代ロマンスカーで最多を誇るが、これは当時目標として設定されていた「新宿~小田原間60分」が実現した場合を想定し、1編成が折り返し時間を含めて1往復するのに180分かかり、30分間隔で運行した場合は6編成あれば足りることから、車両点検時の予備車両を考慮してのものである。
ただし、通勤輸送の需要予測の誤りや新宿駅改良工事などの影響で、以降は最速でも69分にスピードダウンしてしまうことになった。
塗装・機能
塗装はSEと同じく、バーミリオンオレンジ■ をベースにグレー■ とホワイト□ の帯で塗り分けられたものだが、デザインは若干異なる。補助警報音もSEと同様だが、NSE以降はエンドレステープからトランジスタ発振器に変更された。
種別幕は正面に設置され、列車ごとに五角形のアクリル板を交換する仕組みだった。
冷房装置は当初、床下にヒートポンプ式のものが設置されていた。
内装・車内設備
座席はSEと同様にリクライニング機能のない回転式クロスシートで、シートピッチは970mmになっている。窓側には折りたたみ式のテーブルが備えつけられている。
室内の配色は編成長の増加による単調さを避けるため、4~8号車とそれ以外の号車で天井やカーテンなどが異なっている。モケットは1・2・3号車が金茶色、9・10・11号車が赤紫色、それ以外の車両は灰青色である。
史上初の展望席は10席が配置されている。
3・9号車には喫茶カウンターが設置され、SEよりも面積が拡大している。トイレ・洗面台は4・8号車にあり、男女共用和式トイレ・男子用トイレになっている。
SEと同じく客用ドアは手動になっており、やはりデッキがなく客室に直接備えつけられているが、あちらと違ってトイレの両側にのみ仕切り扉が設置されている。
1977年から1980年にかけて改造が実施され、号車によって異なっていた車内のデザインが編成全体で統一。モケットもワインレッド1色になり、天井やカーテンの色も統一された。通路にカーペットも敷かれている。
屋根上に冷房装置の増設も実施された。
LSEの登場により運用に余裕ができたことから、1984年~1988年にかけて日本車輛製造で更新工事が行われた。この工事では種別幕が電動字幕式で前面に変化が生じた他、喫茶カウンターの面積を拡大したことで3・9号車の定員数が4人ずつ減っている。
また、モケットもLSEと同様のオレンジとイエローのデザインになったが、1987年以降はダークレッドになっている。
運用
1963年1月から2月にかけて2編成が入線。運転開始2日前の3月14日には試運転ながら130km/hの速度を記録し、当時の最高速度を記録した。
1963年にはさらに2編成が戦列に加わり、SEともども4編成体制になった。そのため、11月のダイヤ改正からは30分間隔での運行が可能になり、同時に新宿~小田原間の所要時間は62分にまでスピードアップ。
これが複々線完成までの最短記録であり、以降はダイヤの過密化によって所要時間が増加。上記のように1972年以降は最速でも69分へのスピードダウンを余儀なくされた上に、線路容量不足から上り「さがみ」の一部が新宿まで運行できず、向ヶ丘遊園終着とする措置まで行なわれたことすらあった。
1964年には総票数1485票中684票をマークする形で第7回ブルーリボン賞を受賞。
その後、1966年から1967年3月までさらに3編成が増備され、箱根特急は検査時以外を除いてNSEだけでの運用が可能になった。
活躍範囲が首都圏であったことや近未来を思わせるスタイリッシュな外見であったことなどから各種メディアに登場することも多く、年配層はロマンスカーといえばNSEをイメージする人が多いだろう。
運用終了・保存
その後、1996年にEXEが登場したことで廃車が開始。
1999年7月17日のダイヤ改正をもって引退することが発表されると、この頃にはすっかり使われなくなっていた補助警報音が再び鳴らされるようになった他、車体には「
The last running Odakyu RomanceCar 3100形 」というロゴも表記され、メモリアルロマンスカードをはじめとして、形式名にちなんで3100個限定の腕時計や
プラレール などが発売された。
運用終了直前の7月11日には事前招待制の「さよなら走行会」が相模大野~唐木田間で運転された。
そして迎えた定期運用最終日、最後の運行になる「あしがら80号」は特別に箱根湯本発に変更され、出発式では箱根町長から感謝状を贈呈された。この運行をもってNSEは36年の歴史に幕を閉じ、翌日付で第5編成・第7編成も廃車された。
その後、6両に短縮された第7編成が喜多見検車区で保存されていたが、複々線完成に際して通勤時間帯に増発する列車の収容や緊急時における車両の収容場所の確保のために2017年に中間車両が一部解体され、残った3両がロマンスカーミュージアムに展示されている。先頭車両は当初のデザインに復元され、SEと同じくドア付近のみ立ち入り可能。
また、開成駅前には第5編成の11号車が保存されており、公募で「ロンちゃん」という愛称を持つ。毎月第2・第4日曜日には車内の公開も行われており、夏季シーズンには土日やお盆でも公開される。
その他、冷房装置が
高松琴平電気鉄道 へ、座席が一畑電車へそれぞれ譲渡されて両社の車両に搭載されている。
東京都新宿区の新宿歴史博物館には席・扉・運転席が保存されている。
(出典:Wikipedia)
1997年からは小田急開業70周年を記念して、第4編成を団体列車用に改造した「ゆめ 70 」が登場。ロマンスカーでは初となる青色を含めた、ホワイトをベースにダークブルーとレッドのトリコロールになっており、編成の中心である6号車を境に反転するデザイン。車体全体に大量の棒人間が描かれている。
内装は宇宙空間がコンセプトで、室内の腰板と幕板はダークブルーのメタリックとし、座席のモケットはダークブルーに黄と青を散りばめたデザインとした。
1・11号車は展望席以外を撤去してラウンジスペースになっており、波打つようにソファーが設置され、展望席についても出入台寄りの座席を1脚撤去して荷物置き場を設置した。
主に団体・臨時列車を中心に1999年7月までは定期運用にも就いており、時刻表にも「ゆめ70」使用のマークが記載された。
元々定期検査終了までの期間限定だったため、検査期限が近付いた2000年4月23日に新宿~小田原間を1往復した「さよなら運転」をもって引退し、全車両が解体された。
●7000形「LSE 」(L uxury S uper E xpress)
(出典:Wikipedia)
概要
老朽化するSEの後継として1980年12月27日に登場した車両。この時期にはNSEが検査入場した際にSSEを箱根特急に回すことによる輸送力不足が懸念されており、新型車両を開発してNSEを置き換え、それによってSEを淘汰していくことが望ましいと結論付けられた。
そのため、編成長や定員はNSEに準拠しつつもさまざまな面で改良が行われ、より洗練されたデザインになっている。
第24回ブルーリボン賞受賞車両。NSEに引き続き11両編成で、4編成44両が導入された。
計画の段階で20m級のボギー車4両編成にするという案、展望席をサロンルームにする案や座席を外に向けたりする案など、実に多様な意見が飛び交ったという。
塗装・機能
先頭車両の形状がNSEよりもシャープになっており、ライトや種別幕を車体に埋め込む構造になっている。種別幕は当初から電動字幕式で、正面に設置される。
塗装もバーミリオンオレンジ■ をベースにホワイト□ とグレー■ で、大きく変わる部分は少ない。
補助警報音も引き続き搭載されている。
各種機器は将来の御殿場線入線を見据えて同一機器で対応できる設計になっていたが、結局最後までSSEが使われたために幻に終わった。
内装・車内設備
1978年秋に実施したアンケートを加味した上で2300形以来久しぶりにリクライニングシートが設置され、NSEと同じくシートピッチ970mmで配置。モケットはオレンジとベージュのツートンカラー。
引き続き窓側には折りたたみテーブルを備える。
折り返しの車内整備を簡素化するため、鉄道車両では初めてにスイッチ操作による回転式リクライニングシートの自動転換機構を装備した。
展望席はNSEから4席増えて14席になっている。
ロマンスカーでは初めて自動ドアが採用され、デッキも設置された他、1・2号車と10・11号車の間を除いた全ての車両間に仕切り扉も設置された。
リニューアル後は1700形の特急時代に描かれていた「ヤマユリ」のブランドマークが復活し、ロゴや扉に貼りつけられている。
3・9号車には喫茶カウンター、4・9号車にはトイレ・洗面台が設けられ、NSEと同じく男女共用和式トイレと男子用トイレである。1985年以降は9号車に公衆電話も設置されている。
運転開始
第1編成は1980年12月27日より営業運転を開始。その2日前には新宿駅で完成記念式典が行われ、ひと足早く臨時列車が運行されている。
1981年9月13日には総票数9822票中2233票をマークして第24回ブルーリボン賞を受賞。新宿駅の地下ホームで記念式典が行われ、受賞記念列車が運行された。
同年度中に第2編成も運用を開始し、1982年11月には第3編成、1983年12月に第4編成が入線した。
1982年の11月から12月には国鉄からの依頼で貸し出され、東海道線で試験走行が行われた。
これは新型特急用車両の計画を進めていた国鉄が開発にあたり、ボギー車と連接車の比較を行おうとしていたが、当時の国鉄には試験に使用できそうな連接車がなかったためである。
LSEが選ばれた理由については、ボギー車側の183系と重心の高さや輪重などの数値が似通っていたからだという。
貸し出された第2編成は各種調整を行った後、1982年12月10日から15日にかけて大船~熱海間で最高速度130km/hでの走行試験を行った。
SE以来の「国鉄の線路で試験を行った私鉄の車両」であり、沿線には多くの鉄道ファンが訪れた。
この試験により連接車の特性が定量的に把握されたが、結論としては「ボギー車と連接車で乗り心地の差は見られず、同程度の性能」ということになった。ただし、「台車構造の差が測定結果に強く認められたため、十分に違いを把握したとはいえない」とも述べており、曲線の通過性能については「今後さらに検討を要する」とした。車両ごとの振動の差が少ない点には「連接構造による車両間の拘束が強いため」と認めている。
そのため、国鉄は連接車両の導入を見送り、JR化後も少数が試験的に製造されるにとどまっている。
(出典:Wikipedia)
リニューアル
1996年から1998年までにリニューアル工事が実施され、塗装がバーミリオンオレンジ基調から、HiSEと同様の濃淡ワインレッド■ ■ とパールホワイト□ で塗り分けられたものに変更され、ヤマユリのマークも車体側面に追加され、展望付き車両のイメージ統一が行われた。
座席モケットも編成を二分する形で小田原方は青系・新宿方は赤茶色のものに変更され、車椅子対応座席の設置なども行われている。
その後、2007年7月6日からは小田急開業80周年およびSE登場50周年を記念し、第4編成が旧塗装に復元された。当初は翌年3月31日までの期間限定だったものの、好評によりそれ以降も継続している。
ただし、登場当時とは違って先頭部分の窓枠が黒色、パンタグラフがシングルアーム式のままになっており、2008年3月以降は側面に小田急のブランドマークが掲出されている。また、1・11号車の座席が1席ずつ撤去され、定員が2人減っている。
2010年1月4日に第2編成が引退。2012年2月に第3編成も旧塗装に復元されることが決定し、これと同時に第4編成の窓枠は原型と同じ銀色に戻された。HiSEカラーで残された第1編成は2012年2月19日をもって運行を終了した。
運用終了・保存
HiSEやRSEの引退後も最古参車両として活躍し続けてきたが、GSEの登場によって引退が決定。2018年5月に第3編成も引退し、6月23日からは3・4・8・9号車の各側面に「ラストラン記念ロゴマーク」が掲出され、5月29日には7月10日での定期運用終了が発表された。
迎えた最終日、LSEで使用される各列車に乗車した人全員に記念乗車証明書がプレゼントされた。そして、新宿駅15:40発「はこね41号」と箱根湯本駅17:25発「はこね34号」の出発時には出発式が行われ、新宿19:15発の「ホームウェイ83号」(この日に限って片瀬江ノ島まで延長運転)をもって定期運用を終了した。
その後は臨時列車の運行に就き、2018年10月13日の「特急ロマンスカー・LSE(7000形)さよならツアー」をもって引退した。
運行期間はSEをも上回る38年間で、これはロマンスカー最長の記録である。
ラストランの終了後、最後まで走り続けた第4編成は全車両が解体された。残った第3編成は1・11号車が保存されていたが、このうち1号車が2019年2月に解体され、残った11号車はロマンスカーミュージアムに展示されている。
また、上記1号車の運転席もシミュレーターとして活用されている。
●10000形「HiSE 」(Hi gh S uper E xpress)
(出典:Wikipedia)
概要
小田急開業60周年を記念して1987年12月23日に登場した車両。第31回ブルーリボン賞受賞車両。
NSE・LSEから続く展望席と連接構造を受け継ぐとともに、この時期はレジャーの多様化から新しい要素が求められており、当時JR・私鉄各社で登場しつつあった高床構造(ハイデッカー)をロマンスカーで初めて取り入れ、展望席以外の乗客にも高所からの眺望性を楽しんでもらえるようにした車両である。
形式名は10000形と小田急の形式では初の5桁になった。11両編成で4編成44両が導入された。
愛称先頭の「Hi」は「ハイデッカー」「ハイグレード」などから連想される上級という意味の「High」という言葉を表したもので、ロマンスカーとしては珍しく特定の単語の頭文字を意味するものではない。
塗装・機能
NSEやLSEとは違い、運転席を前面に移動させて展望席との傾斜が一体化するようになっており、角度も上がってさらにシャープな感じになっている。
種別幕は展望席の出入口上部脇に設置され、LSEと同様に電動字幕式である。
最大の特徴は何と言ってもハイデッキ構造で、乗車口に階段を設けることで他の車両よりも座席を高い位置に配置することができ、見事な眺望性を誇る。
展望席の部分はこれまで通り平屋構造である。
塗装も一新され、パールホワイト□ と濃淡のワインレッド■ ■ 2色を基調としたロマンスカー初のツートンカラーが特徴で、流れるようなスピード感と若々しさを表現することを狙った。
以降の車両もコンセプトに応じて毎回異なるカラーリングで彩られており、塗装面では今後のロマンスカーの基礎になったと言える。
リニューアル工事後はLSEで復活したヤマユリのマークが側面にデザインされた。
内装・車内設備
シートピッチはLSEと同様の970mmだが、座席はリクライニングのない回転式クロスシートになっている。ただし、角度自体はLSEをリクライニングさせた時と同じで、背もたれ高さが50cm高くなっている。足元にはフットレストバーが設置される。
引き続き窓側席には折りたたみテーブルが設置されており、その下には栓抜きも備えられている。1989年の増備車以降は座席背面にもテーブルが設置された。
座席モケットは江の島・芦ノ湖をイメージした青系と太陽をイメージした赤系になっているが、両端の6両(1・2・3・9・10・11号車)と中間5両(4・5・6・7・8号車)で異なっている。
この配色は編成によっても異なっており、日本車輛製造製の第1・第3編成は両端6両が赤系、川崎重工業製の第2・第4編成は両端6両が青系と反転している。
展望席はLSEに引き続き14席で、シアター状に段差がつけられている。モケットは赤系と青系が1席ずつ交互に配置されているが、第3編成のみ後の検査時に座席が赤系のものに統一された。
2・3列目は回転することが可能。
LSEと同様に1・2号車と10・11号車の間を除いた全ての車両間に仕切り扉も設置されており、ヤマユリのブランドマークが描かれている。
3・9号車には喫茶カウンターが設置されている。日本の鉄道車両としては初めてオーダーエントリーシステムが導入されており、注文から提供までの迅速化が図られている。コーヒーマシンが設置された初の車両でもある。
また、4・8号車にはLSEと同様に男女共用和式トイレ・男子用トイレと洗面台が設けられた。
運用
第1編成は1987年12月23日の「はこね7号」よりデビュー。
1988年1月14日には第2編成も運用を開始し、登場後しばらくの間は「はこね」でのみ運用された。1989年にはさらに2編成も増備され、「あさぎり」を除く全列車が11両連接車で運行されるようになった。
9月11日には総票数5352票中1570票を獲得して第31回ブルーリボン賞を受賞。新宿→小田急多摩センター間で記念列車が運行された。
2001年4月からは1年間、「日本におけるイタリア2001」を記念して、1編成が各車両にイタリアの国旗のカラーである緑・白・赤のストライプ帯を追加した「イタリアンエクスプレス」として運用された。
登場してしばらくはロマンスカーのイメージリーダーを務めていたが、RSEやEXEの登場後はそれらがピックアップされるようになっていく。
しかし、いずれもロマンスカーの代名詞でもある展望席を持たず、中でもEXEに関しては評価が芳しくなかったことから箱根特急の利用者数が1987年の550万人から急激に落ち込んだため、2002年頃から再びイメージリーダーに返り咲いた。
ところが、2000年に交通バリアフリー法の施行によって鉄道車両のバリアフリーが義務化され、HiSEはハイデッカー構造が仇になる事態に見舞われる。その結果、2005年には後継となるVSEの登場で第2・第4編成が廃車になった。
そして2011年6月16日をもって第3編成が引退し、残った第1編成も2012年3月17日のダイヤ改正をもって引退することが発表された。その後、同時に引退する5000形(初代)やRSEとともに運行終了記念特設サイトが開設され、2012年2月1日から車体にラストランステッカーも掲出された。
そして迎えた定期運用最終日、最後の下り列車である「はこね35号」の出発式が新宿駅で行われ、箱根湯本で折り返して戻ってきた「はこね36号」の到着時に到着式が行われ、これをもってHiSEは引退した。
当初は第1編成の1・9・11号車が保存されていたが、2017年7月頃に複々線完成を見越した車庫の収容スペースの確保を理由に1号車と9号車が解体され、残った11号車がロマンスカーミュージアムに保存されており、車内全体の見学が可能。
その他、松田町にある西平畑公園の「ふるさと鉄道」(お山のポッポ鉄道)にはシェイ式蒸気機関車に加えて1/6サイズのHiSEが現在も運行されている。
●20000形「RSE 」(R esort S uper E xpress)
(出典:Wikipedia)
概要
老朽化したSEの置き換えおよび「あさぎり」相互直通運転の一環として、1991年3月16日に登場した車両。第35回ブルーリボン賞受賞車両。
JR東海が開発した371系とは兄弟車にあたり、「相互直通運転車両の規格仕様に関する協定書」に基づいて編成・定員・構造などでほぼ共通設計になったため、それまでの伝統だった展望席や連接構造が廃止され、2300形以来のボギー車両になった他、代わって2階建て車両やグリーン席が設置されるなど、今までの車両とは全く異なる構造が採用されている。
2編成14両が導入された。
塗装・機能
ロマンスカー初の7両編成。3号車と4号車はこちらも初となる2階建て車両になっており、さらに2階席はこれまた初となるグリーン車になっている。グリーン席は小田急線・箱根登山線運用では「スーパーシート 」と呼称されており、ロマンスカーでは初めて2クラス制料金になっていた。
それ以外の号車はHiSEと同様のハイデッカー構造である。
ドアの上にはLED式行先表示器が設置され、基本的に種別のみ表示されるが「あさぎり」運用時のみ行先も表示される。
最後の折戸式ドアの車両でもある。
カラーリングはスーペリアホワイト□ とオーシャンブルー■ のツートンをベースに、側面にはロマンスカーであることを主張するためにオーキッドレッド■ の帯が添えられている。
LSE・HiSEと同じく、自動ドアと車体側面(1996年以降)にはヤマユリのマークも描かれている。
内装・車内設備
車両によって内装のコンセプトが決められており、1・2号車と3号車1階席は「海」、3号車2階席と4号車は「山・樹木」、5~7号車は「都会」がそれぞれテーマになっている。
全車両に共通して、ダブルデッカー1階以外は間接照明を採用している。座席背面にはテーブルが備えられ、車端部にはLED式の車内案内表示器と普通車のみ折りたたみテーブルが設けられている。モケットはいずれもグレー基調だが、車両ごとに若干デザインが異なり、床にはカーペットが敷かれる。
リクライニングはボタン式で、足元にはフットレストがあり、HiSEのようなパイプ式から四角形で幅のあるサイズになっている。
1・2号車と3号車1階席は「海」がテーマで、ブルーを基調としている。カーペットは波をデザインしたものになっている。
シートピッチはSE以来の1000mm。
3号車の1階席については2+1配置になっており、眺望性が悪い分シートピッチはスーパーシートと同様に1100mmで配置される。
3号車2階席と4号車のテーマは「山・樹木」で、カーペットはローズを基調としている。
371系にはない特徴として、4号車1階席は4人がけのセミコンパートメントが3区画設置されている。富士山麓を思わせるグリーン系のモケットが特徴。特急券には「セミコン」のマークが入っていた。
5・6・7号車は「都会」がテーマになっており、暖色系のカーペットが敷かれている。座席は1・2号車と同じ。
車内設備については、2・6号車にトイレ・洗面台、3・4号車の平屋部分に車販基地を兼ねた喫茶コーナーを設置している。
トイレは2号車が身体障害者対応の洋式、6号車が男女共用和式になっている。3・4号車のデッキには公衆電話ルームがある。
また、車内専用の車椅子が喫茶コーナーに常備されている。
スーパーシート・セミコンパートメントと一部の普通席のデッキにはラゲージスペースが設置される。
これまでのロマンスカーとはかけ離れた車両ではあるが、ハイデッカーやダブルデッカーといった観光色の要素は健在。
展望席こそないものの運転席の後部はガラスが広く、運転台が高くなかったためにある程度の前面展望は確保されている。
スーパーシート(グリーン席)
小田急初のグリーン席は「山・樹木」と「小田急のファーストクラス」がテーマになっており、「走る喫茶室」と同様のサービスも行われていた。
シートピッチはロマンスカー最高クラスの1100mm。座席は3列になっており、1人がけ660mm・2人がけ1300mmの幅になっている大型シートである。
2人がけの間にはロマンスカーとしては珍しく肘掛けが設置されており、2つあるのでそれぞれが利用できる。
座席の肘掛けにはテーブルが収納されており、背面にも備えられているので1人で2つも利用できる。
当初は液晶テレビ・オーディオパネルにコールボタンも設置されていたが、後年全て使用停止になった。
天井には読書灯があり、間接照明が採用されている。
なお、ダブルデッカーは2階部分でのみつながる構造になっている。
運用
第1編成は1990年12月24日、第2編成は1991年1月26日に竣功し、3月16日の「あさぎり1号」より運行を開始。基本運用は「あさぎり1号」→「あさぎり4号」→「あさぎり5号」→「あさぎり8号」で、検査時以外は予備運用として「はこね」や「あしがら」にも充当されていた。
1992年1月1日には「初詣号」にも充当され、営業運転では初めて江ノ島線に乗り入れた。
8月29日には有効投票数7320中1894票を獲得して第35回ブルーリボン賞を受賞。新宿→唐木田間で記念列車が運行された。
10月25日には団体臨時列車「カントリーハートインアサギリ」号として、沼津から
東海道線 を経由して
身延線 の富士宮駅まで運行。小田急電鉄が富士宮で営業を行っていたゴルフ場のイベントのために設定されており、営業列車では唯一の沼津以西への入線になった。
2002年3月23日のダイヤ改正からは多摩線の「ホームウェイ」が増発されたため、「あさぎり8号」の折り返しで「ホームウェイ71号」での運用を開始。「あさぎり」以外では初の定期運用で、営業運転では初の多摩線乗り入れを果たした。
371系は1編成しか製造されなかったため、検査時はRSEが「あさぎり」全列車を担当していた。
御殿場線直通列車の見直しとHiSEと同様のハイデッカー構造から、2012年3月17日のダイヤ改正をもって引退することが発表され、2012年2月1日からは車体にラストランステッカーも掲出された。
そして迎えた定期運用最終日、最後の下り列車である「あさぎり5号」の出発式が新宿駅で行われ、沼津で折り返して戻ってきた「あさぎり8号」の到着時には到着式が行われた。
その後に引退記念イベントを行った後、2013年11月11日の第2編成廃車をもって全廃された。
その後、第1編成の1・7号車とダブルデッカー4号車が保存されていたが、2018年11月に複々線完成による車両スペースの確保を理由に1号車が解体され、残った4・7号車がロマンスカーミュージアムに展示されている。HiSEと同様に車内全体を見学できるが、グリーン車はデッキのみ立ち入り可能。
展示にあたって整備された際、ドア横にあったグリーン車のマークが消されている。
●JR東海371系
(出典:Wikipedia)
概要
JR東海 から参戦。同社が初めて開発した特急用車両であり、ロマンスカーでは史上初の乗り入れ車両でもある。1991年3月16日より登場。
当時のJR東海では優等列車の車両を置き換えるというイメージチェンジに合わせ、イベントや観光開発の推進によって路線の改善を図ることを行っており、「ソフトで洗練されたデザイン」をコンセプトに開発された。
1編成7両のみが製造されており、JRの特急用車両では東日本のE655系(1編成6両)に次いで少ない。
1991年グッドデザイン商品選定車両。
塗装・機能
兄弟車であるRSEと同様に編成・定員・構造などでほぼ共通設計になったため、7両編成で3・4号車をダブルデッカーとし、2階にはグリーン席を設けた点は同じ。
こちらはドアが引戸式かつプラグドアになっているほか、ハイデッカー構造ではないために2号車がバリアフリー対応になっている。
また、小田急線との連絡線にあるデッドセクション(無電区間)に備えてインバータ付直流蛍光灯を採用しており、RSEとは違ってセクション内を通過中でも車内灯は消えない。
行先表示器はいずれも列車名と座席種別が案内されているが、1・5・7号車は横に、2・3・4・6号車では縦に並べて表示されている。
カラーリングは
100系新幹線 を思わせる、白3号
■ をベースに窓周りが青20号
■ で縁取られたデザインになっている。
内装・車内設備
全車両に共通して、全ての座席に間接照明を採用している。座席背面にはテーブルが備えられ、車端部にはLED式の車内案内表示器が設けられている。リクライニングはボタン式で、足元にはフットレストがある。
窓は1650mm×1020mmと非常に大きく、底辺は肘掛けよりも下にある。
普通席はグレーがベースで肘掛けはレザー張りになっており、落ち着いた雰囲気になっている。座席の縦列でモケットが若干異なる。シートピッチは1000mm。
車端部には1枚板のテーブルが設けられる。
RSEとは違ってセミコンパートメント席は設けられておらず、1階席は3・4号車とも2+1配置である。シートピッチはグリーン席と同じく1100mmで1段の段差がつけられており、窓側には細長いテーブルが設置され、床との間にスペースがあるのでバッグなどを置くこともできる。
車椅子座席対応座席は当初設置されていなかったが、2006年までに2号車に設置された。これにより定員数が2人減少している。
デッキとグリーン席をつなぐ階段は横幅1m以上というビッグなサイズになっており、脇には公衆電話が設置されている。
1・7号車以外のデッキ寄り(グリーン車は貫通路寄りも含めた2か所)には荷物置き場も設置されていた。
車内設備については、こちらもRSEと同様2・6号車にトイレ・洗面台、3・4号車の平屋部分に車販基地を兼ねた喫茶コーナーを設置している。
トイレについては、2号車は身体障害者でも使える洋式トイレ、6号車は男女共用和式トイレになっている。
また、車内専用の車椅子が2号車に常備されている。
グリーン席
グリーン席はRSEと同様に3列になっており、1人がけ660mm・2人がけ1250mmの幅になっている。シートピッチは1100nmmで、2人がけの間に肘掛けが設置されているのも同様。
モケットはオレンジがベースになっている。
座席の肘掛けにはテーブルが収納されており、背面にも備えられているので1人で2つも利用できる。車端部には折りたたみ式テーブルがある。
落成当初は液晶テレビやオーディオパネル、乗務員コールボタンも設置されていたが、やはりこちらも後年撤去された。
天井には読書灯とスポット式空調吹き出し口がある。
運用
1991年3月16日のダイヤ改正より運行開始。
371系は静岡駅から「ホームライナー沼津2号」で沼津まで向かい、沼津~新宿間を「あさぎり2号」→「あさぎり3号」→「あさぎり6号」→「あさぎり7号」の順で2往復した後、いったん三島駅に回送されてから「ホームライナー浜松5号」で浜松駅まで向かい、折り返し「ホームライナー静岡8号」で静岡に戻るというサイクル運用で、東は新宿から西は浜松まで1日約750㎞もの長距離を走行していた。
ただし、土休日は三島から「ホームライナー静岡35号」の運用に入り、浜松への乗り入れはなかった。
登場以来ほとんど変更はなかったが、2009年3月14日のダイヤ改正からは「ホームライナー浜松5号」が沼津発になったため、回送とはいえ三島への乗り入れが消滅した。
「ホームライナー」運用ではグリーン席が締め切り扱いで乗車できない措置が取られていた。
1編成しか存在しないため、車両検査の際はRSEが「あさぎり」全列車を担当。「ホームライナー」では臨時快速として165系や313系などといった一般車両が代走を担当した。
検査は名古屋工場で行われていたため、冒頭で記した近鉄特急と顔を合わせる機会もあった。
また、 故障やダイヤ乱れ時は一部区間を運休し、小田急線内のみを他のロマンスカー車両で代走していた。
2003年4月6日に小田急の座席予約システムが更新された際、それまで連番方式だった座席番号の表示が変更され、窓側をA席・D席、通路側をB席・C席としたため、車内の座席番号表示も変更された。
2006年までにパンタグラフが菱形からシングルアーム式に交換され、2号車の15番座席が車椅子対応の1人がけ座席に変更されたため、定員が2人減少した。
その後、御殿場線直通列車の見直しに伴いRSEともども運用終了が決定。
2012年3月16日の定期運用最終日、「あさぎり7号」の新宿出発時には出発式が行われ、松田・沼津到着時、および最後の定期列車である「ホームライナー静岡8号」の静岡到着時には乗務員によるさよなら放送も行われた。
これをもって、371系は21年間の運用に幕を下ろした。
その後は団体・臨時列車として東海管内で2014年11月まで使用され、「御殿場線80周年371」号をもって引退した。
●50000形「VSE 」(V ault S uperE xpress)
(出典:Wikipedia)
概要
低迷するロマンスカーブランドの復権をかけて、「ロマンスカーの中のロマンスカー 」をコンセプトに設計された展望付き車両。交通バリアフリー法の施行で存続できなくなったHiSEを置き換える目的も兼ねて導入された。第49回ブルーリボン賞受賞車両。
2005年3月19日に登場して以来、長年に渡ってロマンスカーのイメージリーダーを務めた。
特急利用者数自体は増加する一方で肝心の箱根特急が減少傾向にあった中、小田急は市場調査によって展望席の価値を再認識。再びHiSEをピックアップすることになったものの、今度はそのHiSEが導入時点では全く想定していなかったバリアフリーの壁に阻まれてしまった。
置き換えのための新型車両開発に際し、「もはやロマンスカーとは名乗らないくらいの覚悟で新しい発想を取り入れる」か、「ロマンスカーの原点に立ち返り、ロマンスカーの中のロマンスカーとする」という2つの方向性があったが、最終的には後者の方向性で進められることになった。
ちょうどこの頃、
湘南新宿ライン が2004年に運行区間が延長され、ロマンスカーとあまり変わらない所要時間で新宿と小田原を結ぶようになった側面もある。
開発に際してはデザインや設計を全面的に見直し、社外のデザイナーを起用することになった。
日本国外のデザイナーも想定されたものの、「電車で1時間ちょっとでいける場所への1泊2日旅行を理解できるのは日本人しかいない」という理由で日本人デザイナーへの依頼が決まり、「これまでにない車両を作る」という観点から岡部憲明氏が担当することになった。
製作費用は2編成で35億円。
乗務員も専任の運転士や車掌が担当しており、社内で実施される筆記試験と面接試験を突破し専門教育を受けた人だけが乗務していた。アテンダントも含めて制服も専用のものが用意され、後者のスカーフは季節に応じて5種類の色がある。
塗装・機能
シルキーホワイト□ をメインに、側面にはロマンスカーのイメージカラーとして位置づけられているバーミリオンオレンジ■ の帯が描かれている。また、小さいながらもグレー■ の細帯が添えられており、「バーミリオンストリーム」という呼び名がある。
EXEと同様に愛称のロゴも描かれているが、VSEからは「ODAKYU―SUPER EXPRESS 50000 ROMANCECAR VSE」というような表記に変わっている。
客用扉は371系と同じくプラグドアになっている。
歴代の展望付き車両と同じく連接台車を採用。編成は岡部氏の「左右対称の方が安定感が増す」という理由で10両編成になったため、LSEやHiSEに比べて1両当たりの長さは長くなっている。
これを実現すべく、軸重の制約条件をクリアしつつ車体長を延長する必要があったため、車体は全てアルミニウム合金製になっており、展望席部分のみシングルスキン構造、それ以外の部分は台枠も含めてダブルスキン構造になっている。
10両編成の連接車の構想はNSEの時からあったものの、軸重の関係でなかなか導入できておらず、車体の軽量化によって晴れて実現した。
SE以来となる全電動車でもある。
乗り心地の向上を図るため、空気ばねによる車体傾斜制御や台車操舵制御が採用されている。
この技術は1960年代から1970年代にかけて、3回に渡って車体傾斜制御の試験を行なっていたが、当時の技術不足や輸送力増強への集中を理由に実用化は見送られており、技術の発達もあって導入に至った。
また、SEからRSEまでに使われていた補助警報音と同じメロディのミュージックホーンが初めて搭載。
車内放送の前後には「ロマンスをもう一度」のチャイムが流れる。
1・10号車のドアは非常用になっており、通常は使用されない。
内装
「Vault」の名の通りドーム状の天井が特徴で、天井の高さはHiSEよりも45cm高い2.55mになり、あたたかみのある間接照明が用いられている。床にはカーペットが敷かれている。シートピッチは1050mm。
岡部氏の提案により、座席は全て窓側に5度向いた状態で配置されている。一見5度だけではほとんど変わらないように思われるかもしれないが、実際に見てみると思った以上に窓を向いているのがわかる。窓枠は4席に1枚ずつ。
鉄道車両としては初の「アンクルチルトリクライニング機構」を導入。リクライニングすると座面が沈み込む設計になっている。モケットはオレンジ色で、ヘッドカバーには金色で「VSE」の刺繍が入る。
テーブルは観光バスのように座席の背面に設置。窓側にはハードメイプル製の折りたたみ式テーブルが設けられているが、座席を向かい合わせにした時にしか使用できない。
展望席は2席増えて16席になった。ここでは全て正面を向いており、一般席とは形状が微妙に異なり、背もたれの上半分が少しだけ狭まっている。
1列目は窓側席のみにテーブルがあったHiSEとは違い、前方のカウンターに収められており、通路側も利用できる。
2列目以降は1150mmのシートピッチを有しており、テーブルは一般席と同じく座席背面と窓側に備えられているが、後者については配置の関係上、回転しなくても利用することができる。
ちなみに、4列目席以外は回転することが可能で、さらにグループ利用も配慮してか、通路側を向いたまま固定することもできる。
デッキとの仕切り扉の上には液晶ディスプレイが設置されており、停車駅や接続路線といった各種情報のほかにも「多摩川を通過」などの案内も表示される。
車内設備
トイレや洗面台・カウンターブース・AEDといった各車内設備は3・8号車に集約されて設置されており、これらの号車には座席がほとんどない。そのために車体にはロゴが描かれている。
トイレ・洗面台は3号車の新宿方と8号車の下り方に設置。共通して男子用トイレとベビーベッド・ベビーチェアを完備した女子トイレを備え、大用は全て洋式トイレである。
男女共用トイレについてはロマンスカー初の「ゆったりトイレ」になっており、ベビーベッドとオストメイトを備え、車椅子でも十分入れる大きさを有する最新型になっている。
3号車のサルーンS3前と8号車のカウンターブース前には当初喫煙ルームが設置されていたが、2007年3月18日のダイヤ改正からはロマンスカーは全面禁煙になったことから使用を終了し、以降はAEDとパンフレットが置かれたスペースになっている。
デッキには情報端末ディスプレイが設置され、箱根の天気や観光情報・ロマンスカー紹介・全面展望映像などを閲覧することができる。
ちなみに、EXE以降のロマンスカーでは唯一自動販売機が設置されていない。当初は「スーパーはこね」「はこね」の運用が大半で、車内販売も行われていたことからそれほど問題はなかったが、2018年3月17日のダイヤ改正以降は車内販売がない「さがみ」や「ホームウェイ」などでの運用も増加し、さらには頼みの車内販売すら終了してしまったため、これが引退の遠因になったという見方もある。
サルーン
3号車に4人がけで3区画、計12人分設けられているセミコンパートメント席。利用には運賃に加えて、人数に関係なく特急料金の4倍のサルーン料金が必要である。座席番号はS1~S3になっている。
パーテーションガラスで仕切られており、RSEとは違って1区画ごとの販売であることから、見知らぬ人と相席になることはない。
背もたれはほぼ完全に壁と接しているが、座席については一般席とほぼ同様。中央には展開式のテーブル、座席上には荷物置き場があり、テーブル下にはコンセントが2つずつ設置されている。
ロマンスカーカフェ
VSEは他の車両とは異なり、かつての「走る喫茶室」と同様のシートサービスを復活させた。3・8号車のカフェカウンターを拠点とし、HiSEと同じくオーダーエントリーシステムを用いて営業していた。飲み物はVSEオリジナルのグラスで提供されており、購入することもできた。
しかし、2016年3月26日のダイヤ改正をもってカフェカウンターの営業も廃止され、以後は2021年3月の車内販売終了まで車販基地として使用された。
運用
第1編成は2004年11月23日に入線。この時まだ車体全体が保護シールで覆われた状態で、11月29日に行われた大野総合車両所の「お披露目式」で初めて一般公開された。
2005年3月19日より運行を開始。1番列車の「スーパーはこね9号」は新宿駅で出発式、小田原駅と箱根湯本駅では到着式が執り行われ、車内では乗車証明書・箱根寄木細工・オリジナル鉛筆が配布された。
そして、2006年9月10日には有効得票総数3420票中1005票をマークする形で鉄道友の会が贈る第49回ブルーリボン賞に輝き、「スーパーはこね13号」の一部を会員が貸し切る形で記念列車を運行した。
また、2005年には照明学会の照明普及賞優秀施設賞と日本産業デザイン振興会のグッドデザイン賞、2006年には香港デザインセンターのアジアデザイン大賞、2007年にはドイツ・ハノーファー工業デザイン協会のiFデザイン賞をそれぞれ受賞している。
当初は「箱根専用特急」という差別化から、原則「(スーパー)はこね」のみで運用されており、充当列車もほとんど固定されていた。そのために、時列車や他形式の代走などを除いて他の種別では使用されなかった。
しかし、2016年3月26日のダイヤ改正からは平日のみ「ホームウェイ85号」に1本充当されて江ノ島線での定期運用が始まり、GSEの登場以後は「展望付き車両」として共通運用化されて幅広い活躍を見せた。
引退
長らくロマンスカーの顔として多くの人々に親しまれてきたVSEだったが、2021年12月17日、車両の経年劣化や主要機器の更新が困難であることなどの理由から、2022年3月12日のダイヤ改正をもって定期運用を終了し、イベント列車での使用後に2023年秋を目途に引退することが発表された。
小田急によれば、リニューアルや更新計画については以前から検討されていたものの、アルミ合金押出形材のダブルスキン構造という特異かつ高価な材質ゆえ、修理には高度な技術や経験が必要で手間がかかってしまうことや、連接構造や車体傾斜制御といった他の車両にはない特殊な構造を多く採用していることから経年劣化に伴う主要機器の更新も難しく、性能を維持できないことからリニューアルを断念し、EXEとは違ってそのまま引退させることになったという。
元々はHiSEに代わって登場したこの形式だったが、17年での引退は歴代ロマンスカーでも最短で、皮肉にも置き換えた当のHiSEより短命に終わる結果になってしまった。
人気に反して短命に終わった理由としては上記の他に、車内販売の終了によってカウンターブースがデッドスペースになった上に自動販売機も未設置だったことなどの原因が挙げられる。
2編成でのべ600万km以上を走行し、この間に約2000万人の乗客が利用したという。
定期運用終了に際し、2022年1月29日からは1・10号車と3・8号車側面に記念装飾を車体へ掲出し、3月11日までは一部駅にて「小田急ロマンスカー・VSE(50000形)定期運行終了記念乗車券」が販売された。
そして、2022年3月11日の「ホームウェイ87号」をもって定期運用を終了した。
その後はイベント列車として使用され、第2編成は2023年9月24日の「ありがとう50002編成 ~VSE2編成最後のランデブーミステリーツアー~」、第1編成も12月10日の「ロマンスカー・VSE ラストラン ~おもいでは永遠に~」をもって引退した。
以降は2編成とも休車扱いで喜多見検車区構内に留置されている。
他社に移籍したロマンスカー
ロマンスカーの中には小田急で役目を終えた後も、他社に譲渡された車両がこれまでに371系を含めて4形式存在する。
譲渡先の社名はいずれも当時のもの。
●大井川鉄道3000系電車(元SE)
(出典:Wikipedia)
1983年3月に引退した第1編成が動態保存車両として譲渡。外観はほとんど変わっておらず、改造は客室・運転室内のカーテン交換や保安装置関連、電動車の記号が「デハ」から「モハ」に改められるなど小規模なものにとどまった。同社初の冷房車でもある。
同社の固定編成車両では最長となる5両編成で、当初は3両に短縮する案があったが、技術的な問題があったことや小田急が先頭車両に乗客用扉を設置することに了承せず、結局5両のまま譲渡された経緯がある。
同年8月よりロマンス急行「おおいがわ」として運行を開始。しかしSL急行ほどの人気は得られず、ワンマン化改造も不可能だったことから1987年7月のダイヤ改正以降は運用がなくなり、休車扱いになった。
その後は千頭駅構内に留置された後、1992年4月に解体された。
同社は後年、トップナンバーだったことから残せるように努力したものの老朽化や軽量・連接車体という整備の難しさなどを考慮し、やむなく廃車にしたと述べている。
後に3000系という形式は京阪電車からやってきた同形式に引き継がれた。
●長野電鉄1000系(元HiSE)
(出典:Wikipedia)
VSEに置き換えられた川崎重工業製の第2・第4編成が無償で譲渡され、日本車輛豊川製作所で改造工事が行われた。
甲種輸送の際は車高の関係で篠ノ井線を通ることができなかったため、東海道線~
武蔵野線 ~
高崎線 ~
上越線 ~
信越本線 ~
しなの鉄道線 という大回りルートで回送された。
譲渡にあたり旧1・2・10・11号車からなる4両編成に短縮され、塗装も2色のワインレッドから長野電鉄のシンボルカラーである長電レッド
■ に変更されたが、塗り分けはそのままなので外観に大きな変化は見られない。
旧6号車に設置されていた補助電源装置は2号車に移動している他、信州中野~湯田中間の急勾配に対応するための抑速ブレーキの強化や、寒冷地の
長野県 でも走れるように耐雪・暖房装置が設置されている。
車内は基本的にHiSE時代の面影を残しているが、一般席のモケットは全て青系のものに統一され、第4編成には背面テーブルが存置。
展望席も大きく手を加えられていないが、ここのみ平屋構造であることから介助者用のジャンプシートを設置してバリアフリーへの対応が実現した。
ただし、この処置によって展望席と一般席の境にあった補助椅子は使用不可になっており、加えて乗車口のドア幅は62cmとJISで定められた70cmを下回り、乗車時にスロープを使用できないために車椅子によっては利用できない場合がある。
2015年9月以降は車内放送も行われるようになり、これに合わせてLED車内案内表示器も新設された。
ブルーリボン賞のプレートも健在だが、一部は車内案内表示器の設置に伴って掲載場所の移動が行われている。
公募により「ゆけむり」の愛称が与えられ、2006年12月9日より
長野線 で営業運転を開始。
現在は日中時間帯に運行される速達型の「A特急」、朝と夕方以降に運行される途中駅停車型の「B特急」、観光案内列車の「特急ゆけむり~のんびり号~」(S特急)として運行される。
A特急のみ先頭車両が指定席、その他の列車は全車自由席である。
導入に際し、湯田中駅のスイッチバック構造が廃止されている。
●富士急行8000系(元RSE)
(出典:Wikipedia)
2013年11月に「フジサン特急」2000形(元JR東日本165系「パノラマエクスプレスアルプス」)の後継車両として、第2編成の1・6・7号車が譲渡され、2014年7月12日から2代目「フジサン特急」での運用が始まった。
塗装は初代を踏襲し、白をベースに公募によって選ばれた大量の「フジサンクン」が車内外に描かれている。
1号車は座席指定の展望車両になっており、運転席後方の座席はソファーが並ぶラウンジで、最前列部分には子ども向けの運転台も設置されている。
座席は基本的に2+1配置で、1列部分はRSE時代の3号車1階にあった1人がけの座席を流用している。
2号車寄りにはセミコンパートメント区画があり、2区画計8席と中央にテーブルが備えつけられているが、向きは固定されており、パーテーションがあるためにリクライニングはできない。その後ろには2~3人が座れるロングシートもある。
普通車は共通で2+2配置になっている。2号車に関しては約3分の1のスペースが床面を下げた平屋構造になってバリアフリーに対応しており、デッキやトイレも車椅子でも利用できるように改装され、ドアも引戸式に変更された。
●富士急行8500系(元371系)
(出典:Wikipedia)
2014年12月に1・2・7号車が譲渡。長野にあるJR東日本テクノロジーで第1次の改造工事が行われ、長野~パリ 大月~富士山経由で納入された。その後は富士急の車両技術センターで最終改造を実施し、2016年4月23日より新設された「富士山ビュー特急」で営業運転を開始。
前述の通り、RSEも富士急行に引き取られて運行を開始したため、小田急とJR双方の元「あさぎり」の車両が再び同じ線路上で走る姿が見られることになった。奇しくも系統・車両ともに「富士山」を由来する特急として運用されている。
デザインは水戸岡鋭治氏が担当し、塗装は同社1000系「富士登山電車」に似たさび朱色になっており、ロゴなども金色で書かれている。
フジサン特急と同じく3両編成で、こちらも1号車は特別車両、2号車は指定席、3号車は自由席になっている。
普通車ではそれぞれ赤と青のモケットが使われており、2列ごとにデザインが異なる仕様になっている。
土休日は1往復がツアー扱いかつ事前予約制の「スイーツプラン設定列車」になる。
座席
車両によっては以下のような特別席が設けられている場合もある。
運転席を2階に上げることで、車両の最前面まで座席が配置されており、最高の眺望性を楽しむことができる。
歴代車両ではNSE・LSE・HiSE・VSE・GSEに設けられている。
料金は一般席と同額だが非常に人気は高い。2023年6月以降は事前予約不可能になった。
RSEと371系の2階席に設置されていた特別席。RSEのみ小田急線内ではスーパーシート、「あさぎり」ではグリーン席と呼称されていた。
利用には通常の特急券に加えてスーパーシート(グリーン)料金が必要で、2011年3月11日までは「走る喫茶室」と同様のシートサービスも行われていた。
RSEの4号車1階席に設けられていたセミコンパートメント席。4人がけで3区画、計12人分設けられていた。
VSEの3号車に4人がけで3区画、計12人分設けられていたセミコンパートメント席。箱根登山線のみの利用は不可能だった。
RSEとは違って1区画ごとの販売で、人数に関係なく4倍のサルーン料金が必要。
2025年4月15日から導入。
11:00~16:59に新宿発着、11:00~17:59に新宿駅に到着するロマンスカーの3号車に設定。
車内には小田急の子育て応援キャラクターである「もころん」のヘッドレストカバーとステッカーが掲示される。
相互直通運転時代の「あさぎり」は、御殿場~沼津間のみ6号車が自由席になっていた。当初は全区間指定席だった。
予約システム
特急券は1か月先までの予約・購入が可能である。
「e-Romancecar 」は会員登録なしで手軽に利用でき、購入はもちろん予約だけの使い方も可能。
「ロマンスカー@クラブ 」は会員登録が必要だが、利用実績に応じてポイントが付与されるという特典があり、発券することなくチケットレスで乗車できる。
「EMotロマンスカーパスポート 」はいわゆるサブスクリプションで、チケットレス料金の約10倍で購入することで平日の日中(9:00~17:59発)のロマンスカーに1日2回まで乗り放題になる。
千代田線内のみの利用は不可能で、箱根登山線については2005年10月1日より当日座席に余裕がある場合に限って両駅のホームで「座席券」が発売される。満席および満席が想定される場合は発売されない。
現在は正式に特急券になっているが座席は指定されず、この区間のみの予約・購入もできない。
ロマンスカーは例外なく全列車特急扱いかつ全区間指定席であり、特急券を購入しないで乗車した場合は車内で特急料金に310円を加算した料金を徴収され、千代田線に連絡する区間を乗車した場合はさらに100円が加算される。
かつてはホーム上で検札を行っていたが、1999年からは車掌が持っている携帯端末で特急券の発売状況を確認できるシステムが導入された。
ロマンスカーは事前に特急券を購入してから乗車しましょう 。
車内サービス
いわゆる「走る喫茶室」と呼ばれるシートサービスが始まったのは1949年の1910形運行開始時からである。乗客へのサービスとして「お茶でも出せないか」という発想から検討されたものだったが、当時は特急券を購入した乗客に物品を提供するのは規則上禁止されていたため、飲料の販売を行うことに決定したものである。
編成も乗車時間も短いことから車内にカウンターを設けた上でシートサービスを行うことが決まり、日東紅茶が採算を度外視して紅茶の普及宣伝として担当することになった。
その後NSEが増備されたことで日東紅茶だけでは対応できなくなり、1963年から森永の宣伝を兼ねて森永エンゼルが加入。下記のようにテレビドラマの舞台にもなったことでロマンスカーのイメージとして定着するようになり、HiSEでは日本の列車としてはじめてオーダーエントリーシステムが導入された。
基本的に臨時列車では非営業だったが、上記の「ニューイヤーエクスプレス」など稀に営業を行ったことがある記録が残っている。
御殿場線系統でも特別準急時代から行われており、全区間で小田急サービスビューロー(1957年からは小田急商事)の車内販売員が1~2人乗務していた。SSEの転用後は森永エンゼルによって小田急線内列車と同様のシートサービスが行われた。
1991年からは相互直通運転が始まったことでRSEによる1・4・5・8号で小田急レストランシステム、371系による2・3・6・7号でジェイダイナー東海によるシートサービスがそれぞれ行われた。座席にスチュワーデスコールボタンが設置されていた。
メニューは2社によって異なり、後者では果物を車内でカットして盛り付けを行なっていた他、朝上りを走る2号のみ和風・洋風のモーニングセットの販売が行なわれた。
小田急レストランシステムは1列車6人、ジェイダイナー東海では1列車5人が乗務していた。いずれもグリーン車のみの営業で、普通車ではワゴンサービスを行っており、双方ともに2011年3月11日までサービスが提供された。
しかし、時代の変遷によって通勤・通学や日常利用といった観光以外の用途が増加し、注文を受けて各座席へ品物を届けるサービスが提供しづらくなったこともあり、当初から担当していた日東紅茶が1993年に撤退し、森永エンゼルも撤退した1995年3月をもって「走る喫茶室」のサービスはいったん終了した。
その後は1995年3月から小田急レストランシステムのアテンダントによるワゴンサービスが継続されていたが、2005年に登場したVSEは10年ぶりにシートサービスが復活。注文の迅速化のために無線LANを使用したオーダーエントリーシステムを導入し、飲料は専用グラスで提供された。
以来10年に渡って親しまれたが、2016年3月26日のダイヤ改正で運転間隔が変更されたために再びシートサービスは終了した。
サービス提供時は弁当・軽食・おつまみ・飲み物・ロマンスカーグッズに季節限定メニューなど、質の高いラインナップで好評を博した。
ただし、基本的に「スーパーはこね」と一部を除いた「(メトロ)はこね」といった箱根特急のみの営業で、それ以外の列車では繁忙期を除いて非営業だった。
併結列車についてはまちまちで、「はこね」部分でのみ営業することもあれば全車両で非営業のケースもあった。
コロナ禍のために2020年4月8日から当面の間中止され、さらに5月の土休日にはロマンスカー全列車が運休する事態にもなったが、6月よりメニューと対象列車を縮小した上で再開された。
そして、2021年3月12日の午後17時をもって車内販売は正式に終了し、長年続いてきた小田急の車内サービスはついにその幕を閉じた。
なお、EXE以降はVSE以外の各車両に
自動販売機 が設置されており、飲み物の購入は可能。
停車駅一覧
小田急線内列車
新宿
新百合ヶ丘
町田
相模大野
海老名
本厚木
伊勢原
秦野
小田原
箱根湯本
スーパーはこね
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はこね
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●スーパーはこね
小田原線内の全駅を通過する最速種別。2016年3月26日のダイヤ改正までは上り列車、2022年3月12日のダイヤ改正までは平日の運用も存在した。
●はこね、さがみ
長らく「(向ヶ丘遊園・)町田・本厚木(・新松田)」「新百合ヶ丘・相模大野・本厚木・秦野」のパターンが主流で、近隣の駅とは千鳥停車の関係にあったが、近年はパターン・駅数ともに年々増加傾向にあり、現在では新百合ヶ丘・町田や海老名・本厚木、本厚木・伊勢原といった急行と同一停車や間に1駅しか挟んでいない短距離通過も多く存在する。
それでも相模大野に関しては現在でも「新百合ヶ丘・本厚木(・伊勢原)・秦野」パターンのみが停車しており、隣接する町田・海老名との互換関係が継続している。
最も停車駅が多いのは「新百合ヶ丘・町田・海老名・本厚木・伊勢原・秦野」のパターンで、相模大野を除いた全ての駅に停車している。
「さがみ」も基本的に同様だが、その性質上途中駅発着の列車も存在し、本厚木行きと海老名始発の列車がある。過去には秦野行きや本厚木始発の列車も存在した。
かつては向ヶ丘遊園と新松田に停車する列車も存在したものの、2018年3月17日のダイヤ改正をもって全列車が通過になり、特急関連の設備も後に撤去された。
●ホームウェイ
定期列車は全て町田・海老名・本厚木に停車し、時間帯に応じて秦野・小田原・箱根湯本まで乗り入れる運用になっている。
登場以来長らく町田・本厚木・秦野の3駅が基本だったが、2016年3月26日のダイヤ改正からは海老名が停車駅に追加され、千鳥停車の形で本厚木を通過する列車が登場。後に再び全停車に戻ったことで海老名は一部停車の扱いになり、2022年3月12日のダイヤ改正で全停車駅になった。
かつては江ノ島線系統との併結列車のみ町田の代わりに相模大野に停車していたが、2012年3月17日のダイヤ改正で系統分離されてからは設定がなくなった。
過去には平日のみ町田行きの25号が設定されていたが、2018年3月17日のダイヤ改正で運行区間が相模大野まで延長されるとともに、番号も61号と独自の数字になったが、2020年3月14日のダイヤ改正で廃止された。
現在は本厚木行きとして平日のみ25号が復活しており、さらに27号も新設されている。
●モーニングウェイ
小田原線系統は「ホームウェイ」と同様に本厚木・海老名・町田を停車駅とし、時間帯に応じて秦野・小田原まで運行区間が延長されるのが基本的な運用だが、唯一の例外として平日の秦野・小田原始発の2本(80号台)のみ町田を通過し、海老名~新宿間をノンストップで運行する列車がある。その他、早朝には相模大野→新宿間で2本(90号台)が運行され、町田と新百合ヶ丘に停車する。
かつては土休日のみ停車駅が異なり、「本厚木・相模大野・新百合ヶ丘」といったパターンが存在したが、現在は曜日を問わず「ホームウェイ」とほぼ同様のパターンに統一されている。
設定前の「さがみ」時代には海老名も通過し、本厚木~新宿間をノンストップで運行する列車も存在した。
原則として停車駅は新百合ヶ丘・相模大野・大和・藤沢で共通。
新宿
新百合ヶ丘
相模大野
大和
藤沢
片瀬江ノ島
備考
えのしま
●
●
●
●
●
●
ホームウェイ
●
●
●
●
●
●
平日2本・土休日4本
●
●
●
●
●
平日3本・土休日1本
モーニングウェイ
●
●
●
●
●
●
←
●
●
●
平日50号
●ホームウェイ
早い時間帯には片瀬江ノ島まで乗り入れる列車が存在し、平日2本・土休日4本が設定されている。
小田原線系統との併結時代は新百合ヶ丘を通過しており、系統分離後も引き続き平日のみ通過する列車が存在したが、2018年3月17日のダイヤ改正で全列車が停車するようになった。
●モーニングウェイ
全列車が藤沢始発で、平日2本・土休日1本が運行。平日の50号のみ新百合ヶ丘を通過する。かつては片瀬江ノ島始発の列車も存在した。
他社線直通列車
駿河小山駅のみ通過列車が存在する。2012年3月17日のダイヤ改正で停車駅から町田・裾野・沼津が消え、代わって新百合ヶ丘・相模大野・秦野が加わった。
新宿
新百合ヶ丘
相模大野
本厚木
秦野
松田
駿河小山
御殿場
備考
ふじさん
●
●
●
●
●
●
●
●
1・3・6号
●
●
●
●
●
●
―
●
2・4・5号
メトロはこね、メトロホームウェイ、メトロモーニングウェイ
北千住
大手町
霞ケ関
表参道
成城学園前
新百合ヶ丘
町田
相模大野
海老名
本厚木
伊勢原
小田原
箱根湯本
備考
メトロはこね
●
●
●
●
●
―
●
―
―
●
●
●
●
平日の20号のみ経堂~代々木上原間は緩行線
●
●
●
●
●
―
―
●
―
―
●
●
●
土休日の「メトロえのしま」併結列車
メトロホームウェイ
●
●
●
●
●
●
●
→
●
●
平日43号および土休日
●
●
●
●
●
●
→
●
●
平日41・45・47・49号
メトロモーニングウェイ
●
●
●
●
←
←
●
←
●
●
平日、経堂~代々木上原間は緩行線を走行
●
●
●
●
●
●
●
←
●
●
土休日
●メトロはこね
単独運転の場合は町田・本厚木に、「メトロえのしま」と併結する場合は相模大野に停車する。いずれも2025年3月26日のダイヤ改正からは伊勢原が停車駅に追加。
●メトロホームウェイ
平日のみ大手町始発の列車が存在。かつては成城学園前・新百合ヶ丘・海老名を通過する列車があったものの、現在はいずれも全停車駅になっていることから通過駅の差はなくなった。
●メトロモーニングウェイ
土休日のみ新百合ヶ丘と成城学園にも停車する。
メトロ特急では唯一停車駅が固定されている。
北千住
大手町
霞ケ関
表参道
成城学園前
相模大野
藤沢
片瀬江ノ島
メトロえのしま
●
●
●
●
●
●
●
●
停車駅簡易表
凡例
S
スーパー
M
メトロ
HW
ホームウェイ
MW
モーニングウェイ
●
停車
○
一部停車
▼
下りのみ停車
▲
上りのみ停車
▽
下りのみ一部停車
△
上りのみ一部停車
緑色
下りは乗車、上りは降車のみ取り扱い
|
通過
↓
下りのみ通過
↑
上りのみ通過
※
運転停車
運行なし
◇小田原線系統
駅番号
駅名
S は こ ね
は こ ね
さ が み
H W
M W
接続路線
OH 01
新宿
▼
●
●
▼
▲
新宿駅 のページを参照。
OH 23
新百合ヶ丘
↓
○
○
↓
△
多摩線 (小田急多摩センター・唐木田方面)
OH 27
町田
↓
○
○
▼
△
JR横浜線
OH 28
相模大野
↓
○
○
↓
△
江ノ島線 (大和・藤沢・片瀬江ノ島方面)
OH 32
海老名
↓
○
○
▼
△
相鉄本線 、JR相模線
OH 34
本厚木
↓
○
○
▼
△
OH 36
伊勢原
↓
○
○
↓
↑
OH 39
秦野
↓
○
○
▽
△
OH 47
小田原
▼
●
●
▽
△
東海道新幹線 、JR東海道線 (上野東京ライン ・湘南新宿ライン )伊豆箱根鉄道 大雄山線
OH 51
箱根湯本
▼
●
▽
箱根登山線(強羅方面)
◇江ノ島線系統
駅番号
駅名
え の し ま
H W
M W
接続路線
OH 01
新宿
●
▼
▲
新宿駅のページを参照。
OH 23
新百合ヶ丘
●
▼
△
多摩線(小田急多摩センター・唐木田方面)
OH 28
相模大野
●
▼
▲
小田原線 (小田原・箱根湯本方面)
OE 05
大和
●
▼
▲
相鉄本線
OE 13
藤沢
●
▼
▲
JR東海道線(上野東京ライン・湘南新宿ライン)、江ノ島電鉄線
OE 16
片瀬江ノ島
●
▽
△
◇御殿場線直通
駅番号
駅名
ふ じ さ ん
接続路線
OH 01
新宿
●
新宿駅のページを参照。
OH 23
新百合ヶ丘
●
多摩線(小田急多摩センター・唐木田方面)
OH 28
相模大野
●
江ノ島線(大和・藤沢・片瀬江ノ島方面)
OH 34
本厚木
●
OH 39
秦野
●
松田駅(新松田駅)付近の連絡線経由で御殿場線 へ
CB04
松田
●
御殿場線(国府津方面)
CB08
駿河小山
○
CB10
御殿場
●
御殿場線(沼津方面)
◇千代田線直通
全列車とも千代田線内のみの乗車はできず、下りは乗車・上りは降車のみ取り扱う。いずれも1・4・5・7・8・9号車のみドアが開く。
また、代々木上原で乗務員交代のため運転停車する。
駅番号
駅名
M は こ ね
M H W
M M W
接続路線
備考
C 18
北千住
●
▽
▲
千代田線・常磐緩行線(綾瀬・北綾瀬・取手方面)、JR常磐線 快速東京メトロ日比谷線 、東武スカイツリーライン 、つくばエクスプレス
下りは乗車、上りは降車のみ可。
C 11
大手町
●
▼
▲
丸ノ内線・東西線 ・半蔵門線 都営三田線
C 08
霞ケ関
●
▼
▲
丸ノ内線・日比谷線
C 04
表参道
●
▼
▲
銀座線 ・半蔵門線
C 01 OH 05
代々木上原
※
※
※
乗務員交代のための運転停車
OH 14
成城学園前
●
▼
△
OH 23
新百合ヶ丘
|
▼
△
多摩線(小田急多摩センター・唐木田方面)
OH 27
町田
○
▼
▲
JR横浜線
OH 28
相模大野
○
↓
↑
江ノ島線(大和・藤沢・片瀬江ノ島方面)
OH 32
海老名
|
▼
▲
相鉄本線、JR相模線
OH 34
本厚木
○
▼
▲
OH 36
伊勢原
●
OH 47
小田原
●
東海道新幹線、JR東海道線(上野東京ライン・湘南新宿ライン) 伊豆箱根鉄道大雄山線
OH 51
箱根湯本
●
箱根登山線(強羅方面)
駅番号
駅名
M え の し ま
接続路線
備考
C 18
北千住
●
千代田線・常磐緩行線(綾瀬・北綾瀬・取手方面)、JR常磐線快速 日比谷線、東武スカイツリーライン、つくばエクスプレス
下りは乗車、上りは降車のみ可。
C 11
大手町
●
丸ノ内線・東西線・半蔵門線 都営三田線
C 08
霞ケ関
●
丸ノ内線・日比谷線
C 04
表参道
●
銀座線・半蔵門線
C 01 OH 05
代々木上原
※
乗務員交代のための運転停車
OH 14
成城学園前
●
OH 28
相模大野
●
小田原線(小田原・箱根湯本方面)
OE 13
藤沢
●
JR東海道線(上野東京ライン・湘南新宿ライン)、江ノ島電鉄線
OE 16
片瀬江ノ島
●
ロマンスカー関連施設
2021年4月19日に海老名駅付近に開業。
SEからRSEまでの歴代ロマンスカーと開業当初の車両であるデハ1形、小田急沿線のジオラマに運転シミュレーター、子ども向けのキッズルームなどが展示されている。2階には小田急のオフィシャルグッズショップである「TRAINS」があり、屋上は海老名駅や海老名検車区を一望できる展望台になっている。
その他、駅につながるペデストリアンデッキにカフェテリア「ビナキッチン」が併設されており、こちらは誰でも利用可能。
VSEで営業していたものと同名のカフェテリアが
新宿駅 の西口地上改札側に存在し、2006年3月31日から小田急レストランシステムによって運営されていたが、新宿駅西口の再開発によって2023年2月25日に閉店した。
かつては海老名駅に隣接している「ビナウォーク」のフードコートにHiSEとRSEで実際に使われていた運転席と普通席・スーパーシートが置かれており、座って食事を楽しむことができた。運転席は1席ずつ2人がけで、それ以外はセミコンパートメントのように2席ずつ4人がけで向かい合せに設置されていた。
2020年8月までに撤去され、現存しない。
ロマンスカーが登場する作品
楽曲
1961年に発表された作品。歌唱はボニー・ジャックスとザ・ピーナッツが担当。
SEの警笛をイメージした作品でかなり中毒性があり、『
モヤモヤさまぁ〜ず2 』(
テレビ東京 )で小田急沿線や箱根を訪れた際は必ずこの曲が使用されていた。
1989年9月21日に発表された徳永英明の8枚目のシングル作品。
当時のロマンスカーのCMソングとして起用され、当時イメージリーダーだったHiSEが登場していた。
徳永氏にとっては男女の恋愛をテーマとしない初めての曲でもあった。
1992年に発表された村下孝蔵のシングルで、同時発売のアルバム「名もない星」にも収録されている。
失恋を切なく歌ったフォークソングで、完成時には「やっと納得する作品ができた」と語った渾身の作品でもあり、出棺時に流れされたほど最も好きだった曲だという。
2002年に発表された作品。
現在のロマンスカーのイメージソングで、しばしばCMでも起用されている。
作曲の葛谷葉子を皮切りにさまざまなボーカルのバージョンが使用されている。
VSEやGSEでは車内チャイムとしても使用されており、芦ノ湖の箱根海賊船では桟橋到着前に船内放送でオルゴールアレンジが流れている。
映像作品
本編に登場した「異次元列車」はNSEがモチーフになっており、1・11号車と中間2両(パンタグラフからして5・7号車)の4両という短編成になっている。
この話は第20話として放送予定だったが、諸事情で本放送が見送られて再放送で日の目を見たという特殊な作品で、2004年には小田急の承認を得て本列車を模した
プラレール が限定発売されている。
当時は小田急線沿線に円谷プロの本社があったためか、初期の『ウルトラマンシリーズ』では小田急へロケや取材を行ったエピソードが他にも散見され、ロマンスカー関係だと
ウルトラセブン 第2話ではNSEの車内ロケが行われている。
現在の祖師ヶ谷大蔵駅や駅周辺にウルトラマンコラボが多いのも当時はここに本社があったからである。
ロマンスカーは通り過ぎるけどね。
1981年に放送されたTBSテレビのドラマ作品。
主人公の1人である古手川祐子がロマンスカーの乗務員・吉川久美子を演じており、小田急が撮影に協力し、実際のロマンスカー車内でロケを行ったシーンが登場。1980年代当時の新宿駅やロマンスカーの映像が登場する貴重な作品になっている。
こちらはCSや配信サービスで視聴可能。
2015年に公開された日本映画。
主演は元
AKB48 の
大島優子 で、グループ卒業後初の主演作になった。ロマンスカーのアテンダントとして働く主人公・北條鉢子を演じる。
その他
西村京太郎『
十津川警部シリーズ 』の一編。
ロマンスカー独自の車両構造を生かした消失トリックが登場。
何となく勘のいい人はどんなトリックかこれでわかるだろう。
後にテレビ朝日でドラマ化されたものの、列車は
上越新幹線 に変わっていた。
トミーテックの鉄道制服キャラクターコンテンツ『鉄道むすめ』には、ロマンスカー関係者として2人が登場している。
石田あいこは車掌→運転士を経て2018年からロマンスカー主任車掌を担当。名前の由来は愛甲石田駅。
渋沢あさぎはVSEやGSEでロマンスカーアテンダントを担当し、2018年からは上級職の「グランドパーサー」に昇格した。名前の由来は渋沢駅と「あさぎり」から。
なお、上述の通りロマンスカーアテンダントは廃止され、石田あいこの着用するロマンスカー用の白い制服も2023年3月をもって使用を終了した。
グッズ自体は現在も在庫処分価格で 発売されているが、小田急のキャラクタービジネスは下記の「もころん」へシフトしたことや萌えキャラを取り巻く情勢の変化もあってかリニューアルは見送られており、両名とも事実上の引退状態 にある。
スマートフォン向け位置情報ゲーム『
駅メモ! 』に登場するキャラクター。ほこねがVSE、うららがMSEの擬人化キャラクターである。
2014年から登場しており、着せ替えスキンなどの類も多い。
ほこねに関しては実車の引退に合わせてバージョンアップ(いわゆる限界突破)も実装されている。
一方でうららは割と良識派にもかかわらず、ほこねが婉曲的に言えば
そのうららにほぼ常に引かれるほどかなりぶっ飛んだ性格の人 というのが最大の特徴でもある。
2023年8月に登場した小田急の子育て応援キャラクター。デザイン担当はイラストレーターのやまむらともよ。
ウサギがモデルになっており、名前は「もこもこな容姿」「小田急・お子さま・応援の“O”」「ロマンスカーとの語呂合わせ」から決定。小田急のブランドカラーである青を主体に、手足や尻尾はロマンスカーをイメージしたオレンジで配している。GSEをモチーフとしたお気に入りのポシェットを肩からかけている。
デビュー直後にVSEの引退ツアーに登場するなど大規模なアピールを実施した結果ブレイクを果たし、各種グッズ展開はもちろん車両への装飾も実施されるなど、今や小田急を支える屋台骨の1つになったといっても過言ではない。
2025年3月3日からはMSEの車内チャイムでもころんのテーマソング「今日はどこにでかけよう」の使用を開始しており、同月末にはMSE全編成にもころんのヘッドマークも取り付けられた。
余談
ロマンスカー停車駅のホームには足元にドアの位置を示す表示があり、車両ごとに色分けされている。EXEとMSEについては共用で、編成ごとに茶色(10両)・青色(6両)・灰色(4両)と色分けされている。
基本的に「(メトロ)はこね」と併結する「(メトロ)えのしま」を除いて4両編成単独の運転はないため、小田原線内で灰色乗車位置が案内されることはないが、2019年1月12日~14日の「スーパーはこね9号」「はこね52号」「さがみ71号」は史上初めてEXEαによる4両編成で運行されたため、灰色で案内された。
ロマンスカーは検査や故障の際には他形式で代走することが多いが、さまざまな事情から車両が捻出できず、やむなく通勤車を使用した例がある。
1度目は1965年前後の数年間、特急需要のピーク時や検査時などで特急車両が不足していたため、HE車の2400形が一部の「えのしま」を担当。特急料金は不要だったものの座席定員制であり、車内に号車番号札と座席番号表示を装備した車両が運用されて「サービス特急」と呼ばれた。
2度目は1987年1月に、NSEとLSEが1編成ずつ検査中だった時期に踏切事故でSEが1編成使用不能になったため、「さがみ」の一部列車を8000形が代走した。
種別幕は「臨時」と表示し、特急料金不要で運行された。
3度目は2016年12月に本来運用予定だったEXEの故障により、1000形の6+4両編成が「えのしま74号」を代走。事前予約していた人のみ乗車でき、当日券は発売されなかった。
前述の通り、EXEとMSEは6+4両編成の構造になっており、10両編成以外にも6両編成単独による運転も多く見られる一方で、「(メトロ)はこね」と併結する「(メトロ)えのしま」を除いて基本的に全区間4両編成での運行はなく、MSEの4両編成側には千代田線・
御殿場線 の保安装置も備えられていない。
下りの「はこね」では小田原で切り離されるため、4両側で「箱根湯本」の表示や箱根登山線への入線もない。
なお、EXE4による運行は連休やトラブル時による代走が生じた際に適宜行われている。
追記・修正は展望席の最前列の切符を手に入れた人がお願いします。
3100形はウルトラセブンの「緑の恐怖」にも石黒隊員に化けたワイアール成人が正体を現した電車ですな。 -- 名無しさん (2014-05-16 11:01:22)
グリーンに一度乗ったらガラガラで、アテンダントさんがやたら世話焼きに来るのが嬉しいやら恥ずかしいやら。 -- 名無しさん (2014-09-11 09:03:37)
来年3月から海老名と伊勢原にも停車するはこねが登場。 -- 名無しさん (2015-12-22 18:48:59)
ブランド力は圧倒的だがそれに反して他社より車両が……ぱっと見分かりやすいのが、JR東海371系とある程度仕様を合わせていた20000形を除き、特急型ならあって常識の座席にセンターアームレストがない。古い車両だからとかじゃなくて、70000形に至ってもない。 -- 名無しさん (2025-07-10 22:37:46)
最終更新:2025年09月17日 20:49