登録日:2023/03/15 Wed 00:18:50
更新日:2025/03/06 Thu 17:07:23
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61式戦車(陸上自衛隊)、または
61式戦車(本物)、あるいは
61式戦車(日本)とは、西暦1961年に正式採用された
自衛隊の
主力戦車である。
【61式戦車(西暦)ってどんな戦車?】
第二次世界大戦に敗北し、植民地も軍備も一切合切を失ってリスタートした
大日本帝国あらため
日本国。
その戦後日本が再軍備を行うにあたって最初に開発・生産した、
国産戦車の記念すべき第1号……それこそが
61式戦車(リアル)である。
しかし開発といっても国産戦車の開発史は敗戦時点で止まったままだったので、とりあえず
- M4中戦車シャーマンやM24軽戦車チャーフィーなどの、当時の自衛隊に配備されていた戦車
- 参考資料としてアメリカからもらったM36駆逐戦車ジャクソン
- M47主力戦車パットン、T95E2試作戦車、M56スコーピオン空挺戦車などといったアメリカの最新型戦車
などといった
アメリカ戦車の技術を下敷きにしつつ、しかし同時に自国での戦車開発のノウハウを蓄積するため
- 大戦中の最後の主力中戦車(未遂)だった四式中戦車
- 当時として可能な限りの最新技術を意欲的に盛り込んだ、旧軍最後の中戦車である試製五式中戦車
などで使われた技術を随所に使用・検証、技術的なステップアップを狙った、いってみれば
日米折衷のハイブリッド戦車として開発された。
61式だけどハイザックみたいだねコレ。
【61式戦車(主砲が一本の方)の性能】
「走」
おとーさん(大日本帝国)側からの遺伝が多々みられる部分。
動力源には、新開発された三菱製空冷
ディーゼルエンジン「12HM-20WT」が採用された。
ガソリンエンジンに比べパワフルで低燃費、耐ダメージ性も高い
ディーゼルエンジンの搭載は当時の世界的な流行に乗った形だが、実は主機にディーゼルを使うのは旧軍戦車からの伝統でもあった。
かの
チハたんはじめ戦中ロクな話がなかった旧軍戦車だが、技術力はともかく方向性としては先進的だった部分もあったのである。
まあこのエンジン明らかに戦中のディーゼルの進化型ではないっぽいんだけど……
出力も570馬力となかなかに良好で、戦車の機動性に大きくかかわってくる「出力重量比」も約16.3馬力と十分なレベルを持つ。
最高速度は45km/hと特に速くはないものの、加速力がかなり高めなのがセールスポイント。
そして車体後ろの方についている排気ユニットの配置・形状は完璧なまでにおとーさんそっくりであり、旧軍戦車ファンならうれしくなること請け合い。
さらに試作段階では履帯やトランスミッション関係まで旧軍系の機構も使用していたが、性能不足だったため量産型ではアメリカ系のそれが採用されている。
……がしかし、このアメリカ系のトランスミッションは時代から考えるとやや旧式……というかもちっと軽めの戦車に適したもので、35tの重量を持つ61式戦車(三菱)にはちと厳しい形式だった。
加えて
- 内部の配置が戦中そのままなリアエンジン・フロントドライブ式(エンジンを後ろに、駆動系を前に置く配置)でエンジン←→駆動輪の距離が遠い
- 縦(車高)と横(車幅)を抑えた分、前後(車体長)が伸びてエンジンとの距離がさらに遠く
- 操縦操作を機械力でアシストするサーボなどが搭載されていない チトにはあったのに……
- まさかのノンシンクロギア シャーマンはシンクロメッシュギアだったのに……
等と言った諸々の条件が重なったことで、クラッチ(ギアチェンジ)操作性が控えめにいってもクソカスレベルで劣悪になってしまい、
●・クラッチレバーがくっそ激烈に重く、ギアがガリガリ鳴る
●・重すぎて途中で手を放すとレバーが強烈なカウンターブロウをかます
●・操作するだけで掌が内出血、手首に当たって骨にヒビ、指に当たって骨折、手を擦って皮膚を持ってかれるなど、しょっちゅう操縦士を負傷させる
●・挙句隊員から「世界一運転の難しい戦車」呼ばわりされる
●・演習で協同する普通科で「(止まれないで突っ込んでくるから)61式に近づくな!」が合言葉になる
●・かの世界的F1ドライバーナカジマ中嶋悟ですら、初回の1発目では動かせなかった
などといった数々の伝説を築き上げることになった。
また各部の機械的信頼性もお世辞にも高いとは言えず、演習などではシャーマンやM41軽戦車ウォーカー・ブルドッグといった米国供与の中古の戦車よりも先に故障、脱落してしまうことも少なくなかった。
そして直接的な操縦性とはちょっと違うが、発熱量の高いギアボックスとプロペラシャフト(エンジンとギアを繋ぐ回転軸)が近くにあるため
操縦士席がクソ暑く、操縦士はしょっちゅう
熱中症になったという。
操縦士に優しくない戦車選手権を開催したらKV-1あたりとトップを争えそう。
「攻」
こちらはもろにおかーさん(アメリカ)側の直系な部分。
主砲はアメリカ製の90mm戦車砲
「M3」(
パーシングとかに搭載されていたもの)にちょっぴり改修を加えた
「61式52口径90mm戦車砲」を搭載。砲弾もM3系列と同じものを使用可能である。
しかし何と言っても特徴的なのは
T字型の
マズルブレーキ(発射の反動を横に逃がし、砲の負担を軽減するための装置)で、怪獣映画とかでもよく知られた61式のチャームポイントと言える。
装甲貫徹力は公表されていないが、開発時の仮制式要綱によれば、M318徹甲弾を使用した場合の初速は約910m/sとされている。
これはM3系列の改良型である「M36」とほぼ同レベル(あっちは914m/s)の弾速なので、必然的に貫通力も同程度、具体的は距離1000mで約180~190mmぐらいだと思われる。
これよりも威力も貫通力も高い口径100mm越えの戦車砲が世界的に普及しつつあったこと、また仮想敵国であるソ連の戦後戦車の大半が200mmを越える正面装甲を持っていたことを考えると、ちょいと力不足ではあったことは否めない。
もっとも有事の際にアメリカから供与される予定になっていたM431対戦車榴弾を使えば、同条件で約320mmの装甲を貫通可能となり、ソ連の最新型戦車に対しても充分に有効打を与えられるはずだった。
また旧軍戦車にはなかった装備として、これまたおかーさん譲りの
光学式ステレオ測距儀「61式車上1m測遠機」を搭載している。
これは人間の目の
「立体視」の機能を利用した距離測定用の望遠鏡で、二つのレンズを使って三角法の要領で目標との正確な距離を図ることができる。
近距離戦ではあまり効果はないが、2000mを越えるような遠距離戦だと非常に有効な装備となる。
でも1発撃ったら激烈な振動でズレるらしい
そして装填速度に病的な執着を見せた旧軍の伝統故か、あるいは設計の参考にしたM36の遺伝子を受け継いだか、砲塔後部のバスル(張り出し)に大型の即応弾薬庫を持ち、このクラスの手動装填砲としては連射速度がかなり速めなのも特長。
「守」
一見おかーさん似だが、その実濃厚なおとーさん成分を含んだ部分。
旧軍戦車といったら、メリハリの少ないぬぼっとした体形、ペーパークラフトめいたカクカクライン、要所要所で主張する野暮ったいボルトなど、全体的にもっさ……男らしいフォルムが特徴的だった。
それに対して61式は、傾斜した一枚装甲でスマートにまとめられた車体正面、丸っこい曲面構成の鋳造砲塔、かまぼこを張り付けたような厚い防盾(主砲の周りの開口部を隠すための外付け装甲)など、完全にアメリカ戦車寄りのビジュアルとなっている。
しかしその装甲厚は紛れもない旧軍戦車のそれで、まあようするに大和魂で敵弾を防ぐタイプ(暗喩)の装甲である。
正確な装甲厚スペックは今でも非公開だが、
試作機のデータから判断すると
- 砲塔全周 40~60mm
- 砲塔防盾 120mm前後
- 車体正面上部 90mm前後(実厚40~50mmの55度傾斜)
程度だと想定される。
旧軍戦車と違って傾斜と曲面を多用して
避弾経始に気を使っているのは評価点だが、正面のほとんどが100mm未満程度の装甲では、
戦後戦車の攻撃に対してはやはり厳しい。
同時期のソ連の戦車を例に出すと、
IS-3や
T-10、T-54や
T-62などの砲に対してはほぼ無力で、戦中戦車である
T-34/85の一般的な徹甲弾が、それも防盾に当たってくれればなんとか……ぐらいの防御力である。
だが実は時代的に考えるとこの装甲は極端に薄いというほどでもなく、当時の西側諸国には同レベルのペラペラ戦車も決して少なくない(おフランスの
AMX-30とか西ドイツの
レオパルド1とか)。
というか当時の35~50t級の戦車(この頃から「主力戦車」の呼び方が増え始める)は、
- 敵戦車との殴りあいが前提の、重火力・重装甲の重戦車タイプ(アメリカ、イギリス、ソ連製はだいたいこっち)
- 真っ向勝負は不可能とみて、装甲を捨て火力・機動性・NBC防護に傾斜した駆逐戦車タイプ(レオパルトやAMX30など、米英以外の西側諸国製はほぼ全部)
のどちらかに寄ってることが多く、前者の装甲はそれこそ250mmとか300mmみたいな数値が平気で並ぶが、後者の場合は最大実効厚でも100mmとか150mm程度なことも珍しくなかった。
そう考えると61式の装甲も相対的にはそれほど薄くもない……という言い方もまあできなくはないかも。
ただまあ
車体正面にボルト止めのクソデカメンテナンスハッチがあるのはだいぶよろしくないし、あと
バスルの即応弾薬庫も防御面では気になるし、乗員の3/4が一列で並んでるから
敵弾が入ってきたらだんご3兄弟(直喩)だし、
NBC防護がろくに考慮されていないのも地勢的・時勢的に怖いし……と、残念ながら
防御面では困った箇所がいっぱいである。
【61式戦車(第1世代MBT)の開発経緯】
戦後日本で「国産戦車を作ろう!」という動きが具体化し始めたのは、(諸説あるが)1953年の後半ぐらいとされている。
ちなみに当時の情勢を簡易年表で表すと
1950年 ・朝鮮戦争勃発。北朝鮮軍(&中国の人民解放軍)のT-34/85と、アメリカ軍のシャーマン、チャーフィー、パーシングなどが交戦
・日本と西ドイツの再武装が許可され、自衛隊の原型となる「警察予備隊」が設立。年末からチャーフィーが配備開始。
1952年 ・日本の主権復活。警察予備隊改め「保安隊」に。中期型シャーマン(M4E3A8)が配備開始。
・アメリカが世界初の水爆実験成功
1953年 ・朝鮮戦争停戦。
・ソ連が水爆実験成功
1954年 ・保安隊改め「自衛隊」に。
1956年 ・ハンガリー動乱でソ連のT-54が実戦投入
といった感じ。
水爆の実用化によって国際関係がオワタ式となり、にも拘わらず米ソ間での代理戦争は本格化していき、しかし日本はその余波(朝鮮戦争の特需)で戦後復興に弾みもつきつつあった……所謂
「冷戦」の時代の真っただ中である。
必然、戦後復興に無我夢中だった日本でも「国防」という要素が大きくクローズアップされるようになり、
60式自走106mm無反動砲に
64式81mm迫撃砲、
64式7.62mm小銃に
62式7.62mm言うこと機関銃と、各種兵器の本格的な国産化計画が次々と始まっていった。
そんな中で戦後日本初の戦車として「
新中特車(当時の「保安隊」は軍隊ではなく戦車と言う言葉が使えなかったので
「特車」と呼んでいた)」の開発計画がスタートしたのだが、しかしこの計画に関する関係各位からの意見が
「目指せ世界最強!具体的にはソ連のIS-3重戦車と正面から殴りあって勝てるぐらいの性能にしたい!!」
「いやウチの技術じゃまだ早いやろ国産は……当面はアメリカさんからもらえる戦車でええんちゃう?」
「新中戦車には75mm長砲身砲搭載の20~25t戦車を中核に、さらに火力の高い重戦車と組み合わせることで火力を補い、また両車は生産・整備を考慮しファミリー化されるべきである」
「戦後復興もまだ全然なのにそんな金出せるかバーーーカ!どうしても作りたいんならせめて軽戦車にしろや!」
「火力!火力!防御力や機動力は練度と戦術で補えるからとにかく火力を!!!!貫通力を!!!!」
「我国の地勢及び交通状況一般を考慮すれば、新特車の重量は全備15t以内に抑えなければ十分な機動性を発揮できないものと考えられる」
「旧軍戦車みてーなペラペラ+クソでか図体の戦車とかよう使わんわ!装甲か車高かどっちかだけでもなんとかせい!」
「そもそも対戦車兵器が発達しまくってるし、将来的には戦車自体が不要になるんじゃない?いらんだろ戦車」
などと見事なまでにバラッバラであり、必然的に要求性能も二転三転し、まとまるのには結構な時間を要した。
しかし最終的には「もっと軽く!軽く!あと安く!」という根強い軽量戦車推し派の意見を抑えつつ、1955年末に
●・重量35t以内、全高2.5m以内、全幅2.95m以内、全長なるべく6.65m以内
●・主砲は90mm長砲身砲を全周砲塔に搭載、複武装として7.62mm機関銃1丁、12.7mm機関銃1丁
●・装甲は1000mで57mm戦車砲、できれば75mm戦車砲の直撃に耐えられるレベル
●・600馬力ディーゼルエンジン搭載、最大速度45km/h、航続距離200km以上、信地旋回(片方の履帯を止めて片方だけを動かすその場旋回)ができること
という要求仕様が完成した。
ちょっと解説を挟むと、まず車幅制限がえらくキツい(重量19tのチャーフィーより狭い!)が、これは当時の日本本土のインフラ事情を考慮し、貨物列車でどこへでも運べるようにしたかったため。
ただし法律上はともかく、物理的な条件からするとこの制限はちと過剰であり、61式の性能を大きく制限する枷となってしまった。
また主砲が90mm止まりなのにも物言いが多かったが、最終的には「多分アメリカさんがこれから90mm用の強力な砲弾を開発すると思うし、あわよくば新型の90mm砲を作ったりするかもだから……」とアメリカさんのケツ持ちを期待する形で決着した。
防御性能に関しては、現用ソ連戦車の砲、つまりT-10やIS-3の122mm砲、T-54の100mm砲、T-34-85の85mm砲などに対して力不足なのは明らかだったが、
- 対戦車兵器の急速な進化で、どんなに厚い装甲もその内無力化されるはず
- これからの戦争でガンガン使われるだろう核兵器に対しては、装甲の厚さは防御手段にならないはず
といった予測が、当時は日本のみならず西側諸国で広く共有されており、また現実問題として車幅と重量の制限を考えるとこの装甲厚でも既にギリギリだったため、最終的には妥協する形でこうなった。
試作機は合計4タイプ作られた。
まず第1次試験での2タイプ。
最初の試作機なのだが、
- 車高を下げるために、当時プチ流行しつつあったケツデカ車体(車両の前半分が沈み込んだような変則的形状の車体)を採用
- 同じく車高を下げるため、さらに車体を前後に引き延ばし、全高2.2mという驚愕の低車高を実現
- 旧軍戦車で切望されたが挫折した「トルクコンバータ」を採用してオートマ化
- トルコンの採用に合わせて、アメリカの軽自走砲などに採用実績のあるクロスドライブ系の「ポンティアック式」トランスミッションを搭載
- 機械的にレバー操作をアシストして、操縦士の負担を軽減する装置を搭載
と言った感じで、内容的にはむしろ一番冒険してるロックな一番手。
しかし大冒険のせいか性能的にはあちこちが不安定で、また車体が前後に長すぎたせいで旋回性能が超悪化してしまった。
でかいケツのおかげで後方の俯角が制限されるのにも不評の声が大きく、最終的には後述のA2との競合に敗れる。
A1と並行して開発された試作2号機。
お兄ちゃんと違ってこちらは普通の車体をしていたため、あちらのような問題がなく評価が高かった優等生二番手。
最初A1との違いは最初は車体の形だけだったが、憧れだったトルクコンバータがどうにも不調だったため、トランスミッションを旧軍で慣れ親しんだクラッチ・ブレーキ式、それも四式中戦車チトのそれをほぼそのままで流用した「チト式」へと換装した。
しかし、いずれも性能が要求水準に満たなかった。
よって1958年から、前試作2タイプで得られたデータを反映しつつ、以下の2タイプの試作機が製造される。
第1次試験で得られた経験を各所に反映させた試作3号機。
まず迷走気味だったトランスミッション系を、アメリカ等で採用実績豊富な「二重差動クレトラック式」へと手堅く変更。
さらに61式用に開発されていた新型の空冷ディーゼル(試作1・2号機は船舶用の水冷ディーゼルを流用していた)がようやく完成したため、出力も1割以上向上し、機動性に関しては大きく進歩した。
また開発が長引いただけあって構造も最適化され重量に余裕ができたたため、ソ連の75mm砲に対してなら充分なレベルの装甲へと増厚された。
そして火力面ではちょっと冒険して、即応弾薬庫から自動で弾薬を取り出してくれる電動式の装填補助装置を搭載している。
加えて火力と言うかビジュアル面での重要なポイントとして、例のT字型のマズルブレーキがついに搭載されている。
A3と並行して開発された試作4号機。
基本構造はお兄ちゃんのA3とほぼ一緒だが、大戦時にチリの半自動装填装置がいつまでたっても完成しなくて痛い目みたせいか、保険として装填補助装置の搭載を見送った(なので完成もA3よりちょっと早かった)タイプがこちらになる。
またお兄ちゃんよりさらにアメリカかぶれで、当時のアメリカ戦車界でバズっていた「車長用キューポラと一体化した全周機銃塔」を装備している。
単純な性能面では装填補助装置があるST-A3の方が優位だったのだが、装置の信頼性やコスト上の観点から、最終的には
試作4号機ことST-A4が制式採用された。
量産型より試作型が強いってのもガンダム感ある。
そしてST-A4にキューポラや機銃のマウント方式などの小さな改修を施したのちの1961年、ついに戦後日本初の国産戦車「61式戦車」が完成したのだった。
【61式戦車(4人乗りの方)の活躍】
無事完成した61式戦車だったが、しかし戦後日本は外交の舵取りを誤らず、幸か不幸か、戦車が活躍するような事態がそもそも訪れなかった。
そして61式は実戦に参加する機会もないままに、後継の74式戦車の制式採用と同時に総生産数560両で生産を停止。
最終的には更なる後継の90式の配備と共に退役が始まって、制式採用から39年後の2000年、ついに全車が退役を完了したのであった。
よって61式戦車の「活躍」と言えば、まあ率直に言えば
「そんなのなかった」ことになるわけだが、しかしそれは必ずしも
「役立たずだった」とか
「税金の無駄だった」とか
「所詮チハたんの子孫に過ぎなかった」とか
「ドップと設計してマゼラアタックにした方がよかった」ことを意味するわけではない。
確かに61式は実戦の経験もなかったし、カタログスペックで言っても先進国の同時代・同クラスの戦車達には一歩も二歩も劣っていた。
しかしそれは逆に「一歩か二歩の距離まで迫れた」とも言い得るわけで、そのレベルのれっきとした「主力戦車」を、曲がりなりにも自国の力で作り得たという点が重要なのである。
これによって現代戦車開発の
「ノウハウ」、さらに
「自信」と
「実績」を得たことで、その後の74式、
90式、
10式と続く国産戦車ツリーが形成されたことを考えると、その歴史的意義は非常に大きかったと言っていいだろう。
また列強の同期戦車に比較すれば性能で劣るとは言え、それはかつての「チハたんVSシャーマン」ほどの絶望的格差マッチの発生を意味していたわけでもなかった。
防御力はまあそのアレとしても、攻撃力、即ち主砲である61式90mm砲の威力は、T-54やIS-3といった重装甲のソ連戦車にとっても決して無視できる代物ではない。
実際、ほぼ同レベルの砲であるM36はT-54を標的とした射撃実験の対象にされたことがあるが、それによればM318A1徹甲弾で車体前面(傾斜角60度の約100mm厚)は貫通不能だが、砲塔前面(約200mm厚)は距離350mで貫通可能と判定されている。
遠距離正面からは流石に厳しいとしても、近距離や側面から急所に当てられれば充分致命傷にもなりうるし、アメリカから貰える(はずの)HEATを使えば主要部の貫通すら可能なのだ。
実際、
中東戦争においてM3系の90mm砲がソ連のT-54やIS-3を多数撃破している事例もあるし
、「不利なのは間違いないが、地の利や戦術でなんとかカバーができなくもないかも」なラインには留まれていたと言える。
え?複合装甲持ちのT-64が出てきたらどうすんだって?こんな重要度の低い&海を越えてこなきゃいけない戦線には多分きっと来ないから大丈夫だよ!!!(上層部談)
……とはいえ、当時の国際社会の緊迫した情勢を考えれば、自衛隊にとっては「いざという時、相手に劣る戦車で戦わねばならない」という状況は決して望ましいことではなく、後継機であるSTBこと74式戦車の開発・配備が急ピッチで行われていたのも事実ではある。
【フィクションでの61式戦車(ガンダムじゃない方)】
・映画
前述のとおり実戦での活躍はなかった61式だが、しかしある程度年齢がいった人に「戦車を描いてみて!」と言ってみたら
- 先っぽがT字型の主砲
- 布でくるまれた防盾
- バスルがぐいっと張り出した砲塔
- 車体正面は傾斜した1枚板
- 高射砲かよってレベルで仰角を取れる主砲
などといった感じの絵が出てくることは決して少なくないはず。多分。
なぜなら61式戦車が現役を張っていた
1960年代と言えば、1954年の
『ゴジラ』を皮切りに、1961年の
『モスラ』、そして1966年の
『ウルトラマン』と言った特撮映画が続々と生まれていた、まさに
「特撮の黄金時代」だったからである。
そして61式戦車は当時の最新戦車としてそれらの映画に出まくった常連であり、古い言い方をすれば「銀幕のスター」だったのだ。
まあ踏まれたり投げられたり溶かされたり爆破されたりするのが主な仕事なんだけども。
しかし1960年代と言えば、戦前の反動でまだまだ社会全体の「軍隊」への嫌悪感が強かった時代。
自衛隊が広報活動の一環として映画協力を本格的に始めたのも実はこのあたりなのだが、当時は野党やマスコミからの批判も大きく、何なら自衛隊自身すら(特に陸自)その手の活動には及び腰だった。
なので61式の実車が映画協力などで使われるようになるのは実は80~90年代ぐらいからで、特撮における全盛期とはちょっと差があったりする。
非常に多くの作品に登場しているので、本項目ですべてを網羅するのは難しいが、代表的なところで
ゴジラシリーズにおいて
はじめて61式戦車が登場した記念すべき作品。
シリーズ初登場故か、終盤での
ゴジラ迎撃時にはそれなりに尺をもらってアップシーンが写されるという好待遇?を受けたが、まあ例によって砲撃が効いてる様子はなさそうである。
2度目の登場ではお待ちかね?の「斬られ役」としてのシーンがあるが、ここも初登場故の優遇なのか、
放射火炎を喰らって即爆発ではなく、
炎でどろどろに熔けていくという手の込んだやられ方を見せてくれる。
撮影に使われた61式のミニチュアは、
の3タイプ。ちなみにこの中で
純正の「61式」はタイプ2のみで、1は製品名こそ61式だが実際には試作機の
「ST-A4」の外形(キューポラが兼機銃搭になっている)だし、3はよく見れば転輪が(改造元と同じ)5個しかなくてアス比もちょっとおかしいのもわかる。
まあ設定的には「自衛隊」の「61式戦車」じゃなくて、あくまで
「警備隊」の「特車」だからね!セーフだね!
ゴジラシリーズでは初めて実車の61式(あとついでに74式も)が登場した作品。
またこの作品から自衛隊の名称が使われ出したため、名実ともに「自衛隊」の「61式戦車」として登場できることになった。めでたい。
中盤にゴジラ上陸阻止のため自衛隊部隊が晴海へと向かうシーンで登場するが、なぜかその後の埠頭にずらりと並んだ迎撃部隊の中には61式の姿はない。
なので74式と違ってミニチュアでの登場は無し。
ちなみに移動中のアップ時などに
明らかに実車の撮り起こし映像が使われているが、不思議なことにクレジットに「撮影協力:防衛庁」の文字はない。
公式でも「
ゴジラシリーズで自衛隊の協力が始まったのは次のVS
ビオランテから」ということになっている。どういうことなの?
61式戦車の【勝利】が見られる貴重な作品。
終盤にX星人の地球基地攻撃に参加し、砲撃を加えて地球基地を完全に粉砕した。
伊福部音楽の中でも特に人気の高い「
怪獣大戦争マーチ」の流れる中で砲撃をおこなう61式戦車の勇姿は最高にかっこういい。
ゴジラシリーズで初めて「撮影協力:防衛庁」となった作品。
よって堂々と61式の実車が登場するが、1984同様、移動シーンと整列シーンのみで戦闘シーンは無し。ちょっと残念。
序盤で未来人のUFOを囲む自衛隊部隊としてちょっぴり登場するが、戦闘シーンがあるのは後半の札幌ゴジラ迎撃戦。
しかし戦闘シーンとはいっても、
92式メーサービーム戦車のオトモとしているだけで、
何故か一発も撃っていないという
いるだけ参戦状態。
……
なのにゴジラが熱戦を撃った時にはしっかり爆発するところが写されるという、まさしくやられ役の面目躍如といった活躍ぶり?を見せてくれる。
この作品からミニチュア主体の登場に逆戻り。
また、同作以降の平成ゴジラシリーズでは、61式戦車の車体に74式戦車の砲塔を乗せた改造ミニチュアも用いられている。『
モスラ対ゴジラ』から28年、今度は61式の方が改造元として使われるようになったわけである。
後にこの改造品は、最後には破壊されることを前提に旧式化した61式を改造した「
61式改戦車」という怪獣足止め用の無人戦車である、と設定された。
ゴジラや
バトラを迎え撃ち、設定通り盛大に吹き飛ばされている。
実は
初期のウルトラシリーズにも結構登場している(
ブルトン回とかが有名)のだが、ゴジラシリーズ以上に自衛隊周りの設定があいまいなため、
「自衛隊」の「61式戦車」として登場したことは一度もない。
ミニチュアは基本ゴジラシリーズのそれの使いまわしのようで、おなじみ相原の1/15や、それをM24とニコイチしたモスゴジ61式などがよく登場する。また時にはいろんなモデルをツギハギした奇怪なモデルが出てきたりと、そういう目線で見ると意外とおもしろい発見があるかも?
ゴジラに並ぶ怪獣映画の大御所には、なんと初代から登場している。
劇中では飛行機や船舶などミニチュアも多用されているが、なぜか61式戦車は走行シーンから砲撃シーンまで一切が実車の映像(演習の映像?)の流用となっており、迫力が段違い。
中盤でガメラを退治すべく出撃したが、まあ当然というか砲撃は全然効いていなかった。
しかしガメラ側が別に61式を攻撃しなかったため、ゴジラシリーズとは違って
生き残ってただけマシなのかもしれない。
ガメラシリーズが自衛隊に優しいのは初代からの伝統だった……?
毎年数本のペースでガンガン特撮映画が生まれていた時代ならではの、ちょっと毛色の変わった特撮作品の一つ。詳細は項目参照。
ストーリー後半、研究所を脱走して日本アルプス付近で自活していたフランケンシュタインを狩り出すために61式が登場するが、
落とし穴(フランケンシュタインがイノシシを獲るために仕掛けていた罠)にかかってしまい、遠くから罠を見張っていたフランケンシュタインをがっかりさせた。かわいい。
ミニチュアはおなじみ相原模型製の1/15スケールのヤツ。よって厳密に言うと61式ではなくST-A4である。
おなじみ東宝でなくて日活が作った珍しい特撮映画。
さらわれた子供を追って日本に上陸したガッパ夫妻を迎撃に向かったが、当然のように熱戦一発であっけなくやられてしまい、モスゴジ同様日本ホビーの1/20モデルが熱線で溶かされた。
しかし数カットしか登場しない割に、なぜか
フルスクラッチの1/5自走可能モデルというメチャクチャ豪華なプロップ(でもサイズの割にディティールが甘いような……)も作られており、これは後に東宝で『ウルトラセブン』の
恐竜戦車に流用されたことでウルトラマニアにも有名。
ちなみに3台作られたうちの1台はいまだに現存しており、
高知県の海洋堂ホビー館四万十で実物を見ることが可能。
……と言った感じで、60~70年代の特撮映画の常連だった61式戦車。
しかし銀幕の中の61式と言えば、特撮映画に加えてどうしてもはずせない作品があるのをご存じかもしれない。
1979年に公開された、もはや説明不要のSFアクション大作映画。
砲塔側面に
「223」というどでかいマーキングを施した61式戦車が登場し、
ヘリやジープと並んで隊員たちと共にほぼ映画全編で活躍する。
デカくて目立つためか要所要所で印象的な出番をもらっており、後半のハイライトであるVS
武田軍の戦いでも、他の大型兵器が全滅する中、乱戦で消耗していく隊員たちの「最後の砦」として生き残った。
しかしこの戦いで弾薬も切れて燃料もあとわずかとなり、最後は乗員たちの手によって川に沈められるのだが、挿入歌「ENDLESS WAY」と共に、現代(昭和)最後の残り香だった戦車が失われていく、
物悲しくも美しい傑作シーンとなっている。
あの沈め方だと浸水でエンストして途中で止まっちゃうと思うけども。
ちなみに作中で登場する戦車は実車ではなく、通称「角川61式」として有名な、実寸大撮影用プロップである。
製造にあたったのは工業機械などを作っていた東京の鈴木技研工業(現在は倒産)で、まだまだ邦画の予算もゴージャスに使われていた時代なだけあってその作り込みはハンパではない。
- 全体的な構造は、田宮の1/35モデルを忠実にスケールアップ。
- フレーム(シャシー)は作り起こしで、エンジンや駆動系・操縦系は既存の川崎製ブルドーザーから取り外したものを組み込み、自走可能。
- 足回りも作り起こし。実車と同様のトーションバー機構を可能な限り再現し、ちゃんと転輪が地形に合わせて上下動する
- 砲塔も自力で動力旋回可能で、内部には空砲の発射ギミックが搭載されている。
- 手すりなどもきちんと強度を確保されており、飾りではなくて普通に使用が可能。
……と、現代の目でみても普通にハイクオリティな逸品である。
もちろん厳密には実車と違う部分は多々あるので、マニアの目でみれば簡単に判別はできる(キューポラの形がなんかのっぺりしてたり、車体正面のメンテナンスハッチが無いのとかがわかりやすいか)が……
映画のパンフレット等によれば8000万円の予算がかけられた(現代価格に換算するとその2倍ぐらい?)らしいが、動員人数や制作期間、工費から考えると流石に過大広告だと思われる。でも2~3000万はいってるかも。
90年代初頭ぐらいまでは角川かその関係会社が保有していたようだが、現在は
神奈川県の撮影用車両レンタル/車両解体会社である
鈴木商店が所有しており、イベントや撮影などで時々使われている。
2020年にも某youtuberが企画で使用しており、製造後30年以上たった今でもきちんと整備されていて自走も可能なようだ。
大金をかけて作られただけあり、その後も……
「ぼくら」シリーズ第一弾の実写映画版。
原作には無い映画オリジナル要素として、子供達が立て籠もった廃工場に
どういう訳か放置されていたのが中盤ごろ発見され、
強行突入してきた大人たちを追い払うべく起動、流石に発砲する事は無かったものの、その迫力に驚いた大人たちを蹴散らした。
本職の訓練された人間やプロドライバーですら操縦に難儀するようなものをよくも中学生が動かせたものである。
その後はひとみ(演:宮沢りえ)から「エレーナ」と名付けられ、子供達にチョークで派手な模様が描かれるなど好き放題に乗り回されていた。
何故稼働状態の戦車が廃墟の奥に放って置かれていたのかの説明は特になく、発見した子供達自身も戦車が落っこちている事、延いてはそれが動く事を不思議がっていた。
子供達の一人は「自衛隊が忘れてったんだよ、きっと!」と推測していたが事実なら防衛庁(当時)の役人が大勢首を飛ばした事だろう。
第二次大戦末期の「沖縄戦」をテーマにした、
明石家さんま主演の特別ドラマ。
角川61式の登場は中盤以降だが、
無論「61式」が1945年にあるわけもなく、アメリカ軍戦車の代役としての登場である。
……いやまあ確かに61式はどっちかというとアメリカ系のシルエットだけども……
- 『99年の愛〜JAPANESE AMERICANS〜』(2010)
戦前~現代に生きた日系アメリカ人をテーマにした、草彅剛主演の連続ドラマ。
角川61式は第4話で主人公が所属する米陸軍442連隊(日系アメリカ人によって構成された部隊)が、ドイツ戦線で包囲された友軍のテキサス大隊を救出に向かう場面で「ドイツ第17 SS装甲師団」の戦車として登場する。
……流石に無茶だって!!ドイツ系の戦車と共通点一切ないじゃん!!そもそも丸い砲塔のドイツ戦車自体VII号戦車レーヴェ(計画のみ)ぐらいしかいないじゃん!
まあ自走砲じみた高台からの砲撃とかこのドラマの軍事演出は甘めなので突っ込むのは野暮
などといった感じで、映画やあるいはバラエティ、CM、果ては企業イベントなど様々なメディアに顔を出している。
ゲーム
略称WOTこと
World of Tanksには、「Type 61」として無論登場。所属は言うまでもなく
日本戦車の中戦車ツリーで、つまりチハたんを開発していくことで入手可能となる。
同格にはT-54や
M48A5パットン、
センチュリオンMk7に
試作型レオパルド1といった強力な戦後戦車がずらりと並ぶのでちょっと見劣りしそうな感じだが、ゲーム上ではちゃんと調整されているので無問題。
最大の長所と呼べるのはtier9MT中最強を誇るDPM(時間あたりダメージ)で、一方的に撃ち込める状況、あるいは同格同士のノーガードでのダメージレースなどでは部類の強さを誇る。ほかの場合は知らない。
もっとも当然装甲はペラペラ、機動性もそこまで高くはなので、その辺の基本性能部分の短所は隠しつつ、長所のDPMを活かせる一方的な状況を作っていく必要がある。
しかしどういうわけか実車に比べて著しくガタイがデカくなってしまっており、隠蔽性(発見されにくさ)が極悪になっているという意味不明な弱点があり、砲性能と微妙に噛み合っていないのが困りもの。
WoTの
ライバルことWarThunderにも同じく登場。しかも試作車ST-A1/A2/A3を引き連れて(A4は量産型がいるので欠番)。
それぞれ特徴はしっかり再現され、STーA1/A2は超信地旋回が可能、A3は自動装填装置により主砲を6.0秒という群を抜いた早さ(普通は大体8秒前後)で装填できる。
そして量産型であるType 61では74式発煙弾発射筒とM431 HEAT-FS弾を装備可能な最後期仕様として登場。
今まで乗って
苦杯を舐めてきた四式/五式中戦車とは一線を画した火力でもって重装甲で猛威を振るうティーガーやパンターなどにたっぷり仕返ししてやろう。
なお装甲厚や内部構造まで再現されているWarThunderでは性能欄の「守」に書かれているような欠点も再現されているので一撃爆散が多発する…のだが前部の変速機や妙に大型な砲閉鎖機が敵弾を受け止めてしぶとく生き残ることも稀によくある。大和魂の加護とでもいうのだろうか…?
それにどのみち冷戦期に入ると生半可な装甲は役に立たなくなってしまうので防御力はそこまで重大な欠点ではなく、同格比では十二分な火力があるので次世代のSTBー2や74式戦車(C)くらいまでなら並んで戦うことも可能なポテンシャルがあったりもする。よほど習熟しないと基礎性能の差でボコられた挙句戦犯の汚名を頂戴することになるだろうが
※ 「追記・修正しろーー!野中ーーー!昭和に戻れるんだ!!!!」
- 74式もオナシャス! -- 名無しさん (2023-03-15 08:53:28)
- この項目だと持ち上げられてるがwotだと61式はかなり弱いと思う -- 名無しさん (2023-03-15 10:26:59)
- ()内の文言が面白すぎるwww -- 名無しさん (2023-03-15 12:44:09)
- 名前で言われても何となくしか浮かばないけど色んな映画で溶かされたりしてるって聞けばフォルムが浮かんでくるから凄い -- 名無しさん (2023-03-15 14:38:50)
- メタルサーガ:初登場は四作目と遅い。五作目ではなぜかイクラの軍艦寿司として賞金首(ボスキャラ)に。いずれもクルマとしての性能は悪くない。なお本舗・メタルマックスでは未登場。 -- 名無しさん (2023-03-16 00:34:31)
- 『ぼくらの七日間戦争』の61式はきっと『戦国自衛隊』で川に沈めたのを拾って来たんだよ -- 名無しさん (2023-03-17 17:44:00)
- 記事じゃ「チハたんVSシャーマン」ほどの絶望的格差マッチの発生を意味していたわけではないってあるけど「遠距離正面じゃどうにもならないから側面や近距離から待ち伏せでカバーする」ってまんま新砲塔チハたんがシャーマンに対して取らざるを得なかった戦術なんだよなあ -- 名無しさん (2024-01-27 17:19:42)
- チハ改だと鋼蚤形弾を使った0距離射撃でもシャーマンの正面を貫けないけど、61式はAPCRかHEAT使えば1000mでもT-54を貫けるもん!アメリカさんがちゃんとくれれば・・・・ -- 名無しさん (2024-02-08 22:06:41)
- そもそもソ連軍のスチームローラーには遠距離砲戦能力なんて優越してないと話にならないのにそれすらアメリカのお守りが無きゃ厳しいって時点でお察しなのよね。しかも生産時期考えたら実際戦う相手はT-54どころかT-62やT-10M重戦車やらを相手取らなきゃいけんかったんだし大戦時の絶望的格差マッチと殆ど変わらん -- 名無しさん (2024-02-08 22:27:25)
- 動く棺桶タグ追加すべきじゃないかこの戦車? -- 名無しさん (2025-03-06 17:07:23)
最終更新:2025年03月06日 17:07