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国鉄DD51形ディーゼル機関車

登録日:2025/12/24 Wed 13:16:28
更新日:2026/06/18 Thu 15:07:42
所要時間:約 20 分で読めます




国鉄DD51形ディーゼル機関車』とは日本国有鉄道(国鉄)が導入した液体式ディーゼル機関車である。
国鉄分割民営化時にはJR北海道JR東日本JR東海JR西日本JR九州JR貨物に継承された。


概要

国鉄の動力近代化計画の一環として、旅客・貨物用の蒸気機関車を置き換え、無煙化を進めるべく導入された。
本線用のディーゼル機関車としては既に電気式のDF50が導入されていたが、故障の多さや製造費の高騰が問題となり、大量増備が見込めなかったためその後継機として開発された経緯がある。

1962年に試作機が導入され、翌年以降本格的な導入が開始。総勢649両が導入され四国を除く全国各地に足跡を残し、本線の貨物列車から大都市圏の普通列車まで様々な列車に使用された。
本形式導入後にはDD54形・DE50形が後継機として導入されたが、1970年代後半以降の国鉄を取り巻く情勢の変化も相まって本格的な量産には至らず*1、汎用性・安定性の高い本形式の製造が1978年まで続いた。

今でこそ特急型のキハ80系・急行形のキハ58系と並び「国鉄非電化区間のエース」と呼ばれているが、導入された当時はSLブーム真っただ中だったことから本形式は「文鎮(凸型の見た目から)」、「赤豚(塗装から)」、「ダメデゴイチ(代表的なSLのD51から)」などと揶揄され非常に嫌われていた。
本形式が趣味的に注目されるようになるのは本格的な淘汰が始まった1980年代中期以降*2のことである。
ある程度ファン側で世代交代があったにせよ、SLブーム時にそのSLを追いかけ、DD51(と同時期のディーゼル機関車であるDF50形やDE10形)を「つまらない被写体」と見なしていたであろう年齢の者が淘汰が始まると手のひらを返したのはファン・趣味人の間でもけっこう批判もあった。

先にも書いた通り四国地区での運用はなく、JR四国への継承も行われなかった。これは本形式の性能が四国の鉄道路線ではオーバースペック気味で、導入するメリットが一切なかったためである。

車両解説

車体

幹線用機関車としては珍しく入換機のように運転席が車体中央にある凸型のセンターキャブ型。似た構造の入換機であるDD13が横を向いて座り、前後共通の運転席だったのに対しDD51は前後に個別の前向きの運転台を持つ。
この時点でもDD50やDF50といった箱型機が存在していたにもかかわらずわざわざ凸型を採用したのは同時期導入のDD20と機器の共通化が可能、導入コストを下げられる、エンジンの整備性向上、構造の単純化が図れるため。大型ディーゼル機関車に凸型の車体が採用されたのは世界的に見ても珍しい例である。

車体前後の低くなった部分にディーゼルエンジンを搭載し、車体側面にラジエーター、上部に冷却ファンを搭載している。

基本的な塗装は赤に近い濃いオレンジ(朱色4号)の車体に上部がグレー(ねずみ色1号)、その間に白(クリーム1号)のラインとなっている。オレンジの車体はイギリスの鉄道雑誌『レールウェイ・ガゼット・インターナショナル』の表紙の色(当時)を参考にし、グレーの屋根は機関士の視野にオレンジは明るすぎるための配慮となっている。以後国鉄型ディーゼル機関車の標準塗装となった。
なお、亀山機関区所属機の一部は側面の白帯を省略した塗装に変更されており、現在も稼働中の1043号機がJR化後も暫くその塗装のままで使用された。

エンジン

基本性能は速度面ならC61以上、牽引力ならD51を上回るように設計された。
従来導入されていたDF50はディーゼルエンジンで得られたエネルギーで発電機を稼働させ、そこから得られた電気で走行する電気式を採用していた。しかし故障の多さに加え当時の技術では電気式ディーゼル機関車では軸重*3との兼ね合いからこれ以上高出力なエンジンを搭載することが出来ず、D51のような本線用蒸気機関車の代替とはなれなかった*4。更に海外製品を使用しているため製造費が高額化するという問題も抱えていた。

そこでDD51は入換用のDD13をベースに開発することとなり、機器類は全て国内企業で共同開発されることとなった。
エンジンは高い完成度を誇った直列6気筒のDMF31S形をベースに本線用機関車向けに改良し、新規開発したDML61Z形を二基搭載。
結果牽引力は2200馬力となりD51の1280馬力を大きく上回り、速度も95km/hとC61の100km/hには僅かに及ばないもののほぼ同等と期待通りのスペックを確保出来た。

動力伝達方式は軸重軽減対策のためディーゼルエンジンで得られたエネルギーを直接動力とする液体式に変更。
変速器は試作機の1号機で開発されたDW2を改良したDW2Aを搭載。3組のトルクコンバータを内蔵し、羽根車のある空間内にオイルを充填・排油し、オイルの流れによって速度の変化を得ることが出来る。

台車

車軸配置はBo-2-Boとなり、車端部にそれぞれ2軸の動力台車(DT113B)を持ち、中央部に無動力の従台車(TR106)を持つ。いずれもボギー台車。

中間の無動力台車はローカル線向けに軸重を軽減させるために設置され、更に従来の6軸機が1台車3軸の台車を2基搭載していたところ曲線通過性能が悪かったため3つの台車に分散させることで横圧を低減し、脱線を抑制する作用を得た。
更に無動力台車に二次試作機ではライナープレート、量産機では空気バネを搭載し、軸重を14tと15tで調整出来るよう改良を加えた。これによりローカル線では軸重を抑え、軸重制限に余裕のある幹線では軸重を増加させ粘着力を増強する効果を得られた。


番台区分

0番台

1962年から1966年にかけて製造。試作機と初期の量産機が該当する。
いずれも客車用蒸気暖房(SG)を搭載するが重連総括制御に対応しておらず、非重連型とも呼ばれる。19号機までは前面部の帯が側面帯をそのまま延長したような形で、グレーの面積が広くなっている。
国鉄分割民営化前の1986年までに全廃されている。

  • 1号機(試作機)
トップナンバー試作機で、1962年に日立製作所水戸工場で製造。
量産機とは仕様が大きく異なり、特に外観は茶色の塗装、DD13同様の丸いヘッドライト、ひさしの無い運転台、逆三角状に切れた前面部の帯、トラ柄エンドビームと量産機とは全く異なる特徴を持つ。内部機器もダイハツ工業製DML61Sエンジンを搭載、DW2変速器、段階の荒いノッチ刻み、横揺れ防止用オイルダンパー搭載(不要だったため以降は不採用)となっており、当初は性能不足が危惧されたがここで洗い出した問題点を量産機では改善することで無事満足な性能を達成出来た。後に1号機も塗装と機器類を0番台初期車と同様に更新している。
最後まで東北地区で活躍したが1980年頃より運用を離脱し1986年に廃車。1987年に登場時の塗装に復元され長らく高崎で保管されていたが、1998年に碓氷峠鉄道文化むらに移設保存された。

  • 2 - 4号機(二次試作機)
1963年製造。製造は2号機が日立製作所、3号機が川崎車輛、4号機が新三菱重工業が担当。
1号機の試用結果を受け変速器や砂箱の改良、燃料タンク容量を3000Lから700L×2を追加し4400Lに増加、ノッチも7段階から14段階とし細かな速度調節を可能になると1号機の問題点を改善したグループ。
外観もライト形状、塗装も変更され20号機以降前面部の塗り分けが変更され、後述の製造時期による細かい差異以外はほぼこの外観で製造された。
1号機では不安視されていた性能も東北本線での試験を通して改善されていたことが確認され、量産が進むこととなった。

  • 5 - 19号機(先行量産車)
1964年製造の先行量産グループで、燃料タンクを4500Lに増強、中間台車のばねを空気バネにすることで運転席から軸重調整が可能なようにしている。
このグループは関西・九州地区にも導入され客車列車の無煙化を進めた。

  • 20 - 53号機
1965年から1966年に製造。エンジンを1100馬力のDML61Zに強化した。前面部の塗り分けは境界をナンバープレートに合わせる形となり赤の面積が増加した。
従来機もこのエンジンに換装し、元のエンジンはDD16に流用された。

500番台

1966年から1977年に製造。501 - 799、1001 - 1193号機が該当する。
後述の800番台との重複を避けるため799号機以降の増備車は1000番台が付番されており、区分としては500番台に分類される。
本形式としては初めて重連総括制御に対応し、北海道をはじめとした寒冷地仕様も登場した。
初期型と中後期型で重連の仕様が全く異なり、「半重連形」と「全重連形」で区別される。

寒冷地仕様は特に特徴の無い一般型(東日本地区の一部はスノープロウ装備)、スノープロウに加え耐雪ブレーキ、配管の凍結防止用加熱装置、旋回窓、つらら切り兼前面窓プロテクター装備の極寒冷地向けのA寒地仕様、追加装備が旋回窓代わりのデフロスターと凍結防止用加熱装置程度に留められた準寒冷地向けのB寒地仕様に分けられる。

半重連形

501 - 592号機が該当。
重連総括制御自体は可能で、先頭の機関車から2両目の機関車のエンジンが制御出来るが釣り合い引き通し線が無く本来搭載されているブレーキが動作しない(客車や貨車と近い扱いになる)。一部は全重連形に改造されたものもいる。
548号機以降はブレーキ性能を強化するためのスペース確保措置として燃料タンク容量を4000Lに減らしている。
美濃太田機関区所属機の587 - 592号機はSG未搭載だが、800番台とは異なりボイラー以外は省略されていない。
ラストナンバーの592号機は1985年に登場したジョイフルトレイン「ユーロライナー」に合わせた塗装に変更。ジョイフルトレインの牽引機関車を専用塗装にした最初の例だが、DD51形の塗装変更は「ユーロライナー」が唯一である。
このグループはJRに継承されず1987年までに全廃されている。

全重連形

593号機以降の500番台が該当。
こちらは半重連型を改良し先頭の機関車からエンジンだけでなくブレーキも制御可能とし、2両分のブレーキ力を得られるようにしている。
加えて同番台内でも改良が進み、製造時期によって形態に差異があるので順に記載する。

678号機及び800番台808号機の以降は一人乗務を考慮して*5EB装置やTE装置を搭載し単独乗務に対応した。
710・808号機以降は中間台車が振動を軽減するために軸箱支持ゴムを変更したタイプとなっている。

1001号機からはナンバープレートが車体に直接文字を貼り付けた切り抜き文字から土台に貼り付けたブロック式に変更されている。
1010号機からは扇風機が設置されたため屋根の突起が増え、1052号機からはラジエーターカバーが二分割されたものになった。

北海道では独自の形態が見られ、非・半重連形との混用を避けるために[非][半][重]の車票を差していた。1972年には710・716・741・742・745号機は北海道での降雪時の視界確保用にナンバープレートの上にヘッドライトを追加した三つ目スタイルとなり、その他入換時の連絡用としてスピーカーを取り付けたタイプも登場した。

800番台

801 - 899・1801 - 1805号機が該当。
899以降の製造分は試作車に振り当てられる900番台を飛ばして1800番台の番号が使用された。

基本的な仕様は500番台全重連形に準ずるが、貨物運用を主体としたためSGを搭載していないのが大きな違い。
SG非搭載となったため従来機より運転整備重量が6t軽くなったため台車がブレーキシリンダを縮小したTR106Aに変更。897号機以降は旅客転用を視野に入れてSG準備工事が配線類の取り付けなど最小限の範囲で行われている。
変更点が大きいため本来DD52の形式名が与えられるはずだったが、労働組合認可に手間がかかるため番台区分扱いに収めたという経緯がある。

実際は完全貨物用だった訳ではなく、そもそも暖房設備を必要としない時期や、客車側で暖房システムが完結しているブルートレイン関連などで旅客運用に充当されたことがある。

運用

ここでは事業者別に解説する。

国鉄

前述の通り試作の後量産が進み東北から始まり全国に投入され、蒸気機関車を置き換え、旅客・貨物運用に就いた。
増備を追うごとにブルートレインの牽引にも進出し、後述する列車以外では『日本海』『あかつき』『はやぶさ』の牽引実績もある。
1970年代後半以降は老朽化したDF50や欠陥が相次いでいたDD54も置き換えるようになった。

増備完了までは0番台含め経年・余剰廃車は無かったが、1976年8月に北海道の追分機関区で起きた火災により682 - 684・1079・1103・1144・1169号機が被災し*6廃車。1000番台の4両は新製から9ヶ月〜1年程度で廃車となってしまった。
その後1981年成田線で航空燃料輸送中に成田空港反対派ゲリラの襲撃により放火された620・693号機が、1982年に名古屋駅で衝突事故を起こした717号機が廃車となった。
1985年以降は機関車牽引列車の削減と老朽化に伴う廃車が始まり、0番台と半重連形は国鉄分割民営化前に全廃された。廃車された個体には後期型の800番台も含まれており、法定耐用年数を満たさず解体された車両も少なくない。

国鉄分割民営化時にはJR北海道に25両、JR東日本に29両、JR東海に4両、JR西日本に63両、JR九州に1両、JR貨物に137両が継承された。一部は国鉄清算事業団入りした。
なお、本形式は日本国内事業者への譲渡例はない。

JR北海道

25両が継承。
主に道内夜行や青函トンネルを経由したブルートレインを牽引した。
殆どが『北斗星』に合わせた青色の車体に金帯、流れ星が描かれた独自塗装となった。過渡期には国鉄色+北斗星色の重連も見られた。
充当列車は『北斗星』『トワイライトエクスプレス』『カシオペア』『カートレイン北海道』『はまなす』など多岐に渡り、特に北斗星・トワイライトエクスプレス・カシオペアではスピードの確保のため重連運転が行われた。
夜行列車の衰退により数を減らし最末期は5両が残ったが、北海道新幹線開業による完全廃止に伴い2016年に全廃された。
後述のように一部が海外へ譲渡され、今も数両が譲渡待ちとなっている。

JR東日本

29両が継承。
主にSLの補助をはじめとするイベント用を筆頭とした臨時列車に充当され、1994年までは男鹿線にて定期普通列車で運用されていた。
磐越東線八高線ではJR貨物からの委託で貨物列車を牽引した例もある。
国鉄末期に北海道から新潟に転入した745号機はJR化後も唯一残った三つ目として異彩を放っており、人気が高くイベント列車で主役を張ることもあったが2002年に廃車された。
お召し機の842号機・予備機の895号機も装飾を残したまま使用され、2001年にはお召し列車牽引の実績もある。
その後は数を減らし、老朽化およびJR東日本の機関車全廃方針によって2024年11月のイベント列車を以て引退した。

JR東海

749・791・821・1037号機の4両が継承。
791号機と1037号機は592号機に代わり「ユーロライナー」専用塗装となった。
旅客列車への使用は臨時列車のみに限られ、工事列車や回送列車の牽引がメインだった。
末期は客車が全廃されたため工事列車でのみ運用されたがキヤ97への置き換えで2007年に全廃された。

JR西日本

63両が継承。
イベント列車だけでなくブルートレイン『出雲』や夜行急行『だいせん』、草津線播但線山陰本線などの普通列車といった定期運用も多数存在したのが特徴。
しかし客車普通列車は90年代に全廃、『だいせん』は1999年に気動車化、『出雲』は2006年に廃止されたことで定期運用が消滅。
その後は工事列車や非電化・交直流区間を経由する回送列車、イベント列車、『SLやまぐち号』の補機及び『DLやまぐち号』の本務機といった臨時運用と、これら向けの乗務員の公道ならぬ実線路訓練のための走行*7のみが残った。
2026年現在DD51最後の牙城であるが、妙にDF50そっくりなハイブリッド式気動車のDEC743形の導入が発表されており、終焉の時は近付いている。

JR九州

1071号機の1両だけが継承。
しかし定期運用は無く*8、あまり稼働することはなく1999年に廃車となった。

JR貨物

137両が継承され、更に国鉄清算事業団より800番台4両を追加購入している。
鷲別・五稜郭・東新潟・佐倉・稲沢・吹田・厚狭・門司の日本各地に配置されたがDF200の導入や貨物列車の廃止により数を減らした。磐越西線や筑豊本線でかつて運行されていた普通客車列車もJR貨物所属機が担当していた。

途中1994年からは延命措置として機器更新車が登場した。エンジン以外の部品を交換し、青色の車体とクリーム色の前面に塗り替えたA更新車、北海道地区限定で見られたエンジンをコマツ製のものに換装し、国鉄色の白とグレーの部分を濃いグレーに塗り替えたB更新車に分けられる。A更新車は2004年以降は赤を基調とした新塗装に変更された。最後まで残ったのもこのA更新車新塗装だった。
その他90年代には水色の車体に白や赤の非直線的な帯を入れた試験塗装車も登場したが結局定着しなかった。

最末期まで活躍したのは愛知機関区所属の関西本線用のもので、日本で唯一現役の鉄道可動橋である末広橋梁を渡る姿や重連で石油貨物列車を牽引する姿、DF200との重連運転が印象的だった。
2016年より北海道地区で余剰となっていたDF200 100番台に都市部向けの防音対策を強化した200番台が愛知機関区に転入したことで2021年3月12日に定期運用を終了。同時にJRグループからもDD51の定期運用が消滅した。

そして特にJR貨物所属機が活躍したのは2011年に起きた東日本大震災時の臨時石油輸送列車。
津波により仙台の石油コンビナートや普段列車が運行される東北本線が破壊されたため東北地区の石油の供給が絶たれ、暖房や救助・物資運搬用自動車・重機用の燃料が枯渇した。
そこでJR東日本・日本石油輸送・日本オイルターミナルと共に総力を尽くし、普段石油貨物列車が運行されない日本海・青森経由の列車の運行が開始されたが、東北北部へは輸送出来ても南部への輸送は出来なかった。
そのため早期復旧が可能な磐越西線を復旧させ石油貨物列車が運行されることとなった。この時非電化の磐越西線で運行されるために起用されたのがDD51。ローカル線向け車両でもあり余剰も発生しており適任だった。
招集されたのは福岡の門司機関区の835・852、大阪の吹田機関区の757・759・833・1027・1188、愛知機関区の832(いずれも国鉄色)。更に乗務員についても愛知機関区で教習を行い確保した。更に長らく貨物列車が運行されていなかった磐越西線での線路確認もJR東日本は早期に完了した。
3月26日には一番列車が郡山駅を目指したが雪で立ち往生し運行不能に。しかし立ち往生の可能性を考慮していた会津若松駅長が先手を打ってDE10を手配していたためDE10の救援により目的地へ到達。4月17日まで運行された。
その後2018年の西日本豪雨で山陰本線が不通となった際の迂回貨物にも起用された。

海外

JR貨物とJR北海道、JR西日本の余剰車の一部が東南アジア諸国に譲渡されている。基本的に塗装は現地オリジナルとなっている。

  • ミャンマー
車両限界の関係上屋根を下げる改造を受けている。更に一部は車体を二分割し新設したボンネットを取り付け、セミセンターキャブ化したものも存在する模様。

  • タイ
以前路線工事用に譲渡されたものは現在マレーシアに譲渡された模様。
2018年にはJR北海道所属機の1137・1142がインフラ整備会社のAS社に譲渡された。AS社の関係者が元の塗装を気に入ったためスノープロウ*9の警戒色追加とAS社のロゴ追加塗装の変更は最小限に留まった。取り外されたナンバープレートのはフォントこそ若干違うが新製して元の番号で再設置されている。
しかし運用ノウハウが適切に継承されておらず、故障寸前となっていたがこれを知った日本の鉄道ファンがクラウドファンディングで技術支援の費用を集めたことで事なきを得た。

  • ラオス
JR北海道所属機の1143号機が2024年に譲渡された。白を基調としエンドビームが紅白トラ柄というアメロコ風の外観となりなかなか似合っている。貨物列車に充当される予定。

保存車

  • DD51 1
所在地:群馬県 碓氷峠鉄道文化むら
前述通りトップナンバー試作機で、茶色塗装に復元されている。0番台唯一の保存車でもある。

  • DD51 548
所在地:北海道 三笠鉄道村クロフォード公園
1968年にDD51としては初めてお召し列車を牽引した栄誉の持ち主。ホキ2341・ホキ746・ヨ8006の貨物列車を従えている。全重連形に改造されたものではあるが現存唯一の半重連形。

  • DD51 610
所在地:北海道 三笠鉄道村
オハフ33 451・スハフ44 12・スユニ50 505を従えている。同施設だが追加施設のクロフォード公園とは距離があるので注意。

  • DD51 615
所在地:北海道 小樽市総合博物館
入換用スピーカーを取り付けたもの。オエ61 309・スエ78 5・チキ6141+ソ34・ヨ7904と救援列車を従えている。

  • DD51 756
所在地:京都府 京都鉄道博物館
元JR貨物所属機で、廃車後JR西日本に譲渡された。
梅小路蒸気機関車館での特別展示を経て京都鉄道博物館入りした。隣のEF66同様嵩上げされ、下のピットに入り車体底部を観察出来るようになっている。
「出雲」などDD51牽引列車のヘッドマークが企画扱いで装着されることもある。

  • DD51 1040
所在地:京都府 並河駅鉄道歴史公園
嵯峨野線並河駅旧駅舎を利用した施設に22-1003カットモデルと共に保存。1997年の廃車まで山陰地区の旅客列車を担当していた。

  • DD51 1187
所在地:岡山県 津山まなびの鉄道館
2007年まで主に旅客列車を担当し、ブルートレイン『出雲』やお召し列車を担当した輝かしき過去と余部鉄橋転落事故*10の当該機という悲劇の過去の持ち主。

派生形式

DD51の仕様を流用したものやDD51自体を改造したものが存在する。

新造車

  • DD20
DD51と同時に開発された入換機。大井川鐵道の方とは無関係。
DD51と部品を共通化した入換機で、DD51の運転台を端に寄せたような見た目をしている。
しかしローカル線には重すぎ、その他路線では軽すぎて空転という中途半端な性能になってしまい2両のみ製造された。
これをベースに入換機兼ラッセル車化したDD21も存在したが固定式ラッセル構造が入換には使いづらくこちらも試作に留まった。

  • DD53
三八豪雪に対して役に立たなかった既存のDD14以上のハイパワー機として開発されたロータリー除雪車で3両導入された。
除雪車用に多少改良されたエンジンを搭載している以外の性能はほぼDD51だがロータリーヘッドを接続・駆動させるために箱型車体となっている。夏季はロータリーヘッドを外してDD51と同様の運用が可能。
しかしあまりに投雪能力が強すぎて周囲の施設を破壊するという欠点があった。
分割民営化後は2号機がJR東日本に承継され、2007年まで使用された。
1号機が碓氷峠鉄道文化むらに保存されている。

  • 911形
東海道新幹線の救援・工事・921形牽引用ディーゼル機関車。
エンジンはDD51のものをベースとしているが箱型車体でF級となっており、小松崎茂のSF漫画を彷彿させるビジュアルとも。
設計上の最高速度は160km/hだが本気を出せば165km/hで走行可能な世界最速のディーゼル機関車
3両中2号機だけがJR東海に継承されたが1995年廃車、その後解体され現存していない。

改造車

  • DD17→DD19
DD53の増備車に近い立ち位置だが、DD53がオーバースペックすぎたことや既に登場から17年経っていたことから1983年に507号機の車体を箱型に載せ替えて導入されたロータリー除雪車。
1992年には山形新幹線の除雪用に標準軌化され形式もDD19に改称。
老朽化に伴い除雪用モーターカーに置き換えられ、2008年引退。

  • DD18
山形新幹線の除雪用に796(DD18 1)・742(DD18 2)号機とDE15のラッセルヘッドを組み合わせ標準軌化したもの。秋田新幹線開業時に783号機改造の3号機が増備された。
車体は載せ替えられなかったためラッセルヘッドがある以外は完全にDD51。
こちらもDD19と共に引退。

関連作品

1974年に製品化されたが何故かミカンのようなオレンジ一色で、新動力移行後も塗装は変わらずリアルな国鉄色が出るのは2000年代に入ってからのことだった
セット品限定では工場の入換機のようなトラ柄の架空塗装や重連の北斗星牽引機、長編成のカートレイン北海道も登場。1両単品では国鉄色とB更新車がそれぞれ、3両編成では『出雲』や『カートレインユーロ名古屋』が発売されたこともある。
現在は3両編成のカートレイン北海道がイベントモデルとして発売されているほか、2025年には後述のエヴァンゲリオン仕様も発売された。
金型の改良は重ねられているが、基本的な仕様は今もなお変わらずに生産され続けている古参のロングセラーでもある。

  • きかんしゃやえもん D51の大冒険
きかんしゃやえもん』の内1974年公開の劇場アニメの方。
やえもんを追い払おうとする新型車両達の一員としてDD51のハイハイが登場する。DD51自体D51の後継機なので特に出番は多いが……
ちなみに三つ目タイプ。

本編には国鉄色で貨物牽引機のものが登場。貨物列車の重労働に嫌気が差しており、仲間を探しに北海道までやってきた。のぞみにあることないこと吹き込んで押し付けようとするが…?
本編外のアートワークでは『出雲』牽引機も登場。ヘッドマークを除けばアニメ1期本編の個体と外見的な差異がほとんどないが、ちゃんと北海道ではなく山陰地方のヒカリアンとされているため別人である様子。

シリーズ唯一の登場。山陰本線の普通客車列車と臨時快速の丹後94号を運転可能。
当然加速も減速もゲーム中ワーストで、丹後94号に至ってはさらに性能の悪化する雪の中を走る必要がある。
とはいえその分の余裕はしっかり確保されているため、このゲームの難易度5のダイヤの中では比較的簡単な方ではある。
ちなみに普通列車の方は旧型客車、丹後94号の方は12系客車という違いがあるが、同じ天候の場合は特に性能の変化はない。

国鉄色が18D積載コンテナ車牽引、青更新車がワム80000とチョロQ積載車を牽引する形で発売された。

国鉄色が登場。登場車両の中でも屈指のロングラン形式ということもあり江戸っ子口調で話すおじさんとなっている。

第6の使徒を撃破するための作戦であるヤシマ作戦実行のため、大量の電力を集めるべく必要な変圧器を輸送するためにDD51が使用された。
DD51三重連で大物車シキ880(架空形式)と実際の大物車輸送同様にヨ8000を牽引した。
2025年12月にはプラレールで製品化され、久々の国鉄色な上重連仕様*11でラジエーターも塗装されたハイグレードな仕上がり、EF210付属のものをベースにしたシキ880がセットとなりエヴァファンも鉄道ファンも歓喜した。惜しむべきは3両目のDD51とヨ8000が無いことか。更に変圧器は同日発売のシンカリオン500 TYPE EVAに装備することも可能。

本形式をベースに中間台車を動軸化した架空のDF51が登場する。

  • はしれディーゼルきかんしゃデーデ
先述した東日本大震災時の石油臨時貨物を描いたノンフィクション絵本。

JR北海道所属機で『トワイライトエクスプレス』牽引機としての本形式がモチーフの八雲レーノが登場。
DD51の中でも最初にJR北海道に移籍し、北斗星色にリニューアルされた1006号機の製造日(1972年)である11月21日が誕生日に設定されている。
寝台特急らしく夜間の間だけパワーアップする。また通常時のアプリアイコンにも使用されている。
実は国内車両でディーゼル機関車モチーフは割と希少であり、現状ではDD51がモチーフのキャラはレーノひとり。



追記・修正は山陰本線普通客車列車に乗った方がお願いします。

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最終更新:2026年06月18日 15:07

*1 特にDE50形は結局試作機1両のみで終わってしまい、「マスプロ品たる鉄道車両」という観点であれば失敗作に終わっている。

*2 当時創刊されたばかりの鉄道雑誌「レイルマガジン」が積極的に取り上げ、趣味者の注目に一役買ったとされる。

*3 車輪を介して軌道にかかる負荷。車体重量が重い程増加し、車輪が増える程低下する。

*4 実際に牽引力の観点ではDF50とD51はスペックに大差がない。

*5 かつては蒸気機関車時代の名残で機関士二人乗務が基本だった。

*6 681・1166は延焼前に救出に成功したが、その後停電で転車台が停止し残りが救出不能となった。

*7 これは電気機関車を使用することもある。主に『SL北びわこ号』などで使用する12系原形を使用するが、稀に「サロンカーなにわ」を使用して訓練することもあった

*8 筑豊本線に存在した普通客車列車はJR貨物所属機が牽引していた。

*9 タイは雪が降らないので実質ただの排障器。

*10 1986年に導入された14系改造の和風客車『みやび』が1986年12月28日、DD51 1187の牽引による団体列車運用後の回送中山陰本線余部鉄橋にて突風に煽られ客車が転落したもの。

*11 北斗星セットで登場した無動力で前側連結器付、プラキッズ乗車可能なもの。加えて国鉄色の重連仕様は初登場。