生年月日 |
1688年4月1日 |
出生地 |
プダージ ダイユンヴァール |
没年月日 |
1773年9月6日 1762年3月10日? |
死没地 |
シャグマ=ラゴン ラグマウ |
所属政党 |
愛国党 |
次代 |
ナプトー |
前代 |
サンシャンマヒャパ |
出身校 |
大シャプチ大学プダージ分校 |
前職 |
サナト情報本部職員 スニャールフィエ参事会国教担当官 ダガイユル参事会国教院担当官 |
称号 |
開拓地産業の守護者 売国奴 |
親族 |
キューラウ博士 スライエナヴァール家の両親(名前不明) |
シャ=フライヴァフ=ジェナウはナプラ耳のスンシャ男性のシンテーア暦18世紀の政治家。第54代星衛主席として1752年~1773年まで(再選)の間、三大公社と開拓地のための産業育成に注力した。人工獣人の星衛主席としては二人目。
1773年にシャグマ=ラゴンのラグマウ視察中に興奮した民衆に取り囲まれて殺害された。
一方で、1762年の幻の「ハシャンガン政策」宣言以降、政策方針を正反対に転換し、さらに性格・遺伝的形質・習慣等の不審点も指摘されていたことから、62年中に暗殺され別人がなりすましたという噂もささやかれており、ジェナウの死には謎が多い。
生い立ち
幼少期
プダージのダイユンヴァールにある培養ポッドで生まれた。
3歳頃にスライエナヴァール家の養子として引き取られ、貴族の子として育てられた。
少年時代
幼少期は両親に可愛がられていたが、6歳頃には自分が人工獣人であることを知り、一家に捨てられるかもしれないという強迫観念に駆られ、とにかく可愛がられるようアピールすることに腐心した。
この頃から両親は情緒不安定となり感情の裏表が激しくなったため、ジェナウは神経をすり減らしていき、徐々に暗い性格に変貌していった。
青年時代
ジェナウはしばしば両親の出席する会合に連れて行かれたが、両親の前でも機嫌を取っていたのに加え、外部の人間にもそれと同じようなことをしなくてはならないというストレスから自律神経失調症を患った。引きこもりがちになり、性格もますます悲観的になっていった。
一方でジェナウは現実を忘れるために勉学に明け暮れ、15歳で大シャプチ大学プダージ分校の学生となった。プダージ分校では親元を離れて暮らすことにした。学問の道を進んだのも親元を離れたのも自分を蝕む強迫観念から逃れるためであり、「一家に捨てられること」を恐れていたジェナウにとって、自ら親元を離れるという選択について「皮肉なことだ」と後に回想している。
ジェナウは周囲の学生よりも一回り幼かったが、持ち前の愛想笑いで教授にも学生にも好かれ、「みんなの弟」のように可愛がられた。一方で人工獣人であることをひた隠しにしており、ニーネン人に珍しい黒髪について聞かれると「ヒュー人の血が混ざっている」という嘘でごまかした。当時はまだスンシャ式苗字が一般的ではなかったが、風変わりな苗字ではあったため架空の一族の歴史を語ることで周囲を納得させていた。
ジェナウにとって居心地の良い場所であったが、ストレスを吐き出す場所は依然としてなかったため、度々ストレス性の嘔吐や手の震えに苦しめられていた。
ジェナウは神学を専攻していた。将来は国教院に就職するつもりだったが、たまたま学生演説のためにプダージ分校に来た
ダガイユルに「賢そうだから」という理由で壇上に立たされた。ダガイユルに「政治に関することなら何を言ってもいい」と言われ、
ヴァルエルクのスモラク宙軍軍縮条約を批判する演説をしたところ、これが非常にうまくいった。感動したダガイユルに気に入られ、「愛弟子」として、愛国党の青年グループに入れさせられた。ジェナウにとっても、自分の隠れた演説という才能に気づけた喜びと、壇上で自分の主義主張を唱えることでストレスを解消できる喜びで「この道しかない」と確信したという。
愛国党時代
入党してすぐにスニャールフィエと知り合う。この頃のスニャールフィエとダガイユルはまだ仲が良く、ダガイユルとスニャールフィエとジェナウで三人組を組んでいた。三人は政治的議論の他にも一緒に買い物や食事に行くほど親しくなり、ジェナウにとってはプダージ分校時代以上の居場所を手に入れた。スニャールフィエが愛国党の党首や星衛主席になった時でさえ、二人は嫉妬もなくただ三人による勝利を祝った。スニャールフィエも自身の参事会で二人を起用し、ダガイユルに招民担当官、ジェナウに国教担当官のポストを用意した。
しかし、1733年に
アクース内戦が勃発すると、ダガイユルとスニャールフィエはヴァルエルクへの対応において方向性の違いで喧嘩し、険悪な関係になってしまった。1733年中にダガイユルは自分から辞表を提出し、招民担当官を辞職した。ジェナウはどうしたらいいか分からず、スニャールフィエの顔色を伺うと、「あいつなんか勝手にさせればいいしー」と突き放すような言葉を聞き、結局何もすることができなかった。
それ以降、ダガイユルのいない場所ではスニャールフィエと仲良く、スニャールフィエのいない場所ではダガイユルと仲良くする二重生活が始まった。
1733年~1736年の間にサリエの紹介で
イーリス・オットメとスニャールフィエとの交友を築き、ジェナウを不死化させたい
イーリスは「先富論」をシャグマ=ラゴン開拓の様子からヒントを得られるかもしれないし、スニャールフィエは階級制情報管理主義から何かヒントを得られるかもしれない
ただしまだイーリスは主席になっていない(就任が1742年)。
ダガイユル政権時代
1739年からジェナウはダガイユルの(半ば強引な)誘いを受けてダガイユル参事会で国教担当官として起用され入閣した。この時もスニャールフィエの顔色を伺うと「あいつ、あたしに何も言わずジェナウだけ入れるとかズルいヤツだなー」とダガイユルにだけ怒っていたので、とりあえずダガイユルの誘いを受けることにした。スニャールフィエはジェナウにはこれまで通り仲良く接していた。
マーカス内戦が勃発した1740年に
ナイユスパ=サブラート運動が起こり、ジェナウは国教担当官として騒動の収集を一任された。この時ジェナウは国際融和を訴え介入を未然に防ごうとしたが失敗する。
内戦の戦局が泥沼化した1745年には
シャグマ=ラゴンで
プゴーニェヴァタイ世直し運動が発生。この事件を重く見たスニャールフィエは政権の失策を痛烈に批判し愛国党内に独自の派閥である「スニャールフィエ派」を率い、ダガイユル率いる「主流派」と対立するようになった。この背景にはスニャールフィエの親友とも姉妹ともいえる間柄の
トレーミャナルチが枢密院第二ガイユ第一特殊作戦師団の指揮官として遠く離れたラヴェルト宙圏で長いこと指揮していることに対する心配もあった。それゆえにスニャールフィエはかなり怒っており、星衛参事会の主席執務室に殴り込みに行き、ダガイユルと大喧嘩した。たまたまジェナウが居合わせると、二人はさらにヒートアップし互いに「ジェナウは自分と組むべきだ」と怒鳴り合った。しかし、ここでスニャールフィエが「ジェナウが人工獣人であること」をバラすと、「お前…今までずっと俺を騙していたのか…」とダガイユルは大きなショックを受け、そのまま執務室を後にした。
その後すぐに失望したダガイユルに執務室に呼び出された。ジェナウは言い逃れしようとも考えたが諦めて参事官を辞職した。
この頃スニャールフィエは招民院軍部長官と招民院諜報機関"サナト"情報本部役員を兼任していた。
サナト情報本部職員時代
辞職後、ジェナウは星衛評議会議員として活動する傍ら、スニャールフィエのいる招民院諜報機関"サナト"で情報本部職員として活動した。ジェナウにとって諜報分野は初めてだったのでスニャールフィエに教えてもらいながら職務をこなしていった。
この時期、ジェナウとスニャールフィエは親交を深め、付き合い始めるようになる。
サンシャンマヒャパ政権時代
ジェナウは愛国党の議員だったが、カーリチ=オラムのサンシャンマヒャパには例外的に気に入られていた。
少食ではあったが
プルゴー飴をよく口にしていたからというのが理由の一つらしい。
星衛主席として
任期前半はスンシャの権利保障等の社会福祉重視路線を採用した。
幻の「ハシャンガン宣言」以降は主に開拓地の産業育成に尽力。十六人委員会を設立し、スガイユン貴族家の権益拡大を図った。
プナフェウ地震やシャグマ=ラゴン二途病流行などの自然災害や疫病の流行の対応に追われた。
プラーディエ税の増税やケーシャ税を行い、富裕層の確固たる支持を手に入れたが、国内各地で暴動やデモ、政治的事件が起こり、国内の不安定化を招き、国内インフラストラクチャーの疲弊が目立った。
人物
社交的で物腰穏やかな人情派として評価されたが、優柔不断な人物であると批判されたことがある(ただし後述のように思想面では行動力がある)。
演説が彼にとって唯一のストレス解消方法であり、当時の政治家と比べても遜色ないほどの出来だった。演説がない日々が続くと手の震えや胃痛などのストレス症状が起きていたようである。
本当は内気で気弱な性格。実際は周囲の評価に対して病的なまでに敏感であり、幼少期以降の強迫観念がジェナウ本人を苦しめていた。私生活では精神的に不安定で、精神安定剤と睡眠導入剤を常時服用していた。
一方で幻の「ハシャンガン宣言」以降は堂々としており、自分の意見を曲げない正反対の性格であったという証言がある。
外見
ナプラ耳のスンシャ。ニーネン人には珍しい黒髪だった。
身長は191cm。普段あまり食事らしい食事をせず、間食としてよく飴やサニを口にしていたためかなり痩せていた。
生まれた時にはナプラ尻尾もついていたが、10歳頃に自分の尻尾を切ろうとして大量出血。結果、病院に搬送されたことがある。その後、本人の希望により切除手術を行った。人工獣人に否定的な考えを持つ両親はこれに同意した。このことは彼にとって大きなショックとなり、後の人工獣人廃絶論に至った。
祈り思想
ジェナウは「どんな人でも幸福のための救済を思いがある」とし、「それは素朴で純粋なものである」として「祈り」と呼んだ。
星衛主席になるにあたっては「万人の祈りをあらゆる社会集団があらゆる形で救済しなくてはならない」と主張し、
サクトマンク主義に先んじる心情面での平等性に気づきつつあった。
この祈り思想は
ニーネン=シャプチ国内の精神主義派閥(特に国教院や各宗教関係者)に受け入れられた。また、平民階級や貧民階級も比較的好意的に評価した。このことから星衛参事会選挙では無視できないほどの大きな票田となった。
人工獣人思想
自身も人工獣人であり、ストレスの多い家庭環境で育ったことから、1740年代頃から議論されていた
スンシャ福祉法の法案通過を切望していた。
奇しくも似たような境遇である
スニャールフィエの協力もあり、在任中に制定・公布し、公約の一つが達成された。
人工獣人廃絶論
その一方で、本当は自分のような人工獣人をこれ以上生み出さないために二度と獣人を製造せず、獣人概念そのものをなくそうと計画していた。
ジェナウが人工獣人廃絶論に至ったのは自身の境遇と長年師と仰いでいたダガイユルの失望が原因と考えられている。
スニャールフィエにだけこの計画を打ち明けたが、そのせいで喧嘩してしまった。
しかし、その話を聞いていたのはスニャールフィエだけではなかったようで、███████にはその頃から目をつけられるようになったとされ、また███████を通じて何者かに伝わり、
第二次宇宙大戦を引き起こす遠因になった。
経済政策について
元々ジェナウは経済分野で起こる悪影響は宗教的価値観である程度克服できるものだと考えていたため、経済よりも福祉を優先する考えがあった。今ではニーネン人に「経済政策と福祉政策を両立しようとして失敗した人」のように見なされているが、実際のところは
サンシャンマヒャパにも負けずとも劣らない神官肌であった。
語録
「僕の心は誰にも支配できない」
親しい相手に好んで使っていた言葉。
「全てのエシュトには祈りが宿っています」
ジェナウの信条を示す言葉の一つ。
「もうたくさんだ…みんな不幸せになるじゃないか。
こんな耳のせいで…」
政権中期のジェナウの発言とされている。
交友関係
ダガイユル
ジェナウを政界に引き込んだ本人。
スニャールフィエと共に愛国党の三人組として知られていた。
ダガイユルとジェナウは師弟関係であり、ダガイユルは一人っ子だったジェナウにとっては兄のような存在であった。
ジェナウが人工獣人であることを恥だと思いひた隠しにしていたことが裏目に出て、最悪のタイミングで自分が人工獣人であることを知られたばかりか、それが原因でダガイユルとの交友関係が絶たれてしまった。
彼の死後、何度も墓前で祈る姿が目撃されている。
スニャールフィエ
ダガイユルと共に愛国党の三人組として知られていた。
ダガイユル政権後半には恋人同士の関係だったと言われている。
しかし、獣人概念をなくさなければ悲劇は繰り返されるとしたジェナウの発言にスニャールフィエが怒り、破局してしまった。別れたとはいえ、ジェナウの異変にいち早く気づいたのもスニャールフィエであり、彼女はサナトの部下に命じて密かにジェナウの遺体を探し出して回収し、彼女と彼女の一部の友人が知る場所に埋葬したと言われている。スニャールフィエは「あの時自分がジェナウのその話を否定しなければ、彼自身の獣人に対する劣等感と孤独に寄り添ってあげられれば、彼が暗殺されることも、売国奴と呼ばれるようなこともなかった」と、後悔し続けることになった。
主な功績
- スンシャ福祉法
- 十六人委員会の設立
- 開拓地財政法
- フェイ・エイ設計局のシャグマ=ラゴン誘致
- プラーディエ税の増税
- ケーシャ税の導入
- 外国人在留禁止法
関連項目
最終更新:2022年06月17日 12:18