基本プロフィール
生年月日 |
1982年3月12日 |
職業 |
元サッカー選手 |
クロノスプロフィール
総参戦回数 |
1 |
賞金獲得回数 |
0 |
復活回数 |
0 |
逃走時間 |
49分38秒 |
逃走率 |
62.04% |
逃走ポイント |
5万9560 |
各回成績
逃走中
出演回 |
逃走時間 |
逃走率 |
逃走ポイント |
順位 |
備考 |
ルフィと黄金の秘宝 |
49分38秒/80分 |
62.04% |
59560 |
10位/16人 |
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略歴
3歳からサッカーを始め、小学生の時にクラブチームに入団、中学生でジェフユナイテッド市原(現:ジェフユナイテッド千葉)のジュニアユースに入団。ユースに昇格しU-16日本代表としても出場。2000年にプロデビューを果たすも出場機会を求めセレッソ大阪に移籍するがここでも病気による出遅れや出場機会が無く2003年にベガルタ仙台に移籍。ここで開花しシーズン13得点をマーク。チームはJ2に降格するもオファーを蹴り完全移籍。翌年にはシーズン20得点でJ2内4位をマークした。
2005年にサンフレッチェ広島に移籍後も日本人得点王やベストイレブンを獲得し日本代表にも選出。時にはチームがJ2降格の憂き目に遭い、自身もケガに悩まされながらも2004年から2015年までJリーグ史上初となる12年連続2桁得点をマーク。2012年には22得点で得点王、シーズンMVPを獲得した。2016年には名古屋グランパス。2018年には古巣のジェフ千葉と渡り、2020年に引退。J1での通算161得点は歴代2位、J2を含めた通算220得点は歴代1位の記録となった。
引退後はサッカー解説者やサッカー番組の司会を務めている。
堅実で無理をしないプレースタイルでもあり、2009年から2015年まで193試合無警告・無退場を保持し、フェアプレー個人賞も3度受賞している。
クロノス略歴
逃走中1回、「ルフィと黄金の秘宝」の参戦。
自己評価は「プロサッカー選手として21年間ストライカーで、常に考え守備側の裏を取る事でゴールを奪っていた。」と決断力と賢さを4、「スピードは現役晩年の36歳の頃でもチームの中では速い部類だった。」ということでスピードも4とバランスの良い評価。賞金の使い道は「子供たちの学費」。一方、ワンピースについては「子供の為に全巻買いしたが、当時は現役中だったため読む時間が無かった」と知識に対してはやや不得手。
屋外の一本道を「意外とここ安全。中間地点とったらこれくらいの差があったら余裕で撒ける。自分もそこまで(体力)落ちてない。」と、通常なら難しいポイントである直線でも距離があれば大丈夫と強気。「引退して半年ですけど負けたくない」と闘志は現役の頃と変わらず。
賞金単価アップミッションでは「リスク高いけどお金もちょっと増えるんで」と参加に意欲。犬を探す中で鳴き声を聴き犬を発見。が、見つけたのはセントバーナードのくららちゃん。体重55kgという大型犬であり抱っこできないはもちろん、落ち着きのないくららちゃんを制御するのも難しく誘導にてこずり「ハンター来たら終わる」と苦戦。センターコートを通って行こうとするが、ハンターを発見しUターン。ハンターには気づかれず屋外を通って行くが、移動したのは隠れる場所の無い一直線の場所。ミッションクリアは難しいと判断し、自分の身を優先しくららを置いて逃げても大丈夫かスタッフに尋ね、ハンターに見つかるギリギリまで粘った上でハンターに見つかったと同時に屋内に逃げ込み逃走。階段を使い上層階に逃げ、元日本代表の脚力で振り切ることに成功。柱の陰で息を整えるが、そこを別のハンターに見つかり、「ダメだ!」と絶叫しながら一歩も動けず確保。「どっから来た…」と苦悶の表情でまだ息も整わず。先に確保された
朝倉海も含め、アスリート2人が終盤戦に残れないという事態に。
最終更新:2024年09月27日 20:24