戦略/戦術

登録日:2018/06/22 Fri 13:01:12
更新日:2024/03/30 Sat 19:35:55
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戦局を左右するのは、「戦術」ではなく「戦略」だ。


「戦略(strategy)」と「戦術(tactics)」とは、戦争用語である。
そこから派生してビジネス用語として用いられることも多い。

概要

「五分と五分の条件で兵を動かしたら、多分あなたが勝つと私は思っているんですがね」
「そんな仮定は無意味だね」
『戦術』とは勝利をえるために戦場において兵を有効に動かす技術。
『戦略』とは戦術をもっとも有効に生かすための条件を整える技術。
したがって、シェーンコップの言ったことは、戦争における戦略の要因を無視した仮定になり、現実としては意味がない。
ぼやきのユーフス「戦争を登山にたとえるなら……
登るべき山をさだめるのが政治だ。
どのようなルートを使って登るかをさだめ、準備をするのが戦略だ。
そして、与えられたルートを効率よく登るのが戦術の仕事だ……」

混同されて使われることも多々ある用語だが、実際には 目的とするところが全く異なっている と認識するといい。

簡単に言うと
  • 「戦略」が大目標
  • 「戦術」が小目標
と言えるだろうか。
軍事分野では「戦略」と「戦術」の隙間を埋めて橋渡しする概念として、旧ソ連が体系化した「作戦術(Operational Art)」という概念もある。
また「戦略」も大別すると「国家戦略(Grand Strategy)」と「軍事戦略(Military Strategy)」に分かれるので、両者の混同は禁物である。
上記後者の例で言うなら、
  • 「登るべき山を定める」のが国家戦略
  • 「どのようなルートを使って登るかをさだめ、準備をする」のが軍事戦略
  • 「与えられたルートを効率よく登る」のが戦術
となる。

戦略

「組織全体の最終目標を達成するための方策」。
それが戦争なら、例えば
  • A国の領土を占拠し、自国の領土とすることで生産力を向上させる
  • B国相手に有利な条件で講和を結ぶことで国際的な立場を高める
だったりというものである。

ビジネスなら
  • 新商品を積極的に売り出すことで今期の売上を前年比20%増加させる
  • 新工場をC県に開設し、生産力をさらに高める
だったりするわけである。

ここで重要なのは、「自国の領土とすることで生産力を向上させる」という大目標を定めることである。
単に「A国の領土を占拠したい」と言い張るだけでは戦略とは言い難い。
あくまでA国相手の戦争は「手段」に過ぎず、決して戦略的に重要な要素ではない。
その目標は例えば「A国に対する貿易取引量を増やす」という形で平和的に解決できるかもしれない。
あるいはたとえ戦争に勝って生産力を向上させたとしても、戦争に対する費用が嵩みすぎて増えた生産力で埋め合わせられなかったり、対象の地域が戦争で荒廃して生産力の増加量が想定を大きく下回るようでは、目標を達成しても意味がない(あるいは目標を達成したうちに入らない)こともある。
また例え戦争終結時には有利な状況であるように見えても、数年、数十年と言う長いスパンで見れば却って自国がより困難な状況に追い込まれていた、と言う例もあるので「戦略的に正しい目標」と言う物を定めるのは大変困難である(一例としてはナチスドイツに対する勝利と引き換えにその後のソ連の長期間の伸張を許してしまった連合国など)。

戦略は「政治的に勝つ」「目的を達成する」ための方策であるとも言え、単なる戦場での立ち回り以上に複雑な要素が絡み合ってくるのである。
長期的・大局的な視野で考えるなら、諸々の体力温存のために逃げることも決して悪手とは限らない。

RPG(ロールプレイングゲーム)に例えるならば、
  • グッドバッド問わず)何らかのエンディングを迎えるといったそもそもの冒険の目的に辿り着くために道筋を考える
のが戦略と言えよう。
目的・事情によってはひたすら雑魚や幹部をなぎ倒して黒幕まで辿り着かなくてはならないこともある。だが、逆に戦わなくてもよいこともある。黒幕と和解しても良いし、何だったら別の勢力を味方につけて黒幕を代わりに倒してもらっても立派な戦略なのである。
だいたい、ゲーム開始時に与えられた目的が事態の根本解決かどうかプレイヤー側からは判別できない事も多い。「事態の真相の情報収集」も、自分達の戦略を判断するには必要である*2

また、回復手段の限られた状況でダンジョンを進んでボスを倒すとなった場合、
  • 道中の雑魚戦で道具や魔法はどれだけ消費しても良いか
  • ボス手前まで辿り着いたところでこのまま挑んでも問題ないか
  • 消耗しているから一度脱出するべきか
とあれこれ頭を巡らせる、のも戦略と呼べる。
眼の前の戦術戦闘に何をどれだけ投入してよいかどうか考えるのは「戦略的思考」の基礎である。

ただし未だに専門家の間でも厳密な定義が曖昧な言葉であり、政治やビジネス、広告などの分野で濫用された結果、「戦略的」と言う言葉が単に「知的である」「高尚である」「大規模である」と言った意味に使われている事が多い事を嘆く専門家もいる。

いわゆる「戦略」を楽しむゲームの例(戦略ゲームと言われる)



戦術

で、戦略を具体的に実行するための作戦が戦術である。
「戦場における勝利をつかみ取る方法」とも言える。

例えば戦場において「敵陣の兵力配置が偏っているのでそちらに戦力を集中させる」というような作戦が戦術である。
ビジネスなら、「商品の流通ルートの簡略化を行うことでコストダウンを図る」などというのが戦術に当たるだろうか。

「戦略的敗北を戦術的勝利で覆すことは不可能」 であり、あくまで戦術的な勝利は局所的な勝利に過ぎず、最終的には戦略的に勝たなければ意味がないとされる。
要は「その場で得る戦術的勝利には、戦略的価値があるか?」ということ。
戦略的意義の薄い戦いにいくら勝ったとしても、それは戦略的勝利にはつながらない。
極端な話「その場を放棄してとっとと逃げたほうが良い場合もある」というのは容易に想像がつくだろう。
逆に放棄できない重要な拠点であるとか、戦闘に消極的な姿勢を見せると同盟国の離反を招くといった理由で不利な戦闘に臨まねばならない場合は少なくなく、そういった場合に戦術で勝つことができれば戦略的優位を引き寄せられる。
戦術的な勝利にこだわリすぎた結果、戦略的な敗北を招いてしまうケースもよくあり、
  • 有効に使える切り札を戦術的勝利のために切ってしまい、それ以降の戦略が制限される。
  • 戦術的勝利のために戦力を集中しすぎたために、他がおざなりになってしまう(おとり戦法などはこれを狙っている)
  • 敵には勝ったが、味方から不満が噴出して内部分裂が起きてしまう
  • 敵の方が地力が上過ぎて、残された戦力比でみると逆に劣勢が決定づけられてしまった
と言ったあたりが典型的な例か。
勿論、大前提として「戦略的に全く無傷な戦術的敗北」というのは現実にはほぼ不可能で、どれだけ上手く負けられたとしても物資の消耗はもとより、人的資源という意味でも損失が避けられない。
指示する側の意図がそれまで前線で身を削っていた兵士に伝わらないか、或いは納得できない内容であれば当然現場の人間は見返りを得られず士気を失う。
無意味に死ぬか怪我させられる前で良かったと納得するか、はたまた骨折り損かと思われるかは経緯や各々の体質にも依るだろうが。

こちらもRPGに例えるならば、「実際に戦闘に突入した場合の雑魚やボスに勝つ手段」が該当する。
敵の行動や弱点を研究し、単純な実力差で倒せればそれはそれで良し。
もし特異体質だったり、一筋縄でいかない強敵が現れた場合には的確な戦い方を踏まなければ勝利を得ることはできない。
自爆するような敵の場合も勝手に負けてくれる…と言えば聞こえはいいが、それでパーティが壊滅して後々困るのが嫌であれば、やはり自爆に耐えるか自爆させない、或いは自爆されてもリカバリーする手段etc…となっていく。
また、これを熟知して見事敵を打倒したとしても、それがシナリオの好転に繋がるとは必ずしも限らない。
むしろシナリオ的に倒してはいけない相手を倒してしまえば、それまでどれだけ無双していようとバッドエンドまっしぐら(=戦略的敗北)というわけで…。
逆にグッドエンドでも結局死ぬようなキャラは、どうやっても助からないので気兼ねなく負かされるし負けても大体影響がないということになる。
ただし極稀に「戦略では圧倒していたのに、実際の戦闘で戦術によってひっくり返されてしまい、結果戦略面でもひっくり返されかける」なんてこともあったりもする。




有名な戦略家・戦術家(創作上の人物も含む)

両方の面で極めて優秀な人物も当然存在するが、どちらか片方に偏った人物もまた多い。

戦略家

  • 源頼朝
初戦である石橋山の戦いでいきなり敗北するなど戦術家としては詰めの甘さが目立つ(まぁむしろあの状況で生き残っただけでもすごいのだが)。
その後は直接戦場に立つことはなく、貴種の血統と貴族とのコネをフル活用し「武士の棟梁」としての立場を高めることに終始し、結果的に鎌倉幕府の雛形を作り上げたことで有名。
ただし、親族や部下を粛清しすぎた結果、妻の実家(およびそちらに着いたほとんどの部下たち)によって、自身の血族は根絶やしにされてしまった。

  • 後白河法皇
で、その頼朝最大の味方でありライバルであったのがこの人。
その生涯は保元の乱から始まる戦続きであり、何度も幽閉・追放を受けながらも不死鳥のように権力を握り返す「大天狗」。
直接的な戦術眼はなくとも、崇徳上皇、平清盛、そして頼朝相手に立ち回り「貴族の権力」をキチンと確保させたその手腕は並ではない。
ただし、後継者の擁立には大失敗している。その後継者を打倒したのも頼朝の息子を滅ぼした北条家である。

独自の戦略による高い生産性により、川中島の戦いで幾度も戦術的な敗北を受けたが最終的な敗北には繋げなかった。
また信長包囲網をじっくりと構築し、逃がさないように同盟を結ぶ狡猾さもある。
さらに地味だが土着の豪族・国人の連合体に近かった武田家を纏め上げた手腕も見事というほかない。
もっとも、信玄が作った・先送りにした様々な課題や負債はそっくりそのまま勝頼に押し付けられ、武田氏滅亡の原因となったので、優れた戦略家といえるかは微妙なところ。
信長包囲網も、信長の強大化を防ぐのにはほとんど役に立たなかった=戦略として失敗したことも留意点だろう。
山だらけの本拠地のことを考えても、周囲に敵を作りすぎである。

「お手紙将軍」。
室町幕府の実権を取り戻そうと必死だったが、相手が信長だったのが運の尽き。
幕府再建という目標はついに果たされなかった。
どちらかというと軍事的な戦術・戦略ではなく、外交メインの政略家というべきか?
戦略目標を定めても、戦術勝利がなければどうにもならない例の典型かもしれない。
当時の朝廷や信長の残した反応を見るに、実権を取り戻そうとするあまり強権的にやりすぎるという足利将軍の悪癖も見られる。
もっとも、この時代に大往生しているので決して不幸な最期だったとは言えないのではないだろうか。

合戦に至るまでに勝負を決める」戦略家の典型例。
長期的な作戦による城攻めを得意とし、兵糧攻めや水攻めを駆使して相手の戦闘力を削ぎ落すが、野戦である小牧・長久手の戦いでは家康に後塵を拝するなど、戦術的には得失ある人物。
それでも最終的には家康を臣従させる戦略目標を達成しているのだから恐ろしい。

山崎の戦いでも明智光秀の準備が整わないうちに勢力の削り落としや決戦に持ち込み、賤ケ岳の戦いでは周辺勢力や織田家家臣の大半を味方につけ柴田勝家を決戦に引きずり出すなど、天下統一に至るまでの全盛期の彼を敵に回した武将は、合戦の段階でほぼ詰んでいる。

高松城の戦いでは本能寺の変の報が入った瞬間に毛利と講和を結び直ちに京都に取って返す(中国大返し)など、いざというときの決断力にも優れる。
しかし、天下人になった後の晩年はその決断力が悪い方向へ働き、秀頼を跡継ぎにしたい余りに先に後継者に指名していた秀次を切腹、一族皆殺しにさせたり、朝鮮出兵をやらかすなどして豊臣家滅亡の遠因を作ったのはご存知の通りである。

始皇帝(秦王政)とその実質的な師・韓非子の立てた戦略はズバリ「天下統一」。
彼ら以前にはそのような発想自体が存在しなかったし、他国をいくら戦争で痛めつけても反省させると撤兵して滅ぼしはしないというのが常識であった。
そんな時代に、彼ら師弟は「全ての中原諸国を併合し、一つの行政組織で天下を管理運営する」という遠大なプランを立案。
そして、韓非子が遺した「今の君主に必要なのは気力」という言葉を胸に、始皇帝は不退転の決意で遠征軍を派遣した。
幾度か戦術的大敗を喫しながらも、その「統一」という戦略は決して揺らがず、ついに天下を統一。
高度に完成されたシステマチックな帝国を出現させた。
なお彼が滅ぼした六国は、最後の時まで「中華統一」という考え方を理解できなかったフシがある。

東の孫権と組みつつ西に勢力を広げ、圧倒的に強大な曹魏の戦力を東西に分散させる。
その上で東西の二方面から進撃することで戦力差を逆転させ、領土を広げて国力の差をも埋め、最終的に天下を統一する、という戦略を立てた。
いわゆる「天下三分の計」で有名。
遠大ながらも現実味のある戦略を立てたという意味では間違いなく戦略家であり、その戦略も「劉備の蜀取り」「夏侯淵の撃破」「関羽の進撃」とかなりいいところまで行っていた。
しかし、劉備の強大化を厭った孫権が関羽を背後から討ったために荊州を失陥*3。更に無理に出兵した劉備が夷陵で大敗北。
荊州失陥が確定した上に人材を多数失って戦略は破綻してしまう。
わずか数年で国内を立て直して北伐を開始し、一時は涼州の獲得も見えるところまで言ったが、馬謖のやらかしにより失敗。
諸葛亮はその後も北伐を続けるが、魏の警戒の高まりと孫権の不活発もあって戦略の埋め合わせはできなかった。

  • エーリヒ・フォン・マンシュタイン
第二次大戦ドイツ最高の戦略家とも称される名将。
フランス戦役でのアルデンヌ突破作戦や、現代教科書にも載る「後の先」の見本と言われる第三次ハリコフ攻防戦などは、全て彼の頭脳から導き出された。

  • カール・デーニッツ
千隻を超えるUボートを率い、その乗組員たちに「親父」と慕われた海軍の総元締め。
当初は潜水艦だけだったが大戦中途に全軍を率いる立場になった。
Uボートの量産体制を整え、イギリスの通商路や護衛戦力を分析して弱いところにUボート部隊を派遣して戦果を稼ぐ「生産力戦争」を仕掛けた。
恐るべき「群狼戦法」を編み出したのも彼であり、「開戦時にUボートが300隻あればイギリスは敗北していただろう」とも言われる。

  • 島津義久
戦闘民族薩摩人類を率いて戦国時代の九国を震え上がらせた島津四兄弟、その長兄。
その優れた政治・外交手腕をフルに発揮して島津の国の自治を守り、義弘・歳久・家久というバーサーカー弟ズが暴れられる状況を維持してみせた稀代の政治家。
一度で終わらぬお国の大ピンチを口八丁で受け流した手口は驚き。

フィクションにおける戦略家としてはかなり有名な人物。
戦術家としても優れるが、やはり「戦術のヤン」「戦略のラインハルト」という対峙が美しい。
実際直接対峙した際には危うくヤンに負けかけたことがあるが、戦略的な機動により見事にその状況をひっくり返している。
単純に地位と権力の問題でもあるが、彼の戦略眼が素晴らしかったことは間違いないだろう。

00年代アニメを代表する戦略家。
冒頭の台詞や「戦術的勝利なんていくらでもくれてやる」「戦略が戦術に潰されてたまるものか!」 等といった台詞からうかがえるように、「戦略は戦術に勝る」という信念を持つ。
その大胆な戦略によって優位な戦局を作ったり窮地からの逆転に長けるが、どうしても スザクなどの異常な戦闘能力 の前に彼の戦略は破壊されてしまう事が多い。

大洗女子学園の生徒会長。
「大洗女子学園の存続」という戦略目標のために西住みほを戦車道へと引き戻した張本人。
普段は生粋の戦術家であるみほの邪魔にならないように干し芋を貪る昼行燈を決め込んでいるが、いざという時は砲手として抜群の腕を見せる。
劇場版ではコネを駆使してお偉方の味方を引き連れ、文科省の役人学園の存続をかけた大勝負の実施を呑ませることに成功している。
状況はそれでも絶望的だったのだが、更なる協力者の力添えで勝負をひっくり返して見せた。

  • 大高弥三郎(紺碧の艦隊)
仮想戦記もの流行の嚆矢となった小説「紺碧の艦隊」の主人公の一人。
生まれ変わって太平洋戦争やり直しの機会を得た彼は「いかに穏やかに戦争を終わらせ、日本によい未来をもたらすか」を大戦略目標に定め、首相として日本を率いた。
本作は海軍のボス高野五十六(戦略)、潜水艦艦隊のリーダー前原一征(戦術)とメインキャラクターが担当する段階が定められており、戦略から戦術への階層構造がわかりやすい(巻が進むごとに話がややこしく哲学化していくが)。

「戦争においては戦術よりも戦略のほうが重要だと僕は思う!! 読者諸君! 戦術と戦略の違いは各自辞書(ディクショナリー)を引きたまえ!!」
戦略的行動なんてアウト・オブ・眼中のくせに戦略と戦術の違いはよく分かっているという頭のいいバカ

戦術家

  • パウサニアス
紀元前479年のプラタイアの戦いでペルシャ軍を破ったスパルタの王子。
30万ものペルシャ軍の猛攻の前に、互角に持ち込むのがやっとだった左翼のアテネ軍に対して、最初に敵を引き付けて防戦に徹し、攻勢に疲れた敵の隊列が乱れた瞬間に総攻撃をかける事で僅か1万のスパルタ軍が30万のペルシャ軍を大将戦死&総崩れに追い込むという大勝利を挙げている。
続いて、ペルシャからの補給を絶つために、ボスポラス海峡のビザンチオンを攻撃し、攻城戦能力劣悪のスパルタ軍を率いて此れを攻略してしまう。
しかし、ペルシャ軍捕虜を優遇したり、戦勝碑に自身の名を刻ませるなど国内保守派を刺激する事をやらかし続けた為に、ペルシャとの内通の容疑を着せられて粛清されてしまった。

カンネーの戦いをはじめとする数々の会戦で当時世界最強のローマ軍を圧倒した名戦術家。
一方でアルプス越えとガリア戦力の糾合は当時のカルタゴにとって唯一最適とも言える大戦略であり、劣勢のカルタゴがあれほどローマを苦しめられたのはハンニバルが出色の戦略眼の持ち主であったことも示している。

結果として「戦勝を材料にローマの同盟都市を離反させてローマを孤立させる」戦略はローマと同盟諸都市の結束力が予想以上に強固で、離反する都市がほとんど出なかったのが運の尽きであった。
なおローマとカルタゴの戦争は後に本当に同盟諸都市の離反を招くが、それは外部からの力ではなく内患とも言うべき理由だった。

後に莫大な賠償金を見事に支払いきってのけたのもまたハンニバルの手腕であり、政治的にも優秀な人間だった。
しかしその有能さ故に国内の政敵とローマから危険視されて失脚することとなる。

戦術レベルでは無敵に近い強さを誇るが、「戦略レベル」「政治レベル」ではあまりに無能という両極端な人物。
五十六万の大軍をたった三万で蹴散らし、その衝撃で劉邦側に寝返っていた諸侯王が項羽側につくなど、その戦術の強さは戦略や外交さえ引っくり返すものだったが、結局は戦略と政略の差を覆せずに力尽きた。
中国史上最強の名誉をほしいままにする男だが、その彼ですら戦術だけでは勝てなかったということか。

  • 源義経
伝説的な部分も多いが、「一人の指揮官」としては極めて優秀だったのであろうことは間違いない。
しかし、その一方で政治的な駆け引きや東国武士の価値観への理解力に疎く、兄の頼朝と後白河法皇という戦略家の間で泳ぎ切ることに失敗し、結果的に兄の怒りを買って謀殺される最期を迎えてしまう。

  • 足利尊氏
武将としては非常に優秀な人物だが、政治家としてはどうにもやる気のなさが目立つ室町幕府初代将軍。
本人としては後醍醐天皇に逆らうのは不本意だったようで、「そもそも政治に関わりたくない」というのが本音だったのかもしれない。
ちなみに、後醍醐天皇に逆らいたくないがために出家までしようとしたが、味方が後醍醐の親書を偽造して「出家しようが許さん」と脅したために渋々やる気を出している。
引きこもっていても、代わりに戦っている弟が負けそうになると出てきて敵に勝っちゃうお兄ちゃん。そんな弟とも政治的に反目するのだが…
やる気は無いが本気を出したらチート、を地で行く存在
「七代の孫に生れ代りて天下を取るべし」をスローガンに、いつでも鎌倉幕府にとって代われるように一門を育て上げてきた足利家累代の遠大な戦略にも注目すべし。

  • 楠木正成
足利尊氏の親友でもあった南北朝時代最大の戦術家。
山岳戦、市街戦等に持ち込んで少数の味方で大軍を翻弄するゲリラ戦の名手である他、『城塞の外側に騎兵の秘密基地を複数作って攻囲軍の背後を脅かす』と騎兵指揮官としても優秀。
敵である足利尊氏に勝ったタイミングで追撃ではなく有利な条件での講和を進言する*4、尊氏が九州四国の軍勢を糾合して攻め上ってきた際には、一旦京都に引き入れて補給線を攻撃する作戦を立てる等、戦略家としても当代一の人物であるが、味方には意見を採用されず、敵にばかりその知謀を評価されると恵まれていない。
最期は「敵の大軍に正面決戦を挑む」命令を下され、親友故に正成の恐ろしさを誰よりも評価していた尊氏の全力の攻撃をまともに受ける形で配下の部隊諸共玉砕。
死後に、尊氏は正成の首級を丁重に夫人に返還している事から、尊氏の正成への友情や敬意は本物であった点だけは僅かな救いか。

  • 真田家
「単なる一戦術家」として戦国の世を駆け抜けた地方豪族。
「上田合戦」や「大坂の陣」などで卓越した戦働きを残しているが、政治的な立場に恵まれずその真の実力をなかなか発揮できなかった。
もっとも、徳川、北条、上杉という大勢力の間を泳ぎ回って独立を保ち、幕末まで存続し続けた一族の政治力、外交力は大いに評価されるべきである。

各所で伝説的な勝利を収めながら、結果的には一地方大名で終わってしまった彼も「戦術家ではあるが戦略家ではない」人物の好例かもしれない。
ただ、謙信の場合は本拠地である越後の地理的な問題も大きいのだが。

ご存知救国の聖女。
学は無く平民上がりで戦略に関しては初心者だったものの、局地戦における戦術は常識にとらわれない画期的なモノがあった。

人類史上初めて大砲を人に向けて撃った*5と書けばいかに彼女がぶっ飛んだ戦術家であったか伝わるであろう。
ジャンヌの率いる軍が快進撃を続けられた一つの理由はこうした常識外れの戦術にイギリス軍が虚を突かれたからである。
また、当時の戦争は良くも悪くも儀式化され、慢性化しやすい代わりに死傷者も少なく、人質も身代金で母国に返される牧歌的なものであったのに対し、ジャンヌの戦法は敵味方問わず死傷者を大量に出すもので、ヘイトを貯めてしまった一面もある。
「常識にとらわれない天才的(悪く言えば野蛮)戦術家」でありながら「周囲に疎まれ、上官に裏切られての中に消える」って、なんかさっきも見たような気がする。

  • ヤン・ジシュカ
15世紀ヨーロッパで起きたフス戦争における、フス派の指揮官。
義勇兵とは名ばかりのド素人集団を厳しい規律と新兵器*6と新戦術*7で強大な戦力に鍛え上げ、カトリックの騎士団相手に勝って勝って勝ちまくった。
フス派義勇団が戦闘前恒例の聖歌合唱をした所、それを聞いたカトリック騎士団から逃走者が出たという記録がある。
地方の反乱勢力でありながら、法王庁と交渉する所まで漕ぎつけたというからすさまじい。
しかし、彼の死後に対外関係の悪化と内部対立の激化によりフス派は壊滅した。
戦術面ではほぼ無敵だったが、戦術的勝利の積み重ねで余計な副産物が積み重なり、内政面で破綻したという事例である。

  • ヴィルヘルム二世
戦術的にはドイツ軍を増強し、一時的に領土を拡大することに成功するが外交面で失策が目立つ。
ビスマルクが一生懸命に作った国際関係を結果的に壊してしまった。
結果的に第一次世界大戦を引き起こす原因の一人となったとされるが、最近は学術的には否定されている。
どちらかというと彼だけでなく、ドイツ帝国の指導層全体が戦争に向かっていったとのこと。

「砂漠の狐」と仇名され、北アフリカ戦線で戦力的に劣る枢軸軍を駆使して優勢なイギリス軍を苦しめた名将。
しかしマルタ島の重要性を軽んじた結果、補給に始終難儀したことでも知られる。
敵国であるイギリスからも称えられた名将であったが、ドイツ軍事史の研究が進むにつれて前線指揮官としては超優秀だけど、戦略レベルではあんまり……という評価に固まりつつある*8
砂漠の真ん中で移動も困難な状況下で、数百キロ単位で離れている都市をどんどん攻略したら補給が困難になってしまったって…
本部と連絡が付かないのに勝手に前線で大暴れされても困ります……ってか、前線指揮官としても連合軍のノルマンディー上陸作戦の際には嵐が来ているので連合軍はまだ来ないだろうと判断して妻の誕生日を祝うため戦力増強を訴えるために戦線を離れたらロンメルがいない間に嵐に乗じて連合軍がやってくるという大ポカやらかしたりもしている。

ラインハルト最大のライバルだった戦術家。
ラインハルトが築いた戦略的優位を戦術的勝利で食い破り、一瞬だが逆転の目すら手にしていた。
ただ、彼の異色さは「戦略家としても高い資質を持ち*9、行動すれば権力を握ることができる場面もあったが、あくまでシビリアンコントロールにこだわって一軍人の立場を決して逸脱しなかった」ことである。
そのこだわりを「高潔」と見るか、「単なるわがまま」と見るかは後世の歴史家次第。

個人の戦闘力もずば抜けて高いが、局面戦における采配能力も高く、デスアーミーの用兵にも長ける。

ファイアーエムブレムシリーズを代表する戦術家。
高潔で大勢の人に愛される人格と、桁外れの強さを併せ持った英雄と呼ぶに相応しい人物だが、
本人はどこまでも一騎士であり戦略眼は無い……というよりは暗躍している者達の準備が整い過ぎていた。
どれだけ目の前の戦いに勝利を得てもより大きな謀略に翻弄され続け、ついにはすべてを失った。
しかし、彼の積み上げた「人徳」という得難い遺産は、息子へと確かに受け継がれた。
シグルドに戦略家としての資質があるかは不明だが有ったとしても、
これほど情報不足では状況判断のしようがなかった、という事例。

ガールズ&パンツァー主人公。
戦車の質は中堅かそれ以下、数の上では常に相手校の半数以下という大洗女子学園チームの隊長として、相手より優位な戦力を揃える所まで戦略に含めるならほぼ戦略的には不利を通り越して既に敗北しているような状況でしか戦った事が無いが、それらの不利を数々の奇策(無線傍受されているのを逆用して作戦を欺瞞する、敢えて敵の包囲の最も頑強な部分から突破する等)と乗員の練度で打ち破り、遂には並み居る強豪を押しのけて大洗を全国大会優勝まで導いた。
戦術的には名指揮官と言って差し支えないと思われるが、一方でプラウダ高校やBC自由学園の策略に嵌められたり、大学選抜との戦いでは(ルール上反則気味なカール自走臼砲の投入もあるとはいえ)序盤に大損害を受け、大洗連合としては貴重なM26との戦いで主力となり得る戦力を喪失した上での敗走と仕切り直しを余儀なくされるなど、戦略家としては些か未熟な面も見られる。


戦術で優位を取ったものの戦略で覆った例

  • 小牧・長久手の戦い
羽柴秀吉(後の豊臣秀吉)陣営と織田信雄(信長の次男)・徳川家康陣営の間で行われた戦い。
三英傑のうち二人が直接対決した唯一の戦いである。
緒戦は秀吉方が優勢だったが、家康・信雄連合軍もすぐに反撃に出て、秀吉の配下である森長可や池田恒興・池田元助らを戦死させ見事な勝利を収めた。
危機感を覚えた秀吉は講和を申し入れ、信雄はこれを受諾。
信雄が戦線を離脱したことで家康は戦争の大義名分を失ってしまい、三河へ帰国することとなった。
その後、家康は秀吉に臣従することとなる。
今日では家康・信雄側の戦術的勝利、秀吉側の戦略的勝利とされることが多い。
ただしこの講和時点では信雄としても裏切りが多かったことで戦略的勝利の見込みは薄かったことや、後まで血筋を存続させたことで信雄にとっても決して悪手ではなく、双方に戦略眼があった戦い。

  • マルプラケの戦い
スペイン継承戦争の行く末を決めた、イギリス・オーストリア・オランダからなる対フランス同盟軍とフランス軍の衝突。
最終的にフランス軍が撤退し同盟軍の勝利に終わったが、この戦闘での兵力消耗は勝利した同盟軍のほうが倍近く多く、この損害に厭戦気分を煽られた同盟軍はその後の攻勢維持と戦争継続が困難になっていく。
戦術的勝利を得た対フランス同盟だったが「フェリペ5世にスペイン王位を放棄させる」というこの戦争本来の目的からは大きく遠ざかる結果となった。

  • 真珠湾攻撃
日本から見ればアメリカ戦艦4隻を撃沈するなど、太平洋艦隊に大打撃を与えるという戦術的な目標は間違いなく達成できた。
しかし、戦略的に見れば、これまで日本と明確には敵対しなかったアメリカ世論を激怒させ、戦争の大義名分を与えてしまった。
日中戦争真っ只中の日本なのに、この上国力で上回るアメリカとの二正面戦争を始めることとなる。
Wikipediaで「太平洋戦争」の項目を見ると、「交戦勢力」の長さが3倍近く違う。
しかも枢軸側は半分以上傀儡国家などなので実際の戦力差は更に酷い。
その状況下で開戦せざるを得なくなったことは外交上・戦略上の大失策であった。
捕捉すると全くの考え無しではなく、既に戦略面(アメリカの経済圧力)で追い込まれていたために、一か八かでも有利にするにはこれぐらいしかないという理由で計画された。いずれにせよ大失策だが。

  • 大陸打通作戦
第二次世界大戦末期の1944年に中国戦線で実行された、日本陸軍史上最大の作戦にして最後の大攻勢。
大陸打通の名の通り、中国大陸を南下してインドシナ半島との補給線を陸路で結ぶと共に、内陸部の航空基地を占領して連合国軍の空襲を阻止することが目的だった。
作戦自体は少なくない損害を出しつつも順調に推移し、目的であった航空基地の占領にも成功したものの、その頃にはとっくに太平洋の島々が陥落、爆撃の拠点として機能するようになっており、空襲の阻止という目的を達成することはできなかった。

それでは中国(中華民国)軍にとっては戦略的勝利だったかというと、これがある意味日本以上の大敗北であった。
当時の日本軍は太平洋戦線や南方戦線では完全に守勢に回って敗走を重ねるばかりになっていたのだが、そんな有様の日本軍に中国軍がコテンパンにされたことで、ルーズベルトが蒋介石を見限ってしまったのである。
それが後の歴史にどのような影響を及ぼしたかは、現在の中国を支配するのが国民党ではなく共産党であることから明らかであろう。

イギリスが開発した戦艦ドレッドノート。
世界最新鋭で既存艦艇が全部陳腐化するほどの革命的な戦艦を建造したのは、戦術的には大きな成果ではあった。
が、他国に真似される一方自国の既存艦艇までが全部陳腐化
要は、長い目で見た時にイギリス海軍の持っているアドバンテージをほぼリセットする形になってしまったのである。
その分ドレッドノートが活躍したなら良かったが、大した活躍もせず解体されたとあってはなにをかいわんや。
ただ、同時期に米国で「連装砲塔4基を備えた戦艦」、日本で「戦艦の火力を備えた装甲巡洋艦」が建造中であり、遅かれ早かれ似たような戦艦は実用化されていたと思われる。

  • ユトランド沖海戦
第一次世界大戦における最大にして唯一の主力艦同士の決戦となった海戦。
イギリス海軍とドイツ海軍の合わせて約250隻が激戦を繰り広げるが、数で勝るはずのイギリス海軍は巡洋戦艦3隻を喪う大損害を受ける。
こうして戦術的にはドイツ海軍の勝利で終わったが、目標であったイギリス海軍の撃滅には成功したとは言えなかった。
またドイツの損害も小さくはなく、総合海軍力で上回るイギリスの優位が決定づけられた面もあった。
その後ドイツの水上艦隊は北海に引きこもり、終戦までUボートによる通商破壊戦に徹することになる。
その10年前の日本海海戦でロシア艦隊を壊滅させた東郷平八郎は「(イギリスの北海制海権を破る為に出撃しておいて)逃げ帰ったドイツ艦隊の明らかな敗北」と断言しており、戦術的勝利とすら見ていなかった。

  • ツェルベルス作戦(チャンネルダッシュ)
第二次世界大戦におけるドイツ海軍の対イギリス作戦。
白昼堂々ドーバー海峡を突破してフランスにいたドイツ海軍を本国に戻す、という大胆な作戦だが、ドイツ海軍は見事これをほぼ損害なしで成功させた。
目前を堂々と通過されてしまったイギリス海軍の面目は丸つぶれ。
思った通りの場所に主力艦艇を動かし、イギリスの世論に揺さぶりをかけ、戦術的にはほぼ何もかもドイツの目論見通りな展開となった。
が、ドイツ海軍はこれで制海権を奪回できたわけではなかった。
むしろ狭い水域に自ら主力艦艇を押し込み、イギリス海軍としてみれば動きが読み易くなったのである。

  • カタパルト作戦(メルセルケビール海戦)
第二次世界大戦初期にイギリス海軍がヴィシー・フランス海軍の無力化を試みた作戦。
フランスの降伏によってドイツにフランス艦隊を接収される可能性があったため、イギリス艦隊はメルセルケビールに停泊中のフランス艦隊に対してイギリス軍への合流、即時の自沈、戦闘の選択肢を迫るが本部への連絡がつかないフランス艦隊は返答に窮してしまい時間だけが経過、痺れを切らしたイギリス艦隊は攻撃を開始した。
フランス艦隊は新型艦のダンケルク級戦艦がまともに反撃出来なかった*10こともあり戦艦1隻が沈没、2隻が中破、補助艦艇数隻が損傷した一方で、イギリス艦隊の損害は航空機5機と軽微であった。
イギリスとしても本心では先日まで味方だったフランスと戦いたくはなかった(作戦を命令したチャーチルですら「最も不快で困難な仕事」だと語ったとも)ため、攻撃の手を抜いていたのだが、
先日まで味方であったイギリスによる攻撃はフランスの世論を激怒させ枢軸国寄りにしてしまった上に、ダカールやマダガスカルでの戦闘ではフランス軍がより強固にイギリス軍に抵抗する結果となった。

戦場では終始アメリカが圧倒的優勢に立っていながら戦略面では恐らく史上最悪レベルだった「戦闘で勝っても戦略がダメなら無意味」と言う好例。
比較するのもバカらしいほどに優れた装備と物量がありながら、アメリカには勝利のための明確なビジョンは無かったし、勝利のためにどこまでの人命や資源をつぎ込むべきなのかの基準も無かったし、そもそも何が目的の戦争なのかもちゃんと決まっていなかった。
後に「そこにベトナムがあったから」の迷言を生み出す。
ここで学んだアメリカは「メディアコントロール」と「多国籍軍」を生み出す。

帝国による同盟侵攻作戦の最後の戦いとなったバーミリオン星域会戦。
ラインハルトが数の優位を捨ててまで用意したラインハルトとヤンの直接対決である。
激しい戦闘の末にヤンがラインハルトの防衛陣を突破し旗艦ブリュンヒルトまで迫ったものの、ヒルダの進言を受けた帝国の双璧がハイネセンを急襲。
緊急会議は抗戦で固まりつつあったが雲隠れしていたヨブ・トリューニヒトが現れて会議を制圧。
ヤンに停戦命令を出し、一部幕僚の進言をも退けてヤンがこれを了承。
戦闘は終了し不平等条約であるバーラトの和約へと繋がる。
この悔しさはビュコックが後に「民主主義国家の軍人として言ってはならぬことだが、ヤンは停戦命令を無視してブリュンヒルトを攻撃するべきだったのだ」と漏らしてしまうほど。

ジオン公国軍が地球連邦を打破するべく行った「一年戦争」序盤の展開。
新技術ミノフスキー粒子による電波攪乱で敵の耳目を封殺し、新兵器モビルスーツ核弾頭バズーカを装備させた高機動・大火力で、連邦宇宙軍を殲滅する。
その戦術により、連邦軍本部・南米のジャブローを「コロニー落とし」の一撃で消滅させ、国力差を覆して短期間で戦争に勝利する……という戦略を立てて、「ブリティッシュ作戦」と名付けて実行。
果たして、ミノフスキー粒子・MS・核弾頭のコンボ戦術は連邦宇宙軍を蹂躙した。
……が、肝心のコロニー落としは連邦の猛反撃によって目標の南米を外れオーストラリアに落下し、戦略目標「ジャブロー一撃撃破」は失敗。
焦ったジオンはもう一度コロニー落とし作戦を繰り返し「ルウム戦役」を開始したが、手の内を読まれていたこともあり、連邦艦隊の猛反撃でコロニー落としは作業段階で頓挫した。
どちらの戦いも、戦術レベルでは新兵器が奏功して連邦軍に多大な損害を与えたものの、戦略目標は果たせずじまい*11
結局、ジオンの「短期決戦での勝利」は消え去り、南極条約の流転・地球降下作戦の失敗などもあって戦況は膠着・長期化に陥り、ジオンは破れた。

さらに実は戦術レベルにおいても、終わってみればジオン軍MS部隊はかなりの被害を出しており、特に訓練を重ねた精兵の補充・再建はついに果たされなかった。
連邦に与えた損害は大きかったがジオンが負った損害もまた大きく、戦術面では「ほぼ痛み分け」、そして戦略目標は「すべてジオンの失敗」であり、そして戦争結果は「連邦の勝利」となった。
ちなみに、以後の一年戦争はほぼ一貫して連邦が戦略的主導権を握りっぱなし*12であり、ジオンはひたすら対処療法に走っていたこと*13も留意点である。

同じ失敗は後年のジオンの後継勢力であるアクシズのハマーン・カーンも犯している。
ジュピトリス攻撃の為に集中させた虎の子の熟練兵部隊をクワトロ・バジーナの不意打ちで壊滅させられており、*14その後はエゥーゴの第一線部隊の喪失によって一時的にサイド1やサイド3、連邦首都のダカール市を制圧する等の戦略的優位を築くが、ベテラン喪失の穴を埋めるために慌てて抜擢した新人に反旗を翻される形で組織は自滅してしまった。
クワトロの評ではエゥーゴやティターンズと比べるとアクシズの兵士の錬度は低く、辛うじてかき集めた熟練将兵を一網打尽にされてはジオン公国以上に打撃が大きかったと言える。


戦略で優位を取ったものの戦術で覆った例

  • 桶狭間の戦い
「北の武田家と東の北条家と同盟条約を結んで背後を固める」「織田家と斎藤家の同盟が破綻したタイミングで総攻撃開始」「司令部となる城を抑え、物資の運び込みにも成功」「圧倒的多数の大軍を動員」「尾張各所の砦を次々制圧」と戦略レベルで優位に戦局を進めていた今川軍であったが、「大雨に紛れて接近してきた信長自らが率いる織田軍の最精鋭部隊が移動中の大将と司令部に襲い掛かる」という窮鼠猫を噛む反撃でまさかの逆転負け。
現代では敗れた今川義元が低評価されがちであるが、領内の商業政策や同盟戦略などは勝った織田信長も政策の参考にしており、当時の人間からは有能扱いされていた。
一応「大将のいる本隊が手薄になっていた」ことは戦略ミスかもしれないが*15、それでもここまで事態が悪い方向に進むとは…

  • ワーテルローの戦い
ナポレオンの百日天下を終結させたフランス軍と第七次対仏大同盟との戦い。
戦略的に見ればナポレオンの行動は連合軍を各個撃破するためのこれ以上ないと言うほどに優れた物であったし、連合軍が戦場に投入できた戦力は少なく、雑多でまとまりに欠けていた。
しかし、フランス軍も長年にわたる戦役で練度が落ちていた上、的確を欠く元帥の指揮が遊兵を生み、兵力の優位を放り出すことになってしまった。
更にナポレオン自身も残された主力部隊の投入をためらうなど精彩を欠き、結果勝機を逸してしまう。
こうして劣勢な連合軍を指揮するウェリントンの卓越した戦術により援軍のプロイセン軍来援までに攻めきれず、完敗する事になる。

  • ナリタ攻防戦(コードギアス 反逆のルルーシュ)
日本解放戦線の本拠地である成田連山を攻略すべく出撃したコーネリア率いるブリタニア軍と日本解放戦線の戦いに横合いから殴りつける形で黒の騎士団が参戦。
人工的に土石流を起こしてブリタニア軍の大半を壊滅させ、更に指揮官でありルルーシュの真の目的であるコーネリアの確保を狙うが、スザクランスロットの参戦により失敗する(どころか逆にルルーシュが追い詰められる所であった)。
終始有利に戦況を進めていたルルーシュであったが、最大の目的だったコーネリアの確保には失敗したので大勝とまではいかなかった。
ただしもう一つの目的であった組織の掌握と改革もこの戦闘を通して果たせたため戦略的にも勝利で間違いない(烏合の衆も当然だった組織を大国ブリタニアでも対処しきれない組織に極短期間で発展させた)。

  • 大洗女子学園vsBC自由学園(ガールズ&パンツァー)
無限軌道杯一回戦で夏の全国大会の覇者とぶつかる事になったBC自由学園は、内部進学組と受験組が反目し合う状態が災いしてこれまで芳しい成果を出せずにいた。
しかし戦車道チーム隊長のマリーは、犬猿の仲の両組の仲違いを克服し、さらにスパイの偵察侵入を見越して殊更に仲の悪さを強調する芝居を打たせるまでに団結力を高める事に成功する。
実戦ではこの策により大洗女子の油断を誘い、大洗の主力部隊があわや全滅というところまで追い詰める事ができた。
しかし西住みほの奇策によりあと一歩のところで逃げられてしまう。 
その後は自分たちの得意な戦場であるボカージュに移動して仕切り直しを図るも、BC自由学園のソミュアS35に擬態したカモさんチームの撹乱に引っかかり元々の仲の悪さが露呈。
同士討ちで戦力を失ってしまう。
マリー、押田、安藤の首脳陣は諦めずによく健闘したが、数々の修羅場を潜り抜けてきた大洗女子の牙城を崩す事は出来なかった。

戦闘開始の段階で帝国軍の総兵力はイゼルローン政府軍の5倍で、イゼルローン側は船の操作人員も足りておらず、しかも切り札のイゼルローン要塞から離れた位置での戦闘
イゼルローン政府側は奮戦しつつも追い詰められていったが、ラインハルトの病の悪化の情報を掴んだことから考案された旗艦への決死の突入作戦の結果、一転して休戦に持ち込ませることに成功。
犠牲者も多かったものの、最終的にはバーラト星系を共和政府による自治領とする許可を得ることまで成功している。

銀河帝国皇帝パルパティーンは「デススター2反乱軍をおびき出し、圧倒的な戦力差で一網打尽にする」ことを計画し、「防衛網を固めたシールド発生基地」「反乱軍攻撃部隊を撃滅するための大艦隊」「実は完成していたデス・スターのスーパーレーザーと、勝利のための布石を整え、実際誘引作戦は成功した。
が、「原住民の抵抗」「反乱軍艦隊の決死の近接戦と想定外の粘り」が重なった結果、シールド基地は破壊され、突入に成功した反乱軍攻撃部隊によってデススターも粉微塵に。
さらに戦いのさなかで皇帝がライトサイドに帰還した一人の父親の反逆によって(一旦)死亡、さらに混戦のさなかで艦隊旗艦「エグゼキューター」とその優秀な乗組員を喪失することとなり、銀河帝国は崩壊の道をたどることになる。





追記・修正は戦略的に正しい目標を設定してから戦術的に行ってください。

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最終更新:2024年03月30日 19:35

*1 なおシェーンコップは原作で「それは分かっています」道原版でも「ですから、戦略の段階から五分の条件で…」と続けており、戦略と戦術の区別は理解している上での発言である。

*2 ヴァルキリープロファイル1が好例。最初にプレイヤーに与えられた目的と事情は真相のごく一部にすぎない。

*3 この時に劉備が関羽支援を行っていないことから連携が取れていなかった可能性もある

*4 建武の新政における後醍醐天皇の失政により、朝廷の信用が爆下がりしていた上に、尊氏が逃げた九州には足利家の人脈が強かった為、追撃しても上手くいかない。更に、当時の尊氏は後醍醐天皇への恩義や正成との友情を理由に積極的になり切れない一面があったので、「武士の統括を条件に後醍醐天皇の息子を次期天皇にする」ぐらいの譲歩の余地はあった

*5 当時、大砲は動かない城塞を破壊するための物としか思われていなかった

*6 当時最新兵器だった鉄砲を、軍団レベルで配備していた。これにより、筋力値が低い都市住民も参加できる軍隊を組織した。

*7 有名なのが鉄馬車砦(ヴァーゲンブルク)。輸送用の馬車を装甲化しておき、戦闘になればそれらをつないで即興の砦にしたのである。一瞬でも敵の足を止めれば、鉄砲は必殺だ。

*8 そもそも第一次世界大戦の叩き上げ軍人であり、そういう教育を専門的に受けていなかったことが一因とされる。

*9 士官学校で所属していた戦史研究科が廃止されるに伴い、学生を続けるために「成績の良かった」戦略研究科に仕方なく移ったというほど。作中でもラインハルトの指示による同盟軍のクーデターを予見しており、優れた戦略観を併せ持っていたことがわかる

*10 ダンケルク級の主砲は艦首側にのみ設置されているため艦尾側には撃てず、この時は艦首を陸地に向けた状態で停泊していた

*11 「THE ORIGIN」ではルウム戦役の目標は「連邦宇宙軍の壊滅」にあったとする。が、この場合も連邦宇宙艦隊は戦闘能力を維持したままルナツーに籠城したため、やはり作戦目標は失敗している

*12 連邦の戦略は「MSに対応した軍隊ができるまでは時間を稼ぐ。MS適応軍ができれば、できる限り素早く反撃する」で、MSの実戦と配備、艦隊との調和ができると、怒涛の勢いで反撃を開始した。その速さたるやジオンは兵士の補充が追い付かなかったほどで、ギレンも「速攻」と評している。

*13 基本的に「要塞に籠もり、来たる連邦軍を迎撃する」のみ。唯一攻勢をかけたのはジャブロー攻略作戦だが、これもオデッサ敗戦後というタイミングで、実際の目標もジャブロー制圧ではなく「宇宙船ドックを破壊して時間を稼ぐ」だった。

*14 また、これが原因でクワトロ…もといシャア本人も新生ネオ・ジオン設立時にベテラン兵不足で苦労する羽目に

*15 それでも直前の織田軍の襲撃を一蹴するだけの戦力を備えており、「襲撃してきた敵に完勝して気が緩んでいた」「大雨で敵の接近に気付くのが遅れて動揺した」「雨で鉄砲が使えない」「防御態勢を整える前に騎兵の突撃を受けた」の条件が揃っていなければ質・数双方で互角以上に渡り合えた筈だった