リパラオネにおける叙事詩(理:lipalain xendusira)では、リパラオネ文学における叙事詩を解説する。
概要
リパラオネ文学においては、叙事詩は韻文文学の時代(ドゥーシェーニル、
durxeenil)の代表格として看做されている。特にスキュリオーティエ叙事詩の影響力は非常に強く、
クローメなどで後世の文学的規範として長らく権威的な地位を持ち続けた。これらの権威が覆されたのは近代の文学批評が興ってからであったが、それは学術的な領域に限られ、現代になっても一般市民からは叙事詩に対する強い関心が寄せられている。
社会との繋がり
現代においても古典の叙事詩が大きな影響力があり、また現代人の詩人が短編やシリーズ物の叙事詩を書くこともあり、趣味が叙事詩を読むことなのは普通である。
命名やモットーとして叙事詩の一部が抜粋されることも一般的である。
名称
リパライン語のxendusiraはヴェフィス語のchenduseias「音楽」に由来し、これは古典リパライン語のciondur's vazaro「音を混ぜる」に由来する。本来叙事詩は歌われるものであったという背景が語源には伺われる。スキュリオーティエ叙事詩がヴェフィス圏から発したものであるため、当時の公用文書に用いられた言語であるヴェフィス語から叙事詩の用語が取り入れられたと見られている。
叙事詩という単語には詩が含まれるため、韻文のみが叙事詩であると思われがちだが後世になるにつれて叙事詩が示す形態は多様になってきている。
主な叙事詩
古代
スキュリオーティエ叙事詩
詳しくは
「スキュリオーティエ叙事詩」を参照。
スキュリオーティエ叙事詩は、ヴェフィサイトの中でも数少ないリパラオネ教徒であったスキュリオーティエ家のユフィア・ド・スキュリオーティエ・ユリアを中心にターフ・レチの誕生からリパラオネ教の興隆まで、ヴェフィス武士の興隆からユフィアの誕生から当主になり、mp.4486のスキュリヴェフィセスティアから、mp.4470までの戦死までを描く。
元々は古代に書かれた叙事詩であるが、ナショナリズムの高陽とともに近代に現代訳されたもののみが今まで残っている。
アルダスリューレの行
詳しくは
「アルダスリューレの行」を参照。
アルダスリューレの行は、公国期の英雄アルダスが名剣ユーレを携えて、砂塵使いのドルムに攫われた公国主の娘を救い出す話。一行で書かれたことから、行という名がついている。
原語は古典
リパライン語であるが、テクストはほとんど現代語で参照されることが多い。
中世
ヴァルガンテとシリス
詳しくは
「ヴァルガンテとシリス」を参照。
ヴァルガンテとシリスは中世時代のピリフィアー1100年代頃に書かれたスニーオーヴェイノである。スニーオーヴェイノの有名な作品の一つであり、作者は****である****。
神の怒りによって不思議な空間に閉じ込められたヴァルガンテが神に物語を捧げるという形式で
リパラオネ民族の民話集成としての形式も伴っている。
スキュリオーティエ叙事詩に続く民話集成の伝統を引き継ぎつつも、スニーオーヴェイノという新たな形式を伴いつつ、英雄譚ではない叙事詩の新たな形態を切り開いた。
アルタ叙事詩
詳しくは
「アルタ叙事詩」を参照。
作者不明であり、同年の文献の幾らかに言及があるが残っているのは四行ニ連の語り始めのみである。文献の言及はバラバラであり、テクスト分析によっても具体的な内容が判然としないうえに、残っているとされる写本の文章は文法的に間違っている始末である。このため、「そもそもこのような叙事詩は現実には存在せず、中世詩人らの共同幻想だった」と主張する文学史家も居る。
近代
義の詩篇
詳しくは
「義の詩篇」を参照。
義の詩篇はデュインにおけるリパラオネ叙事詩である。独立国家戦争時代前期の1620年から、ユーゲ人の叙事詩(
正義ある処 /
Bwa H'ansum Ro'raqos)が元となってデュイン・シェルケン政権で変質した古典リパライン語による叙事詩が口承されていくうちにユナ・リパライン語化したものであり、長いときを経てトイター教の物語からリパラオネ教の物語へと変化した稀有な叙事詩である。
レーネガーディヤ
詳しくは
「レーネガーディヤ」を参照。
レーネガーディヤは1660年にレシェール・ヴィール・ヴェラトイヤ(
lexerl virl velatoija)の手によって書かれた叙事詩。擬古典主義の発露となりながらも、クリシェを皮肉った描写もあり、娯楽作品としても楽しまれ、二次創作などが後に続いた。
現代
コンヴェルガニリア叙事詩
関連項目
最終更新:2025年03月07日 23:52