205系で最もオーソドックスな顔の車両たち。さまざまな線区に導入されていた。
量産先行車
大宮工場に眠るトップナンバー(京葉色時代) | 大宮工場で公開されたトップナンバー(山手線色) |
![]() |
![]() |
1984年度に製造された10両編成4本が該当する。東急車輌製造・日立製作所・日本車輌製造・川崎重工業がそれぞれ1本ずつ製造した。番台区分上は0番台に含まれ、基本的な構造はその後製造された車両に準じているが、窓形状が上段下降、下段上昇の2段サッシ窓(いわゆる田窓)である点が異なる。全4本が山手線に投入され、1991年に他の編成と同じく10号車にサハ204形0番台(6ドア車)が連結され、1996年から1997年にかけて先頭車には全編成、スカートが設置された。
2005年に埼京線へ使い回すサハ204を抜き取った上で山手線から京葉線へ転用され、結果的に製造時の編成に戻っている。なお、先頭車の運行番号表示器は当初巻き取り式であったが、1995年に0番台量産車とともにLED式に換装されている。
2005年に埼京線へ使い回すサハ204を抜き取った上で山手線から京葉線へ転用され、結果的に製造時の編成に戻っている。なお、先頭車の運行番号表示器は当初巻き取り式であったが、1995年に0番台量産車とともにLED式に換装されている。
0番台量産車
国鉄時代の1985年から分割民営化後の1991年にかけて、JR東日本の山手線・横浜線・埼京線・南武線・京浜東北線・中央総武緩行線とJR西日本の東海道・山陽本線(京阪神緩行線)に新製投入された車両がこれにあたる。近畿車輛がメーカーに加わった。また、横浜線向けの一部車両はJR東日本の自社工場であった大船工場で製造されている。ドア窓の大きさで区分されることが多いため、ここでもそれにならうこととする。前面の運行番号表示器は量産先行車では手動式の巻き取り式であったが、山手線は運行中の運用変更も多いことから、0番台量産車では設定器からの指令によるオレンジ色のバーで構成するマグサイン式を採用した。山手線用以外の増備車では巻き取り式に戻ったものの、本系列の末期の新製車にあたる武蔵野線用・相模線用では黄緑色のマグサイン方式の採用となった。なお、山手線用のマグサイン方式は表示器の照明が暗く、特に夜間の視認性に問題があったため、1995年にLED式に取り替えられた。他線の巻き取り式のものがLED式に取り替えてられている例も多い。
一部車両(京葉線及び武蔵野線向けの車両)は顔が異なるため別のページに記載されています。(こちら)
一部車両(京葉線及び武蔵野線向けの車両)は顔が異なるため別のページに記載されています。(こちら)
小窓車(ドア窓の小さい比較的初期に製造されたグループ)
分割民営化前に製造されたすべての車両と、分割民営化後に製造された一部の車両が該当する。山手線用として10両編成30本が増備され[17]、続いて京阪神緩行線に7両編成4本が投入された。なお、量産先行車の落成、1985年1月末から半年足らずの1985年7月に量産車の落成が開始されているが、これは同年9月に開業するの通勤別線(埼京線)用として、山手線の103系180両を同線に転用する必要があるためであった。国鉄分割民営化時は山手線用の340両がJR東日本へ、東海道・山陽緩行線用の28両がJR西日本へ承継された。その後も数十両ほど山手線向けとして製造されていた。
大窓車(ドア窓の大きい比較的後期に製造されたグループ)
1988年から横浜線に導入された車両からこれに該当する。201系同様に窓を小さくした子どもたちを苦しめるための客用ドアから一般的な大きさの窓を持つドアに変更された。また、運行番号表示器が巻き取り式に戻った。昭和63年度3次予算製造分では交渉の結果、大量発注を条件に川崎重工業が従来より25%安い価格を提示したため、他の4社はお役御免となった。この商談は1989年3月に行われたもので、本系列508両のほか、211系145両(2000番台・3000番台)、113系組み込み用2階建てグリーン車15両、総計668両の製造をすべて川崎重工業が受注したものである。当時の国内商談としては最大規模となる受注であったとのこと。この発注分は平成元年度分と平成2年度分の車両を一括発注しており、内訳は南武線用78両、埼京線用230両、中央・総武緩行線用20両、京浜東北線用60両、京葉線用120両となっていた。なお、これ以降の0番台増備車(武蔵野線用40両)も川崎重工業製となっている。
5000番台(VVVF化改造車)
舞浜駅に入線する武蔵野線直通列車 |
![]() |
時は2002年。山手線などで余剰となった205系を老朽化した車両の置き換えのため武蔵野線に転属させることとなった。だが、同線の既存車両は、直通運転を行う京葉線地下トンネルの急勾配区間に対応するために8両中電動車が6両という強力な編成を組んでおり、主に山手線からの205系を同線を含む多数の地域に転属させるにあたり、電動車不足が見込まれたことが登場の背景である。主回路の変更と主電動機の換装で電動車4両でも同等以上の性能を確保した。そのため、電動車のみが5000番台に改番されている。そして、この改造によって余剰となった界磁添加励磁制御装置と主電動機の一部は253系の増備編成(200番台)2編成に転用されている。なお、その後も多くの車両が改造されている。また、なんやかんやあって電動車が更に足りなくなったため(ほぼ埼京線とりんかい線のせい)、一部メルヘン顔の編成もこの改造を施されている。
600番台
宇都宮駅に入線するY11編成 |
![]() |
日光線及び宇都宮線末端区間で運用されていた107系や211系の置き換えのため、京葉線からメルヘン顔の編成が転属することとなったが、計画変更により2編成不足していた。そこで、埼京線から原顔の編成を2編成持っていくこととなった。その際に行われた改造の内容についてはメルヘン顔のページの600番台化工事の項目を参照のこと。
1000番台
京都駅に停車中の奈良線普通列車 |
![]() |
1988年にJR西日本が阪和線向けに設計・投入した車両である。全車両が近畿車輛で製造された。0番台と比較して、走行機器・前面窓レイアウトの変更、補助電源装置に静止形インバータ (SIV) の採用など多数の変更点がある。外観では前面窓のレイアウトが変更され、運転士側の窓が狭いものとなり、反対に助手席側を大窓に変更、下方に250mm拡大されたものとなっている。合わせて客室からの展望を考慮して助手席側の機器キセを低くし、乗務員室背面仕切壁中央窓と仕切扉窓を拡大している。また、客用出入扉と貫通扉が上方に20mm拡大されたほか、前者の窓ガラスが下方に拡大されている。(お客さん第一のJR西の姿勢、素晴らしいですね!)
車内は座席の1人分の掛け幅が拡大されたり、座席上部荷棚形状が金網式からパイプ式に変更されたりしている。歯車比はそのままに営業最高速度を 110 km/h に引き上げるため、主電動機を変更し、台車は高速走行を考慮してヨーダンパ取り付け準備工事を行ったものに、基礎ブレーキも高速対応用に改良されている。なお、走行性能の相違から0番台と併結運転はできない。その後のJR西日本の通勤形電車は207系に移行したため、製造は4両編成5本のみに留まった。現在は前面にスカートが取り付けられている。先頭車の一部に運行番号表示器のLED式化改造も行われたが、体質改善工事の際に撤去された。
この番台は2002年からJR東日本でも登場しているが、番号の重複はない。JR東日本が所有する1000番台については先頭車化改造車を参照。
長い間阪和線で運用されていたが、225系による置き換えに伴い同所奈良支所に転出、2018年3月17日より奈良線での運用を開始した(帯色の変更はない)。