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ご意見ご要望等、何かあればこちらまで。(過去ログ
  • 村杉集落の神社は風土記に記述のある熊野神社で間違いありません。木々の間にお宮が現存しているのも確認したのですが、おそらく参道が村杉唯一の住人の方の田んぼを突っ切っていく形になっていて気後れして参拝はできませんでした; - とんりすんがり (2020-09-07 21:06:02)
    • 熊野神社、ですよね。今は人の手もあまり入っていないでしょうから、建物はあっても動物の住処になっているかもしれないですね。五枚沢川付近にはなぜか狸とつく山がちらほらありますし、今住んでるかもしれません(笑 - 管理人 (2020-09-08 17:03:49)
  • 板ノ沢集落の虚空蔵堂はおおよそこのあたりにあります(https://maps.google.co.jp/maps?ll=37.724129,139.810365&t=k)。地図上目印になるものが無くやや不正確なのは申し訳ありません。集落の方に道を教えて頂いて沢沿いの道を進んでいくと斜面の上に小さなお堂がありました(https://dotup.org/uploda/dotup.org2249414.jpg)(https://dotup.org/uploda/dotup.org2249417.jpg)。またお堂の裏には元々お祀りされていたであろう岩窟も残っていました(https://dotup.org/uploda/dotup.org2249418.jpg)。ただ風土記の記述にもある通り虚空蔵様の虫喰いが酷く(後日図版で拝見しましたが確かに虫食い穴だらけでした)、お堂に置いておいては管理が難しいという事で本尊は人に頼んで別の場所に安置されているそうで、今はお堂は空っぽだそうです。写真を撮った際は一週間ほど前に村の奥さんたちがみんなでお参りをした後でたまたま草刈りがされていたそうで、運が良かったです。板ノ沢、大塩、柳津の虚空蔵様は元は同じ一本の木から彫られた姉妹という言い伝えがあるそうでがあるそうで、板ノ沢の虚空蔵様が一番上の姉菩薩で、次が大塩の虚空蔵様、柳津の虚空蔵様は末の妹なのだそうで、また柳津の虚空蔵様は姉二人を追い出したという言い伝えもあり板ノ沢と大塩の方は柳津にはお参りしないのだそうです(その時に大塩の虚空蔵様は妹の蓮華座を盗んで来たのでそもそも顔向けができないという何とも人間臭い言い伝えも残っています^^;)。 - とんりすんがり (2020-09-07 21:44:57)
    • 思っていた所と違いました(汗 付近に蝸牛山らしき山が無いようなので後年移転したのかもしれないですね。更に今は別な場所に保管されていると。何とも落ち着かない虚空蔵様ですね。 - 管理人 (2020-09-08 17:42:18)
    • 大塩の虚空蔵との関連ですが、1本の木から3躯の像を掘り出した話はその柳津村の記にあり、他の2躯は千葉と茨城にあると書かれています。どうなんでしょう…。今になって本当はどこから来たのか調べるのも無粋な気もしますし、そういういい伝えがあった事を残して置くに留めるのが吉ですかね(汗 - 管理人 (2020-09-08 17:49:29)
  • 立岩山は富士山とは別の山でこの地点にあります(https://maps.google.co.jp/maps?ll=37.635875,139.702530&t=m)。昔、富士山と立岩山が村の鎮守の座を賭けて満月の夜までにどちらが背を伸ばせるか競争をしたという伝説が残っています。山は人が見ていると背が伸ばせないそうで、最後の満月の晩に月の宮の天女が立岩山に微笑みかけてしまって背が止まってしまい、勝った富士山が村の鎮守となったそうです。負けた立岩山は怒って天女の羽衣を食いちぎってしまったので天女は空から落っこちてしまい、時折、立岩山からは天女が羽衣を織る音が聞こえてくるのだそうです。また雨乞いにも使われていて雷山という別名があり、ある年の雨乞いで雷に穿たれた穴の開いた大杉が今も残っているそうです。富士山は高松山とも書いたそうで、喜多方側では富士山、西会津側では冨士山と表記するようです。 - とんりすんがり (2020-09-12 08:49:34)
    • ですよね、違いますよね。失礼しました。何気に面白そうな伝承も残っていますね。山の話で女性が活躍しているのは珍しい - 管理人 (2020-09-13 20:31:53)
    • なお富士山の記述は耶麻郡大谷組高目村の方にあったので、いただいた情報をそちらに上げさせて頂きました - 管理人 (2020-09-13 20:33:32)
  • 背戸尻で葬られた「太郎」が誰なのか色々候補を挙げて頂き勉強になりました。確かに可能性としては熊井太郎が怪しいですね(歴史に名の残らなかった太郎がいた可能性もありますが)。五枚沢側の東岸には義経一行が通ったという古い道があったそうですが、やはりここも今や判然としません。板ノ沢の虚空蔵様の話も村に伝わっている話と圓蔵寺の由緒書きと全然ちがいますね^^;。大塩にも同じような話が伝わっているのですが、ここには板ノ沢の虚空蔵様は登場しないようです(追い出された仕返しに妹の蓮華座を盗んで来たというのは同じようです^^;)。また大塩の伝説では弘法大師が彫ったという事になっていて、室町時代の作という考古学的考証とは真っ向から対立しています。それぞれの地域にいろいろと異説があって「オラい村の虚空蔵様は~」という気負いが感じられて面白いです。 - とんりすんがり (2020-09-12 09:00:56)
    • 昔の話というのは、なんというか、ロマンですよね。同じモノでも伝わり方が違うというのが面白いんですよね。 - 管理人 (2020-09-13 20:36:28)
    • ただ、伝承は伝えていかないと廃れてしまうものなので、このWikiの記事が話を比較する元ネタになれればうれしいかなと思っています - 管理人 (2020-09-13 20:37:08)
  • 馬場野ですがgoogle地図で見るとここにありますね(https://maps.google.co.jp/maps?ll=37.633471,139.658696&t=k)ここにありますね。人家や作業小屋のようなものがあり、居住もあるようです。 - とんりすんがり (2020-09-15 22:16:17)
    • 情報ありがとうございます。峠越えた先だったのですね。手前にあるものとばかり思ってました。 - 管理人 (2020-09-16 06:44:36)
  • 一竿の水神社と船神社ですが、塩坪橋から下流200メートルの県道下にあるという記述を頼りに探しに行ったところ、この位置で見つけました(https://maps.google.co.jp/maps?ll=37.605878,139.731872&t=k)。二つの祠共に歩道から目視で発見でき、土手下に下りてお参りしてきました。ただ、浅学にしてどちらが水神社でどちらが舟神社かまではわかりませんでした。自分以外にも何枚かお賽銭が備えてあり忘れ去られているわけではないようです(https://dotup.org/uploda/dotup.org2260132.jpghttps://dotup.org/uploda/dotup.org2260136.jpg)また二つの祠の間に石碑が一つあったのですが、文字は判読できませんでした(https://dotup.org/uploda/dotup.org2260140.jpg)。自分は土手から下りて裏からお参りしてしまったのですが、正規の参道と思しき道も県道沿いに西側に伸びていました。ただ、どこから入るのかはわかりませんでいした(おそらく川岸が入り口?)。一竿の渡し場は昭和10年まで使われていたそうで、渡し守や筏師は必ずこの水神社と舟神社に差し掛かると北岸に向かって一礼したそうです。一竿から見て対岸の岩壁は「一竿のへつり」といい、4、50年ほど前まではこの岩壁を伝って塩坪集落と漆窪集落の間で行き来があったそうです(゚o゚;)。地理院地図にも点線道として載っています。 - とんりすんがり (2020-09-20 23:43:54)
    • あったんですね! 石祠だけではどちらの神社か判断できないですよね。しかも両方水の神様を奉っていますし…。一つに紋章らしきものがありますが、懸魚(けぎょ)の装飾にも見えます。何とも… - 管理人 (2020-09-21 08:45:23)
  • この一竿地区は石造物がほかにもいくつか見受けられ、今はひとけが無いながら昔は水運の要衝だったのではないでしょうか?県道北側の斜面に仙海聖人なる僧侶の供養碑、どういった人なのでしょうか…(https://dotup.org/uploda/dotup.org2260182.jpg)。同じく県道北側に鬼子母神と何かの石碑(https://dotup.org/uploda/dotup.org2260183.jpg)。他に塚越富五郎という小栗上野介家臣の供養碑がありました(https://maps.google.co.jp/maps?ll=37.607323,139.730056&t=k)(https://dotup.org/uploda/dotup.org2260188.jpg)(https://dotup.org/uploda/dotup.org2260190.jpg)。塚越富五郎の供養碑の所在地は一竿集落の共同墓地でもあるようで、水運を監督していたという田代家の墓もありました。 - とんりすんがり (2020-09-20 23:57:49)
    • 一竿の渡し守が越後国から来たとの話から、てっきり渡部氏かと思ったら田代氏でしたか。遺跡を見ると、昔は吹屋よりも一竿の方に人が多く住んでいた気がしますね。 - 管理人 (2020-09-21 08:53:59)
    • 仙海聖人??うーん。お坊さんの名前は記録にないとわからないですよね。吹屋に記載のある田代丹波・樋口佐兄弟ですら情報が無いですし。 - 管理人 (2020-09-21 08:58:48)
  • 吹屋の長圓寺は長らく無住職になっていたのが昭和43年に雪で潰れ、完全に廃寺になってしまい、観音堂だけが残った形のようです。観音堂と三十三観音は現在個人の方が所有、管理しているそうです。 - とんりすんがり (2020-09-21 00:03:00)
    • 観音堂だけ残った感じでしたか。また雪…。 - 管理人 (2020-09-21 09:08:00)
  • 荻野駅の北にあるお堂は風土記の記述にある岩窟の観音様のお堂でした。この観音様は岩屋観音と言っていたそうで、乳の出が悪い女の人がが乳袋に見立てた米を入れた袋をお供えし、その米を炊いて食べると乳が出るようになると評判でかつては参詣者も多かったようです。が、現地に行ってみるとご覧のようにかなり荒れ果てていました(https://dotup.org/uploda/dotup.org2260214.jpg)、お堂を覗いてみると本尊の観音様もいらっしゃらないようでした…。途中の参道も地面がフカフカで相当人が足を踏み入れていない感じでしたが、実際近所の方に話を伺うともう何年も手入れをしていないとの事で、御本尊もどこにあるのかわからないとの事でした。若い方はそもそも観音堂の存在すら知りませんでした。今もそれなりに人が住んでいる集落で平安時代から続いていた信仰がここまで廃れてしまっているのというのは寂しいを通り越して不可解なものを感じました。旧高郷村の文化財目録を見ると個人所有の千手観音立像があり、もしかするとこれがかつての御本尊かもしれませんが…。岩屋も残っており、観音堂ははそれを塞ぐ形で立っている感じでした(https://dotup.org/uploda/dotup.org2260221.jpg)。 - とんりすんがり (2020-09-21 00:24:49)
    • 観音堂でしたか!ここだったんですね。会津は岩穴と仏様がセットで奉られていることがおおいですね。そう言えば、前に歴史研究家の石田さんが徳一がその文化を会津に持ち込んだと言っていまいしたね。 - 管理人 (2020-09-21 09:49:17)
    • 古臭い無駄と言われても伝承伝統は次世代への繋ぐ事が大事ですよね。せめて何か残せなかったのかと残念に思う事が多々あります。自分にできることは文字を打ち込む事くらいですが(汗 - 管理人 (2020-09-21 09:52:50)
  • 実川集落は平成14年に最後まで住んでいた五十嵐家の方が、高齢のために雪下ろしが出来なくなり、既に文化財指定されていた家屋を全て旧鹿瀬町に寄付して五泉市に移住し廃村になってしまったそうです(それ以前から厳冬期は五泉で過ごしていたようです)。小倉百人一首に載る猿丸大夫の「奥山に紅葉踏み分け鳴く鹿の~」の歌は実川で詠まれたという伝説があり文人の琴線に触れる地域だったようで、近代以降も河童絵で有名な小川芋銭や安倍能成といった文人が訪れ五十嵐家に泊まったそうです。山渓寺跡(廃寺)には五十嵐家の方が建立した芋銭の句碑があるそうですが正確な場所はまだ調べられていません。実川流域の村は小荒集落以外廃村という事で小荒井(向小荒)も廃村で確定のようです。地図に映ってる吊橋らしきものが気になります。 - とんりすんがり (2020-10-15 23:31:51)
    • 平成14年ってすぐこの間じゃないですか。それまで住んでいたという事実の方がびっくりしました。 - 管理人 (2020-10-16 20:11:03)
    • 向小荒の橋とはこれhttps://goo.gl/maps/neMM89iC6hE4TeYn6ですね。道が続いていないようなので、今は渡れるのかどうか…。 - 管理人 (2020-10-16 20:16:30)













最終更新:2020年07月02日 14:33