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  • テストです - テスト (2020-02-04 23:39:15)
  • 車峠の茶屋は昭和40年代まで住居として使われていたようです(なおその当時で電気が通っていなかったとの事)が、その後廃屋となり、昭和五十五年に雪害で潰れてしまったそうです。 - とんりすんがり (2020-05-27 22:03:41)
    • 昭和40年代って事は車トンネルが出来たタイミングで引っ越しされたんでしょうか。雪で潰れてしまったのは残念です。越後街道の遺産として何かの形で残して欲しいものですね。 - 管理人 (2020-05-28 08:00:38)
      • 車トンネル開通のタイミングで引っ越されたというのは大いに有り得ますね。高齢の男性が一人で住んでおられたとの事で、お子さんの家に移られたか或いはトンネル開通を待たずに亡くなられたのかもしれません。会津は豪雪地帯なので人の手入れが離れた建物は時を置かずして潰れてしまうので仕方ない面もありますが、いずれにせよ残念です。 - とんりすんがり (2020-06-07 08:24:37)
  • 長井集落、安倍仲麿神社に立ち寄ったところ縁起が記されていました。 ttps://dotup.org/uploda/dotup.org2167988.jpg 祭神は阿部仲麻呂その人で間違い無いようです。神社全景ttps://dotup.org/uploda/dotup.org2167996.jpg 奥の石鳥居は文久元年建立。ほか寛保元年建立の燈篭、講中安全の石碑がありました。 - 名無しさん (2020-06-07 08:43:29)
    • 阿部仲麻呂でしたか。祭られているのであれば間違いないのでしょうが、なぜ彼が唐突に表れたのか疑問が残りますね。 - 管理人 (2020-06-07 15:39:45)
  • 漆窪の田んぼの案内板は塩坪化石層についてのものでした。ttps://dotup.org/uploda/dotup.org2168000.jpg - 名無しさん (2020-06-07 08:47:11)
    • 情報ありがとうございます。太古会津盆地全域は海の中(阿賀川と口とした大きな入り江のような形)でしたが、その形跡が残る土地という案内板でしたか。 - 管理人 (2020-06-07 15:42:55)
  • 田子沼は安積疎水開削の際に灌漑されて水田になったそうです。 - とんりすんがり (2020-06-14 19:32:03)
    • (途中送信してしまいました)。とすると、風車から49号線を挟んで南側の水田一帯が田子沼だったのではないでしょうか。確証は持てませんが。 - とんりすんがり (2020-06-14 19:34:51)
      • 水田になってしまったんですね。たしかに位置的にも南側の水田があやしいですね。情報ありがとうございます。 - 管理人 (2020-06-15 17:52:28)
  • 白木城の集落は元々、酸川と長瀬川と合流点の東岸、国道115号線西側の - とんりすんがり (2020-06-14 21:29:20)
    • (つづき)三角に出っ張っているあたりにあったそうですが、明治21年の磐梯山噴火で琵琶沢の流れが変わったために集落に土砂が流れ込むようになり現在の地点に集落移転したそうです(対岸の渋谷集落も長瀬川寄りにあったのが移転したそうです) - とんりすんがり (2020-06-14 21:36:36)
      • (何度も途中送信すみません)天徳寺もこの際、現在の位置に移転したと思われます。 - とんりすんがり (2020-06-14 21:37:56)
        • なるほど。明治21年に移転したのですか。風土記の酸川の記述が北から西とあったので疑問に思っていたのですが、その地点にあったとのであれば記述通りですね。 - 管理人 (2020-06-15 18:06:19)
  • 琵琶沢についてですが、磐梯山東嶺から長瀬川に注いでいる川です(ttps://www.google.com/maps?q=37.592748,%20140.125118&t=k)。航空写真だと岸が鬱蒼としていてややわかり辛いですが…。この川は元々見祢村に注いでいたのですが、磐梯山噴火の際に発生した大量の土石流が沢を下って押し寄せ、見祢、白木城等各集落に甚大な被害を及ぼしました(見祢の大石もこの時運ばれて来ました)。その土砂のためにの元の沢は埋まってしまい、琵琶沢は現在の位置に注ぐようになったそうです。その後、まだ山腹に留まっていた大量の土砂が、雨が降る度に琵琶沢の流れに乗って白木城と渋谷の集落に流れ込むようになってしまい、生活が困難となって移転の已む無きに至ったようです。白木城の元の位置については、記事のリンクでの位置で大体合っています。 - とんりすんがり (2020-06-15 23:13:52)
  • 顯元原と言うのは秋元湖の底に沈んだ秋元原の事かと思われますが、あえてリンクを貼っていらっしゃらないのであれば差し出口申し訳ございません。明治21年の噴火の頃には木地集落が形成されており、住民の八割強が生き埋めとなる惨禍に見舞われましたが、風土記の記述から見ると人が定住したのはかなり後になってからだったようですね。袋原や千咲原なども原野としてしか記述が無く、開墾され人が住むようになったのはかなり最近と分かり、興味深いです。 - とんりすんがり (2020-06-15 23:33:30)
    • 秋元湖! …頭の中にありませんでした(汗)。情報ありがとうございます! - 管理人 (2020-06-16 14:12:46)
  • 塩川の諏訪神社は位置的にここですね。(https://www.google.com/maps?q=37.600184,139.885012&t=k) - 名無しさん (2020-06-30 22:28:37)
    • 情報ありがとうございます! 早速記事の方更新しました。 - 管理人 (2020-07-01 08:22:43)
  • 塩川の中心街(中町)は水利に目をつけた蒲生氏郷が故地日野から呼び寄せた近江商人が興した町で(現在の東邦銀行塩川支店にあった、会津藩本陣が近江屋だったり、近江商人〇〇代目とと掲げて営業しているお店が現在もあります)、彼らが日橋川の築堤工事で出来た湖を故郷を偲んで琵琶沼、琵琶阿湖と呼ぶようになったようです。御殿場公園や周辺の住宅地含め最大期で周囲一里ほどの湖だったようで(風土記の記述通り、だんだんと灌漑され縮小していったようです)、松平時代に藩主の避暑地として舟遊びや鷹狩りが行われ、御殿場と呼ばれるようになったようです。御殿場公園が整備されるまでは一帯は水田だったので(住宅地ができたのもここ二十年ほどです)、公園内の池は近年造成された無関係のもののようです。 - とんりすんがり (2020-07-01 00:23:52)
    • なるほど。氏郷公の時代から発展した商人の町だったんですね。御殿場公園にもそんな歴史があるとは知りませんでした。いつも情報ありがとうございます。 - 管理人 (2020-07-01 08:25:55)
  • 伝栗村(七宮)憲勝の墓(たまや)はこの場所に現存している事を確認しました。(https://www.google.com/maps?q=37.593575,139.887808&t=k)。五輪塔は他にもいくつかありましたが、一つだけ離れた高い位置にあり大きさも風土記の記述と一致するので間違いないかと。(https://dotup.org/uploda/dotup.org2189521.jpg)。手入れは全くされていない様子で寂しげでした。塚のの目印となる木が植えられていたようで幹も立派でしたが、、残念ながら枯れていました。 - 名無しさん (2020-07-01 21:53:33)
    • 情報ありがとうございます。位置的に道路と宅地で分断された阿弥陀寺の墓所の一角のようですね。どうしてこの地が「たまや」なのでしょうね。 - 管理人 (2020-07-02 14:20:13)
      • 恋人坂というのはここから見る会津盆地の夜景ががきれいだという事でアベック(死語)が多く訪れた事から近年つけられたローカルなデートスポットです。中には不心得な - とんりすんがり (2020-07-06 22:43:57)
  • 雲海なる怪力僧侶の塚も風土記の位置通りに現存していました。(https://www.google.com/maps?q=37.608686,139.882739&t=k)(https://dotup.org/uploda/dotup.org2189530.jpg)。田んぼの一角に怪しい茂みがったので行ってみたらドンピシャでした。こちらの五輪塔は残念ながら崩壊していました(https://dotup.org/uploda/dotup.org2189532.jpg)が、塔頭部分の大きさからすると完全な状態なら五尺ぐらいはありそうでした。 - とんりすんがり (2020-07-01 22:01:31)
    • 情報ありがとうございます。また田んぼ中まで御足労すみません。雲海の伝承はネットで調べても出てこないんですよね。名前に「海」の付く怪力僧なら平安末期に海尊がいて義経と一緒に奥州へ下ったとの伝承があるんですよね。雲海と関連があるかどうかは謎ですが。 - 管理人 (2020-07-02 14:30:07)
  • 佐瀬種常の墓はこちらです。五輪塔、文化二年建立の碑文共に現存し、町の史跡として整備されています。(https://www.google.com/maps?q=37.569686,139.963518&t=k) - 名無しさん (2020-07-05 09:34:50)
    • 情報ありがとうございます。町の史跡なのですね。磐梯町のHPには情報載っていませんでしたが…。 - 管理人 (2020-07-05 14:09:17)
  • 大和守種常の養嗣子、常雄の墓はこちらです。養父の墓同様に史跡として整備されています。https://www.google.com/maps?q=37.570758,139.955128&t=k) - 名無しさん (2020-07-05 09:46:43)
    • 川西組大寺村のの条にある会津の執権・金上盛備の墓はこちらです。金上壇と言う字名になっているようです。(https://www.google.com/maps?q=37.559399,139.983269&t=k) - 名無しさん (2020-07-05 09:55:01)
      • 情報ありがとうございます。ストリートビューで見る限り何か説明文が書かれた板があるようなので、ここも町の史跡として管理されていそうですね。 - 管理人 (2020-07-05 14:23:19)
    • 情報ありがとうございます。上原地区ではなく金屋地区にあるとは。何かあるなと思っていたのですが、よもや常雄の墓だったとは。 - 管理人 (2020-07-05 14:16:47)
  • 大寺村のページの金上遠江守盛備墓のgoogleマップへのリンクと表示がおかしくなっています。あと、金上壇が金山壇になっています。 - とんりすんがり (2020-07-06 21:57:23)
    • 大変失礼いたしました! ご指摘ありがとうございます - 管理人 (2020-07-07 12:27:55)
  • 小沼峠についてですが、地理院地図で見ると雄国滝のすぐ南につづれ折りの破線路が示されていますが、これが小沼峠の名残です。どういう線形を描いていたか今手元に資料が無いので詳しくはわかりませんが(数日前まで図書館から借りていたのですが;)北西に抜けていたようで、大正頃までは金沢峠よりも距離が短いこちらの方が多く利用されていたようです。雄国滝下流の堰は大塩村代官の平左衛門が文字通り全てをなげうって開削した雄国堀抜堰です。雄国滝もその際作られた人造滝です。赤羽堰は大塩川から引かれた南に流れる堰のようです。 - とんりすんがり (2020-07-06 22:33:38)
    • 情報ありがとうございます。雄国滝付近はあやしいと思っていたのですが、確証が得られずもんもんとしていました(汗 - 管理人 (2020-07-07 13:24:31)
  • 恋人坂というのはここから見る会津盆地の夜景ががきれいだという事でアベック(死語)が多く訪れた事から近年つけられたローカルなデートスポットです。中には不心得者もいたようで、面白い警告看板が設置されています(https://www.google.com/maps?q=37.624447,139.934817&t=k)。御覧の通りの長いまっすぐな坂なのでよくマラソンや自転車のトレーニングにも使われています。 - とんりすんがり (2020-07-06 22:47:28)
    • 恋人坂と恋人岬は、まぁ、冗談半分で記事に入れちゃったのでお気になさらずともよかったのですが。詳しい情報ありがとうございます(大汗 やはりというか、地元の人達の憩い(?)の場所だったんですね。 - 管理人 (2020-07-07 13:28:13)
  • 恋人岬というのは私も知らなかったのですが、やはり恋人坂同様夜景のきれいなデートスポットのようです。グアム島の恋人岬に形が似ているんだとかなんだとか。喜多方は青少年が遊べるような場所がほとんど無いせいか、デートといえば山や丘からの夜景!といった風習があるらしく、二十年以上前の話ではありますが高台の墓地で夜景目当てのカップルによる侵入が多発して問題になった事があります(汗)。 - とんりすんがり (2020-07-06 22:56:00)
  • 木地小屋の原と言うのは、御推察通り、現在の滝ノ原の事で間違いないです(少なくとも明治期には現在の名前になっています)。滝ノ原は昭和60年代に全住民が集落を離れ、廃村になってしまったそうです。数年前まで遅沢集落から車で訪れる事ができたようですが、今年探索を試みたところ、途中で路盤が徒歩でも無理なレベルで崩落しており断念しました。滝ノ原から雄子沢を通って猪苗代へ下る道が昔あり、猪苗代道と言っていたようで(取上峠はその鞍部だったようです)、このあたりから旧道に入れるのですが(https://www.google.com/maps?q=37.663651,%20140.029185&t=k)ほぼ藪化しており、こちらも一旦引き返しました。滝ノ原に電気を通していたと思しき電線がだるだるに垂れ下がっていました。 - とんりすんがり (2020-07-08 23:26:09)
    • いつも情報ありがとうございます。木地小屋集落という特性上交通の便が悪い場所だったでしょうし廃村は止むを得なかったのでしょうね。というか現地に行かれてたんですか。ええと、観光…ではないですよね? - 管理人 (2020-07-09 15:47:51)
      • どんな様子か気になったのと、かつてあった分校跡(鉄筋作に改装されと言う記録があるので、何かしら遺構は残っていそうです)と地形図にある神社を探しに行ったのですが、まぁ…観光と言えば観光かもしれません(汗)。豪雪地帯の上、土地も拡張性が乏しそうなので農村への転換も難しかったのでしょう。取上峠の旧道は電線の他、未舗装でしたがガードレールやコンクリ製の側溝も確認でき、近年一度作業道として整備されたのが林業の衰退で再び廃道化した感じでした。2000年の空中写真をを見ると道も集落跡も手入れがされている様子で、その頃までは人の出入りがあったようです。 - とんりすんがり (2020-07-09 23:15:26)
        • ええと、くれぐれも危ない所には近づかないようにしてくださいね(汗 でも、地図上に何か載っていれば現状を見てみたくなる気持ちはわかります! - 管理人 (2020-07-10 18:16:36)
  • 滝ノ原集落の名前の由来になったと思しき大滝(江戸時代に滝ノ原心中という心中騒ぎもあったと伝わります)も道の駅の観光案内板で名所として掲載している割に、細野峠の自動車道が廃道化しているせいで訪れるのが難しくなっているようです。せめてこちらは何とか手を打って頂きたいものです。 - とんりすんがり (2020-07-08 23:30:56)
    • …滝ノ原心中? また知らない単語が出てきました。北塩原村の観光協会は山塩以外の歴史文化財についてもっと力を入れて欲しいものですね。細野峠の整備も頑張って欲しいものです。 - 管理人 (2020-07-09 15:57:46)
      • 結ばれぬ間柄の若い男女が大滝に身を投げた事件があったのだそうです。以前、詳しい話も読んだのですが「北塩原村史」で読んだのだと思っていたら違っていました; - とんりすんがり (2020-07-09 23:07:51)
        • 細野峠沿いの大滝ですよね? やはりあの街道は復旧してほしいものです - 管理人 (2020-07-10 18:19:17)
  • 現存しない大塩の西福寺ですが、この赤い屋根の民家(https://www.google.com/maps?q=37.669242,139.987718&t=k)のあたりにあったようです。民家の裏手に墓所が確認できますが、元は西福寺の墓域だったようです。伊達政宗の謀略で檜原を追われた穴沢一族の残党がが一族の菩提を弔うために開基したという言い伝えがあり、明治の初め頃までは建在だったようですが、その後衰退して同宗派の長泉寺に吸収されたようです。 - 名無しさん (2020-07-11 18:09:35)
    • 情報ありがとうございます。お寺や神社等吸収合併した記録はほぼ残っていないので、このような情報は非常に助かります。 - 管理人 (2020-07-11 22:05:24)
  • 大塩村のページで亀甲坂?となっている地点ですが、神楽岩洞門という全く別のもののようです。この洞門の上に昔は道が通っており、神楽の一団が尾谷新田村から下川前村に向かう途中、あまりの険しさに神楽道具を谷底に落としてしまったという言い伝えから神楽岩と言われているようです(この話からすると風土記で既に廃村とされている遅谷新田村は洞門裏の山手にあったようです)。ただし本来の神楽岩は洞門よりやや東の山肌にあるそうで(樹木が生い茂っており目視できませんでした)、洞門が穿たれている岩壁は本来無関係なのだそうですが、今や混同されているようです。神楽岩洞門の道は昔は県道で、路線バスも走っていたそうですが、今の国道459号線が出来てから管理が放棄され、そのうち土砂崩れなどで通れなくなったそうです。 - とんりすんがり (2020-07-12 21:21:35)
    • 情報ありがとうございます。 現地に行かれたんですか?何か申し訳ないです。 亀甲坂については漆村の記述を見ている時に「何か勘違いしているかも」と思ていたのですがやはり違っていましたか。ちなみに、下郷の方にも洞門があり昔バスが通っていた廃道があるようです。 - 管理人 (2020-07-12 22:41:50)
      • 自分が気になって調べているだけなのでお気になさらず^^;現地の方のお話が聞けて貴重でした。大塩の歴史や伝承に詳しい方がいたとの事ですが、今は相当な御高齢で施設に入ってしまっているそうです(>_<;)。神楽岩については春先など木々が枯れている時期ならば見えるかもしれません。 - とんりすんがり (2020-07-12 22:58:40)
  • 亀甲坂についても調べてみましたが、大塩から大久保に向かう途中の道にあったようで、グダ沼という沼に住んでいた人食い亀を弘法大師が退治しその死体をを埋めた場所という説、グダ沼がが干上がった際にに住んでいた亀たちが亀甲石になった説と云われが複数あるようです。ただ、正確な場所についてははっきりわかりませんでした。地元の方にもお話を伺ったのですが、御存じないとの事でした。もう少し調べてみようと思います。 - とんりすんがり (2020-07-12 21:29:50)
    • さらに現地の方へ取材までなさって…。本当に申し訳ないです。 それにしても旧米沢街道という大きな道だったのに情報がほとんど無いのは不思議ですね。会津若松市なんて銀山街道というマイナーな道ですら地図があるというのに。北塩原村も遺跡の整備を頑張って欲しいものです。 - 管理人 (2020-07-12 22:47:30)
      • 米沢街道では大塩峠、蘭峠近辺は案内板があちこちに設置されていたり、旧道が遊歩道化されていたりするのですが、大塩以南は現在のところ、あまりそういった標識は無いですね;ただ、近年柏木城が発掘調査、整備されたりもしているのでだんだんと整備が進んでいくかもしれません。 - とんりすんがり (2020-07-12 23:02:21)