大沼郡

※国立公文書館『新編会津風土記71』より

【延喜式】陸奥国三十五郡の中にこの郡を載せず。【神名帳】に伊佐須美神社を会津郡の下に出す。その頃までは会津郡の内なりしと見ゆ*1。その後分かれて一郡となりしにや。
【和名鈔】にて初めてこの郡を載て36郡とし、細註に『今、大沼・河沼二郡と()す』と見ゆ(此註宜く会津郡の下にあるべし、白河郡の下にあるは誤れり)。この郡の載籍(さいせき)に見えたる初なり。
高田組竹原村に大沼という沼あり。また、大沼明神の社あり。郡名これに因れりと伝う。【節用集】五十四郡の中に大治あり。この郡を誤れるなるべし。

東南は共に会津郡に隣り、西は会津郡・越後国蒲原郡に交わり、馬尾滝山(うまのおたきやま)猩々森山(しやうしやうもりやま)を界とす。北は河沼郡・蒲原郡に続き高陽峯(かうやうみね)蒲萄倉山(ふたうくらやま)松坂峠(まつさかとうげ)を界とす。また戌亥(北西)の方は蒲原郡に並び鉾峠(ほことうげ)を界とす。

東西11里18町(東は会津郡の界鶴沼川より、西は会津蒲原2郡の界馬尾滝山に至る)。
南北7里24町余(南は会津郡の界船鼻山より、北は河沼郡牛沢組中野村の界に至る)。

この郡平地少なく山多し。民居大抵山間に住す。
その田は中の下、その畠は下の上なり。
気候は大抵会津郡に同じ。

橋爪・南青木・高田・中荒井の組々は郡の東端平衍(へいえん)の地にて田圃(たんぼ)少からず。鶴沼・宮川その土を流れ養水の便あり。芒種(6月6日頃)の前後に苗を植え、寒露(10月8日頃)の頃に晩稲(おくて)を収む。
永井野・東尾岐・冑の組々は明神嶽(みやうしんがたけ)博士山(はかせやま)神籠嶽(かろうがたけ)の麓に倚り山間に住し、上の諸組よりは花侯農務(やや)遅く寒暑の遅速あり。
滝谷・野尻・大石・大塩の組々は四方に高山(そばだ)ち、山中の一境なり。因って俗に金山谷(かねやまたに)と称す。

田少なく畑多し。平衍(へいえん)の地よりは東作は10余日差あれども秋収は大抵時を同す。寒気強く、雪は九月下旬より降り1丈余に至り4月中まで残雪あり。4月中旬の頃に桜花開く。凡此郡の習俗会津郡に異なる者なし。


郷名

  • 尾岐(おまた)
  • 金山(かねやま)
  • 野尻(のしり)
  • 川口(かはくち)

組名


山川

明神嶽(みやうしんがたけ)

冑組冑村の西にあり。
冑組大岩菅沼・永井野組蛇食・滝谷組鳥屋九九明・高田組軽井沢の端村市野上平大谷地等の諸村廻り麓に烈布し山足4ヶ組に跨れり。
頂まで大岩村より18町余。
博士山の北に並び府下より西南に見ゆ。
もと高田村伊佐須美明神の鎮座ありし処にて今なお東の頂の平坦なるはその跡なりという。
旱歳にはここにて雨を祈る。
この山東北は居平(いだいら)*2に臨み数山を隔て猪苗代の湖水遥かに鏡の如く見え眺望頗美なり。
西は瀧谷組に界ひ、北は高田組に接し、東南は冑・永井野両組に属す。
二岐川・蛇食川これに出つ。
雑樹多し。

博士山(はかせやま)

冑組下谷地村の西にあり。
喬木茂れり。
頂まで3里。
野尻・大谷・滝谷3組に連なり、山勢高大にてその脉支分して数山となる。
西に引たる峰に伊佐須美明神の社跡あり。御神楽嶽よりこの山に遷座ありてまた明神嶽に遷れりという。その地に2間四方計今に草木を生せず(これは大谷組大成沢村に属す)。
東は冑組に属し、西は野尻組に亘り、南北は綿延して諸山に続く。
博士川・高森川・魚留川・松倉川等これに出つ。
山中に怪岩3あり。地蔵岩(じさういわ)高10丈計、天狗岩(てんくいわ)高20丈計、高岩(たかいわ)高50丈計。
この山の南の方を越て金山郷諸村に通るを博士峠という。

神籠嶽(かろうがたけ)

東尾岐組東尾岐村の南にあり。
昔は朝立神社この山中に鎮座ありしという。
頂まで1里余。最高所を烏帽子嶽という。
東南は会津郡楢原組に属し、西は冑組に界ふ。
尾岐川・小屋川北麓に流出つ。
林木繁茂す。
土人この山に入て住を焼き木地の木を採る。

鶴沼川(つるぬまかわ)

会津郡小出組芦牧村より本郡南青木組穂谷沢村に入る。
会津大沼2郡の界を北に流れ、橋爪組本郷村の東に至り、会津郡橋爪組下米塚村の界に入る。
(ます)・川さいの類を産す。年魚(あゆ)多し。中にも本郷村の東山麓の淵にて捕るものを羽黒鮎(はくろあゆ)と称し味殊に美なりという。
この川昔は本郷村の東に至り西北に流れ高田組安田村の東に至り宮川に合し会津・大沼2郡の界なりしに、天文5年(1536年)の洪水に浩流直北に決し今の水脉となり、その故道田圃(たんぼ)となる。ただ橋爪村の東より濁川もとの水道を流れ宮川に入る。因て下流を俗に鶴沼川と称しこの川をは大川という。

宮川

源2あり。
一は会津郡楢原組明王山の北朝日森より流れ出、一は博士山の南より流れ出、下谷地村の南にて2水合し、落合村の北にて松倉川来り注ぎ、魚淵村の東にて小屋川を受け、尾岐窪村の北にて東尾岐川を得て、橋爪・高田両村を流し、安田村(高田組)の東にて濁川に合し(これより下を俗に鶴沼川という)、高田組の東を経て逆瀬川を受け、新屋敷新田村より本郡中荒井組に入り、和泉新田村より河沼郡牛沢組に入る。
濁川合してより下は鶴沼川の故道にて会津・大沼2郡の界なり。
広30間余。
さこ・川わい・鱒の類を産す。

只見川(たたみかわ)

会津郡大塩組十島塩沢村の界より本郡大塩組に入り、横田村の東北にて山入川これに注ぎ、越河村より大石組に入り、河口村の北にて野尻川来り注ぎ、三更早戸両村より滝谷大谷両組に入り、宮下村(大谷組)の東北にて大谷川来り注ぎ、西方檜原(共に滝谷組)両村の間より河沼郡牛沢組に入る。
大抵西南より東北に流る。
広1町計。
川さい・鱒・ざこの類を産す。

水利

思鑿堰(おもひほりせき)

橋爪組本郷村の東北向羽黒山の北麓にて鶴沼川を引き、会津郡中荒井組諸村の田地に灌ぎ、凡479町余の養水となる。
最終更新:2020年08月15日 22:39
添付ファイル

*1 wikipediaによると、「延喜式」は延長五年(927年)完成で、改訂を重ねた後施行となったのは康保4年(967年)。「延喜式神名帳」は延喜式の巻九と巻十の事。「国内神名帳」は貞観五年(863年)に式部省が諸国に作成を命じた神社帳の1つ

*2 会津盆地の事