魚沼郡小千谷組

越後国 魚沼郡 小千谷(おちや)
大日本地誌大系第34巻 81,88コマ目
※国立公文書館『新編会津風土記107』より

この地府城の西南に当り本郡の北端にあり。
東は堀内組と公領本郡に隣り、西は公領与板領刈羽郡に界ひ、南は十日町組に連なり、北は公領三島郡に続き、丑寅(北東)の方は長岡領古志郡に接す。

東西1里余(東は公領本郡川口村の界より、西は与板領刈羽郡千谷沢村の山界に至る)。
南北5里(南は十日町組中條村の界より、北は公領三島郡下山谷村の界に至る)。

東を信濃川流れ東南は山にて、その間に村里あり。西の方にも山(めぐ)れり。
谷内村・吉谷村より北は平衍(へいえん)の地にあり、農務の候は諸組に比すれば10日計早い所あれども10月中旬の頃には雪降る故、諸穀多く早種を()う。
田畝の用水は山間の渓水を用いるにより旱損(かんそん)多し。
信濃川に傍ふ村々は漁網(ぎょもう)の利あれども、時々水災あり。
諸村多く縮布(ちちみふ)を織出す。毎年3月末より諸国の商人小千谷村に集り縮布市あり。
この組にて子を産んで20日目に醴酒(れいしゅ)を造て近隣の童を饗す。兒を洗う者は児の一生恩愛母子に異ならず。
農業の始は、正月11日未明に男子各鍬を携え雪中に出、田打歌をうたい耕耘(こううん)の模様をなす。
15日(この事十日町組にもあり)藁屑を座中に散し、田植歌を唱え𣖾(ぬるて)の箸にて赤小豆粥を食し、また𣖾木の小札を作り『十二月』と書付け(まめがら)と共に窻戸(そうこ)に挿む。
8月朔日、儲置たる諸穀の種子を集め団子を製し神佛に供す。
12月煤を拂いたる箒を煤男と名け、門外に立て雪上に洗米酒飯を供す。煤男は六日町組塩沢組にもあり。

大井田郷に属する村4(下條上組村、下條下組村、上新田村、中新田村)、共に妻有荘と称す。
上川郷に属する村5(片貝村、牛島村、原新田村、岩沢村、豊久新田村)、吉田郷に属する村29(小千谷村、東千谷川村、西千谷川村、平沢新田村、千谷村、市右衛門新田村、長兵衛新田村、三佛生村、小粟田村、鴻巣村、坪野村、山谷村、新保村、市野宮村、土川村、藪川村、薮川新田村、時水村、時水新田村、東吉谷村、西吉谷村、四子村、谷内村、中村、山本村、池原村、池中新田村、塩殿村、真人村)あり。共に藪上荘と称す。

凡38ヶ村あり。



地図の東千谷川村と西千谷川村の位置が逆だと思われるのですが、参照元(国立公文書館のアーカイブ)の記載通りです。

地理院地図に千谷郷川がありません。現在の茶郷川が該当するのでしょうか?
最終更新:2020年12月21日 21:21
添付ファイル

*1 1文字目は『魚+石間』と書き「かじか」と読む