大沼郡冑組

陸奥国 大沼郡 冑組
大日本地誌大系第33巻 42コマ目
この地府城の西南に当り本郡の東南にあり。
東は東尾岐組に隣り、西は滝谷組に界ひ、南は会津郡楢原組に連なり、北は永井野組に続く。また丑寅(北東)の方高田組の地に交わる。

東西1里33町(東は東尾岐組東尾岐村の山界より、西は滝谷組高森村の界魚留川に至る)。
南北4里18町(南は楢原組戸石村の山界より、北は永井野組荻窪村の界に至る)。

西に博士山・明神嶽並秀て、東に宮川流れ20余区の村落両岸に傍て南北に連れり。四面に翠巒(すいらん)層出し水田少なく、ただ東北の隅のみ廣平(こうへい)の地に続いてわずかに坥夷(たんい)なり。
下谷地・中在家・中村入谷地の4ヶ村は南端の奥にて俗に谷地郷と称し最幽僻なり。霜雪の候やや早し。
大岩菅沼は西北の山中に住し、海老山村最その奥にありて地勢極めて高し。寒強く暑弱く幽陰の地にて五穀能熟すること稀なり。
諸村ただ山林の利(おお)く炭を焼き薪を採り、或いは鍬柄・盤槽(はんさう)盥洗(かんせん)の器なり。木を刳めて水を受ける所とす。径2尺余・深4、5寸計多く、ブナの木を用いる)・こすき(雪を(はら)う器なり。おおくブナの木を以て製す。形鋤の如し。柄の長2間計に至る者あり)・木屐(ぼくげき)(多く朴をもて製す)等を製し、また紫萁(ぜんまい)獨活(うど)を採り麻を植えて、共に府下及び高田村の方に(ひさ)ぎ出し生計とす。

この組の諸村、尾岐郷と称す。
凡て21ヶ村あり。

最終更新:2020年04月18日 08:56
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