西に博士山・明神嶽並秀て、東に宮川流れ20余区の村落両岸に傍て南北に連れり。四面に翠巒層出し水田少なく、ただ東北の隅のみ廣平の地に続いてわずかに坥夷なり。
下谷地・中在家・中村入谷地の4ヶ村は南端の奥にて俗に谷地郷と称し最幽僻なり。霜雪の候やや早し。
大岩菅沼は西北の山中に住し、海老山村最その奥にありて地勢極めて高し。寒強く暑弱く幽陰の地にて五穀能熟すること稀なり。
諸村ただ山林の利饒く炭を焼き薪を採り、或いは鍬柄・盤槽(盥洗の器なり。木を刳めて水を受ける所とす。径2尺余・深4、5寸計多く、ブナの木を用いる)・こすき(雪を拂う器なり。おおくブナの木を以て製す。形鋤の如し。柄の長2間計に至る者あり)・木屐(多く朴をもて製す)等を製し、また紫萁・獨活を採り麻を植えて、共に府下及び高田村の方に鬻ぎ出し生計とす。
この組の諸村、尾岐郷と称す。
凡て21ヶ村あり。
最終更新:2020年04月18日 08:56