※国立公文書館版より滝沢組地理之図。
雄山閣版は(なぜか)地図上から金堀と石盛山、牛畠が消されていた
東北に山連なり西南は広平の地に続き人煙繁し。
村落多くは山に傍で住す水旱の患少なく土地肥え五穀僥に薪材の用乏しからず。農隙に駄馬を追い、薪柴諸菌を採って府下に鬻ぎ出し、生産の資とす。
昔は原組の諸村もこの組に隷して瀧澤山組と称し、この組は瀧澤里組と称せり。寛文七年(1667年)分けて原組とす。
黒川郷に属するもの1ヶ村あり(滝沢村)。
その余は皆郷名を失う共に門田荘と称す。
最終更新:2020年06月29日 18:16