この地府城の東北に当たり、本郡の東北端にあり。
東は湖水を限とし西は
南青木組に界ひ、南は本郡福良組(福良組は安積郡に隷すれどもその他本郡に跨る)諸村の山に連なり、北は
河沼郡代田組に接し、辰巳(南東)の方は安積郡に続き
福良組に並ぶ。
三面に山を負い東に湖水を擁し、その間は谷地とて水溜り水草多く生ずる処なり。
土地瘠て田圃多からず。
諸組に較れば地勢もっとも高く、風烈くして寒気強く盛夏といえども朝夕は裌衣を服せり。分て原村は雪深くして、年に因っては人家を埋め昼夜となく燈を用いる事あり。
農隙には「クク」と云う草を採り、蓑を製して府下及び他邦に鬻出し、或は薪を採り筵を織る者多し。
また東田面・崎川・中田等の村々は湖浜に臨み網罟の利あり。
田代・高坂(原の端村)は山中にある故、炭を焼き生計の資とす。
皆郷名を失う。共に門田荘と称す。
昔は瀧澤組の内なりしが寛文七年(1667年)割て原組とせり。
参考
最終更新:2020年09月30日 19:29