会津郡原組

陸奥国 会津郡 原組
大日本地誌大系第31巻 19コマ目

この地府城の東北に当たり、本郡の東北端にあり。
東は湖水を限とし西は南青木組に界ひ、南は本郡福良組(福良組は安積郡に隷すれどもその他本郡に跨る)諸村の山に連なり、北は河沼郡代田組に接し、辰巳(南東)の方は安積郡に続き福良組に並ぶ。

東西1里余(東は湖水の岸より、西は南青木組湯本村の山界に至る)。
南北4里余(南は福良組諸村の山界より、北は代田組強清水新田村の界に至る)。

三面に山を負い東に湖水を擁し、その間は谷地(やち)とて水溜り水草多く生ずる処なり。
土地(やせ)田圃(たんぼ)多からず。
諸組に(くらべ)れば地勢もっとも高く、風烈くして寒気強く盛夏といえども朝夕は裌衣(あわせごろも)を服せり。分て原村は雪深くして、年に因っては人家を埋め昼夜となく燈を用いる事あり。
農隙(のうげき)には「クク」と云う草を採り、(みの)を製して府下及び他邦に(ひさ)出し、或は薪を採り(むしろ)を織る者多し。
また東田面・崎川・中田等の村々は湖浜(こひん)に臨み網罟(もうこ)の利あり。
田代・高坂(原の端村)は山中にある故、炭を焼き生計の資とす。

皆郷名を失う。共に門田荘と称す。
昔は瀧澤組の内なりしが寛文七年(1667年)割て原組とせり。




参考
最終更新:2020年09月30日 19:29
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