耶麻郡慶徳組

陸奥国 耶麻郡 慶徳組
大日本地誌大系第32巻 124コマ目
※国立公文書館『新編会津風土記66』より

この地府城の西北に当り本郡の中程にあり。
東は小荒井組に隣り、西は木曽組に接し、南は河沼郡青津坂下両組に界ひ日橋川を限りとし、北は五目組に連なれり。

東西1里(東は小荒井組高吉村の界より、西は木曽組小布瀬原村の界に至る)。
南北2里(南は河沼郡青津組北宇内村の界日橋川より、北は五目組五分一村の界に至る)。

東は平地に続き西に山連なり、村落半は山に倚り半は平野に住す。南に日橋川を帯び中間を濁川流れ、養水薪樵(しんしょう)の便よく田畠多し。その土油菜(あぶらな)・大豆・藍木綿に宜し。農隙(のうげき)(むしろ)を織て生産を資く。
萬力村・鎧召村・赤星村・大沢村・大木村・田原村にて藺笠(すけかさ)を製し(ひさ)ぎ出す。山崎村・真木村にて「ゆくり船」とて幅2尺計・長3間計の漁舟を浮べ長3、4間の竹竿に網をつけ1艘に2人づつ乗り、2艘相対して網をひたし川下に下て(さけ)をとる。俗にこれを鱖乗と唱ふ。

加納荘と称し百木郷に隷する村3(見頃村・岩沢村・細谷村)、新宮荘と称し郷名を失える村15なり(慶徳村・松野村・宮在家村・堀出新田村・綾金村・能力村・田原村・新宮村・山崎村・牧村・萬力村・鎧召村・赤星村・大沢村・大木村)。

この組凡18ヶ村あり。

最終更新:2020年08月26日 13:59
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