会津郡田島組

陸奥国 会津郡 田島組
大日本地誌大系第31巻 100コマ目



この地府城の南に当り本郡の中程にあり。
東は松川組に隣り、西は高野組に交わり、南は河島組に続き、北は楢原組に接す。
東西2里計(東は松川組落合村の界より、西は高野組下塩沢村の界に至る)。
南北1里30町(南は河島組中荒井村の界より、北は楢原組岩本・倉・小山・上添4ヶ村の界に至る)。

諸村皆山中に住し水田少なく麻・大小豆・(ひえ)(きび)を樹う。
ただ田島村のみ地面やや開け田畝(でんぽ)乏しからず。

下野街道にて習俗も自ら樸実(ぼくじつ)の風薄く山中の諸村とやや別なり。
水無村・田邊村は薪樵(しんしょう)の利多く(ほほのき)材・(かつら)板の類、仲附馬(なかつけうま)にて府下に出し諸品に交易す。

本組及び高野・河島・熨斗戸の四組を俗に上郷と称し。

皆衆山の中にありて耕作の節も平地よりは14、5日遅し。
農隙(のうげき)に他邦へ出て屋上を葺き木挽(きびき)をなし、あるいは麻・煙草・塗物の類を買売し。関東及び江戸の方に徒来する者少なからず。

また、深山の村々にて熊をとるに、春夏の間木実を食せんとて梢に上れるを伺い鑓鉄砲にてこれをとる。
冬より春に至っては大木のうろ又は岩穴に籠れるを、柴を伐り穴に入れば熊その柴を採って穴の中に籍き、漸く穴浅くなり己が身の露るるを覚えず、猟人その機を計り鉄砲を放ち或は月輪を聲をかけ鑓にて突殺す。熊の胸に月輪とて白き所あり、急所にてこれをつけば立つところに死すという。総て山ふかき村々にて熊をとる皆これに同じ。

この組の諸村関本郡に属するもの一ヶ村あり(永田村)。
余は皆田島郷に隷す。

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