耶麻郡塩川組

陸奥国 耶麻郡 塩川組
大日本地誌大系第32巻 35コマ目

この地府城の北に当り本郡の中程にて南にあり。
東は川西組に隣り、西は小荒井組に接し、南は河沼郡代田笈川両組に界ひ日橋川を限りとす、北は小沼熊倉両組に交わる。

東西3里1町余(東は川西組大寺村の界より、西は小荒井組貝沼村の界に至る)。
南北28町余(南は笈川組浜崎村の界日橋川より、北は小沼組上利根川村の界に至る)。

東に山連なり南を日橋川流れ、薪樵の便よく村里大抵平衍(へいえん)の地に住し田圃(たんぼ)多し。
赤枝・落合・入倉・上下西連の5ヶ村は山中にある(ゆえ)俗に山郷と唱え、田畝少なく薪材を伐出して生計の資とす。赤枝及び・上下西連の3ヶ村は東偏にて山水の交なれども田圃相雑はり。北に高山を負い寒気やや薄くその土竹に宜し。封内大竹稀なり。その地の産他に超絶せり。
西偏の諸村は養水乏しく夏に至て動もすれば旱魃の患あり。山郷の諸村は山間の出水を養水とす。仍て前年に雪深からざれば必旱損ありという。
日橋川及び姥堂川に近き村々は水災に苦しむ。塩川村・下遠田村は魚網の利あり。また上下遠田村は多く菜圃(さいほ)を闢き紅花・地膚(ははき)藍の類を種て(ひさ)ぎ出す。

この組及び小田付・小荒井・五目・慶徳・木曽・大谷・吉田組にて3月15日花祭の会とて老弱相集て飲宴す。

この組凡24ヶ村あり。みな郷名を失う。
新宮荘に属する村3(塩川村・上遠田村・下遠田村)、金川・馬場新田・落合・入倉の4ヶ村はそのかみ代田組に属せしが、寛文中(1661年~1673年)風土記撰述の時本組に隷せり。

最終更新:2020年07月05日 15:40
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