大沼郡永井野組

陸奥国 大沼郡 永井野組
大日本地誌大系第33巻 30コマ目

この地府城の西南に当り本郡の東にあり。
東西北は共に高田組に接し、南は冑組に隣る。

東西1里32町余(東は高田組上中川村の界宮川より、西は軽井沢村の界二岐川に至る)。
南北1里14町余(南は冑組松岸村の界より、北は高田組雀林村の界に至る)。

東は平衍にして田圃(たんぼ)多く、西は衆山連なる。
村落多くは山麓にありて常に旱災に苦しむ。因て往々堤を築き渓流を貯て田地の養水とす。
農隙(のうげき)には薪を採て高田村及び府下に(ひさ)ぐ。

永井野村・上戸原村は平野にありて専ら耕耘を事とし、宮川・赤沢川田地に灌ぐ(ゆえ)旱魃の患少なく五穀薪柴乏しからず。ただ蛇食村及び赤留村の端村中山のみ諸村に離れて西偏の山奥に住し寒厳く暑緩し。雪殊に深く民族やや朴なり。専ら山林の利をもて生計とす。また蛇食村にて楢木を曲て炬燵櫓を製し産業とす。俗に曲炬燵と称し極て下品のものなれども堅固にして寒国の民用に弁なり。

この組の諸村共に尾岐郷と称し凡て八箇村あり。

この組及び東尾岐・冑・滝谷・大谷・野尻・大石・大塩組にて、8月の初より村民山上に篝火を焚き或は鐘皷を鳴し或は鳥銃を放ち鹿猿野猪の害を防ぎ、2月10日・10月10日地神を祭り、3月中の霜祭は会津郡の山村に同じ。

最終更新:2020年04月14日 13:13
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