この地府城の東に当り、本郡の西南隅にありて
会津郡の地少くこれに属す(布引山の峯より南、鶴沼川に至るまでの地をいう)。
東は本郡守山領に界ひ諏訪峠を限りとし、西は
会津郡原組に隣り黒森峠を限りとす、南は布引山を越えて白川領岩瀬郡に界ひ鶴沼川を限りとし、北は湖水を限りとす。
また、東南の方は守山領岩瀬郡に接し勢至峠を限りとす。
東西3里16町余(東は守山領岩瀬郡勢至堂村の界勢至峠より、西は
原組原村の界黒森峠に至る)。
南北4里18町計(南は白川領岩瀬郡の界鶴沼川より、北は湖水に至る)。
高山南に峙ち湖水北に浸して、村落田圃多くは山間に闢く。
府下に較れば寒強く暑弱くして、春雪遅く消え秋霜早く降る。これに因て晩稲熟らず。
農隙には常に江戸に運送する米を駄し、或は莚を織り炭・山灰を焼き、鹿茸を採り搗栗を製し、望陀の皮を剥ぎ熊・野猪を猟て生産の資とする者多し。
赤津村は布引山に近き故、仲秋の頃村民6、7日の糧をつつみ布引山に入り山竹を伐るに、竹林深邃にして脊負い帰ること叶わざれば所々大樹の下に積置き冬雪積るを待ち、仲春の頃また雪舟にて山を引下し府下に鬻ぎ出す。
浜坪村及び福良の端村浜・赤津の端村秋山の3村は湖浜に臨める故漁網の利多し。
この組の諸村みな郷名を失う。
共に菱潟荘(古文書或は菱潟を菱縣に作る者あり)と称す。
凡6ヶ村あり。
- 福良村
- 端村:山崎、筧口、中沢、伊羅沢、大窪、入宇田、一本木、弥陀内、栗生、禰宜内、大将地、打越、余江新田、畠、境、峯崎、浜、穴尾、片岸
- 馬入新田村
- 浜坪村
- 赤津村
- 小名:千貫石、富永
- 端村:小枝町、北向、東岐、小倉沢、山根、秋山
- 三代村
- 中地村
最終更新:2020年10月06日 21:56