若松

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陸奥国 会津郡 若松
大日本地誌大系第30巻 93コマ目

会津郡の東北曠平(こうへい)の地にあり。そのかみ黒川と称す(の条下に詳なり)。
街坊200余屋を比し、軒を連ね府城の四面に(めぐ)る。

東西1里2町余(東は天寧寺町の東端より、西は材木町の末に至る)。
南北28町余(南は南町馬橋通より、北は糠塚町の末に至る)。

東奥の一都会なり。

東は滝沢南青木両組の民居間近くつとひ、西南北は平野にして耶麻大沼河沼三郡の村落数十里の外に連なり田圃(たんぼ)碁の如く敷き、黒川・鶴沼川の長流その土を潤し、地みな膏膄にして重嶺四方に環れり。

相伝う。至徳元年(1384年)芦名直盛城築の時は今の内郭のみにて外には士民雑居し又は寺院の道場なとありしが、蒲生氏就封の後文禄元年(1593年)今の内郭の四方数町に土居を築き(ほり)を環らし外郭とし初て士民の居を分かつ。その法内郭の形勢にしたかひ東西南北に道路と通し両頬に家居を営み諸士の居とし、外郭の四方16門を開て市店に通る郭外もまた郭内の制に准へ縦横に街衢(がいく)を通し列肆を設け新たに一都合をなせり時に、氏郷郷士を()い近江国蒲生郡若松森の名によりて黒川の號を改め若松と称せしより今に至り府下の総称とす。

最終更新:2020年09月30日 22:54