慶長16年8月の地震に山崩れ川塞りしかば、蒲生氏数千の役夫を集めて疏鑿 せしが、なお本郡7ヶ村・河沼郡16ヶ村の地を浸し東西35町余・南北20町余汎濫して湖水の如くなり。これを山崎新湖という。
加藤氏の時に至て下流を决 て水勢漸半を減せしが、寛永8年(1631年)9月の洪水に再び填塞 して水湛ふ。
当家に至ても寛文中(1661年~1673年)風土記撰述の頃までは新湖あり。漸々に疏鑿して水道旧に復し今はなし。
年 | 出来事 |
慶長16年(1611年) | 8月21日 会津地震発生。 慶徳組山科で地滑りがあり阿賀野川の水を塞き止める。 東西35町(約3.8km)余・南北20町(2.2km)余の地が水に浸かる。 |
寛永8年(1631年) | 9月13日~ 加藤明成会津藩を継ぐ。 9月?日 会津洪水。 |
寛文6年(1666年) | 会津風土記完成。山崎新湖のまだ水引かず。 |
1631(寛永8)年 諸国洪水。関東大洪水、堤押し切り人畜多く溺死す(9月)。会津洪水(9月)