山崎新湖

慶長16年8月21日(1611年9月27日)の午前9時頃会津地方を震源とした地震が発生し、各地に大きな災害をもたらしました。阿賀川(日橋川)も喜多方市慶徳町山科付近の土砂崩れにより堰き止められ川の水があふれ湖が出現しました。これを山崎新湖と呼びます。
川の近くにあった村は家や田んぼが水に飲まれてしまい大きな被害がでました。河沼郡青津組青木村の記述にもありますが、この為に村の場所を移す所もありました。
その後水抜きの為の工事が行われましたが、50年以上も湖は残ったままになったそうです。

※阿賀野川河川事務所のHPより

風土記の記述
耶麻郡慶徳組山崎村の日橋川の条に山崎新湖について記載があります。
慶長16年8月の地震に山崩れ川塞りしかば、蒲生氏数千の役夫を集めて疏鑿(そさく)せしが、なお本郡7ヶ村・河沼郡16ヶ村の地を浸し東西35町余・南北20町余汎濫して湖水の如くなり。これを山崎新湖という。
加藤氏の時に至て下流を(けし)て水勢漸半を減せしが、寛永8年(1631年)9月の洪水に再び填塞(てんそく)して水湛ふ。
当家に至ても寛文中(1661年~1673年)風土記撰述の頃までは新湖あり。漸々に疏鑿して水道旧に復し今はなし。

出来事
慶長16年(1611年) 8月21日 会津地震発生。
慶徳組山科で地滑りがあり阿賀野川の水を塞き止める。
東西35町(約3.8km)余・南北20町(2.2km)余の地が水に浸かる。
寛永8年(1631年) 9月13日~ 加藤明成会津藩を継ぐ。
9月?日 会津洪水。
寛文6年(1666年) 会津風土記完成。山崎新湖のまだ水引かず。
寛永8年には全国で洪水が発生していたようです。日本水害史年表にこうありました。
1631(寛永8)年 諸国洪水。関東大洪水、堤押し切り人畜多く溺死す(9月)。会津洪水(9月)


最終更新:2020年08月25日 19:25
添付ファイル