「あいつが憎しみを捨てるなら… 俺も憎しみを捨てる」
+
|
担当声優・俳優 |
-
野沢那智
- 1968年パイロットフィルム版、1969年アニメ版
-
杉田智和
- PS2ゲーム版
- 妻夫木聡
- 2007年実写映画版俳優
-
中村悠一
- 『アトム:時空の果て』
-
鈴木拡樹
- 2019年アニメ版
鈴木拡樹氏は舞台を中心に活動している俳優であり、同時期に公演された舞台版でも百鬼丸を演じている。
|
キャラクター設定
元は戦国武将である醍醐景光の息子であったが、
景光が天下を取るために契約した四十八の魔物達(作品によっては「魔神」「鬼神」などとも表記される)により身体の各部位を奪われ、
身体の四十八箇所を欠損させた死骸のような状態で生まれてきたため、それを疎んだ景光に川へ捨てられる。
そこを医者の寿海に拾われて彼の治療により一命を取り留め、義手や義足を与えられて育てられた経歴を持つ。
やがて自分の体を奪った元凶である四十八の魔物を1匹ずつ倒すごとに、
倒した魔物が奪った部位が徐々に戻っていく事を知り、四十八の部位全てを取り戻す事を目的として妖怪退治の旅に出る。
その道中で出会った「どろろ」(画像手前。最終回で
女の子だと明かされる)という盗人と行動を共にし、
妖怪達は勿論、父の景光や弟の多宝丸と壮絶な対立を繰り広げる事になる。
身体の各部位と五感を失うという重い障害を負って生まれた故に、
それを補うように高度な第六感や、目や口が使えずとも心で物を見聞きし会話する超能力を発現させており、妖怪の気配を感知する事さえできる。
しかし、この霊感の高さ故に、四十八の魔物とは無関係の妖怪や死霊の類にも付け狙われるという弊害を持っている。
また、魔物を倒す毎に肉体が戻っていくという事は、後述の仕込み武器が無くなり痛覚等も戻るという事であり、
魔物を倒せば倒すほど弱体化していくとも言える。
一方、PS2ゲーム版においてはゲームシステム都合で能力が純粋に増強し、
仕込み武器が手持ち武器として使えるようになるなど、プレイヤー的にはそれほど弱体化を感じる事は無い。
ちなみに声に出しての会話は全て父から習った腹話術によるものである。
寿海の手で腕には仕込み刀、脚には酸のような毒の焼水を噴霧する水鉄砲、鼻に爆弾など、
それぞれの義肢に仕込み武器が搭載されている
サイボーグのような存在。
義肢はどれも(かろうじて残されていた)肩をはじめとする体の一部の筋肉で動かすただの義肢義足に過ぎないにも拘らず、
剣の腕は我流ながら達人の域に達しており、
雑兵なら
数十人が相手でも軽く倒せる。
先天的なハンデを背負いながらここまでの体技を獲得できたのは、寿海のリハビリ指導だけでなく当人の不断の努力の賜物でもある。
超人的な第六感こそ有し、リハビリを経て義肢を自由自在に動かせるようになっていた百鬼丸だが、
しかし旅に出始めた頃はハンデがあるにしては凄いといったレベルで、そこまでの強さではなく、自身の体にコンプレックスもあった。
だが盲人ながら平然と断崖絶壁を歩く仕込み刀の達人の琵琶法師と出会い、彼に戦災孤児達と引き合わされた事で、
彼ら彼女らが義肢すら無いにも拘らず懸命に生きている姿を目の当たりにし、ハンデを背負っている事で悩んでいた自分を恥じて剣術修行に打ち込んだ。
そして孤児達を養うため、武将の陣屋に物乞い(また体を売っている事を示唆する発言もある)に向かう少女・澪との交流を経て、
百鬼丸は戦災孤児達の集落を、自分の居場所と定めるのだが……。
PS2ゲーム版での仕込み武器は刀に加えて右腕の機関銃、
右足の膝を展開して放つ大砲「忍ビ
怒雷」で、
魔神を倒し右足を取り戻すと手持ちのグレネードランチャーとなり、隙は若干大きくなるものの射程延長などの強化がされる。
実写映画版は和風の異世界を舞台にしたファンタジーとしてアレンジされている事で、仕込み刀以外の武器は登場しないが、
その代わりに寿海が呪い医師として作り上げた、生身と全く遜色ない生体部品によってその全身が補われている。
この生体部品は文字通り不死身であり、斬られようが刺されようが、すぐに自然治癒して元通りになる恐るべきものとなっており、
後述の2019年版アニメほどではないが、部位を取り戻した事で百鬼丸が弱体化する描写も取り入れられている。
また百鬼丸が鬼神を滅ぼす度その部品が抜け落ちて灰になって崩れ去る事で、彼が部位を取り戻した事が表現されている。
なお、仕込み刀はいずれの作品でも無銘ながら相当な名刀とされており、どろろが同行するのはこれを盗み出すという目的があるため。
原作漫画版では父・寿海がかつて殿様から授かったという業物であり、残ったその拵えは腰に差して道中差としている。
実写映画版ではこの刀の銘が「百鬼丸」とされ、寿海のもとに辿り着いた琵琶法師が百鬼丸の生い立ちを聞いた事で彼に託したもので、
当初は百鬼丸自身に名前が無く、旅人から呼ばれていた多くの通称の中にこの刀の銘を取った「百鬼丸」があった事から、
出会ったどろろがそれを彼の名として呼ぶようになった、という経緯で描かれている
(「どろろ」も同作では「人の姿をした怪物」を意味する百鬼丸の通称の一つで、同じく名無しだったどろろが勝手に拝借して自分の名にした)。
本作では
妖怪に家族を殺された刀鍛冶が妖怪を殺すというその一念でもって鍛え上げた妖刀という設定であり、
この刃によって斬られた妖怪は
爆発四散する恐るべき武器となっている。
2019年のリメイクアニメ版では設定が大きく異なり、魔物は十二体の鬼神に変更され奪われた部位も十二か所になっている。
そして(魔物含む)生き物の魂を感知する以外の
超能力を持っていないのが大きな違いである。
このため義肢は完全なからくり仕掛けで動かすものになっている他、
途中で聴覚を取り戻すまで会話する事もできず(というより声で意思を伝えるという概念も無かった様で、唸り声すら上げない)、
そのためEDでも当初は担当声優無し扱いだった。演者が舞台版も兼任しているためのスケジュールの都合とかじゃあない…はず
聴覚を取り戻した直後は当然
唸ったり叫んだりしかできない状態であった。
加えてそうした状況である事から性格面も大きく変わっており、原作他の各作品で描かれた飄々として頼りがいのある「百鬼丸の兄貴」としての姿は全く描かれず、
人間的にまだ未成熟でどこか幼くて危なっかしい、そしてそれ故に体を取り戻す事への執念が際立って強調されたキャラクターとなっている。
そうした変更もあって前述の「体を取り戻すと却って弱体化する」という要素も他メディア版よりもより強く押し出されており、
取り戻した肉体の感覚に戸惑い、翻弄され、敵との戦いに苦戦する描写も多く見られた。
加えて醍醐の国の繁栄は百鬼丸の体の部位と引き換えにもたらされたものであるため、百鬼丸が鬼神を討つごとに国が荒廃してしまう。
それ故に体を取り戻したい百鬼丸と、国を守らんとする多宝丸らとの戦いが、決して避けられぬものとなっていく。
実写版主題歌 × 2019年版アニメ
|
PS2ゲーム版
|
2019年版OP
|
1968年版OP
|
他、2018年から2023年現在進行系で『チャンピオンRED』にて、
『シャドウラン』リプレイや『
ペルソナ×探偵NAOTO』をてがけた士貴智志氏による『どろろと百鬼丸伝』が連載中。
こちらは妖刀似蛭や「ばんもん」、マイマイオンバなど原作準拠のエピソードを描いていく完全リメイクという体裁なのだが、
多宝丸との和解などをはじめ原作と異なる展開となっていく物語が描かれており、いかなる決着を見せるのか予測不能となっている。
+
|
結末について、ネタバレ |
原作漫画は当初、週刊少年サンデーで連載されていたが、差別問題など盛り込んだハードな時代劇テイストの作風や、
魔物の策謀により弟・多宝丸と対決、その命を奪ってしまうなどの暗い内容故に人気が出ず打ち切りになってしまう。
その後、掲載誌を冒険王に変えて、サンデー連載分を改稿連載した上で新作の連載が再開。
こちらは最終回で実の父である景光の失脚を描き、同時に十数体の魔物が混ざって現れた鵺を退治した後、
残された魔物の撃滅のため、百姓とともに一揆を起こすどろろに刀を譲り渡して一人旅に出て、
その後の百鬼丸は行方不明、というストーリー的に中途半端な内容の結末だった。
一応、舞台が加賀国は富樫政親の領土のため、どろろ率いる百姓の一揆が成功し「百姓の持ちたる国」となる事が暗示され、
最後のコマで魔物を祀る地獄堂は戦火で消失した事が語られるため、恐らく百鬼丸の悲願は果たされたのだろうと示唆されるが……。
ちなみにこの原作漫画版で、冒険王連載当初はどろろは魔物達が百鬼丸から奪った体を使って作り上げた子であり、
魔物を倒さずともどろろを殺す事で百鬼丸の体が全て戻るという設定があったのだが、単行本収録の際に抹消されている。
そのため、現在の単行本等では初期設定を見る機会は極めて少ないのだが、
PS2ゲーム版には予約特典として上記の設定に纏わるエピソードを抜粋した小冊子「どろろ 復刻版」が付属していた。
1969年のアニメ版では終盤でどろろと別れ、1年の旅を経て四十七の魔物を倒し帰還。
しかし最後の魔物が父・景光だと知り、それを切り捨てるという壮絶な戦いを経たために心を閉ざし、
肉体は人間のものとして全て戻ったもののそのままどこかへ姿を消す、という苦い結末になっている。
PS2ゲーム版では上記の初期設定が拾われ、どろろこそ百鬼丸の体から作られた人間で、さらにどろろに最強最後の魔神が宿っているという設定になっている。
魔神の刺客として作られた妖人から「どろろを殺せば体が戻る」と教えられるも、どろろに愛着を感じていた百鬼丸はそれを拒否。
四十七の魔神を倒し残るは右腕となった所で、どろろに上記の事情を告げ、魔神をどろろから切り離し倒すべく修行に出る。
そして五年後、成長したどろろに対しそれが命を脅かす賭けである事を告げ、それなら右腕だけこのままで生きていいと言うも、
百鬼丸の肉体を全て取り戻す事を望むどろろの言葉を受け、最後の魔神と対決。
その果てに魔神を倒して体を全て取り戻し、さらに無事どろろの命も救う事に成功するという大団円を迎えている。
なお、こちらでの景光は多宝丸が魔神により命を落とした事で改心し、どろろと共に領地を平和に治めるよう務めるという形で救済されている。
実写映画版では、どどろが親の仇と狙っている醍醐景光こそが自分の父だと知り、自分の中にどうしても家族に認められたい思いがある事を否定できず、
どろろも百鬼丸が父親を殺せるはずがないと悟ってしまったため、(無論、百鬼丸に無意味な事は承知の上で)百鬼丸を刺し、一度決別する。
だがどろろは百鬼丸の事を思って親の仇討ちを諦め、百鬼丸もどろろの事を思って親にこだわる事をやめ、二人で醍醐の国を離れる事を決める。
しかし母が「多宝丸」が生きていたと歓喜する事に嫉妬した実の弟・多宝丸の襲撃を受け、その結果多宝丸が死んでしまう。
さらに駆けつけた母が狂乱する父・景光によって切り捨てられた事で、百鬼丸は景光と対決し、これを圧倒する。
窮地に陥った景光が自らの肉体を捧げて魔物の力を借りた事で、多宝丸はそれによって蘇生。
直後に景光は自らの肉体を操って百鬼丸を襲わんとする魔物を抑え込み、己ごと魔物を斬るよう百鬼丸に懇願。
それに応じて実の父ごと魔物を倒した百鬼丸は、その魔物から取り戻した心臓を通して、
物理的にも精神的にも生まれて初めて感じた「胸の痛み」に震える事になる。
その後多宝丸と和解し、再びどろろと共に残った二十四の魔物を倒すための旅に出る所で締め括られている。
このように明らかに続編を匂わせるラストになっているが、以降の展開は立ち消えてしまっている。
かなりクオリティの高い良作なのだが、バタバタと一人ずつ順番に弟・母・父が駆け付けてくるクライマックスはちょっとシュール
2019年アニメ版では炎上する醍醐城にて、最後の鬼神により最後の部位「眼球」を与えられた多宝丸と対決する。
しかし百鬼丸は多宝丸に止めを刺さず、多宝丸も己の意思の力で眼球を抜き取って鬼神と決別。
現れた最後の鬼神を倒した事で、ついに百鬼丸は肉体を取り戻す。
だがその代償として多宝丸は命を落とし、実母は今まできちんと見てやれなかった多宝丸と共に死ぬ事を選択。
さらにかつて戦火の拡大に加担してしまった義父・寿海もまた、百鬼丸に「人として生きろ」との遺言を託して炎の中に消えてしまう。
その後、地獄堂で座禅する景光を斬る事無く人間として生きるように告げた百鬼丸は、「人として生きる」ために一人旅立ち、
数年後に復興を果たした醍醐の国で、どろろと再会する事を示唆するラストとなっている。
原作最終回後を 永井豪氏が描いたクロスオーバー作品『どろろとえん魔くん』では、
美女に成長したどろろが男装し、えん魔くん&シャッポじいらと共に百鬼丸を探して旅をする物語となっている。
妖怪のドスケベ攻撃に追い詰められたどろろの窮地にえん魔くんが駆け付けるのがお約束のエロコメディだが、
最終回では魔物を殺すため、失った肉体の代わりに魔物の体を取り込んで異形化した百鬼丸と邂逅するシリアス展開。
どろろに別れを告げて立ち去る彼を追って、どろろの旅は続いていく終わり方となった。
『どろろ』を原作とした漫画作品『どろろ梵』では、本編から数年後、美しい美女に成長したどろろと再会。
しかし彼女は既に魔物によって食い殺されており、不意を突かれた百鬼丸はどろろによって殺害されてしまう。
以後、百鬼丸はどろろを殺すという目的と記憶を持ったまま輪廻転生を繰り返し、
現代日本で女性(人格は男のまま)に転生し、梵という家出少女を道連れにどろろを探して旅をする物語となっている。
どろろの中にはやはり百鬼丸に置いていかれた無念や恨みが残っていたために魔物に殺されてしまった一方、
百鬼丸の中にもどろろや魔物を恨む気持ちがあり、それが形になった無差別に魔物を惨殺するもう一人の百鬼丸との対決を経て、
梵の助けを得て互いの気持ちが通じ合った事で、百鬼丸はどろろがほんの一時ながら人の心を取り戻す様を見る。
そして「どろろは滅ぼす。だが刀は使わない」と誓った百鬼丸は、梵と共に再びどろろを追って旅を続けていく最終回となった。
このように原作および実写映画版では展開が打ち切られたために全ての魔物を撃滅する前に終わってしまったが、
1969年アニメ版およびPS2ゲーム版、2019年アニメ版では魔物を全て撃滅し、肉体を完全なものに取り戻して完結を迎えている。
しかしながら多くの媒体で百鬼丸は肉親を自らの手で殺めるという業の深い内容となっており、
上記のうち景光を殺めなかった作品でも弟・多宝丸とは魔物の策謀によって対決・殺害する事になっている。
|
身体を欠損した人物が、執念で義肢を動かし復讐するというストーリーは、
同作者の『鉄の旋律』でも使用されたモチーフである(こちらはピカレスクロマン寄りの現代悲劇)。
また、同作者の代表作である『ブラック・ジャック』との共通点も多く、引き合いに出される事も多い。
その縁からか、同作では第3話のベン及び第25話の百鬼博士として
スターシステム的に出演しており、
「ミユキとベン」では一目惚れした少女ミユキのために強盗を働いて死亡するも彼女に臓器を提供してその命を救った不良ベン、
「灰とダイヤモンド」では強欲な老人の体内に埋め込んだダイヤモンドを巡ってブラックジャックと対立する百鬼医師を演じている。
研修医時代のブラック・ジャックの活躍を描いたスピンオフ作品『ヤングブラック・ジャック』(脚本:田畑由秋、画:大熊ゆうご)にも、
事故で四肢を失いながら高性能な義肢のお蔭で再起した若き天才医師・百樹丸雄として登場した事も
(アニメ版では
宮野真守氏が声を担当)。
百樹の家に家伝の刀「百鬼丸」が存在するあたり、前述の実写映画版の設定も拾っているのかも知れない。
+
|
『ヤングブラックジャック』「無残帳」編ネタバレ |
「無残帳」編では実質的な主人公として登場。
様々な手術用具を仕込んだ特殊義肢を開発した事で、再び外科医として再起の機会を掴んだ百樹であったが、
手術直前になって患者が「機械仕掛けの義肢に施術されるのは気持ちが悪い」と拒絶し、前途を閉ざされてしまう。
絶望した百樹であったが、その理由が何者かによってリークされた、百樹の義肢を用いた検死解剖写真によるものであると知り、
さらに四肢を失う原因となった事故も含めた全てが次期院長の座を巡った陰謀である事を突き止める。
復讐を誓った百樹は義肢に家伝の刀「百鬼丸」を仕込むと、一人、また一人と仇を殺してひた走る……。
……と、ほとんど『どろろ』現代編とも言うべきストーリーとなっており、ブラックジャックは完全に脇役。
首謀者である院長・大剛景光(醍醐景光)、百樹を裏切った親友・宝(多宝丸)らを筆頭に、
関係者全員『どろろ』キャラという、スターシステム全開で百鬼丸こと百樹の復讐劇が繰り広げられる。
一時は敵の罠によって逮捕収監、死刑を宣告されるも、ブラックジャックの協力を受けて脱獄に成功。
最後の仇である宝を追って戦地へと飛ぶ所で彼の物語は幕を閉じ、その後の消息については原作同様不明となっている。
幸か不幸か、此方では恋人である澪、特殊義肢開発のきっかけとなった少女・露々(どろろ)は無事であるため、
いつの日か復讐を果たした百樹が、せめて人としての平穏な日々を取り戻せる事を祈るばかりである。
|
- 武器の仕込まれた義肢を持ち、戦えば戦う程元の体に戻る=弱体化していくという設定が、
田島昭宇氏の『魍魎戦記MADARA』(ファミコンでRPGにもなっている)でオマージュされている
- SNKの『サムライスピリッツ』に登場する覇王丸のキャラクターデザインのモデル元
- 『どろろ』を原作に『テヅコミ』で連載されたサイボーグ少女「百」が孤児「ドロ」と共に復讐の旅をする
サイバーパンク漫画『サーチアンドデストロイ』
等が挙げられる。
手塚氏が『どろろ』を製作した背景には『
悪魔くん』のテレビドラマ化を発端にした妖怪ブームにあやかったとも、
その『悪魔くん』の原作者である
水木しげる氏の作品に子供が自分の作品より夢中になり、対抗心を抱いたためとも言われている。
なお、『
SD戦国伝』にも同名の忍者がいるが、こちらは『
Ζガンダム』関連のMS「百式改」が由来なので、
本作とは特に関係は無いと思われる。
MUGENにおける百鬼丸
Charmarher氏製作の『
JUS』風
ドットを用いた
ちびキャラが公開中。
デザインや動きは2019年アニメ版準拠。
高い機動力と
コンボ性能を武器にしており、
超必殺技では連続で相手を切り刻む。
AIもデフォルトで搭載されている。
出場大会
最終更新:2024年05月10日 16:41