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陸奥国 [[会津郡]] 古町組
&blanklink(大日本地誌大系第31巻){https://dl.ndl.go.jp/info:ndljp/pid/1179202} 119コマ目、125コマ目
#image(43-16.jpg,width=500)
#expand(500){{{
この地府城の西南に当り本郷の西南隅にあり。
東は高野組・熨斗戸組に隣り、西は黒谷組に及び本郷小出島組(小出島組は越後国魚沼郡に隷すれどもその地面本郷に跨る)及び日光神領下野国都賀郡に接し、北は和泉田組に交わる。
東西13里余(東は高野組針生村の界駒戸峠より、西は小出島組の界只見川に至る)、南北12里8町(南は戸倉村界小瀬沼より、北は和泉田村の界に至る)。
本郷西南の組これに至って&ruby(きわめ){窮}り。
越後・上野・下野の三国に隣り、四方みな数山を経て他組に通ず。
寒暑府下に比するに大いに異なり盛夏にも霜隕て五稼((五穀の事))熟せざることあり。冬雪最深し、年により1丈(約3m)余に至る。民々&ruby(そり){橇}を著って往来す。また、「なで((春に至て宿雪山上より潰ゆるを云。雪頽の方言なり))」「あひ((山雪凍りたる上に降重なり時ありて崩れ落つ音なくして勢強し土俗あひと称して最瘄これを恐る))」の患ありて行人往々に苦めり。
この組の村落多は檜枝岐川の両岸に連なり衆山四面に&ruby(ちょうじょう){重畳}し嶺&ruby(けわし){峻}く谷深し。魚猟採薪の便よく用水また乏からざれども山間の衆渓檜枝岐川に合し春雪&ruby(しょうゆう){消融}するあいだ洪水の害あり。民居、蕎麦・&ruby(からむし){苧麻}を植え蚕を養て生業を資く。
浜野村より南の方大桃村までの数村を俗に内川郷と称へ最山深く水田少なし。檜枝岐村はなおその奥三里余駒嶽の麓にあり。また、西南に燧嶽&ruby(そび){聳}え人煙ここに尽き地勢&ruby(しんすい){深邃}にして別境に入が如し。
寒気特に強く土地瘠薄((瘠薄:(土地が)やせている事。読み方不明))なり。ゆえに専ら&ruby(こばいた){小羽板}を割き曲物を製し&ruby(なかつけ){仲附}馬にて府下に運送し五穀に交易す。
この組の諸村伊南郷を称す。
-古町組上十ヶ村
--[[古町村>会津郡古町組古町村]]
---小名:&ruby(だうじゃう){道成}
--[[多々石村>会津郡古町組多々石村]]
--[[白沢村>会津郡古町組白沢村]]
--[[木伏村>会津郡古町組木伏村]]
--[[水根沢村>会津郡古町組水根沢村]]
--[[大新田村>会津郡古町組大新田村]]
--[[山口村>会津郡古町組山口村]]
---小名:下山口
---端村:板橋、台
--[[中小屋村>会津郡古町組中小屋村]]
--[[入小屋村>会津郡古町組入小屋村]]
---木地小屋:駒戸
--[[宮床村>会津郡古町組宮床村]]
-古町組下十三ヶ村
--[[鴇巣村>会津郡古町組鴇巣村]]
--[[大橋村>会津郡古町組大橋村]]
--[[青柳村>会津郡古町組青柳村]]
--[[小塩村>会津郡古町組小塩村]]
--[[宮沢村>会津郡古町組宮沢村]]
--[[浜野村>会津郡古町組浜野村]]
--[[落合村>会津郡古町組落合村]]
--[[朴木村>会津郡古町組朴木村]]
--[[耻風村>会津郡古町組耻風村]]
--[[大原村>会津郡古町組大原村]]
--[[小立岩村>会津郡古町組小立岩村]]
--[[大桃村>会津郡古町組大桃村]]
--[[檜枝岐村>会津郡古町組檜枝岐村]]
---端村:滝沢
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陸奥国 [[会津郡]] 古町組
&blanklink(大日本地誌大系第31巻){https://dl.ndl.go.jp/info:ndljp/pid/1179202} 119コマ目、125コマ目
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#expand(500){{{
この地府城の西南に当り本郷の西南隅にあり。
東は[[高野組>会津郡高野組]]・[[熨斗戸組>会津郡熨斗戸組]]に隣り、西は[[黒谷組>会津郡黒谷組]]に及び本郡小出島組(小出島組は越後国魚沼郡に隷すれどもその地面本郡に跨る)及び日光神領下野国都賀郡に接し、北は[[和泉田組>会津郡和泉田組]]に交わる。
東西13里余(東は[[高野組針生村>会津郡高野組針生村]]の界駒戸峠より、西は小出島組の界只見川に至る)。
南北12里8町(南は戸倉村界小瀬沼より、北は[[和泉田村界村>会津郡和泉田村界村]]の界に至る)。
本郡西南の組これに至て&ruby(きわめ){窮}り。
越後・上野・下野の三国に隣り、四方みな数山を経て他組に通ず。
寒暑府下に比するに大いに異なり盛夏にも霜隕て五稼((五穀の事))熟せざることあり。
冬雪最深し。年により1丈(約3m)余に至る。民々&ruby(そり){橇}を著って往来す。また「なで((春に至て宿雪山上より潰ゆるを云。雪頽の方言なり))」「あひ((山雪凍りたる上に降重なり時ありて崩れ落つ音なくして勢強し土俗あひと称して最瘄これを恐る))」の患ありて行人往々に苦めり。
この組の村落多は檜枝岐川の両岸に連なり衆山四面に&ruby(ちょうじょう){重畳}し嶺&ruby(けわし){峻}く谷深し。
魚猟採薪の便よく用水また乏からざれども山間の衆渓檜枝岐川に合し春雪&ruby(しょうゆう){消融}するあいだ洪水の害あり。
民居蕎麦・&ruby(からむし){苧麻}を植え蚕を養て生業を資く。
浜野村より南の方大桃村までの数村を俗に内川郷と称へ最山深く水田少なし。
檜枝岐村はなおその奥三里余駒嶽の麓にあり。
また西南に燧嶽&ruby(そび){聳}え、人煙ここに尽き地勢&ruby(しんすい){深邃}にして別境に入が如し。
寒気特に強く土地瘠薄((瘠薄:(土地が)やせている事。読み方不明))なり。ゆえに専ら&ruby(こばいた){小羽板}を割き曲物を製し&ruby(なかつけうま){仲附馬}にて府下に運送し五穀に交易す。
この組の諸村伊南郷を称す。
-古町組 上十ヶ村
--[[古町村>会津郡古町組古町村]]
---小名:&ruby(だうじゃう){道成}
--[[多々石村>会津郡古町組多々石村]]
--[[白沢村>会津郡古町組白沢村]]
--[[木伏村>会津郡古町組木伏村]]
--[[水根沢村>会津郡古町組水根沢村]]
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---小名:下山口
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---木地小屋:駒戸
--[[宮床村>会津郡古町組宮床村]]
-古町組 下十三ヶ村
--[[鴇巣村>会津郡古町組鴇巣村]]
--[[大橋村>会津郡古町組大橋村]]
--[[青柳村>会津郡古町組青柳村]]
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