耶麻郡塩川組

「耶麻郡塩川組」の編集履歴(バックアップ)一覧はこちら

耶麻郡塩川組 - (2020/07/01 (水) 11:33:35) の1つ前との変更点

追加された行は緑色になります。

削除された行は赤色になります。

陸奥国 [[耶麻郡]] 塩川組 &blanklink(大日本地誌大系第32巻){https://dl.ndl.go.jp/info:ndljp/pid/1179212} 35コマ目 &image(54-5.jpg,width=500) #expand(500){{{ この地府城の北に当り本郡の中程にて南にあり。 東は[[川西組>耶麻郡川西組]]に隣り、西は[[小荒井組>河沼郡小荒井組]]に接し、南は河沼郡[[代田>河沼郡代田組]]・[[笈川>河沼郡笈川組]]両組に界ひ日橋川を限りとす、北は[[小沼>耶麻郡小沼組]]・[[熊倉>耶麻郡熊倉組]]両組に交わる。 東西3里1町余(東は[[川西組大寺村>耶麻郡川西組大寺村]]の界より、西は[[小荒井組貝沼村>耶麻郡小荒井組貝沼村]]の界に至る)。 南北28町余(南は[[笈川組浜崎村>大沼郡笈川組浜崎村]]の界日橋川より、北は[[小沼組上利根川村>耶麻郡小沼組上利根川村]]の界に至る)。 東に山連なり南を日橋川流れ、薪樵の便よく村里大抵&ruby(へいえん){平衍}の地に住し&ruby(たんぼ){田圃}多し。 赤枝・落合・入倉・上下西連の5ヶ村は山中にある&ruby(ゆえ){故}俗に山郷と唱え、田畝少なく薪材を伐出して生計の資とす。赤枝及び・上下西連の3ヶ村は東偏にて山水の交なれども田圃相雑はり。北に高山を負い寒気やや薄くその土竹に宜し。封内大竹稀なり。その地の産他に超絶せり。 西偏の諸村は養水乏しく夏に至て動もすれば旱魃の患あり。山郷の諸村は山間の出水を養水とす。仍て前年に雪深からざれば必旱損ありという。 日橋川及び姥堂川に近き村々は水災に苦しむ。塩川村・下遠田村は魚網の利あり。また上下遠田村は多く&ruby(さいほ){菜圃}を闢き紅花・&ruby(ははき){地膚}藍の類を種て&ruby(ひさ){鬻}ぎ出す。 この組及び小田付・小荒井・五目・慶徳・木曽・大谷・吉田組にて3月15日花祭の会とて老弱相集て飲宴す。 この組凡24ヶ村あり。みな郷名を失う。 新宮荘に属する村3(塩川村・上遠田村・下遠田村)、金川・馬場新田・落合・入倉の4ヶ村はそのかみ代田組に属せしが、寛文中(1661年~1673年)風土記撰述の時本組に隷せり。 -塩川組 上 10ヶ村 --[[塩川村>耶麻郡塩川組塩川村]] ---端村:上江 --上遠田村 ---端村:田向 --下遠田村 ---端村:新屋敷 --新井田村 --下利根川村 --下小出村 --別符村 --上窪村 ---端村:中窪 --下窪村 --三橋村 -塩川組 下 14ヶ村 --金川村 --馬場新田村 --深沢村 ---端村:新田 --田中村 ---端村:新田 --竹屋村 --南屋敷村 --中屋敷村 --上原新田村 --松崎新田村 --赤枝村 ---端村:末那板倉、宮在家、下原新田、切立新田 --落合村 --入倉村 --上西連村 ---端村:町屋、石生新田 --下西連村 ---端村:中島 }}}
陸奥国 [[耶麻郡]] 塩川組 &blanklink(大日本地誌大系第32巻){https://dl.ndl.go.jp/info:ndljp/pid/1179212} 35コマ目 &image(54-5.jpg,width=500) #expand(500){{{ この地府城の北に当り本郡の中程にて南にあり。 東は[[川西組>耶麻郡川西組]]に隣り、西は[[小荒井組>耶麻郡小荒井組]]に接し、南は河沼郡[[代田>河沼郡代田組]]・[[笈川>河沼郡笈川組]]両組に界ひ日橋川を限りとす、北は[[小沼>耶麻郡小沼組]]・[[熊倉>耶麻郡熊倉組]]両組に交わる。 東西3里1町余(東は[[川西組大寺村>耶麻郡川西組大寺村]]の界より、西は[[小荒井組貝沼村>耶麻郡小荒井組貝沼村]]の界に至る)。 南北28町余(南は[[笈川組浜崎村>大沼郡笈川組浜崎村]]の界日橋川より、北は[[小沼組上利根川村>耶麻郡小沼組上利根川村]]の界に至る)。 東に山連なり南を日橋川流れ、薪樵の便よく村里大抵&ruby(へいえん){平衍}の地に住し&ruby(たんぼ){田圃}多し。 赤枝・落合・入倉・上下西連の5ヶ村は山中にある&ruby(ゆえ){故}俗に山郷と唱え、田畝少なく薪材を伐出して生計の資とす。赤枝及び・上下西連の3ヶ村は東偏にて山水の交なれども田圃相雑はり。北に高山を負い寒気やや薄くその土竹に宜し。封内大竹稀なり。その地の産他に超絶せり。 西偏の諸村は養水乏しく夏に至て動もすれば旱魃の患あり。山郷の諸村は山間の出水を養水とす。仍て前年に雪深からざれば必旱損ありという。 日橋川及び姥堂川に近き村々は水災に苦しむ。塩川村・下遠田村は魚網の利あり。また上下遠田村は多く&ruby(さいほ){菜圃}を闢き紅花・&ruby(ははき){地膚}藍の類を種て&ruby(ひさ){鬻}ぎ出す。 この組及び小田付・小荒井・五目・慶徳・木曽・大谷・吉田組にて3月15日花祭の会とて老弱相集て飲宴す。 この組凡24ヶ村あり。みな郷名を失う。 新宮荘に属する村3(塩川村・上遠田村・下遠田村)、金川・馬場新田・落合・入倉の4ヶ村はそのかみ代田組に属せしが、寛文中(1661年~1673年)風土記撰述の時本組に隷せり。 -塩川組 上 10ヶ村 --[[塩川村>耶麻郡塩川組塩川村]] ---端村:上江 --上遠田村 ---端村:田向 --下遠田村 ---端村:新屋敷 --新井田村 --下利根川村 --下小出村 --別符村 --上窪村 ---端村:中窪 --下窪村 --三橋村 -塩川組 下 14ヶ村 --金川村 --馬場新田村 --深沢村 ---端村:新田 --田中村 ---端村:新田 --竹屋村 --南屋敷村 --中屋敷村 --上原新田村 --松崎新田村 --赤枝村 ---端村:末那板倉、宮在家、下原新田、切立新田 --落合村 --入倉村 --上西連村 ---端村:町屋、石生新田 --下西連村 ---端村:中島 }}}

表示オプション

横に並べて表示:
変化行の前後のみ表示: