河沼郡

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河沼郡 - (2020/08/15 (土) 22:40:03) の編集履歴(バックアップ)


※国立公文書館デジタルアーカイブ「新編会津風土記85」より河沼郡地理之図

この郡は延喜式35郡の中に見えず、その後大沼郡と共に会津郡より分かれしにや。【和名鈔】の細註に『今分て大沼河沼二郡と爲す』と見えたり。然れども【拾芥抄】36郡【節用集】54郡の中ににはこの郡なし。【節用集】に載たる稲我はこの郡の蜷川(いなかは)荘なるもしるべからず。寛文(1661年~1673年)中まで誤て稲河郡と称し会津4郡の一とせり。

東北は共に耶麻郡に隣り日橋川を限とす。
西は越後国蒲原郡に連なり、九才坂・鳥居峠を界とす。
南は会津大沼2郡に続く。
東西7里18町余(東は耶麻郡の界日橋川より、西は越後国蒲原郡の界九才坂に至る)。
南北3里24町余(南は大沼郡高田組軽井沢村の界より、北は耶麻郡の界日橋川に至る)。

東西に山あり。北を大河流れ中央に平衍(へいえん)の地多し。
その田は下の上、その畠は下の上なり。

代田・笈川・青津・坂下組々は広平(こうへい)に住し、田圃(たんぼ)多く、気候会津郡平衍(へいえん)の組々に同じ。牛沢・野沢2組は山中にて農務も上の諸組よりは(やや)遅く立夏の前後を花候とす。

習俗は会津郡に載する所に異なる者なし。

郷名

  • 柳津
  • 野沢

荘名

  • 河沼(かはぬま)
    • 笈川組勝常村勝常寺大永7年(1527年)葦名盛舜寄付状に河沼之荘笠之面ということあり。
  • 蜷川(いなかは)
    • 佐原十郎左衛門尉義連の的に蜷川景義あり。その人の所領にて蜷川荘と称せしにや。康安2年(1362年)左衛門尉基清が府下實相寺の寄付状にこの荘名見えたり。

組名


山川

飯谷山(いたにやま)

牛沢組野老沢村の西にあり。屈曲して登ること1里計、野沢組古杉山村その西の半腹に住す。両村の界この峰を限りとす。
その頂6町計は甚嶮なり。この山向背なく側より望むに、その形飯を盛るに似たるゆえ名くという。
慶長16年(1611年)の地震にこの山崩れ今にその跡草木生せず。
削り成すが如く極て奇峻なり。この邊の諸山に秀て府下より正面に見ゆ。また野沢の邊より望むにその形尤美なり。
頂に飯谷明神の祠あり。

黒床山(くろとこやま)

野沢組黒沢村の西にあり。
高90丈計。牛沢組麻生村と峯を界ふ。
満山皆雑木なり。

台倉山(たいくらやま)

野沢組安座村の南にあり。
麓より登ること1里18町計。
半腹より上は雑木繁茂し廻麗みな萱原なり。

日橋川(につはしかわ)

その源は猪苗代湖より出、会津郡の界より代田組に入り、島村より笈川組に入り、沼上村の西にて黒川を過ぎ青津組に入り、立川村の東にて鶴沼川南より来り合し、東青津村の西北にて宮川これに注ぎ、津尻村より坂下組に入り、宮月村の西北にて只見川に合し揚川(あかのかわ)となり野沢組に入り、小島村の西にて大槻川を過ぎ徳沢村より西に流して越後国蒲原郡に入る。
この川耶麻・河沼2郡の界にて大抵東より西に流る。
川さい、(はえ)、ザコ、(ます)の類を産す。秋に至れば(さけ)多く上れり。この川に合する諸流にもこれより往々に上れり。
広40間より100間に至る(耶麻郡の条下を照見るべし)。

黒川(くろかわ)

会津郡高久組界沢村より笈川組に入り、北に流れ粟宮新田村の東にて渠川(せせなきかわ)これに注ぎ、北田村の北にて日橋川に入る。
大抵南より北に流る。
広20間計。
川さい、(はえ)、ザコの類を産す。

鶴沼川(つるぬまかわ)

会津郡中荒井組真渡村より坂下組に入り、塚原村より青津・笈川両組に入り、佐野村(笈川組)に至り佐野川といい、立川村(青津組)の東にて日橋川に入る。
大抵南より北に流る。
この川平地を流るる故田地に(そそ)ぐこと尤広し。されども洪水の時は数町の外に泛溢し田圃を害することまた少なからず。常に幅8町計の間平沙となり水道常ならず。数派となり分流し浅深広狭一ならず。
ザコ、(はえ)(ます)、川さいの類を産す。年魚(あゆ)多し。

宮川(みやかわ)

大沼郡中荒井組和泉新田村より坂下組に入り、牛沢組の地を経て坂下村より青津組に入り、東青津村の西北にて日橋川に入る。
大抵南より北に流る。
広30間計。
ザコ、川さい、鱒を産す。

只見川

大沼郡滝谷組より北に流て牛沢組に入り、小野川村の北にて小野川これに注ぎ、柳津村にて銀山川を過ぎ和泉田村より野沢・坂下両組の間を東北に流れ、宮月村(坂下組)・河井村(野沢組)の間にて日橋川に合す。
広60間計。
この川山間を経て両岸高ければ田地に(そそ)ぐべき便なし。
岩石多く急流なり。
川さいの類を産す。年魚多し。

水利

戸口堰(とのくちせき)

代田組八田野村の東にて日橋川を引き、代田組及び会津郡滝沢・南青木両組諸村の田地に(そそ)ぎ、凡300町余の養水となる。

日橋堰(につはしせき)

代田組八田野村の北にて日橋川を引き、代田組及び会津郡高久・滝沢両組諸村の田地に(そそ)ぎ、凡709町余の養水となる。

島堰(しませき)

代田組島村の東にて日橋川を引き、島村及び笈川組諸村の田地に(そそ)ぎ、凡220町余の養水となる。

高久堰(たかくせき)

会津郡高久組高久村の西にて鶴沼川を引き、高久村及び笈川組諸村の田地に(そそ)ぎ、凡427町余の養水となる。

清水堰(しみつせき)

会津郡高久組上吉田村の西にて黒川を引き、高久組界沢村及び笈川組諸村の田地に(そそ)ぎ、凡110町余の養水となる。

栗村堰(くりむらせき)

大沼郡中荒井組和泉新田村の東にて宮川を引き、青津・坂下・牛沢3組諸村の田地に(そそ)ぎ、凡293町余の養水となる(坂下組坂下村の条下に詳なり)。

牛沢堰(うしさはせき)

大沼郡高田組境野村の北にて宮川を引き、牛沢組諸村の田地に(そそ)ぎ、凡165町余の養水となる(牛沢組牛沢村の条下に詳なり)。