蒲原郡上條組

「蒲原郡上條組」の編集履歴(バックアップ)一覧に戻る

蒲原郡上條組 - (2020/10/20 (火) 19:09:13) のソース

越後国 [[蒲原郡]] 上條組
&blanklink(大日本地誌大系第34巻){https://dl.ndl.go.jp/info:ndljp/pid/1179230} 44コマ目
#image(102-5.jpg, width=500)

この地府城の西に当り本郡の東にあり。
東は陸奥国[[河沼郡野沢組]]・[[大沼郡大石組]]に隣り、西は[[下條組>蒲原郡下條組]]に交わり、南は[[大沼郡大石>大沼郡大石組]]・[[大沼郡大塩>大沼郡大塩組]]両組に連なり、北は[[海道組>蒲原郡海道組]]に接す。

東西7里計(東は[[大石組宮崎村>大沼郡大石組宮崎村]]の山界より、西は[[下條組西村>蒲原郡下條組西村]]の山界に至る)。
南北9里18町計(南は[[大塩組塩沢村>大沼郡大塩組塩沢村]]の山界より、北は[[海道組田沢村>蒲原郡海道組田沢村]]の山界に至る)。

村里&ruby(たいてい){大抵}山間に住し、&ruby(たんぼ){田圃}少なく米穀乏し。専ら山中の草木を焼き雑穀の種子を撒いて食料とす。ただ野中村・高清水村・大田村の辺平野にて田畝あり。
&ruby(しんしょう){薪樵}の便よく、室谷川・柴倉川の流れ有て&ruby(つりりょう){釣漁}の利あれども、川に近き村々は洪水の患あり。室谷川に&ruby(そ){傍}ふ所は多く鮎を捕て&ruby(ひさ){鬻}ぎ出す。
地勢、山高く谷深く縦横に通路ならず。九島村より野中・小出・東山の諸村を&ruby(へ){歴}て土井・柴倉の2村に出るを俗に&ruby(ひかしとほり){東通}と唱え、太田村より粟瀬・明谷沢・安用・押手等の村々を通り大尾村に至るを&ruby(なかとほり){中通}という。太田村より八田蟹村に至り橡堀・広瀬の村々を過ぎ室谷川に沿い南して室谷村に往くを&ruby(にしかはとほり){西川通}と名け、3条の路あり。みな&ruby(けんなん){嶮難}にて西川通少しく&ruby(へいい){平易}なり。
寒早く暑遅く雪深くして、農務の候広平の諸村に比すれば10日余或は20日計の差あり。
また深山の諸村にて熊を捕るに、雪中大木のウロに篭れるは陀の木を伐てその口を塞ぎウロの脇を斧にて伐ひらき鎗にて突殺す。岩穴に篭れば、その口の左右に鎗を持ち外に一人&ruby(みの){蓑}を着て穴中に入り漸々に熊にせまる。熊飛出るとき左右にある者これを突き、&ruby(も){若}し過ぎては身体を&ruby(こぼ){毀}すこと多し。また&ruby(せい){阱}((落とし穴))を作り木石を&ruby(お){圧}してとることあり。土俗これを「おそ」と唱ふ。また&ruby(まきやま){巻山}とて数人にて山下より追い&ruby(のぼ){登}せ狩人よきつまり((行き止まりの事か?))に待受け、&ruby(ほこ){鋒}長く柄短き鑓にて迎えて突殺し或は鉄鉋にてうち殺す。&ruby(すべ){都}て熊をとること諸組の皆同じ。
年により猿多く田圃を害する故、&ruby(さるまき){猿巻}とてその篭れる山を遠巻してこれを狩る。その皮を着て&ruby(かんい){寒威}をふせぐ。また&ruby(れいよう){羚羊}を取て皮を&ruby(ひさ){鬻}ぐ。
&ruby(のうげき){農隙}に塩俵を作り津川町に出し、炭を焼き材木を伐り筏を下し、また&ruby(せんまい){紫萁}を採り乾てこれを売り、勝栗・串柿を製し紙を漉き、葛根を掘て粉となし生産を資く。

この組の諸村郷名を失う。共に小川荘と称す。
総て30ヶ村あり。

-上條組 上 14ヶ村
--[[野村>蒲原郡上條組野村]]
--[[拂川村>蒲原郡上條組拂川村]]
---端村:雲前、西山
--[[広沢新田村>蒲原郡上條組広沢新田村]]
--[[九島村>蒲原郡上條組九島村]]
---小名:地蔵屋敷、泥浮平
---端村:長木
--[[野中村>蒲原郡上條組野中村]]
--[[高清水村>蒲原郡上條組高清水村]]
--太田村
--小山村
--芹田村
--小杉村
--高出村
--橡堀村
--広瀬村
---端村:楢山新田
--鑰取新田村
-上條組 下 16ヶ村
--室谷村
--八田蟹村
--漆沢村
---小名:舘沢
---端村:蝉平新田
--小手茂村
--黒谷村
---小名:大滝新田
---端村:谷地
--相高島村
--明谷沢村
--粟瀬村
--安用村
--押手村
---端村:滝頭新田、黒谷沢新田
--大尾村
---端村:黒倉、丸淵、倉高、沼田(廃)
--柴倉村
--土井村
--東山村
---端村:屋敷、中山、茗荷新田、夷棚
--小出村
--石畠村