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日新館

陸奥国 若松 郭内 日新館
大日本地誌大系第30巻 113コマ目
※国立公文書館デジタルアーカイブ「新編会津風土記 十四」より

米代二之丁の北頬にあり。周垣6町余。
四方通にて、東を大町通とし西は桂林寺町通にて北は米代一之丁なり。

はじめ肥後守正之学を好み、山崎闇齋を聘(へい)して師とし学びしが、入封の初にていまだ国学設立の事に暇なくまつ。
郭外桂林寺町に纔(わずか)の学舎を構え、志ある者はここに入て学ぶことを得しむ。
その後肥後守正容父の継ぎ、元禄元年(1688年)本一之丁に国学を建て中に聖廟を営みこれを講所と称せり。
天明8年(1788年)学政を改め師員を増し国の子弟みな学に入て業を受け、別に武技の稽古所をも構えて射御刀槍の技まで悉(ことごと)く学はしむ。されども学舎狭小にして稽古の便あしければ、寛政11年(1799年)よりこの地に営作の事を始め、享和3年(1803年)殿堂齋舎大かた成就し日新館と名く。同年11月遷座の式を行い、孔聖*1及び顔子*2の像を安置して毎年春秋釈尊の禮を行わしむ。
文化元年(1804年)文武の学寮悉く造畢(ぞうひつ)*3しければ、百の技藝(ぎげい)残なく兼(あわ)せ学て人材を養育す。
凡国の子弟10歳より已上(いじょう)毎朝塾に入り誦師に就て業を受け習書寮(しゅうしょりょう)に入て学び、11歳より禮客及び配膳等の儀を学び、13歳より算術を学び、15歳より武学寮に入て弓馬刀槍を兼学はしむ。
塾の生徒学業勝れたる者を撰て大学に升(のぼ)りかく文学武技の場一処になりしかば、子弟常にこの中に身を寄せ生徒総額千人の左右あり東西の塾分て四とす。毛詩三禮・尚書ニ経これなり。みな司業に分ち属し誦師及び佐助数員を置く。諸生大抵10人を一組としその長を建て出入往来の行儀を輔導(ほどう)し諸の学寮みな師範及び佐助数員ありて生徒を督課す。総じて文武の学政は司成の掌(つかさど)る所にて家老をして職を分ち総統せしむ。
さきに天明中(1781年~1789年)学政を改めしとき功令十二条を定て六科と名け、また糾科八条を記して糾則と名け常に諸生に示して勧戒(かんかい)を加ふれども、猶(なお)孝悌忠信の風厚からしめん為に童子訓二巻を著はしてこれを子弟に分ち与へその実行を励ませり。

南門

泮宮正南の門なり。
東西2間1尺、南北1間4尺余。額に「過化存神」の四字を題す。阿部主計頭正精の筆なり。
この門を入て戟門まで道幅2間長7間、皆敷石なり。
西に番所を設け東に腰懸あり。
凡外構は南北に塀を廻し、東は表長屋にて西は柵板屏なり。

戟(げき)門

東西7間半、南北3間。額には「金聲玉振」の四字を題す。白川少将定信の筆。
左の方に太鼓を懸置き時を報せしむ。
又左右に廊ありて東西の塾に接す。
この門より石橋の前まで道幅2間長3間、敷石なり。

東塾

戟門を入て右にあり。
東より北に折廻し大学の前に至る。
梁相2間半、棟間38間半。内の方に庇ありて二階造なり。
戟門の東を三禮塾と称し、その北を毛詩塾と称す。
二階の上は習書寮なり。
北端を居学寮とす。居寮の生徒には既廩(きりん)を与ふ。

西塾

戟門を入て左にあり。
西より北に繚り又東に折れ泮宮の西の渡殿に接す。間2間半、棟間52間半。
是も二階造にて内の方に庇を設く。
戟門の西を尚書塾と称しその北を二経塾と称す。この階上も皆習書寮なり。
二経塾の北に通路を開き、その北を医学寮とす。
東に折廻せる所は禮式及び算学、天文等を習う所とす。此にてまた散学をも習う。
東端に神厨あり。二階の上は卜部派垂加派の神道及び和学を教ふる所なり。
又医学寮の北に数寄屋を設け、茶寮と名て茶湯を教ふる所とす。

泮水(はんすい)

大学の前より泮宮の南を廻り、西塾医学寮の前に至る。
広3間、長1町2間。
左右の涯は本郡篠山村より産せる材木を並べ積めり。

石橋 三箇所

一は戟門の北にて泮宮正南の橋なり。
一は東塾の西にあり。
一は西塾の東にあり。
共に泮水に架す。
長3間、幅3間。
泮宮正南の橋より左右に分れ堂塗ありて東西両階の下に至る。
各長20間、幅1間半。敷石なり。

泮宮(はんきゅう)

高5丈8尺、東西9間2尺1寸、南北8間2尺4寸。
南面にて屋は皆銅なり。
前に東西両階あり。後に側階あり。皆5級なり。
室堂戸牖の制、皆唐土三代の典故に倣ふ。
南面の中央に額を懸く。「大成殿」と題す。水戸中納言治保卿の筆なり。
室の奥に孔聖の像を安し、顔子の像を配祀す。
室の左右に東西坊あり。郷飲酒郷射等の禮、みなここにて行う。
また毎年春秋の仲月上丁の日、釈尊の式あり。
前日司業主祭官となり齋戒して洗掃陳設す。その日老祭を監し、諸有司これに莅(のぞ)む。
文武の師範、諸執事、みな拝禮あり。その朝初獻官(司成。これを勤む。己下の役役司業および誦師佐助録事これを勤む。闕れば大学生徒これを補う)。
亜獻官・終獻官・陪祭官(三獻ならび陪祭みな賛介各一人あり)・掌儀・祝司・樽啓櫝者・講師讀師・齋郎司樂・樂工等、官次を出て戟門を入り東階こり升り堂上に坐す。掌儀室に入り啓櫝と唱ふ。啓櫝者室に入り先聖の櫝を啓く。初獻官入て幣奏す。掌儀奠供と唱ふ。齋郎次第に饌具を送る。初獻官・陪祭官受て先聖および配祀に獻す。三獻みな樂あり。次に倍祭の禮を行ひ畢て福を飲み胙を受け饌を徹して櫝を闔す。
經師堂の中央に南面し經書を講す。讀師西面し、講師北面して祭に與る者獻する所の詩をよむ。掌儀送神と唱へ、司樂送神の樂を奏す。畢て初獻官己下序の儘に退く。この時また樂を奏す。最後に祝文を焚き弊を埋て祭に與る者大学に宴す。
文武の執事および軽き役付まで塾あるいは武學寮にて宴あり。また四時の仲月、文武の師範・佐助および生徒をこの堂に集て司成六科糾則を讀み勤懲を示す。

渡殿

泮宮の東西にあり、東は長3間半余幅1間。大學に通し西は長3間幅1間、神厨に通す、
共に勾欄あり。

禮器

豆      3
鉶      2
爼      3
敦      4
籩      2
勺      1
祝板     1
弊篚     1
罍幷鼎    2
觶      4
几      1
沙池     2
蒲筳     2
紅罽     2
香爐     1
香合     1
香筋     1
屏障     1
饌案     2
書閣     1
文臺     1
圓坐     1
右二十二品釋尊の禮に用う

爵      3
觶      5
方壺幷鼎   2
斯禁     2
籩     20
拭巾     5
豆     40
爼      4
洗罍     1
洗      1
刁      3
鑊      1
篚      2
深衣幷大帯 30
緇布冠   30
青組纓及簪幅巾あり 
    席 12
右十六品郷飲酒射等の算に用う

大学

泮宮の東にあり。
東西12間半。また西端より北に繚れる所を司業・監察等の詰所とす。
四塾生徒の勝れたる者を考試し、進めて大學生徒と称す。
常に經義を研究し會讀および作文を業とす。春愁に對策あり。
また、ここにて雅楽及び詩歌書画の会席あり。詩歌・書画に宴を設く。

文庫

大學の北にあり。
4間に2間。

東門

東の方、大町通に出る門なり。
日新館という額あり。堀田豊前守正穀の筆。

掌饌所

東塾の東に続く。
東西6間、南北3間5尺。
居寮生徒の食を設くる所なり。

文武師範居宅

2箇所にあり。
一は東門より南の表長屋なり。東西3間、南北37間。
一は武學寮に続き東塾の東南にあり。東西14間、南北3間。

武学寮

3箇所にあり。
一は南門の東より文武師範の長屋に続く。東西16間、南北3間。真天流・一刀流の剣術寮なり。
一は南問の西より武講の西南を繚り射弓亭の前に至る。梁間3間半。棟間84間。大内一旨寶藏院三流の槍術、安光精武太子三流の剣術および精武流の柔術を學ぶ寮とす。
一は射弓亭の南にあり。東西10間、南北3間。新天流の剣術および大坪新流同古流の木馬を習う所なり。一流ことに座を別にし相通ずることを許さず。

武講

西塾の西にあり。東西9間、南北4間。
これ及び教場の事はみな軍事奉行の司る所なり。
常に會日を定め侍大将および物頭等、武役の者を始め子弟ともに兵書を講習する所なり。
師範及び佐助数員あり。

池

武講の北より西に廻れり。
周85間、樋を地中に伏せ、泮水を引てこれに湛ふ。
水馬及び水練の業を習わしむる所なり。

射弓亭

池の北にあり。
東西27間、南北2間半。
道雪派・印西派・豊秀流、三流の射技を肄ふ所なり。
各的場あり。
是も一流ごとに場を別にす。

北門

北の方米代一之丁に通る門なり。
この外に三の門あれども常に鎖て往来を禁ず。

教場

武學寮の西にて、東西17間、南北50間計の芝原なり。
旗手及び金皷角手を習ふ所とす。また騎歩槍刀の術及び騎射打遠的禮射等の稽古あり。
東の方に9間に2間半の舎を設く。
會日には軍事奉行己下、諸の役人出てここに座す。
左右に内營舎・外營舎あり。皷角の相図を習わす所なり。
内營舎2間に1間半。外營舎4間に1間半。
西南に清水あり。下流米代二之丁の渠に入る。極て清冽なり。

観台

教場の北にあり。
基趾方12間余・上方5間半・高3間半。
天文稽古の為に設く。

放銃教場

観台の南にあり。
會日を定め炮術を稽古せしむ。

司役舎

射弓亭の西にあり。
掃除及び所用に給仕する小者を置く所なり。

倉

司役舎の南にあり。


外部リンク等


会津日新館細江図

※会津日新館細江図 - 国立国会図書館デジタルアーカイブより

『会津若松史 第4巻』の第101図 日新館略図と同じものと思われる

額字、他


過化存神(かかそんしん)
聖人が通り過ぎただけで、民は感化され、長く存在するところでは、その感化は神明のごとくである。
(コトバンクより)

金聲玉振(きんせいぎょくしん)(金声玉振)
知徳を兼ね備え大成するたとえ。
(コトバンクより)

三禮(さんらい)(三礼)
儒教の経典の総称である「周禮」「儀禮」「禮記」の三書をまとめて『三禮』と呼ぶ。

毛詩(もうし)
儒教経典「詩経」の注伝系統の名称。

尚書(しょうしょ)
儒教経典「尚書」の事。

二経(にけい)
儒教の「詩経」「書経(=尚書)」の二つの経典の事。

唐土三代(とうどさんだい)の典
中国古代の 夏・殷・周の三王朝に伝わる典礼・制度・古典。

大成殿(たいせいでん)
中国の儒教寺院である 孔子廟 の本殿の名称で孔子を祭る。

春秋の仲月上丁
儒教で孔子を祀る祭礼の日。
春(2月)と秋(8月)の上丁(その月の最初の「丁」*4の日)

齋戒(さいかい)
神仏や祭祀の前に、心身を清めて慎むこと。
肉食・酒を避ける、身を清める、行動を慎む。

洗掃陳設(せんそうちんせつ)
儀式の準備として洗い清め、掃除し、祭具などを並べて整える。

亜獻官(あけんかん)・終獻官(しゅうけんかん)・陪祭官(ばいさいかん)
亜獻官:主祭官に次いで供物を献じる補助的な官職
終獻官:祭祀で最後に供物を献じる官職
陪祭官:主祭官の補佐として祭祀に加わる官職

掌儀(じょうぎ)・祝司(しゅくし)・樽啓櫝者(たるけいかんしゃ)・講師讀師(こうし・とくし)・齋郎司樂(さいろうしがく)・樂工(がくこう)
掌儀  :儀式・祭祀を掌る役職。儀礼の取り仕切り
祝司  :祭祀で祝詞を奏上する神官
樽啓櫝者:樽や櫝(箱)を開閉・管理する役人。貢物や祭器の管理
講師讀師:経典や書物の講義・読誦を担当する役職
齋郎司樂:斎場で音楽(楽器・歌)を司る役。祭祀に伴う楽師
樂工  :楽器を製作・管理する職人

成六科(しせいろっか)
国家の六つの主要行政分野(六科)を管理・監督する官
  1. 吏科(りか):人事・官吏の管理
  2. 戸科(こか):戸籍・土地の管理
  3. 礼科(れいか):儀礼・祭祀の管理
  4. 兵科(へいか):軍事の管理
  5. 刑科(けいか):法律・刑罰の管理
  6. 工科(こうか):土木・工事の管理

日新館(にっしんかん)
名前の由来は儒教経典・大学の句より。
「苟日新(こう ひに あらたに)、日日新(ひび に あらたに)、又日新(また ひに あらたなり)」
→もし一日新たにできたなら、日々さらに新たにし、ますます新しくせよ
→人は日々徳を更新し修養し続けるべき、という儒学の教えより。

会津五流
日新館で教えていた剣術流派
  1. 一刀流溝口派(池上派一刀流とも) - 日新館志に系譜の記載あり
  2. 安光流
  3. 太子流
  4. 真天流
  5. 神道精武流
  • 参考:刀術
    • 日新館志 第二十四巻 - 太子傅安光流、太子流附心清流、助国流、神刀諸流
    • 日新館志 第二十五巻 - 新陰待舎流、天流、一刀流溝口派、破東一流、東軍流、左流、山口流新小太刀、大道流、神道霞流、大橋牧流、新陰流、以心流
刀術といえば源義経が鬼一法眼から兵法書を奪ったとの伝承があるが、太子傅安光流の系図に記載がある。
聖徳太子
 ┗於留五郎明貫
  ┗鬼一法眼
   ┗(傅在兵学)━源義経
          ┗左衛門尉安光  (以下略)
聖徳太子流によると、聖徳太子から鬼一法眼・源義経を経て楠木正成に伝わったと。

物頭(ものがしら)
江戸時代の諸藩における中級武士の職名で、鉄砲や弓を扱う足軽部隊を統率した指揮官(足軽大将の別称)。

旗手(きしゅ)・金皷角手(きんこかくしゅ)
旗手  :旗を掲げて隊の目印・象徴となる
金皷角手:金(鉦・銅鑼などの金属打楽器)・皷(太鼓)・角(角笛)等を鳴らして合図や号令を出す

射藝
印西派、雪荷派、道雪派、豊秀流
参考:日新館志 第二十二巻
最終更新:2026年03月17日 12:53

*1 孔聖:孔子のこと

*2 顔子:孔子の門人

*3 作り終える

*4 十干の4番目。「甲乙丙 丁 戊己庚辛壬癸」