金剛寺



醍醐松橋無量壽院の末寺真言宗なり。寶珠山華蔵院と號す。
昔は郭内米代(その地詳ならず)にあり城郭修理の時この地に移れり。
開基の僧を長宥という(草創の年月詳ならず)。應永18年(1411年)葦名盛久より耶麻郡慶徳組山崎村を以て当山の寺領とし院宇を修造し世々守護の祈願所たらしむ(ゆえ)にその時の住職賢日をもて中興とす。永正の頃(1504年~1521年)宥鑁という僧再び醍醐寺に登り密教の奥旨を明らむ。葦名盛高深くこれに帰依しまた慶徳組岩沢村を寄付して寺料とせり。天文中(1532年~1555年)本山より僧正俊聰この寺に下向し灌頂(かんじょう)を修行せり。天正の事(1573年~1593年)宥安という者あり、始は高野山遍照光院に住せしが葦名家の宿老富田が一族なるによりこの寺の住職となり伊達氏の乱を避て小田付組(耶麻郡)岩崎村大用寺に(のが)(れ)る。この時寺産を失い什寶もまた多く烏有(うゆう)せり。蒲生家の時今の地を開けり。本山大僧正堯圓下向の時も当寺に寄宿す。今に至て会津真言宗四ヶ寺の一なり。安永中(1772年~1781年)災に罹り今は庫裡書院のみにて再建未だ成らず。
大日を本尊とす。また鐘一口あり、径2尺1寸『旹寶永三丙戌年霜月天赦日當寺第十九世法印秀欽白』と彫付けあり(寶永年= 1706年)。

制札

門外左にあり。

寶物

貝多羅葉

1枚。小田町浄光寺にある所と完く同じ包み紙に『奉寄進多羅葉元和第八十月廿六日楊津別當法印和尚俊精御房前住屋島後住高雄龍嚴上人』とあり

豊臣家神號

1幅。落欵に『秀頼書之』とあり

青面金剛

1幅

十三佛画像

1幅

不動画像

3幅。空海筆という

金胎大曼荼羅

2幅。彩画最密なり。裏書に『天文四乙未年に洛陽醍醐開山聖寶尊師直筆土佐刑部大輔光茂とをして模寫せしむ』とありしという(天文4年=1535)。今は見えず

菅天神画像

1幅

和漢朗詠集

1巻。伏見院宸筆

大般若十六善神画

1巻。土佐光茂筆

観音画像

一幅。牧渓筆

遊魚画

1幅。雪村筆

涅槃像

1幅。唐人筆

鐘馗像

1幅。雪村筆

山水屏風

1雙。雪村筆といい伝う

弥陀像

1幅。慧鎭筆

妙澤不動像

1幅。自画自賛なり。落欵に『妙澤老人筆施審中察侍奉持』とあり。賛文如左(※略)

和漢朗詠集

1部。尊道親王筆

紺地金泥華厳経

1巻

華厳経

1巻。空海筆

御成敗式目

1巻。島飼筆

歌書

1巻。心尊筆

十間最秘抄

1巻。兼載筆

墨画岳

1幅。東坡筆という。賛あり如左(※略)

源氏物語

1巻。爲相筆

薬師像

1幅。空海筆

青面金剛

1幅。筆者を知らず

古筆

2巻。共に尊圓親王筆。

菅天神名號

1幅。同上

布袋画

1幅。雪村筆

1枚。
銘に『阿佛持佛堂磬大工伴貞吉正應六年十月日』とある(正應6年=1293年)。
懸る所の(うろ)に『奥州會津若松寶蓮院大僧都旭榮造立之慶長十五年庚戌正月吉日』と書す(慶長15年=1610年)。その図肥左に載す(※略)
案ずるに当寺に寶蓮院という號ありしことを伝す。また慶長中(1596年~1615年)の住持に旭榮という僧なし。寶蓮院旭榮とある詳ならず。

古文書

4通。その文如左(※略)