※国立公文書館デジタルアーカイブ『新編会津風土記21』より
西横町の西に南北の通2条あり。
南端の東西の通りは古川の岸にて家居なし。
総てこれを漆原という。
昔はこの地川に傍て漆木多く有しを蒲生氏今の町割を定め歩卒の居とせり。
今も足軽同心の居なり。
南は古川の岸より北は堅町通まで。
長1町32間・幅9尺、家数31軒。
(南町分の地雑れり)
一番丁の西に並び、長1町33間・幅9尺、家数32軒。
二番丁の西に並び、長1町33間・幅9尺、家数32軒。
角場
この丁の末古川の岸にあり
(南町分の地なり)
三番丁の西に並び、長50間余・幅9尺、家数17軒。
(南町分の地雑れり)
四番丁の西に並び、長42間余・幅9尺、家数14軒。
(南町分の地雑れり)
五番丁の西に並び、長43間・幅9尺、家数14軒。
(南町分の地雑れり)
堅町の末に続き前の6条の通の北にあり。漆原堅町とも称す。
長1町5間余・幅9尺、家数17軒。
(南町分の西黒川小黒川分の地雑れり)
角場
この丁の末北頬にあり。
最終更新:2020年03月01日 02:35