新町

陸奥国 若松 郭外 (しん)
大日本地誌大系第30巻 179コマ目

※国立国会図書館・万翠堂版新編会津風土記より

外郭の西、黒川を隔て数条の通あり、総て新町と称す。
士人の居宅なり。
寛永12年(1635年)加藤氏新たに置きし処(ゆえ)名けりという。


湯川端(ゆかはばた)

河原町大橋の詰より黒川に沿て南の方石塚に行く通なり。
長1町42間余・幅5間、家数5軒。
西頬に住す。

(よこ)

湯川端通より西にさして一番丁に通ずる通2条あり。
北は長1町8間・幅4間余、家数6軒。
南は長1町15間余・幅4間、家数5軒。

一番丁

湯川端通の西にあり。
南北2町31間・幅4間余、家数15軒。

二番丁

一番丁の西に並び、長2町31間・幅4間、家数20軒。

三番丁

二番丁の西に並び、長2町30間・幅4間、家数19軒。

横通

一番丁の中程より西の方材木町に出る通なり。
長1町36間・幅4間、家居1軒。
南端にも東西の通あり。
東は観音裏通より西は材木町に至る。長2町35間・幅4間、家数10軒。

観音裏通

一番丁の東に並び、石塚観音堂の後にあり。
長2町40間・幅3間、家数5軒。

(しん)

観音裏通の南端より西の方材木町に出る通なり。
長2町43間余・幅3間、家数24軒。
延寶中(1673年~1681年)置く所(ゆえ)新丁と称す。
中程に南北の小路あり。
南は田畝に通し北は横通に出つ。

最終更新:2020年09月30日 22:21
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