会津郡高久組平沢村

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  • 会津郡高久組平沢村
    陸奥国 会津郡 高久組 平沢村 大日本地誌大系第31巻 33コマ目 往古は村居の地高く前に広き沢ありて水湛えし故(ゆえ)広沢村という。また月を賞するに佳なりし故月見の里とも名けしとぞ。いつの頃よりか沢埋み平地となりしにより今の名に改めしという。 旧村西2町40間にあり。何の頃にか洪水を患てここに移せり。 府城の西北に当り行程28町余。 家数23軒、東西1町・南北2町、四方田圃(たんぼ)なり。 東1町54間府下西黒川達磨分の地に界ふ。 西3町16間高瀬村の界に至る。その村まで8町30間余。 南5町31間西黒川小黒川分の地に界ふ。 北5町上高野村の界に至る。その村は丑(北北東)に当り7町20間余。 また亥(北北西)の方2町39間中地村の界に至る。その村まで7町10間余。 端村 新田 本村の未(南南西)の方1町10間余にあり。 家数2軒、東西50...
  • 会津郡高久組
    陸奥国 会津郡 高久(たかく)組 大日本地誌大系第31巻 26コマ目、33コマ目 この地府城の西北を続き本郡の東北端にあり。 東は滝沢組・河沼郡代田組に隣り、西は中荒井組・河沼郡坂下組に交わり、南は南青木組に接し、北は河沼郡笈川組に界ふ。 東西1里余(東は代田組倉道村の界より、西は中荒井組真渡村の界に至る)。 南北1里32町余(南は南青木組飯寺村の界より、北は笈川組米丸村の界に至る)。 村里皆広平の地にあり、黒川・鶴沼川その田地を潤し五穀乏しからず。 されども洪水の患あり。 また山林遠く薪樵(しんしょう)の便宜(むべ)からず。 黒川を限り東にある諸村を東郷と称へ西にある諸村を西郷を称ふ。 東郷は田畝(でんぽ)多く、西郷は菜園多し。 中にも西柳原・深川・幕内等の村々は最も府下に近く、その地多くは菜疏を種て鬻(ひさ)ぎ出し、高瀬・神指・横沼等...
  • 会津郡高久組高瀬村
    陸奥国 会津郡 高久組 高瀬村 大日本地誌大系第31巻 29コマ目 昔村東に川あり。石高く流れ急なる故(ゆえ)に高瀬村と名けりという。 府城の北西に当り行程30町余。 家数38軒、東西52間・南北2町32間。 四方田圃(たんぼ)なり。 東3町44間平沢村の界に至る。その村まで8町30間余。 西3町54間神指村に隣りその村際を界とす。 南6町天満村の界に至る。その村まで10町40間余。 北4町神指村に界ふ。 また 丑寅(北東)の方4町10間中地村の界に至る。その村まで8町30間。 辰巳(南東)の方6町6間東城戸村の界に至る。その村まで7町40間。 端村 新田 本村の東2町にあり。 家数22軒、東西42間・南北2町14間。 越後街道の左右に住し四方田圃(たんぼ)なり。 山川 黒川 端村新田の丑(北北東)の方3町30間にあり。 平沢...
  • 会津郡高久組中地村
    陸奥国 会津郡 高久組 中地(なかぢ)村 大日本地誌大系第31巻 34コマ目 府城の西北に当り行程1里余。 家数36軒、東西1町15間・南北4町10間。 四方田圃(たんぼ)にて西は黒川に近し。 東2町28間上高野村の界に至る。その村まで5町20間余。 西4町25間神指村の界に至る。その村は申酉(西南西~西の間)に当り9町30間。 南1町10間平沢村の界に至る。その村は巳(南南東)に当り7町10間余。 北6町下高野村の界に至る。その村は丑(北北東)に当り10町。 また未申(南西)の方4町25間高瀬村の界に至る。その村まで8町30間。 戌亥(北西)の方4町26間上吉田村の界に至る。その村まで8町20間。 山川 黒川 村西1町10間にあり。 平沢村の境内より来り、西に流れ北に折れ、凡て6町20間流れて神指村の界に入る。 水利 中地堰 平沢村の方...
  • 会津郡高久組中森台村
    陸奥国 会津郡 高久組 中森台(なかもりたい)村 大日本地誌大系第31巻 39コマ目 昔は中森代に作る。寛文中(1661年~1673年)今の字に改む。 もと村東1町20間余にあり。用水の便により寛永2年(1625年)今の地に移す。 府城の西北に当り行程1里30町余。 家数18軒、東西49間・南北2町26間。 米沢街道の両頬に住す。 北は河沼郡笈川組竹内村に続き三方田圃(たんぼ)なり。 東4町30間東森台村の界に至る。その村まで7町40間余。 西2町4間・南は村際にて、共に米沢村(界沢村の記述ミスか?)に界ふ。その村は西に当り10町40間余。 また巳(南南東)の方5町30間下高野村の界に至る。その村まで9町20間余。 水利 吉田堰 下高野村の方より来り、田地に灌ぎ笈川組森台村の方に注ぎ、その村の田畝を潤す。 神社 稲荷神社 祭神 稲荷神?...
  • 会津郡高久組界沢村
    陸奥国 会津郡 高久組 界沢(さかひざは)村 大日本地誌大系第31巻 39コマ目 会津・河沼両郡の界にあるゆえ名けりという。 府城の西北に当り行程1里31町。 家数50軒、東西1町25間・南北1町55間。 四方田圃(たんぼ)にて西は黒川に近し。 東7町10間中森台村の界に至る。その村まで10町40間余。 西2町高久村の界に至る。その村は申(西南西)に当り11町30間。 南8町15間下吉田村の界に至る。その村は辰(東南東)に当り7町余。 北4町河沼郡笈川組米丸村の界に至る。その村まで10町20間。 また未(南南西)の方9町10間横沼村の界に至る。その村まで14町30間余。 戌亥(北西)の方5町5間笈川組熊川村の界に至る。その村まで7町20間。 もと村の戌亥(北西)の方40間余に西舘(にしたて)という端村あり。今は廃せり。 山川 黒川 村...
  • 会津郡高久組鶴沼村
    陸奥国 会津郡 高久組 鶴沼村 大日本地誌大系第31巻 35コマ目 昔この邊に鶴沼という沼あり。村名これに因るという。 府城の西北に当り行程1里19町余。 家数15軒、東西1町2間・南北1町15間、四方田圃(たんぼ)なり。 東1町36間沼木村の界に至る。その村は辰(東南東)に当り11町50間余。 西6町10間下高野村の界に至る。その村まで4町余。 南4町42間上高野村の界に至る。その村まで8町余。 北1町51間余木流村の界に至る。その村まで8町10間余。 また 戌亥(北西)の方4町12間東森台村の界に至る。その村まで6町10間余。 水利 平沢堰 上高野村の方より来り数派となり田地に灌ぐ。 寺院 松明寺 村中にあり。 曹洞宗鶴沼山と號す。府下材木町秀長寺の末寺なり。 元和2年(1616年)行脚の僧来て一宇を草創せしという。 後無住と...
  • 会津郡高久組横沼村
    陸奥国 会津郡 高久組 横沼村 大日本地誌大系第31巻 27コマ目 村より戌亥(北西)の方に横沼という沼あるにより名けしという。昔はこの村より寅(東北東)の方2町20間にあり、何の頃にか水災を患て今の地に移せり。 府城の西北に当り行程1里15町余、家数22軒。 東西1町18間・南北1町58間。 西北は田圃(たんぼ)にて、東西は神指村の端村横沼に連なる。 東3町40間上吉田村の界に至る。その村まで12町10間。 西は村際・南1間、共に神指村に界ふ。その村は南に当り40間余。 北5町28間界沢村の界に至る。その村は丑(北北東)に当り14町30間余。 また戌亥(北西)の方4町52間高久村の界に至る。その村まで7町30間余。 村の丑寅(北東)の方、越後街道に一里塚あり。 山川 黒川 村北3町40間にあり。 上吉田村の境内より来り、北に流れ西...
  • 会津郡高久組上高野村
    陸奥国 会津郡 高久組 上高野村 大日本地誌大系第31巻 36コマ目 府城の西北に当り行程1里。 家数39軒、東西1町59間・南北3町56間。 米沢街道の左右に住し、四方田圃(たんぼ)なり。 東3町18間沼木村の界に至る。その村まで5町20間余。 西2町57間中地村の界に至る。その村まで5町20間余。 南4町21間府下西黒川達磨分の地に界ふ。 北4町42間鶴沼村の界に至る。その村まで8町余。 また 巳(南南東)の方4町13間中明村の界に至る。その村まで11町40間余。 未(南南西)の方の1町36間平沢村の界に至る。その村まで7町20間余。 亥(北北西)の方5町50間下高野村の界に至る。その村まで8町40間余。 神社 丘降神社 祭神 不明 倉稲魂命? 相殿 伊勢宮    稲荷神    山王神    明神 鎮座 不明 村の戌亥(北西)の...
  • 会津郡高久組下吉田村
    陸奥国 会津郡 高久組 下吉田村 大日本地誌大系第31巻 35コマ目 府城の西北に当り行程1里26町。 家数8軒、東西26間・南北42間。 四方田圃(たんぼ)なり。 東10間・南2町27間、共に上吉田村の界に至る。その村は巳(南南東)に当り5町4間。 西・北、共に村際にて界沢村に界ふ。その村は戌(西北西)に当り7町余。 寺院 善福寺 村中にあり。 真言宗雷電山と號す。 本寺村恵日寺の末山なり。 文明の頃(1469年~1487年)隆空という僧草創せり。 その後衰廃せしを慶長中(1596年~1615年)宥秀という僧中興せり。 本尊地蔵客殿に安ず。
  • 会津郡高久組藤室村
    陸奥国 会津郡 高久組 藤室村 大日本地誌大系第31巻 37コマ目 府城の西北に当り行程19町余。 家数30軒、東西1町58間余・南北1町5間。 南は府下西黒川小黒川分の民家に連なり三方田圃(たんぼ)なり。 東3町24間上荒久田村の界に至る。その村まで6町。 西29間西黒川達磨分の地に界ふ。 北は村際にて中明村に界ふ。その村まで2町。 水利 中明堰 小黒川分より来り田地に灌ぎ中明村の方に注ぐ。 神社 天満宮 祭神 天満宮? 相殿 伊勢宮 3座    稲荷神    八乙女神 鎮座 不明 村の丑(北北東)の方1町余にあり。 鳥居幣殿拝殿あり。高久村黒沢縫殿之助が司なり。 Google Map菅原神社
  • 会津郡高久組上吉田村
    陸奥国 会津郡 高久組 上吉田村 大日本地誌大系第31巻 35コマ目 府城の西北に当り行程1里24町。 家数18軒、東西1町18間・南北1町30間。 四方田圃(たんぼ)なり。 東は村際・北5町、共に下高野村に界ふ。その村は寅(東北東)に当り7町20間余。 西7町33間横沼村に界ひ黒川を限りとす。その村まで12町10間。 南3町37間中地村の界に至る。その村は巳(南南東)に当り8町20間。 また未(南南西)の方4町23間神指村の界に至る。その村まで11町10間余。 亥(北北西)の方5町33間下吉田村の界に至る。その村まで5町40間余。 山川 黒川 村の申(西南西)の方3町余にあり。 神指村の界より来り、屈曲して西北に流るること8町30間、界沢村の境内に入る。 水利 吉田堰 中地村の方より来り田地に注ぎ下高野村の方に注ぐ。 清水堰 村西に...
  • 会津郡高久組天満村
    陸奥国 会津郡 高久組 天満村 大日本地誌大系第31巻 32コマ目 この村にもと天満宮あり。村名これに因れりという。 府城の西北に当り行程24町。 家数23軒、東西48間・南北1町39間。 南は西城戸村に続き三方田圃(たんぼ)なり。 東は村際にて西城戸村に界ふ。 西1町20間小見村の界に至る。その村まで3町。 北4町6間高瀬村の界に至る。その村まで10町40間余。 また丑寅(北東)の方2町48間東城戸村の界に至る。その村まで7町20間。 山川 応湖川 村の丑寅(北東)の方20間にあり。 東城戸村の境内より来り、北に流るること1町30間余、高瀬村の界に入る。 土産 晒木綿 この村にて製するもの佳なり。 俗に天満晒という。 水利 天満堰 西城戸村の方より数派となり田地に灌ぐ。 神社 十二天神社 祭神 天神地神十二代の神 ...
  • 会津郡高久組下高野村
    陸奥国 会津郡 高久組 下高野村 大日本地誌大系第31巻 35コマ目 府城の西北に当り行程1里12町余。 出羽国米沢街道に傍(そ)ひ、南北2区に分れその間20間余を隔つ。 南の1区、家数21軒、東西1町20間・南北1町31間。 北の1区、家数8軒、東西32間・南北48間。 共に四方田圃(たんぼ)なり。 村西に一里塚あり。 東1町3間鶴沼村の界に至る。その村まで4町余。 西5町32間下吉田村の界に至る。その村まで5町30間。 南2町27間上高野村の界に至る。その村は巳(南南東)に当り8町40間余。 北3町52間東森台村の界に至る。その村まで6町50間余。 また 未(南南西)の方2町32間中地村の界に至る。その村まで10町。 申(西南西)の方3町50間上吉田村の界に至る。その村まで7町20間余。 戌(西北西)の方6町2間界沢村の界に至る。その村ま...
  • 会津郡高久組深川村
    陸奥国 会津郡 高久組 深川村 大日本地誌大系第31巻 30コマ目 府城の西に当り行程26町余。 家数23軒、東西1町・南北44間。 四方田圃(たんぼ)なり。 東29間・北4町13間、共に西柳原村の界に至る。その村は東に当り5町10間余。 南は村際・西1町2間余、共に幕内村の界ふ。その村は巳(南南東)に当り4町余。 また戌亥(北西)の方4町10間鍛治屋敷村に隣り、その村際を界とす。 水利 飯寺堰(にひでらせき) 幕内村の方より来り、数派となり田地に灌ぐ。 神社 伊佐須美神社 祭神 伊弉諾尊・伊弉冊尊 相殿 伊勢宮    稲荷神 鎮座 不明 村中にあり。 土人子安神と称して産婦の安全を祈る者多し。 もとは村北2町余にありしが、承應2年(1653年)今の地に移しき。 社跡に橡樹(とちのき)あり。囲1丈4尺・高8丈計。枝葉繁茂(はんも)して方2...
  • 会津郡高久組沼木村
    陸奥国 会津郡 高久組 沼木村 大日本地誌大系第31巻 36コマ目 府城の北に当り行程31町。 家数14軒、東西57間・南北1町30間。 四方田圃(たんぼ)なり。 東4間余下荒久田村の界に至る。その村は辰(東南東)に当り5町40間。 西2町7間上高野村の界に至る。その村まで5町20間余。 南1町30間中明村の界に至る。その村まで12町50間余。 北1町50間中前田村の界に至る。その村は東に当り6町。 また戌(西北西)の方7町23間余鶴沼村の界に至る。その村まで11町50間。 端村 中沼木 本村の戌亥(北西)の方3町30間余にあり。 家数9軒、東西1町2間・南北6間。 四方田圃なり。 下沼木 中沼木の戌亥(北西)の方3町余にあり。 家数7軒、東西1町1間・南北36間。 四方田圃なり。 水利 中明堰 中明村の方より来り、数派となり田...
  • 会津郡高久組高久村
    陸奥国 会津郡 高久組 高久(たかく)村 大日本地誌大系第31巻 26コマ目 もとは村より丑(北北東)の方6町にあり。慶長18年(1613年)今の地に移せり。 府城の西北に当り行程1里19町余。 家数64軒、東西1町40間・南北4町34間。 四方田圃(たんぼ)にて西に鶴沼川あり。 越後街道駅所にて村中に官より令ぜらるる掟条目の制札あり。 河沼郡坂下組坂下村駅より1里16町3間北に継ぎここより府下に継ぐ。 村東に一里塚あり。 東3町24間界沢村の界に至る。その村は寅(東北東)に当り11町30間。 西3町26間余坂下組塚原村の界に至る。その村まで25町。 南2町26間神指村の界に至る。その村は巳(南南東)に当り8町30間余。 北5町29間河沼郡笈川組中目村の界に至る。その村は亥(北北西)に当り9町40間余。 また 辰巳(南東)の方2町35間横...
  • 会津郡高久組東森台村
    陸奥国 会津郡 高久組 東森台村 大日本地誌大系第31巻 39コマ目 元東森代という。寛文中(1661年~1673年)今の字に改めき。 府城の北西に当り行程1里16町。 家数5軒、東西22間・南北55間、四方田圃(たんぼ)なり。 東は村際・南10間・北33間、共に木流村に界ふ。その村は寅卯(東北東~東の間)に当り1町55間余。 西2町20間中森台村の界に至る。その村まで7町40間余。 また 未(南南西)の方2町40間下高野村の界に至る。その村まで6町50間余。 戌(西北西)の方2町河沼郡笈川組竹内村の界に至る。その村まで7町40間。 神社 赤城神社 祭神 岩裂命・根裂命 相殿 鬼渡神    明神 鎮座 不明 村南30間余にあり。 鳥居あり。高久村黒沢縫殿之助が司なり。 Google Map東森台地区 - 地名は残っていません現在の森...
  • 会津郡高久組如来堂村
    陸奥国 会津郡 高久組 如来堂村 大日本地誌大系第31巻 29コマ目 昔村南に阿弥陀堂あり。村名これに因りしという。 旧本郡中荒井組下荒井村の端村にて鶴沼川の西にあり。何の頃にか格村となり、寛永13年(1636年)洪水を患て今の地に移せりという。 府城の北西に当り行程30町。 家数18軒、東西1町29間・南北1町29間。 神指城迹の中未申(南西)の隅にあり。 東1町30間高瀬村の界に至る。その村は丑寅(北東)に当り7町20間。 西1町40間本郡中荒井組蟹川村の界に至る。その村は未申(南西)に当り10町余。 南50間小見村の界に至る。その村まで4町50間余。 北2町20間神指村の界に至る。その村まで7町30間余。 水利 小見堰 小見村の方より来り、数派となり田地に灌ぐ。 神社 八幡宮 祭神 八幡宮? 鎮座 不明 村南30間経にあり。...
  • 会津郡高久組中前田村
    陸奥国 会津郡 高久組 中前田村 大日本地誌大系第31巻 38コマ目 府城の北に当り行程30町。 家数15軒、東西1町21間・南北1町6間。 北は渠川に傍(そ)ひ三方田圃(たんぼ)なり。 東3町45間河沼郡代田組倉道村の界に至る。その村まで6町50間余。 西5町沼木村の界に至る。その村まで6町。 南1町57間下荒久田村の界に至る。その村は未(南南西)に当り7町30間余。 北26間代田組槻橋村に界ひ渠川と限りとす。その村まで2町10間。 また 戌亥(北西)の方12町木流村の界に至る。その村まで8町20間。 山川 渠川(せせなきかわ) 村北20間余にあり。 倉道村及び滝沢組下柳原村の界より来り、戌亥の方に流るること19町計、木流村の界に入る。 広7間。 渠川について Google Map菅原神社 永和の暮らしと歴史(会津若松市)の中に中...
  • 会津郡高久組中明村
    陸奥国 会津郡 高久組 中明(なかのみやう)村 大日本地誌大系第31巻 36コマ目 府城の西北に当り行程20町余。 家数38軒、東西2町・南北3町5間。 西は府下西黒川達磨分の民家に続き三方田圃(たんぼ)なり。 東3町18間上荒久田村の界に至る。その村は辰(東南東)に当り6町10間余。 南2町藤室村に隣りその村際を界とす。 北11町26間沼木村の界に至る。その村まで12町50間余。 また丑寅(北東)の方3町14間下荒久田村の界に至る。その村まで7町20間余。 亥(北北西)の方6町53間上高野村の界に至る。その村まで11町40間余。 端村 屋敷 本村の丑(北北東)の方4町10間にあり。 家数23軒、東西47間・南北54間。 四方田圃なり。 山川 沼 村より丑(北北東)の方4町10間余にあり。 東西4間・南北2間。 相伝う。昔この沼より毎...
  • 会津郡高久組小見村
    陸奥国 会津郡 高久組 小見(おみ)村 大日本地誌大系第31巻 30コマ目 もとは村より申酉(西南西~西の間)の方1町にあり。何の頃にか今の地に移しき。 府城の北西に当り行程27町。 家数22軒、東西1町20間・南北1町30間。 四方田圃(たんぼ)にて西は筒沼川に近し。 東1町40間天満村の界に至る。その村まで3町。 西4町本郡中荒井組蟹川村の界に至る。その村まで13町。 南2町12間西柳原村の界に至る。その村は辰巳に当り12町40間。 北4町如来堂村の界に至る。その村まで4町50間。 山川 鶴沼川 蟹川村の境内より来り北に流るること2町余また蟹川村の界に至る。 土産 煙草 気味強からずして殊に佳なり。 水利 小見堰 鍛冶屋敷村の方より来り田地を潤し如来堂村の方に注ぐ。 神社 稲荷神社 祭神 稲荷神? 相殿 伊勢宮    ...
  • 会津郡高久組西城戸村
    陸奥国 会津郡 高久組 西城戸村 大日本地誌大系第31巻 32コマ目 府城の西北に当り行程24町。 家数23軒、東西1町15間・南北1町10間。 北は天満村に続き三方田圃(たんぼ)なり。 東8町9間府下西黒川小黒川分の地に界ふ。 西6間・南46間、共に天満村に界ふ。 また丑寅(北東)の方4町18間東城戸村の界に至る。その村まで8町。 巳(南南東)の方1町12間西柳原村の界に至る。その村まで8町40間余。 山川 応湖川 村東2町50間にあり。 西柳原村の境内より来り、北に流るること2町50間余、東城戸村の界に入る。 水利 西城戸堰 西柳原村の方より来り、田地を潤し天満村の方に注ぎ、天満堰という。 東城戸堰 村より東の方にて応湖川を引き、小黒川分の地を経て東城戸村の方に注ぐ。 神社 稲荷神社 祭神 天満宮? 相殿 伊勢宮 鎮座 不明...
  • 会津郡高久組鍛冶屋敷村
    陸奥国 会津郡 高久組 鍛冶屋敷村 大日本地誌大系第31巻 30コマ目 康暦元年(1379年)葦名直盛鎌倉より下向の時、多くの鍛冶を伴い来りここに居しむ。因て名けしという。 府城の西に当り行程30町。 家数10軒、東西35間・南北52間。 西は鶴沼川に近く三方田圃(たんぼ)なり。 東15間・南48間、共に深川村の界に至る。その村は辰巳(南東)に当り4町10間。 西4町30間本郡中荒井組蟹川村の界に至る。その村は戌(西北西)に当り14町50間。 北2町32間西柳原村の界に至る。その村は東に当り8町10間。 この村の農民治右衛門という者の家に、金屋神と唱え梵字にて記せる書あり。 巻末に『江州之宮導上人廻國時示之 傳燈大阿闍梨法印重盛判授者雪下正家傳之 慶長二年神无月吉日』とあり。 ※慶長2年=1597年、神无月=神無月(10月) 山川 鶴沼川...
  • 会津郡高久組下荒久田村
    陸奥国 会津郡 高久組 下荒久田(しもあらくだ)村 大日本地誌大系第31巻 37コマ目 府城の北に当り行程23町。 家数31軒、東西2町4間・南北1町48間、四方田圃(たんぼ)なり。 東3町30間滝沢組下柳原村の界に至る。その村まで8町50間余。 西1町1間中明村の界に至る。その村は未申(南西)に当り7町20間余。 南2町46間上荒久田村の界に至る。その村は巳(南南東)に当り7町30間余。 北4町24間中前田村の界に至る。その村は丑(北北東)に当り7町30間余。 また戌(西北西)の方5町8間沼木村の界に至る。その村まで5町40間余。 端村 新田 本村の東50間にあり。 家数5軒、東西22間・南北43間、四方田圃なり。 水利 黒川堰 上荒久田村の方より来り、数派となり田地に注ぐ。 中明堰 中明村の方より来り数派となり田地に注ぐ。 寺...
  • 会津郡高久組西柳原村
    陸奥国 会津郡 高久組 西柳原村 大日本地誌大系第31巻 31コマ目 府城の西に当り行程20町余。 家数40軒、東西2町40間・南北2町。 また西40間に1区あり、西新田という(旧板屋という)。 家数5軒、東西49間・南北36間。 共に四方田圃(たんぼ)なり。 東20間・北8町50間、共に府下西黒川小黒川分の地に界ふ。 西8町鍛冶屋敷村の界に至る。その村まで8町10間。 南11町本郡南青木組飯寺村の界に至る。その村まで15町10間余。 また未(南南西)の方5町幕内村の界に至る。その村まで5町余。 申(西南西)の方4町10間深川村の界に至る。その村まで5町10間余。 戌(西北西)の方10町29間余小見村の界に至る。その村まで12町40間余。 亥(北北西)の方7町西城戸村の界に至る。その村まで8町40間余。 もと片原町とて寛永13年(1636年)に...
  • 会津郡高久組幕内村
    陸奥国 会津郡 高久組 幕内(まくのうち)村 大日本地誌大系第31巻 30コマ目 昔三浦義連この地に下向のとき油幕(ゆばく)(*1)を打て居りし処故(ゆえ)村名とせしという。 旧は西の方10町計にあり。天文中(1532年~1555年)の洪水に居を移せしがその後も数度の水災ありしかば、寛永10年(1633年)再び今の地に移しき。 府城の西に当り行程27町余。 家数56軒、東西1町23間・南北1町37間。 四方田圃(たんぼ)にて西は鶴沼川に近し。 東32間・南2町47間・北は村際にて、共に西柳原村に界ふ。その村は丑(北北東)に当り5町余。 西9町42間本郡橋爪組下米塚村の界に至る。その村まで15町。 また戌(西北西)の方8町42間本郡中荒井組二日町村の界に至る。その村まで14町40間余。 亥(北北西)の方7町5間鍛治屋敷村の界に至る。その村まで8町50間余...
  • 河沼郡
    大日本地誌大系第33巻 81コマ目 ※国立公文書館デジタルアーカイブ「新編会津風土記85」より河沼郡地理之図 この郡は延喜式35郡の中に見えず、その後大沼郡と共に会津郡より分かれしにや。【和名鈔】の細註に『今分て大沼河沼二郡と爲す』と見えたり。然れども【拾芥抄】36郡【節用集】54郡の中ににはこの郡なし。【節用集】に載たる稲我はこの郡の蜷川(いなかは)荘なるもしるべからず。寛文(1661年~1673年)中まで誤て稲河郡と称し会津4郡の一とせり。 東北は共に耶麻郡に隣り日橋川を限とす。 西は越後国蒲原郡に連なり、九才坂・鳥居峠を界とす。 南は会津・大沼2郡に続く。 東西7里18町余(東は耶麻郡の界日橋川より、西は越後国蒲原郡の界九才坂に至る)。 南北3里24町余(南は大沼郡高田組軽井沢村の界より、北は耶麻郡の界日橋川に至る)。 東西に山あり。北を大...
  • 渠川について
    永和の暮らしと歴史の中に渠川(せせなきかわ)(溷川)について記述がありましたので引用します。  永和小学校校歌に歌われる川ですが、「せせなぎ」は汚れた川を意味します。上流の会津若松市一箕町金堀には、会津最大の金山があり、最盛期には1400戸ありました。その金山の汚れた水が不動川と合流するところから、せせなぎ川と呼んでいます。「せせらぎ」も元は汚れた川の意味でしたが、今では反対の意味を指すようになりました。せせなぎ川の支流に大工川があります。上流に金堀金山の大工か稲荷原の石工大工が住んでいたことに由来します。または、河東町藤倉から平塚まで大工が材木を流したことに由来するという伝承があります。 また、北柳原村内の記述を見ると「上流を滝沢川と云う」とあります。 藤原村内の記述では滝沢川となっているので、どうやら北柳原村近辺で呼び方が変わるようす。 永和の暮らしと歴史(会...
  • 会津郡高久組木流村
    陸奥国 会津郡 高久組 木流(きながし)村 大日本地誌大系第31巻 38コマ目 この村橋本木流・平塚木流・西木流とて3区に分る。 相伝う。昔河沼郡代田組藤倉村に二階堂を建立せし、材木の余れるを川に流し来りこの村に観音堂を造立す。故に村名としその川も大工川と名けしとぞ(日橋堰の分水なり)。 府城の北に当り行程1里6町。 橋本木流は家数15軒、東西55間・南北3町15間、渠川の両岸にあり。 西木流はここより西4町10間余にあり。家数11軒、東西36間・南北1町40間。 平塚木流は橋本木流の辰巳(南東)の方8町10間にあり。家数9軒、東西1町・南北1町。 共に四方田圃(たんぼ)なり。 東2町藤倉村の界に至る。その村まで8町。 西3町16間河沼郡笈川組竹内村の界に至る。その村まで8町40間余。 南6町44間余鶴沼村の界に至る。その村まで8町10間余。 北2...
  • 河沼郡笈川組竹内村
    陸奥国 河沼郡 笈川組 竹内(たけのうち)村 大日本地誌大系第33巻 101コマ目 府城の西北に当り行程1里21町余。 家数10軒(この中の1軒は森台村に住す)、東西27間・南北52間。 米沢街道に住す。 北は森台村に続き南は会津郡高久組中森台村に続き1村の如し。 東西は田圃(たんぼ)なり。 東5町56間会津郡高久組東森台村の界に至る。その村は辰巳(南東)に当り8町50間余。 西は村際にて中森台村に界ひ堰堀を限りとす。 この村もと今の地の東北にあり。元和中(1615年~1624年)ここに移すという。 Google Map竹ノ内地区 八幡神社 余談:河沼郡と会津郡の境界について。 竹内村・森台村と中森台村の間が河沼郡・会津郡の境界となっているようです。それがどのあたりかといえば「堰堀を限りとす」との事なので水路が関係するようです。この辺...
  • 小黒川分
    若松 町分 西黒川 小黒川(こくろかは)分 大日本地誌大系第30巻 192コマ目 下町の西にあり。 地面、東西13町21間・南北24町55間。 南は材木町分に交わり、北は高久組藤室村に連なり、西は高久組東城戸村に続く。 民居凡て260軒あり。 穢多町の西、黒川の東岸に家数5軒あり。 東西28軒余・南北22軒。 柳橋の側に住する故(ゆえ)俗に橋本(はしもと)と称す。 ここより未申(南西)の方4町10軒余に家数7軒あり。 東西31間・南北44間余、三屋(みつや)という。 大和町の末より戌亥(北西)の方に家数5軒あり。 東西1町15間・南北7間余、若岡(わかおか)と唱ふ。 その余は市中に雑居す(各その条下に付す)。 薬師堂河原 柳橋の西北にあり。 東西39間・南北21間。 旧この地に薬師堂あり故に名とす。 寛永15...
  • 会津郡高久組上荒久田村
    陸奥国 会津郡 高久組 上荒久田(かみあらくだ)村 大日本地誌大系第31巻 37コマ目 昔は村より2町丑(北北東)の方にあり。萬治2年(1659年)今の地に移す。 府城の北に当り行程12町。 家数58軒、東西1町15間余・南北3町29間余。 四方田圃(たんぼ)なり。 東3町36間府下東黒川上河原分の地に界ふ。 西2町36間藤室村の界に至る。その村まで6町。 南25間余府下西黒川石堂分に界ふ。 北6町下荒久田村の界に至る。その村亥(北北西)に当り7町30間余。 また 亥(北北西)の方6町滝沢組下柳原村の界に至る。その村まで7町50間余。 寅(東北東)の方3町36間滝沢組北柳原村の界に至る。その村まで7町。 戌(西北西)の方2町54間中明村の界に至る。その村まで6町10間余。 水利 黒川堰 上河原分より来り田地に灌ぎ下荒久田村の方に注ぐ。 ...
  • 達磨分
    若松 町分 西黒川 達磨(たるま)分 大日本地誌大系第30巻 192コマ目 小黒川分の北に並び、地面東西5町4間・南北8町40間。 東は高久組中明村に隣り、西は高久組平沢村に接し、北は高久組上高野村に界ふ。 家数6軒、東西21間・南北46間。 中明村の西に続く。 ここより3町20間余に家数2軒あり。 東西11間・南北18間。 達磨堂 村中にあり。 草創の初を伝えず。 中頃頽廃(たいはい)せしを承應中(1652年~1655年)再建す。 村人の持なり。 Google Map達摩
  • 会津郡高久組東城戸村
    陸奥国 会津郡 高久組 東城戸(ひがしきど)村 大日本地誌大系第31巻 32コマ目 往古この邊の諸村を天満12邑と称す。武藤某が知行所なりし故(ゆえ)俗に武藤村ともいう。 慶長5年(1600年)上杉氏神指村に城築しときその東門にあたれる故(ゆえ)辰巳(南東)の方2町10間酒漕(さかふね)という処に移せり。その後城築の事廃して旧地に還住し今の村名に改めりといい伝う。 府城の西北に当り行程20町。 家数48軒、東西1町30間・南北2町48間、四方田圃(たんぼ)なり。 東1町20間・南28間・北は村際にて、共に府下西黒川分の地に界ふ。 西1町20間天満村の界に至る。その村は未申(南西)に当り7町20間。 また未申(南西)の方1町20間に西城戸村の界に至る。その村まで8町。 戌亥(北西)の方1町40間高瀬村の界に至る。その村まで7町40間余。 村東に越...
  • 会津郡高久組神指村
    陸奥国 会津郡 高久組 神指(かうざし)村 大日本地誌大系第31巻 27コマ目 昔融大臣に仕えし秦何某という者故(ゆえ)ありてこの地に来り。住所を定めんことを山王権現に祈りしに、一老翁夢中にあらはれ指示て言う。ここより北の林中に異香(いきょう)(*1)の樹あるべし、これ村民を開き耕耘(こううん)の起すべき地なり、といい終わて夢さめぬ。行て見るに果て異香樹あり。よりて田圃(たんぼ)を開き一村をたつ。故に初めは香指村と書しに何の頃よりか今の字に改めしといい伝う。今も田圃の字に山王権鳥居田などいう所あり。 この村もと上神指より亥(北北西)の方6町にあり、正保3年(1646年)3区に分る。 府城の北西に当り行程1里。 南を上神指という。家数28軒、東西2町10間・南北2町15間。四方田圃にて西は鶴沼川に近し。 ここより2町10間北を東神指という。家数27軒(内2軒上神指の...
  • 河沼郡笈川組森台村
    陸奥国 河沼郡 笈川組 森台(もりたい)村 大日本地誌大系第33巻 100コマ目 この村もと今の地の北にあり。元和中(1615年~1624年)ここに移すという。 府城の西北に当り行程1里23町余。 家数19軒(この中の1軒は竹内村に住す)、東西1町54間・南北1町48間。 米沢街道に住す。 東端にて南に折れ竹内村に続き1村の如し。 東6町1間会津郡高久組東森台村の界に至る。その村は辰(東南東)に当り8町50間余。 西3町10間米丸村の界に至る。その村は戌(西北西)に当り6町30間余。 南は村際にて高久組中森台村に界ひ堰堀を限りとす。その村まで50間余。 北4町34間八日町村の界に至る。その村は丑(北北東)に当り9町10間余。 また 亥(北北西)の方6町52間笠目村の界に至る。その村まで11町20間余。 水利 清水堰 高久組界沢村の方より来り...
  • 河沼郡坂下組
    陸奥国 河沼郡 坂下組 大日本地誌大系第33巻 118コマ目 この地府城の西北に当り本郡の中程にあり。 牛沢・青津両組の地を隔て東西にあり。 東にあるを里郷といい、東は会津郡高久組に接し西は牛沢組に隣り南は会津郡中荒井組に連なり北は青津組に続く。 東西1里24町計(東は高久組高久村の界より、西は牛沢組塔寺村の界に至る)。 南北1里計(南は大沼郡中荒井組沢田村の界より、北は青津組御池村の界に至る。 西にあるを山郷といい、東は山を越えて青津組に続き西は野沢組に界ひ只見川を限りとし南は山を隔て牛沢組に接し北は耶麻郡木曽組に隣り日橋川を限りとす。 東西28町計(東は青津組見明村の山界より、西は野沢組洲走村の界只見川に至る)。 南北6町計(南は牛沢組和泉村の山界より、北は木曽組広野村の界日橋川に至る)。 里郷は広平の地に住し鶴沼・宮川に流れに傍...
  • 河沼郡笈川組
    陸奥国 河沼郡 笈川組 大日本地誌大系第33巻 97コマ目 この地府城の北に当り本郡の東にあり。 東は代田組に続き、西は鶴沼川を限り青津組に並び、南は会津郡高久組に隣り、北は耶麻郡塩川組に界ひ日橋川を限りとす。 東西1里6町余(東は代田組高畠村の界より、西は青津組村田村の界鶴沼川に至る)。 南北1里10町余(南は高久組中森台村の界より、北は塩川組塩川村の界日橋川に至る。 民居みな平地にて四山尤も遠く居平の中程に住せり。 四方に沃野(よくや)闢け田圃(たんぼ)多く日橋・鶴沼の長流その地を潤し、土肥えて穀豊なり。ただ薪材の便よからず。 この組の諸村みな郷名を失う。河沼荘と称す。 凡て24ヶ村あり。 笈川村 王領村 田中村 八日町村端村:高橋(たかはし) 森台村 竹内村 笠目村 上垂川村 下垂川村小名:扇田(あふきた) 中台村 米丸村 熊川村...
  • 河沼郡代田組新屋敷新田村
    陸奥国 河沼郡 代田組 新屋敷新田(しんやしきしんでん)村 大日本地誌大系第33巻 91コマ目 府城の北に当り行程1里12町。 家数8軒、東西1町4間・南北1町14間。 四方田畝なり。 東19間六町原村の界に至る。その村まで3町40間余。 西1町54間・北1町45間、共に郡山村の界に至る。その村は西に当り4町30間余。 南45間原村の界に至る。その村まで6町20間余。 また 丑(北北東)の方57間沢目新田村の界に至る。その村まで2町30間余。 未申(南西)の方1町50間会津郡高久組木流村の界に至る。その村まで9町10間余。 Google Map新屋敷地区 稲荷神社
  • 河沼郡代田組高畠村
    陸奥国 河沼郡 代田組 高畠(たかはたけ)村 大日本地誌大系第33巻 84コマ目 府城の北に当り行程1里24町。 家数22軒、東西2町20間・南北1町38間。 四方田畝なり。 東2間郡山村の界に至る。その村は辰(東南東)に当り10町50間余。 西1町52間笈川組八日町村に界ひ渠川を限りとす。その村は申(西南西)に当り5町10間。 南9町26間会津郡高久組木流村に界ひ渠川を限りとす。その村まで16町10間余。 北25間京手村の界に至る。その村は丑寅(北東)に当り1町40間。 また亥(北北西)の方1町10間代田村の界に至る。その村まで8町20間余。 山川 渠川(せせなきかわ) 村西1町50間にあり。 木流村の境内より来り、西北に流るること14町代田村の界に入る。 関梁 橋 村西1町50間余、渠川に架す。 長8間・幅5尺。 隣村の通路なり。 ...
  • 大沼郡南青木組穂谷沢村
    陸奥国 大沼郡 南青木組 穂谷沢(ほやさは)村 大日本地誌大系第33巻 7コマ目 府城の南に当り行程2里30町余。 家数25軒、東西2町5間・南北3町20間、山間に住す。 東に田圃(たんぼ)ありて鶴沼川に近し。この所を入穂谷沢と称す。 この外に滝(たき)と総沢(そうさは)という2区の小名あり。 総沢は入穂谷沢の北3町にあり。 家数8軒、東西1町6間・南北45間。 滝は総沢の北15町余にあり。 家数11軒、東西1町・南北32間。 共に東は鶴沼川に傍(そ)ひ西は山に倚る。 3区の総称を穂谷沢村という。 東3町会津郡本組下雨屋村に界ひ鶴沼川を限りとす。 西は大石村に界ひ村際の山頂を限りとす。 南4間馬越村の界に至る。その村は巳(南南東)に当り7町30間余。 北は村際にて大石村に界ふ。その村まで12町30間。 端村 堀内(ほり...
  • 会津郡滝沢組
    陸奥国 会津郡 滝沢組 大日本地誌大系第31巻 12コマ目 ※国立公文書館版より滝沢組地理之図。  雄山閣版は(なぜか)地図上から金堀と石盛山、牛畠が消されていた この地府城の東北に当たり、本郡の東北端にあり。 東は原組に隣り、西は高久組に交わり、南は南青木組に按し、北は河沼郡代田組に並び、未申(南西)の方府下の地を続く。 東西1里15町余(東は原組原新田村の界より、西は高久組下荒久田村の界に至る)。 南北1里4町余(南は南青木組慶山村の界より、北は代田組八田野村の界に至る)。 東北に山連なり西南は広平の地に続き人煙(じんえん)繁し。 村落多くは山に傍で住す水旱(すいかん)の患少なく土地肥え五穀僥(ぎょう)に薪材の用乏しからず。農隙(のうげき)に駄馬を追い、薪柴諸菌(きのこ)を採って府下に鬻(ひさ)ぎ出し、生産の資とす。 昔は原組の諸村もこの...
  • 会津郡中荒井組
    陸奥国 会津郡 中荒井組 大日本地誌大系第31巻 40コマ目 この地府城の西に当たり、本郡の東北にて大沼郡の地に跨り、宮川その間を限れり。 東は高久組に界ひ、西は河沼郡牛沢組に接し、南は本郡橋爪組・大沼郡高田組に続き、北は河沼郡坂下組・牛沢組に隣る。 東西3里(東は高久組鍛冶屋敷村の界より、西は牛沢組大野村の山界に至る)。 南北1里(南は橋爪組西麻生村の界より、北は牛沢組上茅津村の界に至る)。 東を鶴沼川流れ中央を宮川流れ、西に僅かに小山あり。 村里皆広平の地にあり。田圃(たんぼ)多く農隙(のうげき)に筵(むしろ)を織り、縄を綯(な)い草鞋を作り、婦女は木綿を織りて売り出す。 中荒井村・二日町村・東麻生村・下荒井村・蟹川村・真渡村は多く菜疏を種て府下に鬻ぎ、和泉村・台村は宮川に傍ひ二日村・蟹川村・真渡村は鶴沼川に臨み漁網の利多し。また、下荒井村...
  • 河沼郡笈川組米丸村
    陸奥国 河沼郡 笈川組 米丸(よねまる)村 大日本地誌大系第33巻 102コマ目 府城の西北に当り行程1里25町。 家数16軒、東西1町44間・南北1町30間余。 四方田圃(たんぼ)なり。 東2町43間森台村の界に至る。その村は辰(東南東)に当り6町30間余。 西1町3間熊川村の界に至る。その村は未申(南西)に当り3町50間余。 南6町19間会津郡高久組界沢村の界に至る。その村まで8町30間余。 北3町54間笠目村の界に至る。その村まで5町10間。 また 亥(北北西)の方52間上垂川村に界ひ黒川を限りとす。その村まで50間。 山川 黒川 村西1町余にあり。 界沢村の境内より来り、屈曲して11町余北に流れ笠目村の界に入る。 水利 清水堰 界沢村の方より来り田地の養水となり、森台村の境内を経てまたこの村の境内を過ぎ笠目村の方に注ぐ。 神社...
  • 河沼郡笈川組中目村
    陸奥国 河沼郡 笈川組 中目(なかのめ)村 大日本地誌大系第33巻 103コマ目 府城の西北に当り行程1里13町。 家数25軒、東西52間・南北59間。 四方田畠なり。 東2町14間熊川村の界に至る。その村まで7町20間余。 西3町7間佐野村の界に至る。その村は戌(西北西)に当り4町40間余。 南1町41間会津郡高久組高久村の界に至る。その村は巳午(南南東~南の間)に当り8町50間余。 北1町20間五町目村の界に至る。その村まで8町10間余。 また 寅(東北東)の方11町4間上垂川村の界に至る。その村まで14町50間余。 水利 高久堰(河沼堰(かはぬませき)) 俗に河沼堰という。下同。 高久村の境内より来り田地の養水とし五町目村の方に注ぐ。 神社 稲荷神社 祭神 稲荷神? 相殿 明神 地主神なり    熊野宮    幸神    権現 ...
  • 河沼郡代田組倉道村
    陸奥国 河沼郡 代田組 倉道(くらみち)村 大日本地誌大系第33巻 93コマ目 府城の北に当り行程1里。 家数14軒、東西1町43間・南北55間。 また4町余西に家数2軒あり。姥懐(うばがふところ)という。 共に四方田畝なり。 東1町14間会津郡滝沢組下居合村の界に至る。その村は辰(東南東)に当り1町30間余。 西5町2間会津郡高久組中前田村の界に至る。その村まで6町50間余。 南1町32間滝沢組下柳原村の界に至る。その村は未(南南西)に当り13町余。 北3町20間藤倉村の界に至る。その村は亥(北北西)に当り3町余。 また戌(西北西)の方4町16間槻橋村の界に至る。その村まで4町20間余。 丑(北北東)の方5町12間駒板村の界に至る。その村まで10町20間。 昔は木下という端村あり。今は廃す。 山川 渠川 村より1町余西南にあり。 下居...
  • 河沼郡坂下組塚原村
    陸奥国 河沼郡 坂下組 塚原(つかはら)村 大日本地誌大系第33巻 122コマ目 この村天喜の頃(1053年〜1058年)より塚原といいしが後転じて束原に作れり。寛文中(1661年~1673年)にこれを復す。 府城の西北に当り行程2里13町。 家数45軒、東西2町40間・南北3町24間。 四方田圃(たんぼ)にて東は鶴沼川に近し。 東15町会津郡高久組高久村の界に至る。その村まで18町20間余。 西1町24間牛沢組中茅津村の界に至る。その村は未申(南西)に当り9町余。 南16町42間会津郡中荒井組真渡村の界に至る。その村は辰巳(南東)に当り23町50間余。 北3町14間細工名村に界に至る。その村まで4町20間余。 山川 鶴沼川 村東2町10間余にあり。 真渡村の界より来り、18町北に流れ細工名村の界に入る。 東西8町余・南北18町計の河原あり...
  • 河沼郡代田組槻橋村
    陸奥国 河沼郡 代田組 槻橋(ふちくら)村 大日本地誌大系第33巻 93コマ目 府城の北に当り行程33町余。 家数21軒、東西1町30間・南北1町。 四方田圃(たんぼ)なり。 東は村際にて藤倉村に界ふ。 西8町10間会津郡高久組木流村の界に至る。その村は戌(西北西)に当り8町50間余。 南17間余倉道村に界ひ金山川を限りとす。その村は辰(東南東)に当り4町20間余。 北3町藤倉村の界に至る。その村は丑(北北東)に当り1町50間余。 また申(西南西)の方51間余高久組中前田村に界ひ渠川を限りとす。その村まで3町20間余。 東に米沢裏街道あり。 昔は村の西北の方に中島という端村あり。今は本村に移す。 山川 渠川(せせなきかわ) 倉道村の境内より来り、金山川を得て西北に斜めに流るること9町余木流村の界に入る。 金山川 倉道村の境内より...
  • 河沼郡笈川組熊川村
    陸奥国 河沼郡 笈川組 熊川(くまかは)村 大日本地誌大系第33巻 103コマ目 府城の西北に当り行程1里31町。 家数26軒、東西45間・南北2町8間。 四方田圃(たんぼ)なり。 東1町56間・北3町23間余、共に米丸村の界に至る。その村は寅(東北東)に当り3町50間余。 西5町10間中目村の界に至る。その村は申酉(西南西~西の間)に当り7町20間余。 南1町20間会津郡高久組高久村の界に至る。その村は未(南南西)に当り10町10間余。 山川 黒川 村東1町にあり。 高久村の境内より来り、北に流れ西に折れ9町30間余を経て米丸村の界に入る。 清水 村中にあり。 湧出る勢い甚強く周9尺計の井輪の外に溢れ出、下流を田地に漑(そそ)ぐ。 清冽にて大旱にも涸れず。水底まで5、6間計ありとぞ。 天明の末(~1789年)始てこの井を堀しが、俄に水多く湧...
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